さようなら、東京。 

2010年03月18日(木) 14時25分
戻ります。

仙台へ、帰ります。

短い間でしたが、お世話になりました。
皆さんの幸運を祈ります。
それでは、お元気で…☆

急:長い夢の終焉 

2010年03月17日(水) 21時39分
T大学の博士課程に進学。
まさか、自分がT大生になれるだなんて、
想像もしていませんでしたし、目標にもしていませんでした。
入学時にはたくさん希望があって、自分の将来が楽しみでした。

でも、次第に、希望は絶望へと変わっていきました。

先輩、同輩、後輩も含め、
周囲の学生は、日本学術振興会の特別研究員に採用されました。
私は、何度挑戦しても半分以下の順位。

周囲が学術誌に論文を投稿して喜んでいる最中、
自分は一向に進められません。
誰よりも早く取りかかったのに。

博士論文のテーマも決まらず、
ただ、ダラダラと時間だけが空しく過ぎていきました。

そして、ついに、あの日が来ました。

指導教員に呼び出され、一方的に罵倒されました。
あげくの果てに、嘘つき呼ばわりです。

「君は何も知らない!何も出来ない!何もやっていない!」

私は、一生懸命やってきたつもりなのに…。
嘘なんて、一言も言っていないのに…。

引きこもりがちになりました。
何もやる気が起こらず、ただ泣くだけの日々でした。

やがて、その状況から逃れる方法を探し始めました。

夢を、捨てよう。

気が楽になりました。
ネット上で見つけた公務員試験を受験し、アッと言う間に採用が決定しました。
これで、おしまいです。


夢を持ち続けた期間は長かったけれど、
諦めてからの時間は、本当にあっけないものでした。

色々な人に対する、申し訳ない気持ち。

最近気付きましたが、
私は、夢に向かって走り続けていた過去の自分に対して、
一番、申し訳なく感じているようです。

小学校時代、中学時代、高校時代、とんぺぃ時代の私に、心からゴメンナサイ。

破:逆境の中の陸上競技 

2010年03月16日(火) 21時34分
奇跡的に、とんぺぃに合格。
念願の“地学博士”に大きく近付きました。
もちろん、最初は、「陸上競技は勉強の次」と考えていました。
しかし、少しずつ比重が変わっていきました。

試合で負けても悔しくないという、今までに経験したことのない不思議な気持ち。
動揺しました。
このまま、4年間ダラダラと続けられるのかと思いました。

気づいたら、主将になっていました。
同時に、「勉強は陸上競技の次」になっていました。

それでも、不思議と研究の方は順調でした。
もちろん苦労はしましたが、
理系の人なら誰でも乗り越えるであろう程度のものでした。


無事、とんぺぃの修士課程に進学。
北京大会を目指している最中に、T大学の先生から声がかかりました。
その先生が、今の指導教員です。

陸上競技、修士論文、受験勉強の3つ。
その全てに、全力でした。

就職活動をしている研究関係の同級生たちは、私から離れていきました。
友達だと思っていた人からも、裏切られてしまいました。
学校で、私は孤独でした。


後から聞いた話によれば、みんな、私のことを羨んでいたようです。
好きなこと(=陸上競技)を好きなだけやって、
研究も順調に進めていた私のことを妬んでいたらしいのです。

競技スポーツは、エンジョイスポーツとは全然違うのに…。
楽しいことの100倍、苦しいことがあるのに…。
辞めたくなって辞められるような、そんな単純な存在ではないのに…。


「理解して欲しい」と思うと、辛くなりました。
「理解されるわけがない」と開き直ると、少し楽になりました。


とんぺぃでの6年間は、高校時代とは全く逆で、逆境の中の陸上競技でしたね。

破:逆境の中の勉強 

2010年03月15日(月) 21時30分
公立では府内一のスポーツ高校に入学。
陸上競技部に入部して、同級生の名前を見てみると、
中学時代から知っている有名選手ばかりでした。

5時半に起床、そこから1時間勉強。
6時半〜7時、通学。
7時〜8時は、朝練習。
8時半〜授業。
昼休みは、グランド整備。
16時半〜19時、本練習。
19時半、帰宅。食事の後はすぐに勉強。浴室でもトイレでも勉強。
11時、就寝。


毎日が、これの繰り返しでした。
遊ぶ日は、ありませんでした。
もはや、「遊びたい」と思う余裕すらありませんでした。

陸上競技の方は、油断をすれば、試合に出させてもらえなくなる状況。
一番競技レベルが低かった私は、誰よりも多く練習をして、
存在をアピールするしかありませんでした。

また、勉強の方は、学内でトップになっても、
志望の大学に進学できる可能性は、極めて低かったのです。
スポーツ推薦で大学が決まる高校でしたから。

勉強をしている姿を見て、周囲からは「気持ち悪い」と言われました。

でも、それが、私のやり方でした。
陸上競技者として一番良い環境へ行き、勉強の環境は自分で作ろうと考えていました。

まさに、逆境の中での勉強でした。

破:五分五分 

2010年03月14日(日) 21時25分
中学校で、陸上競技部に入部。
知らず知らずのうちに、のめり込んで行きました。
朝一番に行って練習し、放課後も最後まで走っていました。
ある日、顧問に呼び出されました。

「NOとは言わせない。これから、アンタがキャプテンや。」

腐っていた陸上競技部を立て直すことに必死でした。
常に、「自分の学年は全員で上の大会へ進む」という目標が頭の中にありました。
個人種目で勝てない人も、このチームならリレーで勝てるという自信がありました。

結局、その夢は叶いませんでした。
私のオーバーゾーンのせいで。
あの日のことは、今でも若干のトラウマです。

一方で、勉強の成績も学内では常にトップでした。
担任の先生からは、進学校を進められました。
でも、私は、公立高校では府内で一番スポーツが強いK嵯峨高校を選びました。

「本当に、K嵯峨高校で良いんだね?」

自分の決断に、迷いはありませんでした。
大切なことは、「何処へ行くか」ではなく、「そこでどうするか」だと考えていました。

この時点で、私にとって、「文」と「武」は五分五分の存在だったのです。

序:博士への夢 

2010年03月14日(日) 0時44分
幼い頃から、理科が好きでした。
特に、自然科学が大好きでした。
週末は、自然観察会、天文教室、化石採集。

小学生のとき、母に言いました。

「私、地学博士になる!」

家は貧しかったので、塾などには通えませんでした。
母に「参考書を買って欲しい」と頼んで、毎日、勉強しました。
勉強が楽しくて仕方ありませんでした。

小学校低学年の頃は、1年分の参考書を数ヶ月で済ませてしまい、
自分で“R代製算数ドリル”を作って解いたりもしていました。
そういえば、“R代製算数ドリル”は妹にも作って、採点していました。
これが、真の家庭教師(家庭に来る教師ではなく、家庭に居る教師)ですね!

博士になって、「先生」と呼ばれる存在になりたかったのです。
テレビ画面を見ていて、
“○○大学○○博士”という文字と一緒に出てくる研究者の姿に憧れていました。

そんな風に、理科だけが楽しみだった私は、
中学校で、“陸上競技”という新たな楽しみに出会いました。
この出会いが、その後の人生を大きく左右することになるなんて、
当時は予想していませんでした。

イケメンパラダイス@ジャンカラ 

2010年03月13日(土) 23時11分
今日は、京都のイケメン軍団が、ずっと私と一緒に居てくれました。
私の好きなアーティストの曲、私を元気づける歌を歌ってくれました。
とても楽しくて、幸せでした。

名誉やプライドって、そんなに大切なのかな?

と、思いました。

大学を途中で辞めることで、
私のプライドは傷付きましたし、名誉も失いました。

でも、こんなにも多くの人から愛されています。
それだけで、充分ではありませんか?


京都で過ごした3日間。
アッと言う間でしたが、心の闇が消えました。
先生、高校生、同輩のみんな、本当にありがとう。

ようやく、前を向いて歩けそうです。

神様が居て、良かった。 

2010年03月12日(金) 21時31分
Y瀬先生と話した後、
不意に、「神様が居て、良かった。」と心の中でつぶやきました。
一つの宗教を熱心に信仰しているわけではありませんが、
神様の存在によって、心が安らかになりました。

神様が居たら、「誰が悪い」などと陰口を言わなくて済みます。

神様が居たら、「私が悪い」と自分を責めなくて済みます。

神様が居たら、何でもポジティブに受け入れることが出来ます。


私は、誰のことも恨みません。
そして、私自身も悪くないと思います。
先が真っ暗闇で見えなくても、
今は、明るい未来の影に入ってしまっているだけ。

人生には、正解も不正解もありません。
成功や失敗の基準もありません。

全部を知っている神様が、導いてくださっている道ですから。

Y瀬先生とK嵯峨高校生に会った日 

2010年03月12日(金) 19時00分
今日は、K嵯峨高校で高校生たちと走ったり跳んだり、戯れてきました。

入部したてで初心者の跳躍選手の指導を任されました。
今までで一番手こずってしまいましたが、
きっと、彼もじっくり時間をかければ強くなります。


練習後、Y瀬先生と話をしました。
辛くて詳しいことは話せませんでしたが、
先生はそれを察してくださり、無理やりに聞こうとはされませんでした。

「きっと、神様が、こうなるように導いてくれたんだよ。」

何度も、そう言って下さいました。
本当に、そうなのかもしれないと思いました。


9月末に、北海道へ分析に行きました。

分析後、H海道HACにお邪魔しました。
そこでのN村先生から頂いた忘れられない言葉:
「勇気を出して、プライドを捨てることも大事。チャンスを逃すんじゃないよ。」

10月末、指導教員に呼び出され、例の説教(拷問)を受けました。

鬱になりました。

11月半ば、偶然、公務員試験の追加募集を見つけました。

12月に一次試験を、1月に二次試験を受験。

2月に採用通知が届きました。


私「常にN村先生の言葉が頭の中にあって、その言葉の影響がかなり大きかったです。」

Y瀬先生「ほら。きっと、神様が、そのタイミングでN村先生に会わせてくれたんだよ。」

私「そんな気がしています。」


帰り際、高校生たちが「せんぱーい!」と叫びながら、私のところへ走ってきました。
そして、水色のポロシャツを渡されました。
私が、ずっと前から欲しいと言っていたポロシャツ。

高校生「はい、これ、どーぞ♪」

私「ありがとう。これを着て、京都選手権に帰ってくるよ。」

なんて素直で、気が利く高校生なのでしょう。
温かい心さえあれば、高い偏差値なんてなくても、
人をこんなに幸せな気持ちにしてくれます。


私のプライドなんて、大した物ではありませんでしたね。

中学時代の同級生が集まってくれた日 

2010年03月11日(木) 21時39分
K奈とデートしました。

念願のくずきりを奢ってもらいました。
京都で有名な鍵善のくずきり♪
京都人なのに、実は食べたことが無かったのです。


ご馳走様でした!


夕方には、Akiちゃんの家へ。
中学時代の友人たちを呼んで、待ってくれていました。
昔話など、他愛もない話をずっとしていました。

みんな、変わっていませんでした。

私も、「変わっていない」と言われました。

今の私は何も出来なくなって、
昔の私はもういないと自分では思っていたのに…。


今日は一日、存分に癒されました。
P R
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