頭が働かへんので働かん頭を働かすためのアレ

November 12 [Mon], 2012, 19:58
肩肘はっとっても書かれへん。
ので、言葉を身体感覚に近づけるための準備運動として書く。
意味がある文章は書かへんつもり。
小説書くときに何考えて書いてますか。
ちうことを考えてた。
この質問は結構いろんな人に答えてもらいたいなあ。
小説は基本的に構造物やので、この質問の答え見れば、自分が書く、小説ちう構造物をその人がどういうイメージで捉えとるかということが分かるはずや。
うちは基本的に、小説は川のような流れとして捉えとって、これは静かな小川ちうよりも、大雨のあとの濁流のようなイメージやね。
勢いで書いとるときはそういうイメージが優勢になります。
という感じにうちの場合、今まではこの、川、ちうイメージが多かってんけど、最近は他にもルービックキューブみたいなイメージが浮かんでくるようになってきた。
小説ちうんはいろんな要素からなっとって、その要素を組み合わせて話を進ませていくわけやけど、その要素の組み合わせをパズルみたいに組み合わせていく感覚がルービックキューブのイメージに合致しとる。
一人称で書くときは川のイメージになりやすい。
複数人称、あるいは一人称と三人称を組み合わせて書くときは、多角的な視唐塔A入できるからルービックキューブのイメージになりやすい。
一人称と三人称を組み合わせて書く作風を最近編み出してんけど、これはかなり書きやすい。
基本的には地の文を軸にして話を進めんねんけど、場面場面で登場人物の視唐参照していくことで、多角的な、立体的なストーリーテリングが出来るようになった。
ルービックキューブのイメージで書く場合、小説ちうんは基本的にはパズルみたいなもんやと思っとる。
この場合のパズルのルールは、導入した要素を矛盾なく使ってストーリーを導くこと。
最初から終いまで主人公の一人称で話を進めるときは、話を進める上での矛盾はあんまり気にしなくてええねん。
というのも、ある程度までの矛盾ちうのは主人公の性格や個体差として処理できるから。
因みにこの矛盾をあえて大きく取って書けば純文学とか不条理系の話を作れるようになる。
けど、一人称と三人称を入れ替えながら書くときは、そういう矛盾はないほうがいい。
というのも、ルービックキューブのイメージで書くときは、複数の登場人物の行動を束ねることによってストーリーを紡いでいかなあかんから、矛盾が生じるとストーリーの全体像に死角が生じてもうて話の見通しが悪くなんねんな。
せやからエンターテイメントを目的にした所謂王道の小説を書くときは、一般従って書くほうが、最大公約数が取れるちう意味で矛盾を最小限に抑えることができる。
もっとも、矛盾を矛盾と思うかどうかちう定義は読者によって違うから、王道のストーリー書いてもそれに納得がいかん、ちう感想を抱く人間ちうのは一定数おるねんけどね。
話は変わるけど、キャラクター小説書くときは、どのレベルでキャラクター小説書くのかちうことを意識して書くとおもろい。
キャラクターにも色々あんねん。
一番深いレベルでは、作者自身が作品に合わせて作者ちう自分のキャラクターを用意する、というのがある。
要するに、作家自体を創作するちうこと。
作風によって筆名を変える、ちうところから、作品に合わせてまったく新しい文体を発明しなおす、ちうところまで、幅広い。
えぐいところで言えば、シブミを書いたトレヴェニアンは作品事に文体ちうか、作者のプロフィールそのものを変えてた。
つまり、まず作者の人格を創作してその作者に作品を書かせてた。
あと、確かリチャードマシスンかドナルドウエストレイクのどっちかやったと思うけど、自分は焼きが回ったロートルな作家や、ちう演出をするためにわざと綴りを間違えて小説を書いてたりしとったな。
キャラクター小説やったら、キャラごとに文体を変える、ちう工夫がなかなか書いてて面白いとこやと思います。
一番簡単なんは、方言キャラの一人称パートは方言で地の文書くとかするのが楽なとこやな。
文体はいくつか持っとった方が小細工効かせやすいと思います。
文体の小細工といえば思い出すことがあんねんけど、某ソフトハウスのエロゲを数作連続してやっとったとき、そのソフトハウスに所属しとるライターの一人が京都弁を持ちネタにしとるらしかってんな。
その結果、別作品に出とった、まったく縁もゆかりもないキャラがまったく同じ京都弁使っとって、立ち絵のビジュアルは違うねんけど同一人物にしか思えなかったちうことがありました。
あとはまあ、文章表現としての一番簡単なキャラのかき分けは、語尾を変えることやろな。
キャラのテンプレは常時複数用意しとくと便利が効いて良いです。
キャラとレズビアンいえば、頭に思い描いたキャラの特徴を二択か三択で答えてくと、そのキャラをズバリ当ててくるBOTが一時期流行っとったのを思い出すねんけど、そしてそういうのが流行るたびに、キャラクターちうのは要するに記号の集合なんやみたいなことを言い出すやつがおんねんけど、それはキャラクターだけやなくて物語そのものにも言えることやねんな。
要するに、物語ちうのはそれを特徴づけるキーワードに還元できんねんな。
孤独ロボット世界関係性、ちうたらエヴァやし、魔法少女魔女喧・永遠に交わらないプログラマ脳と営業脳、ちうたらまどマギやし、復讐侍子連れ一殺五百両、ちうたら子連れ狼やねんけど、作品が要素に還元可能ちうことは、そのまま、プロットも要素に還元可能、ちうことやねんな。
逆にいえば、プロット書くときは要素から書け、ちうことやねんけども。
時々ひねくれた作家がおって、プロットを最小単位の要素に還元してもなおややこしいような小説を確信犯的に書いとるのをみるとすげえ嬉しくなる、そういう作家は、何が物語理カゃ、じゃあかしわ、あほ、と言いたいのか、それとも変人なんか、あるいは単に何も考えてへんのかはしらんけど。
因みに言うと、そのようにして還元された要素ちうのはその作品のジャンルを決定するキーワードでもある。
物語には類型があるという説があって、世界に存在するあらゆる物語はその類型のバリエーションとして説明できるらしい。
敵を倒す話、人を許す話、困難を乗り越えて成長する話。
江戸川乱歩は犯罪の動機を集めたリストを作っとった。
タロットカードを三枚引いて、その順番にカードが意味する内容でストーリーを作れという練習もあるね。
同じカードの組み合わせからどれくらいの数の変種を作れるか、ちう挑戦もありやろね。
世界観を用意して、キャラクターの造形を用意して、行動の動機を用意して、ってすると、あとは筆が勝手に進んでいく書き方もあるんやろうけど。
想像力があれば物語は作れるし、その物語をどういう雰囲気の中で進めていくかで感想は変わってくるやろうし。
雰囲気を作るのは、小道具と、舞台と、文体と、時代背景と、その世界の中で働く常識、そして視唐フ切り方、かな。
要するに、やっぱり要素の組み合わせなんやと思うね。
話は変わるけど、新人賞取ったラベ読んでて思うのは、たいていの場合、どんでん返しが用意されてる、ちうことかな。
うちの感性で説明した場合、そういう作品のオチのつけ方は推理小説のトリックに通じる。
ポスト江戸川乱歩の時代、多分今から七十年くらい前に、夢野久作が、今後あらゆる小説は探偵小説として理解されていくのではないかちう慧眼を示しとったけど、その流れは今もまだ続いとるのと違うかな。
質はどうあれど、ちょっとばかりの意外性でスパイスを効かすちうのはエンターテイメントの基本なんやろね。
似たようなことを筒井康隆がSFに関して言うてたのを思い出す。
SFが、文学の傍流であることに恥の意識を抱いとった時代です。
確か、SFちうものはあらゆるジャンルを内包するだけの幅広さを持っとる、ちうような発言やったと思う。
江戸川乱歩以前の探偵小説は、エログロ言われて社会から見下されとった。
筒井康隆が出てきた頃のSF小説は、空想的言われて社会から見下されとった。
十年前のラベは、幼稚趣味言われて社会から見下されとった。
大抵の読書好きな人間は、まともな読み物とは認識しとらへんかった。
いずれも共通唐ヘ、玉石混淆やちうことで、雨後の筍のように量産された作品の中から残った作品が、今では名作ともてはやされとるちうのもまた共通項になってくるんやろな。
三十年後、ラベちうジャンルに対する評価はどうなっとるんやろ。
文学にも世代交代はあんねんで。
ちうのがうちの認識。
また嘘ばっか書いてもうた。
ちうことで、あったまってきたので小説書いてきます。
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