自動起床装置 辺見庸 

2007年02月26日(月) 17時17分


「ほほぉ」と少しうならせてくれた本ストーリーはどんどん転がっていった
といっても、場面がころころ変わっていくというのではない。そもそもこの話は、夜のバイトをする二人の青年の会話で成り立っている。出版社か放送局のような場所で、仮眠をとっている職員たちを夜遅くに(または朝早くに)「起こす」ことが二人の青年の仕事である。起こし屋」と呼ばれる仕事だ。

この本を読んでいて、夏目漱石を思い起こした。
主人公の満は、いわゆる狂言回しである。このストーリーの傍観者であり、立場としてはどちらかと言えば読者側に近い。この物語の語り手である。
ステージの上の本当の主役者は聡である。
それに、このストーリーからして、作者の辺見庸は夏目漱石を意識してこれを書いたと思って間違いない
アナログ対デジタルの話である。

また、作者自身がどれぐらいキリスト教について触れたかったのかは知らないが、ここに宗教というスパイスを加えたのも見事。もしくは文明よりも宗教に重きが置かれているのかもしれない。

さて、「眠り」である。聡の気持ちはこういうことであろうか。
眠っているときは「覚醒していない」状態であり、ただ「起きていない」だけであるのでそこに明確な境界線はない。「起きていない」からといってその人が前後不覚な状態であるというのは間違いである。起きていなくても、起きているのと同じ扱いをしてあげるのが必要だ。
機械なんかに、起きていない人間の気持ちなんかわかるはずもないし、眠りを甘く見ている会社の人間に絶望している。
・・・てなとこでしょうか。

文章のトーンが安部公房に似ているかも、と最初の印象で思ったなんとなく。主人公の満が深夜の電車に乗るところから話が始まるのだが、なんか、ベッドに寝かせられたままいろんなところを旅する話を思い出したのだ


本日のワタシ的ニュース
久しぶりに連絡をとった女の子が妊娠していた。結婚したのは知っていたが、妊娠と聞くと、なんだか異様な感じがする。妻であり母になるのだ。なんか、こわい。いや、他人事なんだけど。

雪国 川端康成 

2007年02月24日(土) 1時09分
たぶん、今までに100回ぐらい読みました
大好きな本ですが、好き嫌いとかいうことじゃなくて、この本をただ理解したいために、そんなに数を重ねて読み続けています。
「雪国」について、あーだのこーだの文学論を振り回すことはできるかもしれませんがここではそういうことはしません。ただの一読者として、感想文を書きます。



この本を読むとき、私の心の中にある自分への問いかけがいつもあります。
「果たして自分は島村的な人間だろうか、それとも駒子的な人間であろうか、それとも葉子的な人間であろうか」というものです。

難しいことを考えているわけではありません
なんにもがんばらない人間であるのか、徒労を尽くしてしまう人間であるのか、ちょっと気が狂っているのか、ということです。

・・・あ。自分でこうやって書いてみて今気がつきました。
私は三者全部のMixtureであるということですね。
すなわち私には女をたぶらかす器量も金もないし、一人の人間に対する恋に身を滅ぼすこともできませんし、火事の火の中に身を投げる勇気もありません。

ここにも小説を書くヒントがあるように私には見えてきます。
つまり、小説に出てくる登場人物の人格はくっきり浮き出たさなくてはならないということです。ふわふわとした人間らしいハートをもった登場人物ではあってはならないということです。

もしくは、優柔不断な性格の登場人物を出すなら、終始一貫してその人格を通さなければならないんでしょう。たとえば、ラディゲの「肉体の悪魔」の「僕」。ラディゲのすごいところは、彼独自の小説の方法を最初から最後までやり通すというところにあると思います。
「ドルジェル」にはそれが顕著ですね

しかし、そうやって一本化された人格が、ある時点で別の方向に変わるとき、小説の話が転じていく契機になるのも真実である「春の雪」の清顕のように。

実は「雪国」も同じ
駒子の愛情が高まっていくのを危険に感じた島村が「もう駒子には会いに来ないほうがいい」と思うところや、駒子が、自分が所詮島村の愛人であることを知りつつも、そうやって島村への愛情を高めていくこと自体がこれにあてはまる。


本日のワタシ的ニュース
引越しを考えている。
どこに住もうかな。今日、不動産屋さんを巡ってきましたが、やっぱり人気のある地域はそれなりの理由があることを、その街を歩いていて実感しました。家賃は高いよ・・・

R.P.G. 宮部みゆき 

2007年02月23日(金) 1時35分
ミヤベミユキという有名な女性作家がいることはもちろん私も知っていましたが、これ、私が初めて読んだ本です。
なぜこの本だったかというと、小さな図書館にあったのがこの本だったからで、ほかの本を選ばなかったことに特段意味はない

おもしろかった
夜中に読み出して、読み終わるまでやめなかった。朝になったら仕事があることが気になったけどやめられなかった「R.P.G.」という題名も可愛くて小憎たらしかった。

一美がマジックミラーの向こう側で取調べの様子を観察している場面で、私は、
「あ、このテレビドラマ化されたやつ、前に見たことある」
と思い出しました。
なんとなく。誰が出演していたとかは一切忘れていたし話の筋もなんとなく嗅ぐことができたけど、でも、なんとなく思い出しました。



殺された「お父さん」の女たらしぶりがもうちょっと説明されてればいいのに、というのも正直な感想。「お父さん」の人物描写がもっと欲しかった
もしくは「R.P.G.外伝−所田良介物語」的なものがあってもいいと思うぐらい、所田良介の輪郭ははっきりさせられるものである。それぐらい「お父さん」の存在は、濃い。

もしくは、所田良介は冒頭で殺されることによって小説内での彼の存在意義が「スタート」して、その死後に生き様を浮き立たしていく方法で、彼を蘇らせようというのだろうかそういう逆説でもいいのだが、とにかく後段でもいいから、もっと所田良介の人物像を細かに書いてほしかった。

再び作者の弁護をしつつ私の望みを言う。
所田良介は平凡な女たらしであるからこそこの小説はうまく出来上がっているのだろうか。私の訂正案は、「お父さん」がゲイであり、本当の目的がミノルであった、そしてその事実を一美が知ってしまい絶望して父親を殺した、というのは・・・午後のメロドラマ的で、中身のないストーリーに成り下がってしまうだろうか。


本日のワタシ的ニュース
久しぶりに、前の職場の同僚たちと会って食事した。ある一定の年齢を過ぎれば、後は老いが来るだけで、「変わったねぇ」という感慨は生まれてこないものなのか。それとも私の頭が固いのであろうか。

不思議図書館 寺山修司 

2007年02月08日(木) 1時23分
寺山修司の本はいくつか読んだことがある。
でも、この人の世の名声を私はまだ理解できていないこの人がものすごい人気のある人だということは知っているが、本を通しても私にはそれが伝わってこない。

確かに、いくつか飽きずに読んでいるので、面白いと思うから氏の本読みが続いている。
でも、世間が思うような「これはすごい人!」という思いまでも抱いたことがない。
好きか嫌いかでいうと、好きなほうなんだけど。

私の本のチョイスが悪いのだろうか

さて、この本は題名のとおり、著者が外国の古本屋などで見つけた「これは」と思う本を紹介してくれている。彼の趣味嗜好はなんだか渋沢龍彦にも通じるところがある。
私は渋沢氏も好きである。

目次には、
「ロボットと友だちになる本」
「フェチシズムの宇宙誌」
「サディズム画集の中の馬男たち」
「切り裂きジャックのナイフ入門」

などなど、目次を見るだけでも楽しそうなお題が続いている。
写真や挿絵もたくさん使われているので、それが更に読者の興味をそそる作品になっている



最初の題目は「市街魔術師の肖像」である。
ここには、先だっての「空のオルゴール」(中島らも)にも出てくる「ハリー・フーディーニ」が紹介されている。
フーディーニは20世紀初頭に活躍した人である。この人は「エスケープ・アーチスト」と人々から絶賛された。手錠をかけたり拘禁服を着せられたりしてもいつのまにか脱出してしまうのだ。

もうひとつ面白かったのが「髭のある女の実話画報」
その名の通り、髭が長く生えて伸ばしていた女性を紹介している。
この章にある一文が今までの私の考え方を大きく揺さぶった

「ヒゲ女も、女装の男も、究極的にはもう一つの性を衣装としてまとうことによって、「変身する」のではなく、両性を具有し、より自らを補完強化しようとしているのである」

私の考えはヒゲ女も女装する男性も、「変身願望」すなわちメタモルフォーゼを求めているんだというものであったが、氏はそこから更に進んだセオリーを持っている人であった。


今日のワタシ的ニュース

実家にある荷物の整理をした。
中学の頃に大切に取っておいて今まで押入れの奥にしまわれたままになっていた某アイドルの写真を、、、捨てることにした。

空のオルゴール 中島らも 

2007年02月07日(水) 2時25分
中島らもの本は今までにほとんど全部読んでいる。新宿でのトークライブに行ったこともある。それほど好きな作家だ。

「空のオルゴール」は、奇術師VS暗殺軍団の物語暗殺軍団が奇術師グループを追い掛け回すという設定。パリが舞台。奇術師のトリックや殺人技やパリの風俗などが出てきて、「中島らもらしい」一冊に仕上がっている。

それにしても、今まで氏のほとんどの本を読んできた私にとって、なんとなく消化不良に終わっただって、今までのエッセイで使われたネタやエピソードがそこらじゅうに出てくるんだもん。
暗殺軍団が「ファンダメンダリスト」であるっていう根本的なところから、既に使われたネタである。「ファンダメンダリスト」とは、聖書に書いてあることをそのまま信じて、世界は神様が創造した、と信じている人のことである。



氏も自らよく言っていることであるが、「自分はエンターテイメント作家である」と。
その言葉はこの本にも当てはまる。おもしろいよ。消化不良だけど、おもしろかったよ。電車とか飛行機とかに乗っている間に読むには最高の本だと思う
私はこの本に引き込まれた。本屋で買って、家に持って帰ってきて、読み出したら最後まで止まらなかった最後にくるまで読むのを止めなかった。
まあ、そもそも私は中島らもが好きだから、というのも大きな理由なんだろうけど。

私は手品が好きである。テレビでプロのマジシャンが手品をやっているのを見ると、頭の中は「???」でいっぱいになる誰だってそうだろうけど、トリックがあるのは分かっているのに、騙されるもんかとがんばって注意して見ているのに、本当に500円玉がどこかに消えてしまったり、切断された人体がまたくっついたりする。

この本の中にはそういう手品のネタ晴らしもいくつか載っているので、興味のある人は一読をお勧めする。

それにしても、新潮文庫、文字が大きくなったなあ一昔前の文字の大きさのほうが私は好きだ。ま、単にそれに慣れているからかもしれないけど。


本日のワタシ的ニュース

久々におばあちゃんに会いに行った。私が遠くにいたせいで、なかなか会えなかったのだ。
おばあちゃんは一回り小さくなっていた。

道具づくし 別役実 

2007年02月06日(火) 1時24分
電車に乗っている間ヒマするだろうと思い、本棚からこの本を抜き取って、出かけた。
何年かぶりに再読する本である。

さて、これはウソ八百で塗り固められた本である
昔からある伝承や、昔から伝わっていそうな物をそれっぽくでっちあげたりして、民俗学のパロディに仕上げている。


例えば、「ほぞ」の段。
「ほぞ」すなわち「へそ」は、昔の人はこれが性器であると教えられた。
年をとって生殖機能を失ってから、これが実は生殖器だった、と教えられて「ほぞを噛む」云々

「とぜんそう」はこんな感じ。
「とぜんそう」は麻薬の一種で、幻覚をもたらすものである吉田兼好はこの幻覚作用の中で徒然草を書いたので、文学研究家は同じ幻覚状態でこれを読まないと本当に理解したことにはならない。とぜんそうは中国に原生しているので、成田空港では、中国行きのフライトの乗客に対して荷物の中に徒然草の文庫版を持っていないかチェックするのが厳しい、等等。

何も知らない無防備な人が読むと、一見本当らしくかかれているのでこれを鵜呑みにするかもしれない。「内閣府統計局の調査によると」などという記述もそこらじゅうに出てくるが、パロディなのである。

この本の面白いところは、民俗学者のみならず読者までも馬鹿にしている著者の態度が私の気に入る。注意書きで「全部ウソです。ごめんなさい」などという言い訳は出てこない最初から最後までウソをつきとおしているのが面白い。
ウソ八百の本を書いてやろうという、著者の心の余裕もおもしろい。

先に書いた「ほぞ」や「とぜんそう」のほか、50個ほどのネタがこの本に収められている。
こういうネタの2つ3つを飲み屋に持っていって酒が回ってきた頃に相手に話しておちょくるのも面白いだろう。
若い女の子などは信じ切ってしまって「物知りですね」と尊敬してくれるかもしれない。


本日のワタシ的ニュース

数年ぶりに大阪はミナミに行ったら、ナンバの駅前に丸井ができてた。びっくりした。


プロフィール
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    ・旅行-満員電車がイヤになるときがあります。。ほぼ毎日ですが。。そんなときは迷わずバカンスですな、バカンス!!
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まあいわゆる、読書日記です。

な〜んにも考えずに、パラパラと書いていきますわ。
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