レポート 

May 11 [Fri], 2007, 23:39
近代史の講義で提出したレポートの掲載です。

 日本とアメリカの関係は第一次世界大戦後はワシントン軍縮条約、ロンドン軍縮条約の締結によって安定した関係にあった。幣原喜重郎外務大臣の取っていた国際協調を軸とした外交に支持が集まっていたのだった。しかし、アメリカのウォール街の株が大暴落したことによって引き起こされた1929年に始まる世界恐慌により、日本の経済も打撃を受けた。更にロシアが社会主義革命によってソヴィエト連邦になり、世界的に社会主義のへの関心と脅威が高まっていった。このように、昭和期に入った日本は様々な要因によって戦争への道を歩んでいったのである。アメリカとの国際関係を悪化させていく原因としては、満洲事変が一番の原因であったと思われる。
この時期の中国の情勢に関しては複雑で簡潔に説明すると、孫文亡きあと各地で軍閥が台頭し、更に蒋介石率いる国民党と共産党の争いが起こっていた、というように中国の国内もバラバラであった。満洲事変は、その前の年に起った張作霖爆殺事件(満洲某重大事件)により、奉天で決起した張作霖の4男、張学良が国民党と一緒になって日本軍に反旗を翻したのが切欠となっていた。
 1931年に起こった満州事変では、板垣征四郎と石原莞爾が首謀者となって関東軍を動かし、関東軍のみならず朝鮮軍をも巻き込んだクーデターと化した。石原莞爾はもともと「最終戦論」という日蓮主義と己の戦史研究に基づいた説を立てており、ソ連と戦い日本が東洋の覇者となって西洋の覇者となるであろうアメリカと最終的な覇をめぐって戦争をする、という思想の持ち主であった。その思想を具現化するため、満洲を自国のものとし、満蒙問題を解決することで後顧の憂いを失くし、産業開発を推し進めて国力を付けてからソ連との戦争に臨む、という目標の元に事変を起こしていった。この当時は満蒙こそが日本の生命線とまで言われていて、満洲自体は日露戦争により日本の権益の及ぶところとなっていたが、更にそれを拡大することが急務だと考えられていた。当初の計画では満洲を独立させ、日本の権益を一番協力にしようという独立論を関東軍は唱えていた。しかし、計画が実施されていく段階において、領有論へと変化していった。満洲事変に対する世界的な非難は、日本に集中し、蒋介石の国民政府が国際連盟に訴え、リットン調査団が組織された。この調査団は満洲事変は日本の起こした侵略行為である、との決を下した。アメリカの世論も、満洲事変後、日本に対して硬化していった。日本はこの後、国際連盟を脱退し、孤立化の道を歩んでいった。事変後、関東軍は華北分離工作を進め、満洲国建国以後も軍事行動を続けていた。
P R
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