prologue-14 

December 01 [Thu], 2005, 12:59
おじさんはおばさんを抱える様にして、また俺の隣のソファに座る。
もうおばさんは何かを話せる状態じゃなかった。
おじさんが俺の方へ顔を向けた。

「純君」
「はい」

俺は玲奈の親父さんに顔を向けることが出来ない。
冷たい指輪を触りながら、薄いグレーの廊下に目を落としていた。

「ごめんな」

俺は頭を横に振った。
謝らないでくれ。
俺が欲しかった結果はこんな結果じゃない。

おじさんは大きな右手で顔を覆った。
生まれてから18歳になるまで、惜しみ無い愛情を注いで育てた娘を、突然失った親の哀しみが其処に在る。

持って行くなら、俺の命を持って行け。
玲奈。
君がもう一度笑ってくれるなら、こんなつまらない物なんて幾らでもくれてやる。

手が震える。
其れでも不思議な事に涙は出ない。
たった18歳で決めた生涯の君。
後少ししたら、玲奈。
君は「朝倉玲奈」だった。

ごめんね、純

玲奈の声だった。

prologue-13 

December 01 [Thu], 2005, 12:55
隣のソファに座っていた玲奈の父と母が急いで立ち上がる。
銀色の扉から出て来た医者の元へと駆け寄って行く。

俺は立ち上がる事が出来なかった。
唯そっと自分の左手の薬指を上から擦った。
其処には誕生日に玲奈から貰ったシルバーの指輪。
結婚するという約束の証。
生涯を共にするという18歳の約束。
いつもは自分の体温で温かい指輪が、今はとても冷たい。
冷たい唯の金属の輪の様だった。

医者、おじさん、おばさんの詳しい会話が耳に入らない。
黙って目にする光景は、扉の中で起こった全ての結果を現している。
緑色の黒く玲奈の血で染められた手術着を着用した医者が、頭を下げている。
おじさんはおばさんを抱き締めていた。
おばさんは今にも其の場に崩れ落ちそうになっている。

玲奈、玲奈

おばさんは君の名を何度も何度も呼ぶ。
嫌だとも。
返してくれとも。
感情をぶつける事も無い。
誰かを非難する言葉も言わない。
唯愛する娘の名を呼び続ける。
何度も、何度も。
繰り返し呼び続ける。
其の声は涙で大きく震えている。

申し訳有りません、我々の力不足でした

救命救急の専門医だ。
こんな事は日常茶飯事だろうに。
ここに運ばれた人間が死ぬなんて、極日常の事だろうに。
其れなのに、此の医者は玲奈の両親に頭を深く下げながら詫びていた。

・・・ありがとう、ございました

玲奈の父がまるで振り絞る様に、其の医者に礼を言った。
声が掠れている。

医者はもう一度頭を下げると、再び手術室の中へと消えて行った。

prologue-12 

December 01 [Thu], 2005, 1:54
「こっちは何?純」
クリーム色の日記をガラスのテーブルに置くと、小箱を眺めて不思議そうな顔をする。
玲奈はあの銀色のロケット以外、アクセサリーを身に付けていない。
学校の中では、其れは制服の白いブラウスの下に隠している。
休みの日に会う時でも、其の銀色のペンダントしか俺は見た事が無かった。
そういう点では、玲奈も少し変わっているのかも知れない。
彼女位の年齢の女子高生なら、本物とはいかなくても、イミテーションの指輪やネックレスの類は何種類かは持っているだろう。

「開けてみて。玲奈」
うん、と頷いて玲奈は箱に掛けられた白いリボンを解き、そっと水色の包みを破らない様に丁寧に開け始めた。
其れはとても丁寧に。
まるで破れてしまったら終わりだとでもいう様に。
「純、此れ・・・・」
水色の包みの中は白い小さな四角い箱。
「其のまま開けて」
「うん・・・」
幾らアクセサリーに興味が無くても、もう察しは付くだろう。
其の箱の中身が何なのか。
箱を開けて、中に入っている限り無く白に近い、グレーのビロード貼りのボックスを取り出した。
玲奈は黙って蓋を開ける。
ボックスの中は白いサテン。
其の中央に細いシルバーの指輪。
玲奈が其れを手に取った。

何も言わずに、其れを顔の前に掲げて眺めている。
部屋に差し込む春の柔らかい光で、其れはきらりと光る。
俺は玲奈の手から指輪をそっと取った。

「俺と結婚して。玲奈」
玲奈の左手の薬指に、其のシルバーの指輪を嵌めた。
返事の代わりに其の大きな黒い瞳から、透明な涙が零れ落ちる。

「約束して、玲奈」
そっと抱き締める。
君は泣きながら頷いた。

其の日初めて、俺は玲奈とキスをした。

prologue-11 

December 01 [Thu], 2005, 0:06
俺は買い替え無ければならないかと思われる電化製品を直す度に、僅かだが月々の小遣いの他に特別な小遣いを貰っていた。
玲奈と付き合う前は其れらは特に遣い道は無かった。
だから玲奈と会う時に必要な金は俺が出していた。
そうは言っても所詮二人共高校生。
普通の都立高校に通う学生だ。
中学から派手で有名な私立高校へ進んだ連中に比べれば、俺達のデートなんてたかが知れている。
親に紹介する前は、其の辺の公園で過ごしたり、ただ何となく町を散歩したり、時には玲奈の好きな本を借りに図書館へ出向いたりした。
両親公認になってからは、専らどちらかの家で会うようになった。
俺の親も玲奈の親も、煩い事は何一つ言わない。
それぞれの自室に二人きりで居ても、覗きに来る様な事も無かったし、閉めたドアの外から様子を伺う様な事も無かった。
当時、都立の普通高校に通う学生は男女交際についてさほど乱れていなかったというのも、親の安心を誘ったのだろう。

俺はアイドルのポスター一枚貼っていない自分の部屋で、其れを玲奈に手渡した。

「何?純」
「だから誕生日プレゼント」
「今年は日記じゃないの?」
「日記はこっちだよ」
いつもの本屋で手に入れておいた紙包みを渡す。
残念ながら去年と同じ物は無かった。
「ありがとう。純。嬉しい」
君は本当に嬉しそうな笑顔で、其の紙包みを開いた。
中から出て来たのは、去年とは違う色の日記帳。
薄いベージュでは無く、クリーム色。
でも大きさと鍵無しというのは、去年と同じだった。
「気に入った?」
まだ何も書かれていない、真っ白な日記を開きながら玲奈は頷く。
「玲奈?」
何?という顔をして君が顔を上げる。
「聞いてもいい?いつもどんな事を書いてるのかな」
くすっと笑う。
「卒業したら見せてあげる。其れ迄は内緒よ、純」
「そうか。じゃ、約束な」
俺はおふくろが運んで来た紅茶を飲んだ。

prologue-10 

November 30 [Wed], 2005, 23:17
玲奈の左手の薬指。
其の白くて細い綺麗な指には、シルバーの細い指輪が嵌められている。
俺があの時に贈った2回目の誕生日プレゼントは、指輪だった。

俺は別に他の男子の様に、ご執心のアイドルが居る訳でも無い。
特に好きなミュージシャンが居る訳でも無かった。
趣味といえば、相変わらず壊れた家電をいじったりする事。
其れでもガキの頃に比べれば腕は上達し、余程特殊な部品が必要だったりしなければ、大抵の物は何とか再び使える様にする事が出来る程になっていた。
そんな俺を見て、おふくろは、あんたは便利でいいわ、と言った。

「お父さんはこういう事は全く駄目だから」
「いいよ、別に。俺の趣味だし」

親父はしがないミュージシャンだった。
其れでも、其のマニアの世界では有名らしく、毎晩決まった乃木坂にあるライブハウスで演奏していた。
親父はボサノバのギタリストとしては伝説の人物らしい。
だが、世渡りが下手なのかメジャーなレコード会社とは契約していない。
従って親父の音楽を聴くには、其のライブハウスへ足を運ぶしか方法は無かった。
昼間は何人かの子供相手に、ギターの初歩を手解きしていた。
特に大きくギター教室と看板を出している訳では無く、口コミや、親父の音楽仲間の紹介だけだ。
そんな親父の手にする金だけでは、とても家計が賄える筈も無い。
おふくろは家計を支える為に、近所の不動産屋で長い事、事務のパートをしていた。
お世辞にも裕福といえる家庭では無かった。

あんたは普通のサラリーマンになりなさい

此れがおふくろの口癖だ。
そんな親父だが、おふくろは決して別れ様とはしなかった。

prologue-9 

November 30 [Wed], 2005, 19:12
ガラガラと音を立てて、其の書店の入り口を開ける。
自動ドアなんて物は付いていない。
昔から此の町にある古い本屋だった。
其れでも、数軒ある本屋の中では一番品揃えがきちんとしている。
俺と玲奈は日記を揃えてあるコーナーへ足を運んだ。

大した種類は無かった。
其の中から玲奈が手に取ったのは、薄いベージュの合皮のカバーが付いた日記だった。

「其れでいいのか?」
玲奈はにっこりと笑って頷いた。
他にも玲奈位の年齢の女の子が好きそうな色合いの物が、幾つかあった。
赤やピンク。
花柄や水玉模様。
でも君が選んだのはとてもシンプルな物だった。
「鍵は付いてないよ、玲奈。親とかに見られたら困るんじゃないか」
「大丈夫。其れに無くしたら困るでしょ?」
「それもそうだな」
「あたし、結構忘れっぽいの。直ぐに物無くしちゃうから」
そんな顔が可愛くて。
俺は玲奈の頭をくしゅっと撫でて、其の日記をプレゼントした。

ありがとう、純

嬉しそうに其れを胸に抱えて微笑む玲奈。
そんな笑顔を、何時迄も何時迄も見ていたい。

でも其の笑顔は、今俺の前から永遠に消えようとしている。

prologue-8 

November 30 [Wed], 2005, 19:08
「玲奈、誕生日おめでとう」
そう言って、俺は薄い水色の包装紙に包まれた小さな四角い箱を玲奈に渡した。
玲奈の誕生日は4月だ。
其れは去年の事。
小箱には細くて白いサテンのリボンが掛けられている。
玲奈の誕生日にプレゼントをするのは、此れが2回目。
4月生まれだから、付き合って直ぐに最初の誕生日が来た。
女と付き合った事なんか無かった俺は、何を贈っていいのか正直解らなかった。
喜んで貰えない物を贈っても仕方無い。
そういう所は現実的だった。
俺は直接玲奈に聞いた。

何が欲しい?

「日記かな」
学校からの帰り道。
玲奈はそう答えて微笑んだ。
もう高校生の女の子だから、普通にアクセサリーとかを欲しがると思っていた。
でも、玲奈が答えたのは日記。
「そうか、日記か」
「うん。いい?」
「いいよ。今から買いに行く?」
「ありがと!純」
其のまま帰り道の商店街にある、小さな書店に寄った。
直ぐ近くには六本木という、東京でも屈指の大都会がある。
当時は巨大なオフィスビルなんて物も無く、其処は完全に夜の街だった。
其れなのに、其処から大して離れていない此の麻布の外れの町は、何処か寂れた雰囲気だった。
店の数も少ないし、品数だって豊富じゃない。
東京に憧れる人間が見たら、きっとがっくりと肩を落とす。
そんな場所だ。

prologue-7 

November 30 [Wed], 2005, 2:13
あれは何時だったろう。
二人で写真を撮って。
まだ付き合い始めたばかりの頃。
半分緑の葉が混じり始めた校庭の大きな桜の木の下で、セルフタイマーで撮ったんだ。
誰にも邪魔されたく無かった。
学校が休みの日にそっと忍び込んで、まるでいたずらっ子の様だった。
俺は其の時、初めて玲奈の肩を抱いた。
初めて触れた其の肩は、華奢で少しだけ骨が掌に当たる。
其の感触までが、今、俺の掌に蘇る。

そうして撮った写真を、玲奈は其の頃流行っていた銀色の少し楕円形をしたロケットに入れようとした。
其れは蓋の部分と被さる部分の両方に写真や絵が入れられる。
玲奈は写真を切り取り、蓋の部分に自分の写真。
そして被さる部分に俺の写真を収めた。
其の時だったか。
写真をカッターで切ろうとして、誤って自分の指を切ったんだ。

「痛い・・・」
そう小さく呟いて、君は切った指を口に銜える。
「見せて。玲奈」
口に銜えた指を引っ張って、傷口を見た。
別に大した傷では無い。
深くも無いし、切ったのもほんの1cmあるか無いかだ。
其れでも、余程切れるカッターだったのか、直ぐに血が丸く盛り上がる様に出て来る。
俺は救急箱を持って来て、綿に消毒液を吹き付けて傷口を拭いた。
玲奈は黙って、俺に任せている。
此れは絆創膏では駄目だろう。
ガーゼで包んだ後、包帯を細く切って、其の人差し指に巻いた。
「此れで大丈夫だよ」
「ごめんね。純」
玲奈は其の指をそっと手で包んだ。
「いいさ、此れくらい」
俺は笑って其の頭を撫でた。

俺が見た玲奈の血は其れだけだ。
玲奈が生きている証の血。
温かい赤い血。

だけど今目の前にしている物はそうじゃない。
あの血溜りもそうじゃない。

其れは愛する女の死に逝く血だった。

prologue-6 

November 30 [Wed], 2005, 2:07
あれから何時間経ったのだろう。
俺は唯其の銀色の扉をぼうっと見つめたまま、簡易ソファに座り続けていた。
ソファは二つ有り、おじさんとおばさんは隣のソファに座っていた。
玲奈の親父さんがおばさんの肩をそっと抱いている。
俺と二人の時は平静を装っていた玲奈のおふくろさんも、おじさんが来た事で心の箍が外れたのか、さっきから白いハンカチで目元や口元を何度も交互に押さえ続けている。
二人共、一言も言葉を発さない。
俺も何も言わなかった。
とても静かだった。

目の前の冷たい金属の扉が、玲奈を手の届かない何処か遠くへ連れて行ってしまう気がする。

まるでエレベーターが開く様な音がした。
緑色の手術服を着た医者が一人だけ出て来た。
銀縁の眼鏡を掛けていた。
救命救急の専門医。
其の胸元には赤では無い黒っぽい染みが広がっている。

玲奈の血。
其れは紛れも無い玲奈の血だ。

あのグレーのアスファルトの大量の血溜まり。
そして今目にしている大きな黒い血の染み。
こんな玲奈の血。
俺は見た事は無い。

prologue-5 

November 27 [Sun], 2005, 11:41
「淑子、玲奈は」
「貴方・・・」
隣に座っていたおばさんが立ち上がる。
玲奈の親父さんが灰色の作業服のまま、息を半分切らせながらやって来た。
そうだ。
確か親父さんはどうしても外せない仕事があると言っていた。
何でも出張修理を請け負っていたらしい。
親父さんは板金もするが、車のプロだ。
固定客も持っていて、修理なんかもやっている。
今日は其のお客の家に出掛けていたんだ。
親父さんの工場にはもう一人、昭さんという50歳位のおっさんが居る。
親父さんの親友らしい。
麻布の外れの下町の様な所で、小さな板金工場を営んでいた。
おふくろさんは経理を手伝っていた。

其の頃。
まだ麻布には地下鉄は通っていなかった。
陸の孤島とか、東京のチベットとか言われている。
そんな時代。

おばさんはおじさんを長い廊下の途中に連れて行った。
多分、医者から聞かされた玲奈の状況を報告しているんだろう。
俺はそんな二人の様子を唯見ていた。
まるで映画やドラマのワンシーン。
今迄気丈に振舞っていたおばさんが、白いハンカチを口元に当てている。
おじさんはまだグリースが少し付いている両手の拳を握り締め、うなだれている。
ほんの僅かだが、おばさんの嗚咽が漏れ聞こえてくる。
俺は視線を元に戻した。

目の前は鈍く光る銀色の金属の扉。
此の中に君が居る。
玲奈。

俺はここに居るよ。
玲奈。
戻って来てくれるか。
俺の所に。
玲奈。
待っているから。
約束して。
必ずまた俺の前で笑ってくれるって。
あのはにかむ笑顔を見せてくれる事。
玲奈。
約束してくれるか。
駄目だなんて言葉。
俺は信じない。


空になった白い紙コップを握り潰した。
ぐしゃり、と音を立ててあっけ無く其れは唯の紙の屑になった。
少しだけ垂れたコーヒーが手に付く。
俺は其れをジーパンで拭いた。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:reina_r32
読者になる
Yapme!一覧
読者になる