最終話:“原点からのリスタート” 

January 18 [Wed], 2006, 13:48
最終回だっ!ぶっちゃける。
今まで、PLASTICをやっていく中で、どうしたら良いのかわからなくなってしまって、辞めたくなったりした事は、正直何度もあった…
ストレスで太ったり、痩せたりを繰り返したり…(苦笑)
いつしか、プライベートもまったく無くなってた事にも気がついた。
毎日の生活、日常的に考える事と言えばPLASTICの事、バンドの事…
自分の為にやっているんだ、好きだからやっているんだ。って言い聞かせては、がむしゃらにやっていたが、
一時期は心身ともに、かなり疲れた時期もあった…
元々一人で何でもやりだかるタイプだし、一人でいる事が大好きな人間で、集団行動が苦手で嫌いな俺が、グループに属していて、しかもリーダー。
自分をよく知っている自分だから、ビックリする!
でも、
今では、バンド、リーダー、勿論ベースに、凄くやり甲斐を感じてる。
『ROAD to PLASTIC』STORY OF YU- MIZUGUCHIでは、書かなかったけど、実は小さい頃(中学まで)は、保父さんになりたかった…(結構マジでした)、でも高校生ん時に『X』を見てから、音楽の道をすすんだ。一度は音楽の道を辞めかけたけど、こうして“PLASTIC”という音楽集団を率いて大好きなベースが弾けている事が凄く素晴らしく光栄な事だと思うし、幸せだ♪

俺は普段あまり、メンバーと共に動かない。もちろんメンバーを嫌いな訳ではない、ただ一人でいる時間ってのが凄く好きだし、大事にしている。

本当に沢山の関係者の方や、先輩、後輩や同じバンド仲間、そして、ぷらっちっかーのみんなから力を貰った。
そんな人達がいたから、今の俺がある。
他のメンバーも、きっとそうだ。
スタジオの中で、みんなで、音を出しての曲づくり作業だったり、ライブでファンのみんなの笑顔が見れた時などは、本当に楽しいと感じる。


現在、改めて思う。『俺は、ベースが好きだから、バンドをやっている。』
『バンドが好きだからPLASTICをやっている。』
『良い曲が出来れば誰の曲でもいい。そこに俺の演奏したベースが乗ってるなら!』

『限界を感じたら、いつでも辞める。』
そんなつもりでやってきた。ただ、いつまでたっても限界が見つからない…ベースにしても、バンドにしても、PLASTICでやりたい事などで、全てに限界が見つからない。いつも、これが最高なんだ、って思ってやってるのに、何故だろう…
多分楽しいからかな?

だから…『このバンドが俺の最後のバンドだ!』

PLASTICを結成した時から……今も、これは変わっていない。

今年はリセットし、リスタートをする気持ちで望む。
うん。初心に帰るってこと。
色んな事を考えてやってきたから、なんだって出来るさ!
カッコつける前にカッコ悪い事を自ら進んで経験していこう!
こんな事をこの歳になって改めて人から教わった。だから、
…なんだって出来るさっ…
PLASTICを結成して、初めてのライヴ心斎橋MUSE HALL(現OSAKA_MUSE)をやった時には、こんなにも月日とライヴをこのバンドで、重ねるなんて、思ってもいなかった。

歌う事が好きなカイム。
本当にギターが好きなんだなぁって思うイッシー。
ドラムをストレス解消といいつつ、本気で楽しんでるツッキー。

んで、ベースマンの俺。

最後にこれを
『I'M A DREAM MAKER WITH THIS!』ってね

…いつ終わるかな?…
自分でも楽しみだ。

〓完〓

61話:先輩の言葉/PMS 

January 12 [Thu], 2006, 12:57
43話でちょっと触れた話しだけど、PLASTICを結成する前に、前のバンドELを解散して、上京した際に、ある尊敬している先輩に、こんな言葉を言われた…
『良いメンバー見つけて、今度はライヴで一緒にやろうぜ!』
その当時はよく、わからなかったけど、PLASTICが結成してから、2年半後ぐらいに、その先輩と共演させてもらうことになった時に、『裕!PLASTICいいバンドやんけ!、お前が大阪盛り上げて、頑張れよ』って言われた。
めちゃめちゃ嬉しかった。その先輩の事は今でも尊敬している、スゲェー人だ!


色んなバンドと関わったり、RABBIT、Blytheと共に一緒に仕事をしたりしてきた事も、ひっとしたら、この先輩の影響かもっ?って思う。
自分達のCDは勿論だが、良い曲をやってるバンドがいれば、例え他のバンドの曲でも、別に悔しいとかは思うわない。
そのバンドをカッコイイと思えば、いちファンとして、毎日のように、CD聴いたりしてたし、応援したいと思った。それが抑えられなくなって気がつけば…ってな感じで『PMS』が出来てた。

60話:それぞれがリーダーだ! 

January 09 [Mon], 2006, 1:02
はっきり言おう!
PLASTICは現在の4人のメンバーになってから、それぞれ役割がはっきりしている事に気が付いた。
これには、3年…いやっ、4年の年月を費やしたと思う。

まずは、ツッキー。
ツッキーはズバリっ!ムードメーカーだ。
バンドが息詰まり、暗い時は重〜い空気をいつもガラッと変えてくれる。
ミーティングなどで、どうも、熱くなってしまう俺や、イッシーをよく客観視して話しを纏めてくれる事もよくある。

そして、イッシー。
イッシーは、最年少だが、バンドに絶対に不可欠な人間だ。メンバーで1番耳が良い事から、音を纏める際は、1番動いてくれる。
後以外と、ああ見えて真面目な人間である。(笑)
この世界、入り時間や取材、収録に遅刻する事は絶対に×
まぁ、どんな仕事もそうだけど、これをメンバー内で1番強く持ってるだろう。
ライヴハウスのスタッフの方や先輩などに挨拶もきちんとして当たり前のこの世界で、最初からそれが、普通に出来る奴だった。
俺がリーダーとしての仕事が手いっぱいの時には、彼に仕事を振れる事は(※大阪の時は隣に住んでいたので)、俺にとっては、とても大きかった。
そして…俺らの顔であるセンターマンのカイム。
カイムと言えば、ボーカルと言う事もあり、ライヴでも直接ぷらっちっかーと触れ合ってる事から、ファンの子への愛情は1番だと感じる。
4人のキャラが個性的ではっきりしているメンバーの中でひときわ光っている。と、俺は想う…
そして、とても優しい奴だ。

よく言う…『お前のやりたい事をやったらいいねんっ』…
今後は、堂々とやりたい事をやり、堂々と真ん中で歌ってくれれば、ただ、それだけでいいとさえ、思っている。
カイムが、やりたいと言う事を俺はなるべく形にしていきたいと思ってる。


以上のように、俺が思うに、別に俺がリーダーと名乗らずとも、PLASTICは様々な音楽活動の中で、それぞれがリーダーになる事が出来る奴らだ!

バンドを結成した時に、俺はこうなりたかった!

59話:がむしゃらだった… 

January 09 [Mon], 2006, 1:01
初ライヴ。
カイムがバンドを組む前から一人で暖めていた楽曲『heaven on wheel』
まだイッシーとヒビキと三人でメンバーを捜してる時に一緒に作り出していた『BLACK CAT』『H(アッシュ)』
の3曲をメンバーで作りあげ、演奏した。

あっという間のライヴだったから、当時の感想はと言うと…多分メンバーみんな口を揃えて、こう言うんじゃないかな?『がむしゃらだった…』って!

俺はよく(今でも)、結成当時のビデオを観る。
昔のビデオを観たら恥ずかしいって思うミュージシャンもいるかもしれないが、俺は過去のライヴ映像や写真とかを見ても、あまり恥ずかしいとか、下手だなぁ〜とか、思わない。
ここがあるから、現在があるし、その時カッコイイと思ってやっていたから、今見てもカッコイイと胸をはって思う。これを恥ずかしいって思ったりしたら、その時に観に来てくれていたお客さんに失礼だ!
そんなタイプだ。でも観てて面白い(笑)


そして…初ライヴが終わり、
大阪での、イベント出演後、PLASTIC3回目のライヴとして、初めての東京でのライヴ、目黒LIVE STATIONに出演させてもらった際に、こんな出来事があった…。
ライヴが終わり、出演者全員で近くの居酒屋で打ち上げをした。その時にの事だ…
初ライヴと2回目のイベントライヴと、お客さんが会場にいっぱいだったが、初の東京ライヴは出演バンドすべてのお客さんと関係者を含むても10人もいなかった。
そのライヴは勿論メンバー全員真剣にやったが、何故か、はきが無かった。
打ち上げでツッキーが『客の多い、少ないでテンション変わるのっておかしいで、みんな!』って、怒ったのだ!
これにはメンバー全員、目が覚めたと思う。
経験と言うのは、こういう所でいかされる物だろう…


まだまだみんな、がむしゃらだった…

58話:それから… 

January 06 [Fri], 2006, 18:08
結成して、初ライブが決まってからは、バンドとしての経験を付けないと駄目だと思ったから、東京のライブを毎月組んだり、大阪だけでなく、色んな場所へのツアーを組み、結成してすぐに積極的なライブ活動をする事にした…(今考えればあまりに無謀だったと思うけど、後々になってライヴ場数を多く踏んだ事は良い経験だ)
リハーサルスタジオに入ったり、曲づくりをしたり、PLASTICで初めての音源、無料配布用デモンストレーションテープ『Heaven on wheel』のレコーディングをしたり…とにかく目先、一年間の活動スケジュールを決めた…


…。そして…遂に2000年7月15日…心斎橋MUSE HALL(現OSAKA MUSE)でのPLASTIC初ライヴ当日を迎えた…

57話:堅かった俺がメンバーに学んだ事 

January 05 [Thu], 2006, 15:59
2000年7月15日…心斎橋MUSE HALL(現OSAKA MUSE)PLASTIC初ライヴ当日を迎える何週間か前の事…

もちろん、まったくの無名バンド“Plastic”(※当時P以外は小文字)
ある意味恐い物は無いと思っていたから、オープニングアクトらしくライヴがやれればいいと思っていた。

しかし、この初ライヴに、当時のインディーズショップ“JEEZ”のテレビ番組“Jee Jee TRAP”のライヴ収録が入る事になっていた。
俺は何週間か前にこの報告を受け、知ってから、この事をメンバーに伝えるかどうかを、少し躊躇した事を覚えてる。
この日のライヴはSOLD OUTする事は予想出来ていた。
初めて組むバンドのライヴで、400人の前でライヴをやる事になるであろうカイム。
そして、初ライヴが決まってから緊張を隠しきれないイッシー、ヒビキ…
ツッキー以外のメンバーに初ライヴ当日『テレビカメラが入るよ』って
言ったら緊張が増してしまうんじゃないかな?って不安を感じた

だが、以外とカイムはケロっとしていた(笑)…が、当日のカイムはどうみても緊張してたな、あれは。
その後の、テレビ大阪やHOT WAVEの収録などでは和やかに進行してたけど、ここでもカイムの大物ぶりで恐い物知らずには驚かされ、いつもヒヤヒヤしてた事を覚えてる。
そんなメンバーを見ていつも、俺は楽しんでた。

俺はファンのみんなの前に出る時は、いつも堅かったような気がする。
今思えば、いつでもぷらっちっかーの前では、メンバーみんなは、本当の意味の『素』で触れ合っていたんだなぁっ〜て思う。
俺だけが頭が堅かった事をメンバーから学んだ。

56話:ゴ(5)レンジャー! 

January 03 [Tue], 2006, 12:03
その衣装のコンセプトには、今考えても『なんで』って思う…(笑)

俺は、形の綺麗なスーツにしたかったから、見た目はシンプルだった。
あと、当時もツッキーは金髪。イッシーは青髪。
ヒビキはピンク。
カイムは茶髪。
だったので、俺は赤髪にした…なんでやろ?
で!今、思えば、お揃いのちょっとテカった生地のスーツで、、
金髪のツッキーは…黄レンジャー!
青髪のイッシーは…青レンジャー!
ピンクの髪の色した、ヒビキは…桃レンジャー!
赤髪の俺は…赤レンジャー!
そして、茶髪のカイムは…初めて組んだバンドがPLASTICだったって事で…茶(チャ)レンジャー!
って、誰かが、後になって上手い事言ってたっけ(笑)

これが、知る人ぞ知る、PLASTICゴレンジャーダァーッ♪(笑)


※写真はPLASTICを結成して初めて撮影した、アーティスト写真の赤レンジャー!Yu−(笑)

55話:初ライブが決まる。 

January 03 [Tue], 2006, 12:02
2000年7月15日、心斎橋MUSE HALL(現OSAKA_MUSE)での、初ライブが決まる…
俺とツッキーが前バンドの時から色々とお世話になっていた当時の心斎橋MUSE HALLのブッキングの方から出演順トップだけどって…話しを頂き、まだちゃんと動き出せるかどうかは、解らなかったけど、すぐに出演をO.Kした。
初めてのライヴとしては、やりごたえのある対バンで、WyseやWaive、Mystic Moonや、京都のFACE、など、俺やツッキーは、こいつらと、同期だけど、当時、すでに全国で活動していたバンドばかりの中、トップでの出演だった。
初ライヴが決まり、バンド宣材としての、撮影をしたり、チラシを制作しないといけないと思った俺は、衣装やバンドコンセプトなどを、ミーティングする。
どう決まったか忘れたけど、なぜか、衣装はレザーのスーツで(笑)、それぞれがオリジナル衣装のデザインをして、服飾のデザイナーに作ってもらう事になった…

54話:PLASTIC号/初ミーティングバンド名決定! 

January 02 [Mon], 2006, 19:20
バンドと言えば、機材車が必要だ!!…って事で、機材車を探した。
初代PLASTIC号は、バンド結成おめでとう的な感じで、まこっちゃんが以前やっていたバンドの機材車をくれた。
その記念すべき初代PLASTIC号から、数えれば、それにしても、機材車はよく壊れてた!
初代PLASTIC号から、一年に一回壊れては、買い替えていくなんて、この時は、思わなかった…
今、思えば、最初から新車を2台ぐらい、十分買えるぐらいの値段は機材車に使ってる!凸(▼皿▼メ)

俺は、いつも暇されば、車内を掃除してるのに、みんな全然、機材車の車内が綺麗になってる事に気付いてくれへんねんっ(ノ><)ノ
5年たった今もです…(T-T)
本日(1/2)も新年を迎えたので、身体を動かすついでに車を洗った♪
多分次にメンバーに会っても誰も気付かないだろう…(-.-;)


それからあと、バンド名を決めないと!
って事で、確か、心斎橋MUSE HALL(現OSAKA MUSE)の近くのラーメン屋で始めての、PLASTICの初めてのミーティングをした。

これも、始めて語る事だけど、、俺のPLASTIC結成当時のミーティングノートに書いてたんだけど、バンド名候補が…
「Leaf」 リーフ
「Cafe」 カフェ
「Lady」 レディー
「PLASTIC」 プラスティック
「PLASTIC Lady」 プラスティックレディー
「Lemon」 レモン
…と、いろいろ意見が出てたみたい…
結果…スゲー長いミーティングしたのに、結局、言葉の響きで、『PLASTIC』
溶けたら何でも、形を変えていく、とか、後づけで(笑)
…『PLASTIC』に大決定!!


そして…5人が、PLASTICとして活動していく事が決まり、遂に初ライブが決まる…

※写真は初代PLASTICのロゴ

53話:メンバー同士の歩み寄り 

January 02 [Mon], 2006, 19:18
〓さぁ、ここからは番外編みたいなもんです。『ROAD_to_PLASTIC』本編はメンバーが出会ってから初めての顔合わせ(リハーサルスタジオに入る所)で最終回を迎えるという事だったので、終わりましたが、ここからあと少しだけ、『ROAD_to_PLASTIC』番外編“GO to FIRST LIVE”を書いていきます。〓


初めてのの顔合わせ(リハーサルスタジオに入った)後、5人で一緒にバンドをやる事になり、それから何日後がに、イッシーとヒビキが、一緒に住む事になった。
そこで俺も、当時、まだ買ったばかりのRV車を下取りに出して、二人の部屋の隣に住む事にした。
5人のメンバーが揃って、これからバンド活動をやっていく上で、一つ心配な事があったのを覚えてる…
俺は、昔からツッキー、カイム、ヒビキを知ってたし、
イッシーの事も、知り合ってから、しょっちゅう一緒にいたから、俺は、他の4人がどんな奴かを知ってたけど、ツッキー、カイム組とイッシー、ヒビキ組はお互いをあまり知らなかったから、なんか、見ていて妙だった。イッシー、ヒビキはカイムに『カイムっちさん』
カイムとイッシーとヒビキは俺とツッキーに『ユウさん』『ツッキーさん』
ツッキーは俺に『ユウくん』…とか、
なんか敬語で話ししてたから、どことなくメンバー感として、ぎこちない関係だった。
一日でも早く、なんとかしようと、考えてたのを覚えてる…

でも、それは、すぐに解決した。
気を使ってか、早く仲良くなってバンド関係を作りたかったか、ムードメーカーである、ツッキーを筆頭に、イッシーの部屋にみんなで、集まるようになり、お酒とか飲むようになってた。(※お酒の場には勿論俺はいない)

結成して、すぐに俺の心配は消えた。

ちなみに、隣の俺の部屋にも来たが、滅多に入れなかった。(※理由:散らかされるから…(笑)

それから俺は、イッシーの事をまぁくんと呼んだり呼ばなかったり、
みんなが俺を『ユウさん(くん)』から『リーダー』と呼ぶようになり、違和感は無くなっていた。