何故か孤独が纏わり付いている 

2008年08月27日(水) 1時38分
一人でいる事に苦はない。
食べる時も出かける時も働く時も眠る時もたった独りでいる事に苦はない。
苦痛など感じないのだ。

だのに。

何故だ。何故なのだ。

時折途端に不安になる。

生涯独りであろうとも不安になる筈がなかろうこの俺が、

「現在」という刻(とき)に「孤独」という存在で成り果てようとした途端

居た堪れない恐怖に落とされたのだ。

誰も、当然俺さえも想像し得なかったこの心境を

一体誰が救ってくれるというのか。

何時何が起こるのか知り得ぬ未来に期待を寄せる者を

己れ(おれ)は大いに尊敬する。

何故ならば、

俺は大いなる畏怖しか感じ得ないのだから。



まも誕SSS 

2007年11月26日(月) 23時19分
紅イ月、嗤ウ蛇

雲が分厚い夜だった。
でもちょうど月の上だけ雲が切れている。
まあるいまあるい十五夜だ。
雲の流れは速い。
薄い雲が幕を張る様に月を覆うから、チラチラと月光が角度を変えて多様に隣の金髪を照らし出す。
十五夜は思ったよりも明るいから、街灯がなくても割合よく歩ける。隣の金も妙に明るく見えるし。
無言で、茫然と光る夜道を行けば、二股に別れた道にぶつかった。
直進するのはヒル魔くん。曲がるのは私。
ピタリと互いに足が止まる。

じゃ、また明日ね。

その一言で今日はお終い。
だから、振り向いたのに。
目の前に何故か赤い球体。

「きゃっ…ちょっとこれ何!?」

慌てて一歩引いて叫ぶ様に聞いた。でも全然気にも止めずに至って普通に彼は言う。

「りんご。んな事もわかんねぇのか。ボケんの早過ぎんじゃねぇ?」
「ボケてません!そんな近くに突き出されて分かる訳ないでしょう!」

声が大きくなり過ぎないようにさすがに気をつける。
それにしてもなんだってりんごなんか。

「これをテメェにやろうと思う」
「って言うかなんで今りんごなのよ」

思った事を聞く。
聞けば溜め息混じりに返事が返って来た。
それより、どこから出て来たんだろう、これ。

「今日は何の日だ」

その質問の答えになってさえいない返答に、不本意ながら表情を曇らせてしまった。
敢えて傷口を舐めるような事を言う。
だって、今日は。

「…私の誕生日」
「分かってんなら聞くんじゃねぇよ」

誕生日に、差し出された一つのりんご。まさかこれがプレゼントなんて言うつもりかしら。
そもそも彼が何かくれる事自体考えてもなかったから喜ぶべきなのかも知れないけれど。
だから仕方なしに受け取ろうとした。

「…ありがとう…ってあれ?」

ヒョイと目の前から赤い丸が消える。

「おっと、コイツはタダのりんごじゃねぇ。もの凄く危ねぇ食い物だ。」
「何?毒りんごなの?」

彼ならありうる。

「たやすく死ねる様なそんな小洒落た代物じゃねぇ。世の中の全てから見放される大層危ねぇ代物だ。」

ニヤリと笑いながら続ける。

「アダムとイヴよろしく、コイツを齧った瞬間テメェの住所は地獄の一丁目だ。テメェはそこを曲がらずに、否が応でも直進するハメになる。」

蛇、だ。

「さぁ、どうする?」

とんでもない果実を口に咥えて私の元へ。
もう一度スッと眼前に果実を寄せる。
それは酷く紳士的で洗練された動作だった。
まるでかつて見た教会の神父様の様な敬虔な仕草で。
でもその実彼の動作は神父には程遠い、神を愚弄するに等しい仕草なのだろうけれど、でも、私はこっちの方が。

「それでもコイツが食いたいか?イヴ。」

刺激的で、愛おしい。

「食べ、ます」

蛇が、嗤った。
鋭く口角を上げて、鋭い歯の隙間から艶かしい赤い舌をチロチロと覗かせて。
それを眺めながらそっと果実を手にとって、唇に当てる。ヒヤリとした感触が心地よい。
シャリ、と、夜空に禁忌の咀嚼音が響いた。
貰ったと同時に楽園から追い出されるなんて、とんだ誕生日プレゼントだ。

また、蛇の声がする。

「知ってたか?アダムとイヴはそいつを食って、視力を手に入れた。テメェは何が見える?」
「それ、は」

奈落の底で、教えてあげる。

「パスピエ 9(最終話)」 

2007年11月12日(月) 21時17分
何もかも、消えてなくなった。

耳を過ぎった葉摺れの音も、眼を楽しませた木々の色も、鼻を擽る果物の香りも、全て消えた。

そして、彼の金も、温もりも、匂いでさえも、残滓も残さず綺麗に消えた。

綺麗、という単語が、ここまで残酷なものだとは、微塵も思わなかったのだ。

私の五感は、私の記憶は、「過去」に縋りついたまま、二度と時のままに進もうとはしなかった。

全て、あの男のせいで。





全身から力の抜けた躰というのは存外に重くて、ズルズル引き摺る様に自室に戻ったのだけは覚えている。
理解したくもなかったし、わかろう筈もなかった。

彼はもう、この世に存在しないだなどと、一体どうやって理解すればいいというのだ。

指に光った銀の輪だけが、物悲しく彼の存在を語り、彼との時間はもう、私の脳に留まるだけになった。
遠くで、呼び声がする。
だが、もうそんなものはどうでもよかった。
耳を通る音はノイズと寸分も違わず、目の前の色は全てモノクロームの様に殺伐としていた。

「私」のいた世界は、音もなく消えてなくなったのだ。




その後の私は、恐らく地獄の様な生活をしていたのだろう。

その日何食わぬ顔で戻ってきた男は、邪魔者が消えたと言わんばかりの卑しいだけの涼やかな笑みを浮かべて、早々に夫婦の禊を済ませた。
私は不在だった。
相手の意見も、存在さえも無視。
この男の行動は、エゴイズムの極致とも言えた。

その日の晩、無理矢理抱かれた。
その時、ほとんど機能しない頭が、人肌の気持ちの悪さを脳に伝えた。

こうも、おぞましいものだったのかしら?

ああも暖かく、落ち着いて、気持ちのいいと思っていたこの行為が、人の温もりが。

蛇が這いずる様に滑りを帯びて、生暖かい吐息が躰を覆い、苦痛と憎悪だけを、体に遺し刻み込んでいく。

拷問だった。

何も残さない。何も残らない。

その時の私は確か、表情も変わらず何も発せず、されるがままだったような気がする。

記憶にさえも残らない、あの男の存在。


それから毎日の様に男の部屋に呼ばれたが、何も反応しないのがよほど腹に据えかねたのかそのうち呼ばれる事もなくなった。

解放されたと思った。

あの苦痛から、屈辱から解放された喜びはこの上ないものだった。

それから毎日窓辺に座って、彼との記憶が遺る湖畔を眺め続けた。

そうすれば、そこだけ鮮明に蘇る、彼との記憶。

彩りのなくなった世界にそこだけ鮮やかに私の世界が広がった。

やがて枯れた筈の涙が瞳を覆って世界をけぶらせるのだ。

一つ、二つと雫が落ちて、水溜りを作る。

同時に想いが、この世に溢れて。





妖一、妖一、どうして先に行っちゃったの?
迎えに来てくれるんじゃなかったの?
お願い、助けて。私をここから助けて。
貴方と一緒ならどこへでも行ける。
例え底が奈落の底でも、地獄の果てでも、貴方さえ一緒なら、どこまででも。

だから。

今すぐここから、私を救い出して。

神なんか、知らないから。





あれから、半年が経った。

綺麗な満月の晩。
まもりは床に就く事もせず、湖畔の見える窓辺にただ立ち尽くしていた。
眠ることさえ、なくなっていた。
澄んだ碧眼は、ただ虚空を映す生気のない碧へと姿を変えた。
その瞳にいつもの様に鮮やかな過去を映し出していたまもりの耳に、ふと聞き覚えのある声が飛び込んだ気がした。

ほんの微かに、鼓膜を揺らしたのだ。

その音に、ふと後ろを振り返る。

誰もいない。

そしてまた、緩慢な動作で窓の外を見遣った瞬間。

「…!!!」

驚愕のあまり、その場にへたり込んだ。


湖畔に佇む聳える金。馴染みの笑い。


碌に使えぬ足腰に鞭を打って、一目散に駆け出した。

屋敷は従事者が寝付いているにしても静か過ぎ、普段は硬く錠の下ろされた門扉もその役目を忘れた様に口を開けていた。

そんな事には一切気にも留めなかった。


ただあの場に彼がいるのなら、私はすぐにでも、あの場に行かなくちゃならないから。


誰に言われたわけでもなく、まもりの全てが、そう叫んでいた。


肩で息を整えて、彼が居た筈の水辺を見た。

すると湖の真ん中に、葉が茂り折り重なったちょうど真下に、よくよく見知った金髪の男。


私が、愛して止まない大切な人。


そう認識するや否や、まもりは湖に分け入った。

バシャバシャと大仰な水音を立てながら、服が水を吸って重くなる体を無視して、水面(みなも)に立つ彼に縋ろうとした瞬間。


足を、水中から引っ張られた。


ずるずると、引き込まれていく。


だがそれでも、全く息が苦しくなかった。


寒くも冷たくもなかった。


むしろ良く知った温もりに包まれた気がして、自然と安堵の笑みが零れた。


暗い暗い水の底に堕ちて行くにも関わらず、何一つ怖いことさえなかった。


カチンッっとリングとリングがぶつかる音がして、そのまま意識が闇に堕ちた。


やっと救われたんだと、思った。


彼女の瞳は、澄んだ碧に戻っていた。





奇しくもこの日は、1年前、二人が出逢ったその日だった。




image mugic:C,Debussy〔Suite bergamasque:IV. Passepied〕

「パスピエ 8」 

2007年11月11日(日) 22時58分
既に雨は上がっていた。
葉陰から漏れる木漏れ日が、それを物語る。
葉に溜まった水滴が、落ちては波紋を作るその様をぼんやり水辺で眺めながら、背後に近寄る気配に意識を集中させた。

水を含んだ草を踏みしめる音がした。

慇懃無礼な男の声。

「やぁ、君は蛭魔君と言ったかな?」

自分の力が絶対だと思い込んでいるこのタイプの人間が、俺は嫌いだ。

「これはこれは主様、こんな辺鄙な所までなんの御用で?」

ちらりと視界の端で姿を捉えて笑いを含んだ口調で言ってやった。
もちろん、ふんだんに嫌味を込めてだ。
さすがにそこまで馬鹿ではないのか、嫌味を察した男があからさまに不機嫌を露にして言葉を投げる。

「ふん…。シラを切るのは止し給え。君がどれだけ下賤な真似をしているのか当にわかっているのだ」

下賤。コイツが言う事ほど可笑しい事はねぇな。

「は!どの口がほざく、糞野郎。許嫁の父親殺して何が楽しいんだか」

そういって、男に向き直る。
ぐっ、と息を呑む音がした。

「…!まぁ、いい。君が何を知っていようが関係ない。どうせ君の人生は、ここで終わるのだから」

そーら来た。どうせこんなこったろうと思ったぜ。

猟銃の冷え切った眼窩が、静かに俺の胸に狙いを定めた。

コイツあんま猟得意じゃねぇな。狙いが甘ぇ。

「あぁ俺殺さねえとあの女が逃げちまうもんな。そうしたらテメェの計画も全部パーだ。だが残念だったな、あの女はテメェより遥かに頭が切れるぜ?」

本当なら、俺がコイツを殺してもよかったが。

「黙れ」

俺がコイツを殺したら、アイツが生きる場所がなくなる。

「都合が悪けりゃ黙らせるっつーのは悪人の常套句だもんな?いや違うか、馬鹿の常套句か」

だから敢えて、この男を挑発したのだ。
狙い通り、男の顔が怒りで赤く染まる。
おいおい、指先震えてんぞ。しっかり心臓狙えよ。

「煩い!貴様の様な下衆に何が解ると言うのだ!カスはカスらしく、地に跪け!」

そう、汚い声で高らかに罵ると、ズガンと猟銃が吼えた。
弾は一直線に、俺の胸に及ぶ。

そのまま、俺を、貫いた。

痛みとも熱とも取れない衝撃が、全身を覆う。

あー糞、心臓反れたじゃねぇか。

躰が、後ろに傾いでスローモーションで倒れる。

雲の流れも、水面(みなも)に落ちる水滴も、全て、全て、ゆっくりと。

そして、派手な音を立てて、湖面に落ちた。

その直後、よく聴き知った女の、悲鳴。

糞、だからちゃんと心臓狙えって言ったんだよ、糞野郎。

お陰で聴きたくもねぇもん聴いちまった。

テメェもテメェだ。そんな声で叫ぶな。喉が切れちまう。

青が、遠退く。

碧が透けた水が、目の前を覆う。

朱が混じった液体が俺を覆って

躰が途端に重くなった気がした。

沈む感覚に、捕らわれる。

そして、徐々に、暗転。

そこで、意識が途切れた。



心配すんな、糞女。

自慢じゃねぇが俺は、有言実行する性質なんだ。

だから、もう少しだけ、もう少しだけ、耐えて、待ってろ。

絶対ぇ一人にゃしやしねぇ。

だから、あと少しだけ。

「パスピエ 7」 

2007年11月11日(日) 1時29分
嬉しかった。

好きなドレスを誂えてもらって嬉しいとか、一抱えもある大きな花束を貰って嬉しいとか、そんな物理的な物ではなくて。

心が満たされる歓びを、暖かいものに包まれる歓びを、生まれて初めて受け取った。

今朝方の雨は嘘の様に晴れ間が広がった空を見やって、右手を陽光に透かす。
忠実に陽光を反射した薬指の銀は、艶やかに輝いて、光の輪の様に見えた。
それごと包む様に右手を左手で抱きしめて、幸せを噛み締めた。
彼はからかいこそはすれ、嘘を吐く様な人間ではなかった。
だから一種確信のような安心感を持っていて、そこに遠慮なく縋っていたのだ。

そこが、私の甘さかもしれない。

日がゆるゆると昇ってきた。

あ、そろそろ散歩の時間ね。

もう待ち遠しくて待ち遠しくて仕方のない、この時間。
少しでも早く飛び出して、彼の元へ行きたかった。
あの男に会う前に、彼の元に飛び出してしまいたかった。

くるりと柔らかなレースが縫い付けられたスカートを翻すと、小走りで部屋を飛び出した。
いつもの、彼の元に旅立てる、私の唯一の抜け穴。


なのに。


いつもの場所にある筈のものが、なかった。


人が一人通り抜けられる大きさの、茂みに隠れてわからなかった筈の抜け穴が、きれいに塗り固められていたのだ。

悟った。全て悟った。


あの男だ。


気付いていたのだ。私の行動も。彼の存在も。そして、この指輪の事も。


壁に掌を叩き付けて、絶望にただ浸った。


その直後、銃声。


そして、何か重いものが、水に、落ちた音。


何か、重いもの、が。


気付いた途端、自分の声とは思えない程の声が、喉を、切り裂いた。


何も考えられなくなった頭で、神に、問いかけた。
我々を守護していると幼い時分から信じてやまなかった神に、恨み言に似た、問いかけを。


どうして、どうして神はこんな惨い事をなさるの?
私が、彼が、何をしたというの?
恨まれざるは、あの男の筈なのに。
呪わざるは、あの男の存在の筈なのに。
貴方が定めた筈の純愛は、身分に捕らわれるものだったのですか?
貴方は身分違いの恋愛が、咎だとおっしゃるのですか?

もしそうなのだとしたら、私は、貴方が、憎い。

それが罪だとしても、構わない。
闇に堕つと言われても、それでも構わない。

もう、いっそのこと。

私をこの世界から消して下さい。


この忌まわしい運命と、貴方を憎んだこの身ごと。

「パスピエ 6」 

2007年11月07日(水) 23時34分
彼が後ろから腰を抱え込む様にして湖畔に座り込んでいる。
顎を軽く私の頭の上に乗せて、何をするでもなく二人で茫然と過ごした。
そっと水に浸したお互いの足を無意識に絡めあって、日に日に短くなっていくお互いの時間を貪るのに必死だった。
それでも、空気の穏やかさは変わらなくて、彼の前なら全てを忘れられる事実だけは、何も変わらなかった。
ぱしゃぱしゃと水面を足で蹴り上げながら、頭上から降る声に耳を傾ける。
私を唯一癒す、整い響く、バリトン。

「なぁ」
「うん?」
「幸せっつーのはなんだと思う?」
「…え?」

まさか彼からそんな言葉が飛び出すとは思わずに、驚いて顔を上げた。
彼は真っ直ぐ前を向いたままだ。

「物に溢れてんのが幸せか、やりてぇ事すんのが幸せか。まぁテメェなら後者だろうがな」
「…わかってるなら、聞かないでよ」

普段なら聞き流せる様な一言でも、今の私の状態ではそんなことさえままならなかった。

だって、いずれ笑い事ではなく、後者を渇望する時が、来るのだろうから。

私の笑いが微塵も含まれない返答に漸く彼は視線を落として、私の瞼に一つ唇を落とした。
それが少しくすぐったくて、それでも嬉しくて、僅かばかり身動ぎする。

「待つ気はあるか?」
「え?」
「俺を待つ気は、あるか?」

ゆっくりと、はっきりした口調で彼の唇は言葉を刻む。

「ある、わ」

動揺に、声が震えた。
その言葉を受けて、私の眼を見据えたまま彼は私の右手を手に取って

そっと、薬指に、リングを嵌めた。

「これ…!」
「ちゃんととっとけよ」

リングを嵌めた手をくるりと仰向けにして、薬指の付け根にキスをした。
まるでそれは、契約印の様な。

「うん…!」

もう嬉しくて嬉しくて涙が溢れて、体を回転させて彼にしがみついた。

そのまま二人で、茂みに倒れこんだ。

でも彼の唇が、音も立てずに別れの言葉の形に歪んだ事さえ気がつかなかった。



私は、私には、気がつかなかったことが、多すぎた。




「パスピエ 5」 

2007年11月06日(火) 22時48分
レースのカーテンが翻る日中の廊下。
風に緩やかに漂って、陽光を照らし返しては穏やかに辺りを照らしていた。
そっと側の窓に手をかけて、ぼんやりと庭を眺める。

こんなに辺りは穏やかなのに、少しも気分が晴れないのは何故だろう?

父様が死んで以降、母様は床に臥せってしまっていた。
父の突然の死に、精神が耐えられなかったのだ。
他人の事など、構っていられる状態ではなかった。
それが例え、実の娘だとしても。
それに、母様は、あの男を心底信頼してしまっている。
その事が、ずっと私を縛り付けていた。

そうか、だから少しも心中が晴れ上がることがないのね。
この空の様には、いかないのね。

彼に。早く、彼の元に行きたいのに。

父様が死んでから、あの男は私の時間をも縛るようになっていた。

起床、朝食、読書、昼食、お茶の時間、夕食、就寝。


そして、散歩の時間。


唯一私が自由に出来た散歩の時間は、かつてに比べて、格段に削れてしまった。


ぼんやりと、空を眺める。
鳥が、まるでその身は自由だと強調する様に悠々と空を泳いでいた。

羨ましかった。

じわりと、眼が熱を持った気がしてぐっと眼を閉じたその時。

背後から、声がした。

嫌悪して止まない、身の毛のよだつ様な中途半端な安定しないテノール。


「やあ、まもりさん、おはよう」


醜い程に不自然な清々しさを湛えた笑顔で、そこに立っていた。
負けじと最高の作り笑いで、挨拶を返してやる。恭しく、貴族用の挨拶で。

「おはようございますわ、主様」

馬鹿丁寧。その言葉が当てはまる様なお辞儀をしてやって、にっこりと、微笑んでやった。
不快そうに男の顔が歪む。

「いい加減その挨拶やめてくれないか?」
「何故ですの?貴方は丁寧なご挨拶がお好きなのではなくて?」

普段はまるで使うことのない言葉遣いで、恨みを込めて。

「その話し方もやめろ」
「いいではありませんか。貴族令嬢として当然ですもの」

あからさまに不快感を露にした男にも怯まずに、そう返す。
男はその顔を変えようとはせず、それでも諦めた様に話を続けた。

「…まあいい。そんなことよりも、今夜こそ僕の元に来てくれるんだろうね?」
「さあ、どうでしょう?許婚ではありますけれど、まだ夫婦ではありませんもの」

こんな男に抱かれるのなら、今ここで、舌を噛み切ってもいい。

「…おちょくるのもいい加減にして欲しいんだがな」
「おちょくるなんてとんでもございませんわ。私は当然の事を言っているだけですもの。
それでは、私は今から散歩に参りますので。御機嫌よう」

早く、彼の元に逃げ出したかった。
だから、無理矢理に話を打ち切って、深々と嫌味の様な礼をしてその場を離れたのだ。

だから、最後の男の一言を聞き逃した。

本当は、皆まで男の話を聞いておけばよかったのかも、知れない。


「…お前はどう足掻こうとも僕のモノなんだ。精々残りの自由を謳歌したまえ」


そういって、くつくつと、私の知らないところで男は嗤った。



「パスピエ 4」 

2007年11月06日(火) 11時59分
彼の手を、両手で包み込んで、言う。

「父がね、死んだの」
「…」
「事故死、らしいんだけどね」
「…らしい?」
「猟の最中に流れ弾に当たった、みたいなの。鵜呑みにはしてないんだけど」
「…そりゃあ流れ弾で心臓打ち抜いて即死じゃ疑いたくもなるな」

その一言に驚いて上半身を起こした。
勢いで、彼の手が宙を掻く。

「…!知ってたの…!?」
「まあな」

さして興味もなさそうに呟いて、同時に露出した肌が冷えたのに顔を顰めて浮いた手で私の肩を抱き寄せた。

「寒ぃ」
「…」

知っていて何故、いつもと同じに振舞えるのだろう。
もしかしたら、これだけ彼を愛おしいと感じているのは、私だけなのかしら。

ふと浮かんだ疑念を敏感に感じ取ったのか、はたまた単なる偶然なのか、それを否定するように額に張り付いた髪をそっと払いのけて、一つだけ、キスをした。
少し乾燥してかさついた、それでいて柔らかい、唇。

「寝とけ」
「…」
「どうせ帰ったって落ち着きゃしねぇだろ。寝とけ」
「…うん」

顔を彼の胸に埋めて、両腕を腰に回した。

嗚呼、もしこの腕が鎖だったのならば、引き離されずに済んだのかも知れないのに。

体温が、鼓動が、私を満たしていく私を癒していく私を、毒していく。

この毒が、殺傷性のあるものなら、どんなに幸せだったのか。

どれだけ救われたのか。

そっと閉じた瞳から、知らず知らずのうちに涙が零れて、彼が更に強く私を抱きしめた。


そのまま眠ってしまったからなのか、只管に現実から逃げていたからなのかわからない。



彼が、今まで見たことのない様な悲痛な、心臓を鷲掴みにされた様な貌をしていた事なんて、私は微塵も気が付かなかった。



「パスピエ 3」 

2007年11月03日(土) 23時28分
隣で私の頭を抱きながら、まるで子供をあやす様に大きな掌で彼が髪を撫でる。
決して柔らかくはないけれど、酷く安心する仕草だった。
例え会話はなくとも、それだけで周囲の静けさでさえ居心地のいいものに変わる。
今や私が落ち着ける場所は、彼の隣だけだった。

あの男が屋敷に来てから、鳥篭が、牢獄に変わった。

父への媚が日毎に見苦しさを増し、メイドや執事たちを我が物顔で使う様になった。
あと数刻を待たずしてこの屋敷の主になると言わんばかりのその振る舞いに吐き気がした。
父曰く、隣国の由緒正しい家系の生まれの貴族出身者といった。
確かに身に纏う衣装も、立ち振る舞いもその生まれを如実に物語っていた。
柔らかい笑顔を浮かべ、人受けしそうな話し方をする紳士。

だが一度仮面を剥げば、相手によって態度を変える、醜い男だった。

権力におぼれ、装いにやたらと拘り、自己中心的に事を運ぶ。
御託を並べ、嘘を並べ、それでも平然と過ごす男。

でも、両親はその男の実態を知らない。
きっと知っていたら、この縁談はなかったことになるのに。
いつか尻尾を出さないかしら。
そう、思っていたのに。

その矢先、父が死んだ。

猟の最中に流れ弾が当たって事故死。

嘘だ。

瞬時に悟った。

あの男が巧妙に仕組んだ罠だ。

媚び諂うのに飽きたのか、早く全てを自分のものにしたかったのか、理由は知らない。

わかりたくもない。

ただわかったのは、私の自由の灯火が、彼と生きている私の灯火が、あと僅かしかない事だけだった。

「パスピエ 2」 

2007年11月03日(土) 0時42分

それから、毎日抜け出す度に、体を重ねた。
直接的な愛の言葉なんて言ってはくれない。
愛情を表現する言葉さえ言ってくれない。
それでも彼の行動が、体温が、言葉の代わりにそれを伝えてくれていた。
だからそれをずっと感じていたかったのに、時間は酷く残酷で、少しずつ少しずつ、じわじわと刻を削っていくのだ。

あれから数日の後、
許婚を、父が勝手に家に住まわせるようになった。
毎日嫌でも顔をあわせる様になって、毎日嫌と言うほど愛の言葉なぞ聞かされた。
それこそ浴びる様に。

大好きだ。愛してる。君の為なら死んでもいい。

そのどれもが滑稽で、大量に作られた観光土産の様に簡素で、どこにでも転がっている石と同じ様に、価値がなかった。

そんな外面だけの愛なんていらない。
貴方が愛しているのは「私」ではなくて、私の「容貌」と「家」でしょう?

それは初対面にして、大方予想が付いた。
やたらと父に媚び諂うその姿。
上から下まで舐める様に私を見た、あの眼(まなこ)。

気持ちが悪かった。

だから、私は自分の生を呪った。

何故人並みの恋ができないの?

何故純粋な愛が得られないの?

私が欲しいのは言葉じゃない。

お金でも名声でも家でも、ない。

だから言葉なんてなくたって全身で感情を体現してくれる彼が、自分の命よりも愛おしかったのだ。
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