具合の悪かった一日

2012年05月31日(木) 19時13分
今日は、朝から具合が悪く、
ずっと寝ていました。
夕食を作る元気もなかったので、
近くのスーパーにお弁当を買いに行きました。
今は、夫が帰ってくるのを待っています。

夫は、最近忙しいらしく、
帰りが、8時を過ぎることが多くあります。
私は、リズム正しい生活が大事なので、
8時を待たずに食べます。
そして、夫が帰ってきたら、
私は何かつまみながら、ビールを飲み、
夫といっしょの時を過ごします。

今日は、夕方まで、ずっと布団の中にいました。
布団の中にいると、寝てしまうか、
物語が頭に浮かんできます。
しかし、具合の悪いときは、
ネガティブなお話ばかりが浮かびます。
体調と発想というのは、密接な関係にあるのですね。

私は昔は変化が好きでしたが、
この頃は、何も変化がないのがいいです。
毎日が同じように過ぎて、事もなく、
平穏であるのがいいです。

前は、朝、夫を送り出して、
パソコンを除くのが、楽しみでした。
コメントをいただけているかな?っと
それを見るのが、一日で一番うきうきするときでした。
しかし、今は、コメント機能をOFFにしていますので、
その楽しみはなくなってしまいました。
ただ1つ。アクセス数を見て、
たくさんアクセスをいただけていると、うれしくなります。
逆に、少ないと、昨日の記事はよくなかったのかな、
などと思います。

みじんこが、「2000アクセスいただきました。」
などと書いてしまったようですが、
誤解があるといけませんので、書きます。
アクセスは、お一人が10回アクセスしてくださると、
10とカウントします。
でも、お一人が10アクセスしてくださっても、
お一人ならあくまで1と数えるカウントもあって、
実質来てくださった方の人数です。
これは、とても少ない数になります。
私は、今、こちらの数を見て、喜んだり、
がっかりしたりしています。
昨日は、たくさんの方が来てくださいました。
うれしかったです。
ありがとうございました。

一日のあいさつ

2012年05月30日(水) 21時08分
この頃、午前10時頃、玄関の駐車場へ小椅子を置いて、
10分くらい通る人を見ています。
誰かが通ったら、気持ちよく挨拶をしようと思っています。
「やっと晴れましたね。」とか、
「空が眩しいですね。」とか、
「暑くなりそうですね。」とか、
いろいろに言葉を変えて言ってみるのが楽しみになっています。

天気のいい日は、私は散歩に出かけます。
それは、午後の3時ごろです。
学校帰りの子供達と必ずすれ違いますが、
まず、100%挨拶をしてくれるのです。
無口になりがちの中学生も、必ず挨拶をしてくれます。
これには、感心しました。
学校で、よっぽど挨拶運動をしているのでしょうか。

大人には、「こんにちは。」と私は言いますが、
「やあ、どうも、暑いですね。」とか、
「なんか、蒸してきましたね。」
とか、一言添える方が多いのに驚きます。

一言添えてくださると、私も、
「ほんとにそうですね。」とか
「でも、木陰は気持ちがいいですよ。」とか、言うことができて、
ちょっとしたコミュニケーションが生まれます。

夕方は、台所で、今日の夕食の準備をはじめます。
「お帰り」の「夕焼け小焼け」のチャイムは、
日が長くなったためか、5時半から鳴るようになりました。
すると、私は包丁の手を休めて、聞いています。
ああ、いいなあと思って。
ところが、曲の「・・・空にはキラキラ銀の星」の「ほしー」
のところにかぶさるように、大人向けの鐘がなり始めるのです。
まあ、なんと無粋なことでしょう。
ちょっとスタートを待ってくれれば、「ほしー」が余韻を持って
聞けますものを。

子供には、「夕焼け小焼け」が可愛いですね。
しかし大人には、ただ鐘の音ではなく、
ケニー・Gの「虹の彼方」のようなのはどうでしょう。
一日お疲れさまって。




ZARD・坂井泉水さんへの思い

2012年05月29日(火) 22時50分
さっきまで、ZARDの「負けないで」の映像を見ていました。
坂井泉水さんのライブの映像です。
めったに見られないものだと思います。

見ていると、なんだか泣けてきました。
私が、いちばん鬱が辛いときに聞いた人だからかな。
泉水さんが、若くして亡くなられたせいかな。

そのころ私は、Bonnie Pinkやつじあやのさんのファンでしたが、
ZARDは、別格だったのです。
CDのジャケットや、テレビで少し映るCMを見て、
私が知る中で、いちばん美しい人だと思っていました。
泉水さんへの思いは、憧れを越えて、恋に近いものでした。
(爆弾発言かな?)
同世代の歌手である大黒摩季さんは、天性の歌の上手い方だと思いました。
比べて、坂井泉水さんは、練習に練習を重ね、
やっと歌手としてデビューされた方に思えました。
美しいビブラートが聞けますが、
それは、努力の賜物であるビブラートに思えました。

泉水さんは、きっとご自分では、歌が上手いと思ってらっしゃらなかった。
だから、どの歌もどの歌も、全身全霊で歌ってらっしゃる気がしました。
だから、歌を聞いていると、心打つものがありました。
そして、何度聞いても飽きないのです。
「負けないで」を私は、4000回は聞いたと思います。
でも、今聞いても、やっぱりよくて、心打たれます。

祖父は、字を書く職業で、親戚中みんな字がうまいのに、
私だけ、悲しいくらい字が下手でした。
そんな私に、祖父は、
「初めは、下手でも、練習に練習を重ねた人の字は、
 初めから字の上手い人より、数段味のあるいい字が書ける。」
と言ってくれました。

坂井泉水さんの歌は、祖父の言葉に近いものだと思っています。

泉水さんは、テレビに出ず、ライブもせず、
「本当に、実在する人なのか?」と言われたこともあるようですが、
ずっと昔に、M.ステーションに出ていたし、
ファン待望のライブもありました。

慣れないライブ、大変だったろうなと思います。
でも、You Tubeでその様子が見られて、私は幸せでした。

今日の私は、少しセンチメンタルかな?

寝る前に、もう一度「負けないで」の映像をみたいです。

それでは、みなさま、おやすみなさい。

お年寄りが通ります

2012年05月25日(金) 17時47分
「お年寄りが通ります」
こんな縦長の注意標識が、私の団地の中に1つだけあります。
黄色の地に、はっきりとした黒字で書かれています。
私は、これを発見したとき、心がぽっと温かくなりました。
お年寄りにやさしい標識だなあと。

この標識は、老人ホームと病院が道路を隔て
左右にあるところにあります。
車で道路を通る人は、だれでもこれを見て、
ブレーキを踏むと思います。

これを見て、私の思いは広がりました。
他にどんな標識があったら、いいだろうか?
「ここは、子供が自転車で飛び出してきます。」
子供達には、
「今、車が来ていますよ。」
コンクリート・タイルの歩道には、
「つまづき注意!」
遠くまで町の景色が見えるところには、
「展望スポットが近くです。」
などなど。

私は、自治会の広報部で、
今年ミニ・コラムの担当なのですが、
こういうのを、発見していこうかと、
考えが少しまとまってきました。

小道の入り口に自転車除けとして、
1mくらいのコンクリートの柱があるのですが、
毎日犬のオシッコの攻撃にさらされています。
たまに降る雨だけが、綺麗にしてくれる頼みの綱ですが、
たまに、バケツに水を入れ、
タワシで洗っている奇特な方もいるのです。

このごろ、ミニ・コラムのネタはないかと、
注意して歩くことが多くなり、
そんなところにも、目がいくようになりました。

私自身では思いつかないような、
思いついてもやらないような、
いいことをしている人が、けっこう多いのです。
私も見るだけではなく、
お手伝いをするといいのですけどね。

餃子を作ってへとへとです

2012年05月24日(木) 23時27分
今日は疲れました。
木曜は、母が公文の先生に行く日なので、
私が、父と弟のお料理も作らねばなりません。
そして、今日は餃子だそうで、せっせと作りました。

キャベツが大敵。
昔はミキサーでみじん切りにしていたのですが、
母が、やっぱり包丁で切らないと栄養素がもったいないというので、
私も、切りました。
普段は夫との2人分でよく、2人分に慣れてしまった私は、
4人分が、ひどく多く大変に思われるのです。

もう、気が遠くなる思いで、大量のキャベツをみじん切りにしました。
そして、椎茸をみじん切り。
ニラをみじん切り。
生姜をおろして入れる。
(全部4人分で、疲れるー。)
それから、ひき肉を入れ、味噌少々、醤油少々。
そして、薄いビニールに手を入れて、ぐにゅぐにゅ。
やっと具ができます。

これを餃子の皮で包み、焼き上げます。
自慢ですが、この焼くのは、私しかできません。
母はできないのです。
だから、実家で餃子のときは、電話がかかり、
私は焼きに、わざわざ行くのです。
もちろん、夫と私の分も具を作ってもらい、
私は、えらそうな顔をして、こんがり焼いたギョーザを、
さも、自分が作ったように、みんなに差し出します。

しかし、今日は、夫も遅く、弟も遅かったので、
父と私の二人分を焼き、その後夫の分を焼き、
さっきやっと帰ってきた弟のを焼きました。
もう、3回も焼くと、うんざりしてきます。

で、今日は疲れたーという話なのです。
すみません。こんな日記を書いてしまって。

さあ、ビールもたっぷり飲みましたので、
もう休みます。

おやすみなさい。

いつまで続くのかな…

2012年05月18日(金) 21時11分
今日は、ある短編を書きあげることができて、
うれしかった。
創作が完成したときは、何よりもうれしい。
でも、私は、1編でもいい詩が書けたときが一番うれしい。
物語を書いていると、詩というのは書けない。
なんだか、考える頭の領域が違う気がする。
卓球とボーリングで使う筋肉がまるで違うように。

物語を書く楽しさは、書いている自分は、
魔法使いか神様のように、
物語をどうにでもできる立場にいることだ。
ハッピーエンドかサッド・エンドかは、私次第。
こんな立場に立てるのだから、やめられない。

この頃は、プロットさえ思いつけば、
文を書くことなんでもないことになってきた。
これは、裏を返せば、記述がワンパターンになっていることだが、
今のところ、むずかしい表現をする気がないので、
これでいいやと思っている。



私の3つのブログは、未だにコメントOFFでやっている。
これ、何時まで続くんだろう。
かの人の躁状態はいつまで続くんだろう。
もう2ヶ月になる。
一回もう躁が過ぎたかなとコメントを明けたら、
とたんに来た。
なんだか、がっかりした。
どうして、私のブログをねらうんだろう。
そんなにご本人を怒らせた覚えはないのに。
ああ、溜め息が出てしまうな。

すいません。愚痴がでました。
まあいいかの精神でいきます。

少し疲れました。
では、おやすみなさい。

帽子を片手に外へ出てみれば

2012年05月15日(火) 17時55分
今日は朝から、気持ちがブルーで、どうしようかと思っていました。
午前中は、何にもできませんでした。
午後になって、「昔研究会」のネタ探しに、You Tubeを訪れました。
けだるい気分のときは、ジャズがいいなあと思って、
何気なく「月光値千金」というナット・キング・コールのを聞きました。
それから、ジャズ歌手の金子晴美さんのも聞きました。
そしたら、メインのところが日本語なんです。

♪ただ一人 淋しく 悲しい夜は 
 帽子を片手に 外へ出てみれば
 大空に輝く月の光に 心の悩みは 消えて跡形もなし
(さあ、月の下に出てみようよ)

私は、この歌詞の「帽子を片手に」という言葉が、
とてもステキだと思いました。
ナット・キング・コールの被っている黒いハットを思いました。
夜なのに、帽子をかぶって…、なんだか、いいなあと思ったとき、
朝からのブルーな気持ちが、消えていました。
たった、一つの言葉で、気持ちって晴れたりするのですね。

私はジャズが好きなのに、
もう何ヶ月…いえ、何年もジャスを聞くことを忘れていた気がします。
数年前、リュックを背負って、新宿の「ピット・イン」というところへ、
生のジャスを聞きに行ったのを思い出しました。
店の昼の部に入りました。
(安くて、水割り代だけでした。)
ジャズはあまり流行らないらしく、お客は、私を入れて5人ほどでした。
でも、ジャズ・ハウスは、レトロな感じを保っていて、
私は、身も心もジャズに浸ることができました。

疲れたときに、ジャスは心地よく心に沁みます。
それなのに、私は、ジャズのCDをあまり持っていません。

そうだ。今夜はジャズを聞こう。
夫のCD棚をチェックするのを結婚以来していません。
きっと、ジャズがありそうです。

さあ、大急ぎで、夕飯を作ります。
「月光値千金」を鼻歌で歌いながら。

千夜一夜物語

2012年05月14日(月) 15時24分
今日もいい天気だった。
私は、誰かに「いい天気ですね。」と挨拶がしたくて、
玄関の前で、人が来るのをずっと待っていたけれど、
10分待ってだれも来なかったので、
あきらめて家に入った。

朝は、真っ青な空でも、昼になると白んでくる。
それは、なぜだろうか…。

口下手な祖母が、私に1つだけよく話してくれたのは、
「千夜一夜物語だ。」
この物語の決まり文句。

『大王様、そろそろ東の空が白んでまいりました。
 お話の続きは、また明日にいたしましょう。』
とシエラザードは言うのでした。

このセリフ。これを言うとき、祖母はいかにもうれしそうに、
このセリフを言いたいがために、私にお話をしてくれたかのようだった。

「千夜一夜物語」は、「アラビアンナイト」であり、
アラジンの魔法のランプや、空飛ぶジュータンなど、
いろいろ出て来る昔のペルシャやエジプトの物語だ。
で、童話かと思いきや、原文を読むと、
すごくアダルトな内容で、高校生だった私は、
恥ずかしくて、途中で読むのをやめてしまった。

全体のお話はこんなふう。
お妃に浮気をされ、
女性不審に陥った大王は、毎日国の娘と結婚し、
一夜で、首をはねてしまう。
そして、最後にとうとう大臣の娘しか国にいなくなってしまう。
その娘こそ天下の才女シエラザード。

シエラザードは、毎夜、王様に寝物語をする。
そして、一晩中語り、いいところで朝になる。
大王は、続きを聞きたくて、シエラザードの首をはねず、
こうして、毎晩、毎晩、聞き、
とうとう千一夜聞き続ける。
そして、大王は、シエラザードの博識に感嘆し、
女性への信頼をとりもどす。めでたしめでたしというお話。

そのお話をして、朝になるときのシエラザードのセリフが、
祖母の十八番だった。

私も、子供ができ、孫ができたら、聞かせたいものだ。
『大王様、そろそろ東の空が白んでまいりました・・・。』
そんな日が来たら、祖母は、きっと天国で喜んでいるだろうな。

GWも終わりですね

2012年05月06日(日) 18時10分
3つのブログ。
さあ、これから、私一人でやるのか…。
そう思うと、ムンクがいてくれた心強さを思います。

今日で、GWも終わりですね。
明日から仕事だと嘆いてらっしゃる方も多いかと思います。
私のそばにも約1名。

連休が、日曜日で終わるってきついですよね。
せめて、水曜くらいで終わってくれれば、
木、金と行けば土日の休みになります。
今回は、月曜から一週間フルですね。

我家はこの連休、何処にも行かず、
DVD三昧でした。
といっても、ブログのこともありましたが。
夫も仕事の合間に、私と見ました。
見たのは、深キョンの「富豪刑事」。
もう一つは、「仁=Jin」です。
まだまだ見初めですが、
私は、深キョンの可愛くてノーブルな美しさに参ってしまいました。
夫もまんざらではなかったようなのに、
言葉に出すのは、私に対し控えているようでした。
ある女優さんが好き…と聞いても、何のジェラシーも湧かないんですけどね。

「仁」では、坂本竜馬が出てきます。
で、俳優で誰の竜馬を一番見たいかと話ました。
NHKでやっていた人は、私達の候補に挙がらず、
私の一押しは、江口洋介、次は、豊川悦司、次、佐藤浩二。
夫もその辺がいいねと、けっこう意見が一致。
でも、漫画の「おーい、竜馬」の竜馬が一番よかったねと、これも同意見。

「阿部寛はどう?」と夫がいいましたが、
今、阿部寛と言えば、「テルマエ・ロマエ」のイメージが真先に出てしまってダメです。
阿部寛、もうあの漫画の人に100%はまり役です。

今、映画館で見たい映画のNo.1です。
漫画も3巻までは、二人で読みました。
日本人のことを「顔の平たい族」と呼ぶところがおかしくて、
映画の予告をみると、上戸彩が出ていて、
「そうだよ。堀の深い子はダメだよね。」と意見が一致。

レンタル・ビデオ店に行くと、
見ずに知らないでいる名作がたくさんあることに圧倒されます。
そういうのを見ずに過ごしている日常に、これでいいのかなと思ったり。
本屋さんに行けば、それはもっとです。
漫画家が、1冊のコミックを描くために、どれだけの時間がいるでしょうか。
それを思うと、1冊をさらりと読んでしまうのは、申し訳ない気持ちになります。
だからという訳ではないのですが、私は、気に入った漫画は、
1冊を何回も読みます。
今手元にあって、一番何回も読んでいる漫画は、
「陸奥圓明流外伝・修羅の刻 by川原正敏」です。
これ、好きなんです。

ムンクのこと

2012年05月04日(金) 21時39分
私が我に返ったとき、夫が、
「ムンクが、落ち込んでたよ。」と言います。
パソコンの前で、両手を膝で挟んで、うつむいていたそうです。
私は、どうしてだろうと、ムンクのブログを覗きました。
そうしたら、「ごめんなさい。」というタイトルで、
読む人に誤解を与えるような題名をつけてしまったことのお詫びがありました。

「一人ぽつんと座っているよ」というような題をつけてしまって、
これでは、アクセスもコメントももらえなくて淋しいと言ってるみたいだと、
そう思ったようです。
アクセスもコメントもたくさんいただいたのに。

『ムンク、可哀相に…。』と思いましたが、その気持ちをぐっと我慢しました。
考えると、また泣けてきそうだったからです。



私が私であるとき、ムンクはどうしているかと言いますと、
私の心の中にいます。
(人形のムンクは、目の前にありますが。)
これは、私が私を理解するためのイメージですが、
心の中に10畳くらいの薄暗い部屋があって、
そこは、つい立で仕切られたブースになっています。
そこに一人ずついます。
前は私の交代人格は、4人も5人もいましたので、
ブースは、満員でした。
しかし、私が、この障害に治癒してから、だれもいなくなりました。

しかし、今、ムンクがいます。
ムンクは他に誰もいないブースの中で、私と交代するのを待っています。
私が、ムンクと交代しているのは、1日に20分くらいだと思います。
その他のときは、ブースの中で、きちんと座り、膝を抱えて待っています。
ムンクが、「一人ぽつんと座っているよ」と題をつけたのなら、
私と交代できないときの自分のことを書いたのだと思います。

一人ぽつんと座っているから、
出てきたとき、たくさんの人が(ブログに)来てくれていたらうれしいなあ…。
そんな気持ちで、題を書いたのでしょう。

待っているときのムンクには、人格はあっても心がありません。
だから、何も感じることができません。
私の目の前にあるお人形のムンクと同じです。
だから、私は、ムンクは一人で可哀相だとは思わないようにしています。

私の脳は、いたずらに、意味もなく今までのクセで、
私を何かの人格と交代させ、数分私の意識を奪います。
こんな、意味もない人格交代が、私にはまだまだ続いています。
でも、今度のムンクは、意味のある人格交代でした。
だから、目的を達すると、ムンクは消えてしまうでしょう。
ムンクにもそれが分かっています。
私の心のムンクがいなくなったとき、
私は、目の前の人形の中に、戻ったのだと思って、
自分の感情をあまり揺さぶらないようにします。

でも、今度は、少し特別です。
ムンクが書いた文があります。
そこに、ムンクの心が残っています。
それを、読むのは辛いでしょう。
やっぱり、泣いてしまうでしょう。
世の中には、いたるところに悲しいことがあり、
それらから逃れることは、できません。
でも、誰もがそうなのだと思って、
泣くのは、少しだけにします。