見守る距離で見えるコト 

2004年10月13日(水) 18時00分
今回は河合隼雄で考える。
見守る距離で見えるコト

「自分のことは自分が一番よく知っている」と信じていながら、おかしなことに、「あなたのことも私が一番よく分かっている」と思い込んでしまう私たち。  
他人からの忠告なんて聞きません。聞けません。  
その代わり、他人への忠告はどんどんします。
まるで、その人の運命を握っているかのように…。  
それは子どもたちでも同じこと。  
子どもたちだって、私たちと同じように、「自分のことは自分が一番よく分かっている」つもりでいるし、「お母さんやお父さんのことだって、先生や友達のことだって、自分が一番よく分かっている」つもりでいるのです。  
さて、私たちは、そんな子どもたちのことを本当に分かっているでしょうか?  
そんな子どもたちと分かり合えているでしょうか?  
相手のことをより深く理解するためには、自分のことをもっと知ろうとしなくてはなりません。 

子どもたちが知っている私、子どもたちが見ている私、子どもたちが感じている私の姿を知ろうとする時、「お母さん、あなたのことは、ぼくが/わたしがよく分かっているから。」という子どもたちの声に耳を傾ける時、隣でたくましく、頼もしく成長している子どもたちの姿に気づかされるのではないでしょうか。
子どもたちは待っているはずです。自分の知らない自分の姿を、お母さんやお父さんから聞かされることを…。

受け手なくして送り手なし! 

2004年09月28日(火) 13時46分
今回は糸井重里で考える
「受け手なくして送り手なし!」 


 「クリエイティブ」…「独特の工夫」、「今までにない何か」、「発想し続けようとすること」、「そのままにしていられない気持ち」 (by 糸井重里) 「創造性」「クリエイティブであること」「クリエイティビティ」について、これまでは「何を創り出すか」というところから語られてきました。「創る」+「造る」と言うのですから当たり前の話で……しょうか? 糸井重里はこう言っています。「受け手なくして送り手なし!」「消費なくして生産なし!」(詳しくは『インターネット的』PHP新書) どんなに新しいモノを創り出したところで、誰からも評価されず、受けとめられることがなければ、その創造性は埋もれてしまうというのです。
…確かにその通り。
 今でこそ巨匠のバッハやゴッホも生前は評価されなかったのですから。 
 例えば、サッカーの解説者は選手を評価する時に「クリエイティブ」という言葉を使いますが、クリエイティブなプレイというものは、パスを送る選手と受ける選手によって成立するのです。どんなに鋭いパスを出しても、敵はおろか、味方選手でさえ追いつけなければ、それは「無責任パス」と呼ばれ、クリエイティブではあり得ません。 送り手と、受け手と、その両者があって初めて「クリエイティブ」は成立するのです。 糸井さんは、クリエイティブということを考える時に、受け手の創造性を育てることを勧めています。その点が新しい!

日常の問いをどうするのか。 

2004年09月27日(月) 14時16分
今回は畑村洋太郎で考える 
問題解決能力よりも問題発見能力を


「これ、何?」「あれ、誰?」「なんで?」「どうして?」「どうやって?」…。 
次から次へと問いを連発する子どもたち。
別に、大人を困らせようとしているわけではありません。 
ちょっと考えてみれば当たり前のことなのですが、子どもたちの毎日は、ほとんど全てが初めてのことばかりで、謎と不思議の連続で、きっと理不尽に思えることも多いのです。
 そして、その世界の不思議を理解するために、世界と結びつくために、世界の理不尽さを受けとめるために、子どもたちは、今日もたくさんの問いを発するのです。 そんな子どもたちの問いと直面する時には、ありきたりの仕方で答えてしまってはなりません。正しい答えを当たり前の仕方で教えてしまってはならないのです。
 なぜなら、私たちは子どもからの問いを理解していないからです!
2004年10月
« 前の月  |  次の月 »
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新コメント
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:reed
読者になる
Yapme!一覧
読者になる