隠れ家 

February 17 [Sun], 2008, 5:02
今日のミルク



'''いい所見つけたんだ。'''
'''テーブルの下。'''
'''隠れ家っぽい?'''

ブログ免許書♪ 

February 12 [Tue], 2008, 18:50
ブログ免許を作ったらここで受け取ってください♪

小録海軍部隊の戦い〓 part12 

January 29 [Tue], 2008, 0:59
4月下旬アメリカ軍は第2陣地を破り、首里に迫った。沖方根では上陸依頼、小録に釘付けとなっていたが、5月4日に第32軍が反転攻勢に転じる計画を打ち出し、沖方根からも精鋭の陸戦隊を参加させるよう命令が下った。だが、攻撃は1日で惨敗となり、沖方根の陸戦隊は参加する間もなかった。

アメリカ軍は攻撃の手を緩めることなく首里へ進撃を続け、5月10日頃には右翼でシュガーローフ、中央は首里大名、左翼で与那原が戦線となり、首里包囲が目前に迫った。そこで遂に沖方根への戦線参加命令が下ったのである。しかし、大田中将は独自の作戦を密かに計画していたことから、直属の上司である杉山六蔵中将へ命令の撤回を要請するが、受け入れられず精鋭3,000名の陸戦隊を差しだすことになった。

 独自の作戦とは、第32軍の首里で玉砕が前提であり、その後陸戦隊の精鋭3,000名と第32軍の一部が小録に立て籠もり、槍部隊の多くは南部へ移動させ終戦までゲリラ戦を展開させるものである。作戦の準備はアメリカ軍の上陸以前から、南部を守備していた第24師団の雨宮中将と協力体制の強化を目的に、糸満真栄平部落付近を沖方根の予備陣地として提供することで同意していたのである。そのため、多少の食料弾薬を集積し、地形をある程度把握していたのである。

 だが、アメリカ軍の上陸依頼、小録飛行場付近にいた第24師団第22連隊(連隊長 吉田勝中佐)は、4月10日に嘉数の戦闘へ転進、その後4月20日頃には第24師団が首里戦線へ転進したことから、南部一帯は空白地帯となった。そこで大田中将は沖方根の槍部隊を南部へゲリラ戦の名目で移動させる作戦を立案し、本格的な準備にとりかっていた矢先に、陸戦隊の精鋭を首里戦線へ抽出するよう命令が下ったのである。

 大田中将は、どうにか命令を撤回するよう各方面に依頼するが叶わず、命令通り5月12日に2,500名と斬り込み隊の約3,000名を送り込み、首里戦線で大いに奮闘した。しかし、大田中将は首里が持ちこたえる間に新たな作戦を考えなくてはならなかった。第32軍は首里で玉砕しないもしれないと思い始めたのもそのころからである。

 第32軍が南部へ撤退した場合、小録地区が最前線に取り残されることは明白であり、小録で玉砕する覚悟は最初からできているが、素人の槍部隊だけで戦うことが武人として正しい判断なのか、また後世に汚名を残す戦いにならないか思案した。

 そのようなときに、島田知事の要請で6名の警察官が内務省へ報告書を届けるため沖方根の司令部壕にたどり着いたのある。4月20日に内務省への報告を電報で送ることを断り、直接持っていくなら協力すると言ったものの、既にクリ舟一隻すら確保できない状況では断るしかなく、食料を提供し知念半島へトラックで送り届けた。6人は報告書以外に、首里で死ぬ覚悟の島田知事から遺書を大田中将に託している。

 封を開けると、遺書には国民がどれだけこの戦争で苦労したかを切に訴え、次なる時代には平和を願うものあった。文書の最後に「沖縄県民斯く戦へり県民に対し後世特別のご配慮を賜らんことを」で締めくくられていた。大田中将はこれを読み感銘し、小録で全員が玉砕することに躊躇しはじめた。

 5月22日首里の長参謀から、今後の重大な作戦会議を開催するので首里司令部へご足労願いたいとの一本の電話が沖方根司令部へ入った。大田中将は、会議の出席に参謀の中尾静雄少佐を指名した。また、会議の議題が首里の撤退についてであれば、特に意見はなく全て同意するよう指示している。

会議は22日の晩に行われ、議題はやはり首里撤退についてであった。八原大佐が議長を勤め、各師団の首脳へ意見を聞いたが最初から南部撤退案が決まっており、中尾少佐には単に会議を行い、議事録を必要とするために徴集したようにしか思えなかった。

南部撤退案については、牛島中将の承認が要ることから、最終決定には至っていないが、どの部隊がどこへ転進するか、一歩踏み込んだ論議がでてきた。だが、第24師団以外は南部の地理は不明であり、軍へ一任することになった。南部へ行き先について中尾少佐は、沖方根は以前から第24師団との協定により真栄平に食料の備蓄を行っており、真栄平にすべきであると強く主張し、八原大佐もそれに同意した。その後宴席を設けたが、誰も酔うことができず足早に部隊に戻った。なお、第32軍からは沖方根の連絡係りとして3名の下士官も中尾少佐と同行し戻ることになった。

翌23日朝に報告を受けた大田中将は、沖方根参謀と今後の作戦について意見を求めたが、だれも南部への撤退には賛成しなかった。戦争そのものを維持できる状態に無い状況で、いまさら槍部隊が本土上陸の時間を数日延ばすことに成功したとしても、大局に影響を及ぼすことは微塵もない。それよりは、特攻攻撃に散った仲間のためにも華々しく小録の地で散ったほうがよいとする意見で全員が一致した。

 ところが、大田中将は残存兵力5,000名の内、2,000名を小録地区に残し3,000名を南部へ撤退させる案を打ち出したである。それは、無駄に小録の地で鉄砲すらもっていない兵士を死なすことは耐え難く、少しでも長く生き延びてゲリラ戦で終戦まで持ちこたえて欲しいとの願いからである。司令官の決断にはだれもが納得した。しかし、3,000名の兵士を轟の壕を中心とした真栄平地区に全員が収容できる壕を確保し食料や弾薬を運搬するためにも、行動を急ぐ必要があった。

それは、陸軍と違い海軍拠点地隊という名称からも、その場を死守するためしか教育を受けていない部隊であり、荷物を持って行軍することするすら海軍の兵士には経験がなかったのだ。そのため、3日後の5月26日に撤退行動を開始することを決定した。なお、公刊戦史では殆どが撤退したとあるが、真実は3,000名である。

 沖方根の南部撤退については、第32軍の司令部から同行した3名の下士官に伝えられ、直ちに首里の司令部へ電話連絡しその旨を伝えている。だが、第32軍では与那原の戦線で窮地に追い込まれており、戦線を維持できなければ首里からの撤退が危ぶまれる状態に電話連絡を受け、長参謀長まで内容を伝えらるが、長参謀長は第24師団や関連部隊、第32軍参謀との調整が行われないままに、「八原がいいと言ったのであればそれでよい」と独断で承認した。

 沖方根の撤退は26日で殆どが完了し、沖方根の各部隊は27日には自然壕を手に加える陣地構築が開始された。ところが、第24師団の先行部隊が到着、真栄平の海軍部隊の行動に対し、第32軍に異議を申し立てたのである。現場の兵士にとっては、自然壕一つでも生死を別ける大切なものであり、そこに「白い服を着た海軍さんが大勢いたのでは迷惑である」と連絡したのであった。

 異議を申し立てられた第32軍では、収集策として撤退した半分を24師団に編入し、残りは小録に帰るよう大田中将へ申し入れた。大田中将は長参謀長へ電話連絡をするが、不在を理由に電話口にはでなかった。かわりにでた若い参謀からは、相談なしに勝手な行動をとったとして非難され、経緯を説明しようにも聞く耳を持たなかった。さらには、この申し入れが受け入れないときは、今後の沖方根の作戦については単独行動をとって構わないから、勝手にやってくれとまで言われたのである。
 それに激怒した大田中将は、ついに真栄平から全員に小録復帰を命令した。しかし、連絡不十分により残地された者や、アメリカ軍の攻撃により3,000名の内3分の1程度しか復帰することはできなかった。

精鋭部隊を第32軍の撤退作戦の支援部隊として抽出され、さらには南部撤退を過早撤退と非難され、元に戻れと言われたことには耐え難い屈辱である。その悔しさについて、29日晩に杉山六蔵中将へ切々と電報を送った。しかし、この電報は杉山中将の胸にしまわれ、戦後も口外されず歴史の表舞台にでてくることはなかった。

2007/10/15 夕 防犯パトロール 佐賀県武雄市交通安全指導員 

January 16 [Wed], 2008, 10:38
今日の午後6時35分から午後6時55分まで、
佐賀県武雄市総合庁舎の交差点付近に、防犯パトロールと交通安全指導で1人で立った。
今年の夕方の防犯パトロールの通算は、283勤5休 98.2%。
今日の夕方、良い天気だった。
歩行や自転車で帰宅する中高生の多くを見掛けた。
よく挨拶をする中高生が多く、とても嬉しい。
日の入りが早くなったので、中高生は早目に帰宅してほしい。
毎日の防犯パトロールは、去年の4月24日から始めた。
午後5時30分から午後7時まで、歩行者と自転車が多いので、
車は交差点の右左折の時に注視してほしい。
交差点の右左折で減速しない車や、信号を守らずに横断する歩行者と自転車が居て、
とても危険である。
自転車の早目のライト点灯が望ましいが、無灯火の自転車も多い。
佐賀県武雄市総合庁舎の交差点で事故や事件が無いことを願う。

内藤チャンプ効果!! 

January 09 [Wed], 2008, 10:37
昨日のSmileは、内藤チャンプの世界タイトル初防衛成功効果がモロに現れ、スッゲー大盛況でした!!



さすがビッグゲームの後ってことで、みんないつもよりかなりテンション高めでトレーニングしてましたねw




しかし内藤チャンプ、試合終わったばっかですがホンマにテレビ出まくりですね。



今日も朝から3局ハシゴでテレビ出演ですよ。



立て続けの世界戦でカラダが休まるヒマなさそうですが、これも嬉しい悲鳴といったところですかね♪




さて昨日は、その内藤チャンプ所属の宮田ジムより、プロ選手がSmileに出稽古に訪れましたので、



ちゃっかり激写させていただきましたーーw



こちらの4人も内藤チャンプを追ってメッチャ頑張ってますから、みなさん応援よろしくお願いしますよ☆




10/30B級トーナメント決勝に挑む粉川選手(左)と10/31A級トーナメント決勝に挑む“MG貴公子”熊野選手




         共に11月に試合予定の白鳥ガールズファイター、水谷選手(左)と小田選手

田中タケシ 

December 25 [Tue], 2007, 4:02
今日ゎ寒かった〜〜(●∴○∵●)))

今日ゎ体育があったさ!!!
バレ-でアタック練習をして
めっちゃ楽しかッた☆笑☆
まぢ今日ゎ
ち-ちゃんdayマミdayはなちゃんdayやったゎ☆
放課後も体育のファイルをくみCHANと
ネッチファイルを一緒に書いて
持ってッたトキ
先生に褒められて
02囚で【ヨシッ!!!】やけんネ(*V`艸)☆+笑
まぢゥケるゎ---☆

ッてか,今日カラ
ワ-ルドカップあるやン!?
まぢ楽しみが増えたヮ●笑
杉山頑張ってほしいゎ。(■−`v−■)O

ッてか02
明日,恋空を見に行きま--ス(*V`艸)☆+
まぢ楽しみゃわ(>〓≦●//
デヮ02ま-た-ネ

引際だった。 

December 15 [Sat], 2007, 7:26
独り言を言える場所が欲しくてブログ作ってみた。
欝な私の日記を読んで、気分を害された方がいたら、申し訳ないです。


彼氏と別れた。
つい一時間程前。


今までも何十回って別れ話をしてきたけど、ホンマに別れた事はなかった。


初めて出会ったのは二年前。

初めてDCIに出る為のドラムコー生活で、彼はいつも私を助けてくれた。
SHOWの前にはいつも声をかけてくれた。
怒られて、泣きまくる私を励ましてくれた。
練習がうまくいかなくて落ち込む私を支えてくれた。
たくさん一緒に笑った。

彼なしでは、あの楽しさはなかった。。。


ツアーが終わる前日、彼と過ごした時間はかけがえのない時間だった。
夜、ずっと傍にいてくれて、一緒にフィールドを歩いた。
大好きなフィールドにずっと一緒にいてくれた。

離れ離れになる日、彼は最後まで一緒にいてくれた。
アメリカの自分の家に帰る彼と、日本の自分の家に帰る私。

帰国してから毎日連絡くれた。
たくさん電話で喋った。
忙しい時間の合間にも連絡くれた。
その時の彼女とも別れてくれた。もちろん私もその時の彼氏と別れた。
大好きだった。

それから10ヶ月後、
私の為に日本に帰ってきてくれた。
もう一度アメリカに行く事も出来たのに、大好きなマーチをする事も出来たのに、
全てを捨てて、日本に住む事を決めてくれた。
遠距離になるけど、時差があった時よりはマシだねと話してた。

彼が帰国してから二ヵ月後、私はDCIに出る為渡米した。
最後の年だった。
彼がDCIを諦めて帰国した時には、既に私の渡米は決まっていたから、
もうどうしようもなかった。。。

何回も喧嘩して、何回も別れ話をして、
けれど、数え切れない程たくさんの愛をもらって、愛を送った。
言い表せない程の幸せを共有した。
人を愛するという事を、大切にするという事を教えてくれた。
たくさんたくさん一緒に笑った。
本当に本当に大好きだった。

でも、
過去は消えないから。
彼がガードをやめて帰ってきた事実は変わらない。
私が最後の年までマーチをした事実も変わらない。
どれだけ仲良くても、どれだけ将来を約束しても、それでもうまくいかない。

だって、彼は「お前の為に」って思い、私は彼に負い目を感じていたから。

だから、別れを選んだ。
決して嫌いになったわけじゃない。むしろ、大好きだった。
決して好きじゃなくなったわけでもない。だって、愛していたから。
「もう一度やり直そう」
って思った時、その時にもう一回歩み寄れたらいいな。
そうなる日が来る事を待ってる。ずっとずっと。

愛してるよ。大好きだよ。

私を責めたくないのに責めてしまう自分がいて、そんな自分に苦しんでいる彼は辛そうで、
今、自分がしてあげられる最大級の愛情は、彼から離れてあげる事。
心からそう思った。

苦しめてごめんね。私の為に苦しんでくれてありがとう。
あなたの、その温かい愛情が何よりも嬉しかった。
いつも大切にしてくれてありがとう。
大好きだよ、愛してるから。
いつか、やり直せると信じて、待ってます。

ありがとう。

PC故障中でした・・・ 

December 08 [Sat], 2007, 2:36
我が家のPCが最近不調だったんですがこないだいよいよ立ち上がらなくなりました><
電源入れると訳わからん英語の文字がずら〜っとならんでて・・.唯一わかるのが最後に
書いてあったオペレーティングシステムノットフォンドと読むのかどうかなんですがとにかく
OSが無い状態らしくて・・焦りましたね。中に今までのここにも載せていた画像やらまだ
載せてませんが日光に行った時のやら入ってたんでね〜。
運良く義弟がPC系の会社で詳しいんでそのデーターだけ取り込んでもらうことは出来たんやけど
また1から初期化して立ち上げないとと思ってて昨日弟から帰ってきたPCを会社に持ってきて
エアーとかで内部吹くいたりしたんやけどまー汚かったね。2003年に購入して4年と8ヶ月
汚くなるんですね。埃だらけで一生懸命優しく吹きましたよ^^
CPUと言う所のファンは埃がこびりついてる感じでその下の台も埃が結構付いていたんで
OAクリーナーなるもので綺麗にしました。
昨日家に持ち帰って立ち上げてみると全く同じ状況でこれは初期化せなあかん・・と思い
運命のF2キーで初期化実行したらなんだか知らんがデーターもそんのままで今まで通り立ち上がった。
はぁ〜と思い確認してもデーターはすべてそのまま。かなり不思議な感じでしたね。なんなんやろ?
確かにいままでいきなりPCが再起動したりしててかなり困ってたんで一度初期化したことあったん。
そん時は普通に初期化してさら状態になったんやけど・・・CPUがかなり埃だらけやったからそれが
もしかして原因でこんなことになってたかも知れない・・と弟はゆうてたが・・まー様子みですね。
とりあえず失うものもなく昨日は普通に稼働してて再起動することもなかったんで大丈夫?かなと。
これからは大事なもんなんで忠実に中開いて掃除しようと肝に銘じましたね。
まーでもホンマよかったわ〜

加圧トレーニングの途中経過 

December 05 [Wed], 2007, 7:32
加圧を始めて4、5ヶ月くらいかな?
みるみる体の変化がありました。
まず、おなか。
もうジーンズの上にのりませんし、すごいウエストのくびれが!
加圧を始めて食事制限等一切せず、好きなお菓子を大量に食べてましたが、ここまで効果があるとはびっくりです。
顔もすっきりしました。
この調子でこれからも続けます。

運動会−年中さん編− 

December 01 [Sat], 2007, 19:24
'''10月の3連休の中日(2007/10/7Sun)、TAKUROの通う幼稚園で運動会がありました。'''



昨年に引き続き、暑いくらいの好天に恵まれました!
もう、汗ダク&日焼けは必須ですが、雨が降るより全然マシですよね。





運動会が開会され、園児たちが入場してきました。
年少、年中、年長と、1歳ずつ年を重ねるだけで、身長が全然違います。



年少さんの姿を見て、「TAKUROも去年の今頃はこんなに小さかったっけ?」と、
TAKUROの成長がうれしい反面、あっという間に大きくなってちょっと切ないですねぇ。



そんなTAKUROですが、親に似ずなかなか足が速いようです。
(「駿足」という靴を履いているから速いんだ、と本人の弁、なかなか謙虚です)w



'''そんなワケで、障害物リレーのアンカーに選ばれました!'''
アンカーっていったら、ちょっとしたクラスのヒーローですよ、すげー!w



アンカーのしるしであるたすき掛けが、凛々しく映えていました。
が!その韋駄天ぶりが暴走して、くぐる輪に頭を思いっきりぶつけてました・・・。w





子供の晴れ姿を映像や写真に収めようと、どこのご家庭も撮影部隊がスタンバっています。
気持ちはすごーく分かるのですが、どことなく鬼気迫る異様な熱気につつまれています。



我が家もロングレンジながら、ビデオカメラで子供たちを追いかけていました。
ですが、レンズ越しだと、感動具合いが相当に薄れるんですよ。



なので、要所要所でビデオはまわしましたが、なるべくライブで運動会を楽しみました。
そのせいか、TAKUROの参加していない年長さんの組体操でも感動してしまいました。w



小さい子供たちの一生懸命な姿は、それだけでも感動に値しますね。
TAKUROも来年はあんな風になるのかなぁ。





幼稚園の運動会には、親子参加の競技があります。
今年の年中さんのそれは、お面をかぶった子供を親が捜すというものです。



お面は子供たちが作ったものなのですが、TAKUROのお面がなんつーか、すごい。w



作品 〓007 『ねこむらさき』








サイケデリックでアバンギャルドが過ぎたその色彩は、
一瞬のうちに相手の脳裏に残像を焼き付けて、振り返れば奴がいそうな幻覚に落ちそうです。w



プロレスにこんなマスクマンがいたら、とりあえずの見た目で気圧されて、
メキシコ仕込みの空中殺法でも太刀打ちできそうにありません。w



ただのぬり絵を、ここまで斬新な作品に昇華させたTAKURO画伯渾身の一作、
ここに至るまでの彼の心の葛藤を推し量ろうにも、思考回路がまったく読めませーん!w



(漏電してるか、ショートしてるかもしれません・・・)w



TAKURO画伯 これまでのあらすじ





'''未就園児の競技に参加したJIROの活躍もあり(?)、TAKUROの白組が優勝しました!'''
(終了の笛が鳴っているにもかかわらず、玉入れしてたからな・・・)w



めでたし、めでたし。



(おしまい)
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