『女たちは二度遊ぶ』読みました
2008.03.03 [Mon] 14:07

11人の女に関する短編は、男が関わった、見てきた女で彼女以外もある 繰り返した転職の中で関わった女 ただ電車で見かけた女 中学生の同級生だった女 11人の女に関わったきたであろう男は、女を女としてしか見ない 女にまめでもなく、優しい様子でもなく、自分の人生に手一杯だ。 でも、女は結局そういう男に人生を絡めてしまう。 男に絡めてきた女たちの気持ちが時を経てぼろぼろ出てきたような感じで何か面白い。 一人では生きていけない男は、常に女を物色して観察する。 そんな男の思い出の女たちは、ひたむきな感情が隠していても洩れている。 すれ違っていった彼女たちの幸福に思いを馳せてしまう
 

『長崎乱楽坂』読みました
2008.03.03 [Mon] 14:04

吉田修一が長崎出身であるということ以外、その足跡はほとんど知らないのだが、この作品は自伝的ニュアンスの濃い作品である。もしそうでないとしたら“自伝風”を仮想した小説だ。六章から成り立つが五章までが兄の駿の視点から、最終章だけが弟の悠太の視点から書かれている。実際の作者が兄・駿なのか弟・悠太なのかは知る由もない。  父は事故死し、幼い兄弟は母の実家で暮らしている。母の兄、つまり伯父はヤクザであり、家には年老いた爺さん婆さんや伯母のほか、伯父が拾ってきた女や若い衆たちが一緒に暮らしている。兄弟の幼少時、ヤクザ稼業は羽振りがよく毎日が酒盛りである。プライバシーなどまるでない家の中で“離れ”だけが唯一の聖域だ。ここは母と若頭の秘め事の場であり、自殺した母の弟、つまり叔父の幽霊と、駿の交感の場でもある。   やがてヤクザ稼業は傾き、人は離散し、家は解体するが“離れ”の空間だけは最後まで残っている。高校を退学し都会に出るつもりだった兄の駿は最後の最後でなぜか踏みとどまり、叔父の幽霊が住む“離れ”と共に家に呪縛されるのである。  この小説は“家”という動的な場と、そこに内包される静的な“離れ”という空間を基軸とする物語である。最近では他人が家に居るということがめったにないし、年代の違う者同士の交流の機会もないが、この小説の主人公である少年・駿は、年上の他人や従姉妹に、大人としての役目を割り振られながら少年から大人に成長していく。性的な体験にも年上の他人や従姉妹が介在している。  父親の居ない欠落感や、前近代的な家の物語の中での疎外感は、吉田修一の小説の、一筋縄ではいかない感じ、ざわざわとしたノイズ感、小骨が引っかかったような読後感に、どこかで影響していると思う。  また、この人の描写や表現が類型的でなく、かなり独特なものであることを今回読んで見てあらためて感じた。
 

『初恋温泉』読みました
2008.03.03 [Mon] 14:01

名湯を訪れる男女が織り成す、五つの恋愛模様が描かれています。 私は、特にラストの「純情温泉」が大好きでした。 直球ど真ん中のキラキラ青春小説なのですが、二度と得られぬかけがえのない宝物を大事に大事に物語に作り上げてくれたような・・ なぜか無性に切なくて、読み終えた時、涙が止まらなくなりました。 「最後の息子」に収録されている「water」を読んだとき、吉田さんにしてはちょっと異色な、隠れた名作だと思ったけれど、「純情温泉」を読んで、あの感動が蘇りました。 たくさんじゃなくてよいので、また時々ふと、こんなお話を書いて欲しいです。 なんだか「純情温泉」のことばかり書いてしまいましたが、表題作をはじめ、どれも心に響く作品ばかりです。 いつものことながら、読み易さと奥深さのバランスがお見事で、温泉のしっとりとした風情と共に、行間に漂う豊かな気配をたっぷりと楽しみました。
 

『7月24日通り』読みました
2008.03.03 [Mon] 13:59

うまいこと考えますね、というのが最初の感想です。主人公の女性が、自分のように冴えないくせにかっこいい彼氏(しかも自分の弟)をもつ女性に対する嫉妬と同情が、小見出しにうまく取り入れられています。主人公の気持ちかと思いきや、すべて彼女の自己分析だとわかる。主人公が勝手に「私と同類」と思っていることともつながっています。 小説全体が主人公を中心にしてこの「同類」=「二重化」でできています。「かっこいい男」としての憧れの先輩と弟、「いまいちな男」としての同級生と画家崩れ、「いまいちな女」としての私と弟の彼女、そしてこの街とリスボン。こうした二重化は私の現実からの逃避のせいなのです。私は自分の現実と向き合わないようにするために、周囲を二重化してあいまいにしています(こんな田舎に住み、いまいちな男に告白される、かっこいい弟をもったさえない私)。この私を現実から守るための二重化戦略が崩れていくことで物語が動き出す。 ところが、最後に「かっこいい男」に会いに行く場面は、二重化戦略をなくすような大胆な行動のようですが、実はあいまいな二重化を強化することになっているのではないでしょうか。明らかに心が共振している画家崩れの男ではなく、すでに見込みがないことがわかっている先輩へと向かうことは、もうひとつの現実からの逃避ではないでしょうか。心のつながり(なんかわかる)よりも社会的な評価(かっこいい)を優先することは、自分から出たものではないものを信じてみるというポーズに見えてしまいますが、どうなんでしょうか。 ともかく、構成と細かい機微の描き方はさすがにうまいので一気に読めます。良質の小説です。
 

『東京湾景』読みました
2008.03.03 [Mon] 13:56

東京の臨海地区を舞台にして展開する切ない恋愛小説。 著者はこれまで比較的クールな人間関係を描いてきたが、この作品ではもっと突っ込んだ人間関係を描いていている。そのてめ、思いのたけの一片さえ伝えられない言葉のもどかしさや誤解から互いを傷つけてしまうすれ違いの哀しさが、切なくなるくらい良く伝わってきた。 ふたりが働く品川埠頭とお台場の距離感は、近いようで遠いふたりの距離感をそのまま投影しているようだし、そこをつなぐモノレールも心もとないふたりのつながりを象徴しているかのようで、舞台背景をふんだんに活かした作品だと思う。 また、作中使われる同名の小説も、直接打ち明けられない部分を代弁するアイテムとして、効果的に用いられていると思った。