末法の世で想うこと  2

March 24 [Fri], 2017, 10:11





昨日は 籠池氏の証人喚問とそのあとの外国特派員協会での会見を


ずっと 中継で見ていた。


私はもう何年も前から TVを信用していない。


TVで放映されるほとんどは 見ている人を「誰かに」「何かに」対して


「そう思うよう」に都合よく 情報操作した内容を 見せていると感じているので


証人喚問については  最初から終わりまでを 生中継で見た。


報道されはじめると TV局によって  「どこを切り取って 見せるか」それぞれ違い


その組み立て方によって いかようにも見る側に「思わせることができる」


「そう思わせるよう」に 組立られたものは やはり公平だとは思えないし


偏りは  志向の洗脳さえ充分可能だと感じる。


つまり  どう行動させるかさえ 可能になっていく。


特に今の時代 物事の裏側が読めない、  言葉のニュアンスが感じ取れない、


余白が理解できない、  脳の人が多いのだから


簡単に その人の頭の中を書き換えることができると思う。















以前も書いたが  自分の内側には  小さいころから


いわゆる「良心」(魂)というものが 強く存在しているのを感じていた。


ときにそれは  畏怖を抱くほど強くて


成っていない 子供の頃の自分には 見張られていると  感じることもあった。


なので  私は 「心にもないこと」(魂が感じないこと)は 口から出せない。


行うこともできない。


もし それをやると  「良心の呵責」と言葉にすれば簡単だが


それはそれは  しんどい  重くて辛くていいようのない苦しみにさいなまれるので


アレを味わうくらいなら  


心にもないことは 言わない、やらない に越したことはないと ずっと思っていた。


いろいろあって(見えない世界に触れること)


内側の良心(魂)と肉体の 真の融合が果たせた今は  


良心(魂)の声しか 聴くことができない。


今も目が開く前の昔も  心(良心)に従うという生き方しかできない。


なので  世俗に居ながら 人の理からは  外れたところにいるのかもしれない。



だから  昨日の一連の動きの中にいる人々を 視ていて


いろいろな意味で すごいな と 感じた。


そして 彼は 「 日本も終わってるな」 と言っていた。


彼は  今までも書いているがとても力が強い(普通の人が言うところの霊的な力が)  


なので 視える世界が 違うので  何を視ているのかは わからないが


「言葉の表現」は  見えない世界のモノたちには  意味がない。 


つまり その人の心に惹かれてやってくるものが 憑いているものが視えるので


憑いてるものを視れば その人がわかるのだ。


地位も金も   表面的なことでしかない。


人としての在り方が  「見えない世界」と呼応する。


真理は未だに 古と変わらず  そこにある。


その「重さ」を  知らなければならないと思う。











 






今の末法の世で思うこと

March 22 [Wed], 2017, 14:23


一寸先は闇


ただ 何か重大なことが差し迫った時は 


いろいろなところから(見えない世界)知らせが来る。


つい最近あったことでは


昼間に 連続で ピンポーンと 訪問のチャイムが鳴ったのだが


出ると誰もいない ということが 続いた。


初日は 立て続けに 2回。


私は買い物で居なかったが4番目と5番目がが居た時に起きた。


1回目 ピンポーーンが鳴って出てみると誰もなくて


5番目の友達のいたずらかと思い  そのまましばらく モニターで外を見ていたそうだ。


そしたら 誰も姿が見えないのにピンポーンが鳴った。


以前住んでた家は 霊道になってしまったし  古い家で表札も出ていたので


「いわく」のある人の訪問(亡くなった人たち)は よくあって 似たようなことも良くあった。


彼が言うには


表札は  名が刻まれているので 


その家の祖先からの行いから来る いいことも悪いことも 呼ぶのだそうだ。


だから今は うちは 表札は出していない。


(今まで起きたことは見えない世界で 書いているが)


だから  別に  特別あわてたりはしない。


よくあること  だから。


翌日 私が居る時にピンポーンが鳴った。


チャイムが鳴るとモニターは まず見るが誰も見えないので  


やはり私も5番目の友達か何かかと思い


「お友達じゃないの?」と言いながら


玄関を開ける が  誰もいない。


茶の間に戻りその話をすると 


「そうでしょ? 昨日もだよ」と  そこで初めて聞いた。


ただ  出るときに  何か雰囲気というか何かを感じた。


何だろう とは思ったが 鬼気迫るものは感じなかったので  何も思わずそのまま。


そして 翌日。


車が突っ込んできた。







ものすごい 地響きと 家が揺れて 


最初は車が突っ込んできたとは 思わなかった。


足元の振動がすごかったから。


そしてピンポーンが鳴った。


あわてて 玄関に向かうと  もう 玄関の中におじさんが立っていて 


「すいません 車突っ込んじゃって直しますから


「大丈夫でしたか


と言われる。


外に出てみると 写真のようになっていた。


ただ おじさんも 大丈夫そうだったので


「お怪我がなくてよかったですね」  と言った。


おじさんが帰った後で  


「ああー  昨日までのピンポーンていう 姿の見えない訪問者は


このおじさんが 来てたんだなあ」と 思った。


来ていた人が残した 余韻というか雰囲気が同じだったから。


成る前から  大変だと 教えてくれてたんだと思う。



見えない世界では  全てがつながっている。



人の言うところの 背後霊とか守護霊とかは お互いに理解しあえる。


恋人同士や夫婦など想い合う者同士では  後ろの人たちも助け合うことができる。


今のこの末法の世で思うのは  もう みんな  信じていないでしょ? ということだ。


現在進行形で  3番目の友人は  憑かれて大変なことになっているが


本人が全く「コウイウコト」を信じていないので  どうにもできない。


ただ  多分  本人の中の闇が(マイナス感情)が憑いたものを招いたのだし


命に係わる感じもないので この問題は最終的に どういう形になっても


乗り越えられるのだろうし 彼女の今後にこの試練は 必要なのだろうと思う。





つまらないことに「気」を使うなと  彼に言われるが  最近その意味がとてもよくわかる。


今この文章を書いていてもそうだが


何かに集中すると  そこに自分の「思い」が集中する。



「気」が「集まり」集中してしまうのだと思う。


だから  ネット上で  変なものを読むなと彼に 言われる。


そこに込められる 「モノ」(気)を 吸うというかやはり拾うらしい。


私は  祓うとかができるような力は無いので ダメージを受けるようだ。


「日本会議の研究」を 読んでいた時も  彼に 言われた。


そんなことに  「気」を使うより 家族に使ったほうがずっといいのにと言われた。


ただ「気になる事」は 知っておきたくて  自分なりの昇華ができたので  「気」は澄んだ。



この末法の世は 様々なことが起きる。



それでも  今 自分は  彼と生きていられるし子供も授けられ


だんだん成長して 大人になりつつある。


毎日  そのために尽くせて  幸せだなと かみしめながら 


1日1日を大切に 過ごしている。


掃除をするときには  清めることに集中して 


みんなの健康や幸せをいつも思いながら  はたらく。


前にも書いたが


はたらく とは 働く(労働を提供してお金を得る)ではなく


はた  傍、 側、  他、 外、 自分以外の周り

らく 楽


つまり 自分が動くことで周りを楽にするという 


古からの 思いやりが根源の無償の行為のことだ。 


なので  家の中で はたらく だし 外で働いてもはたらくの心でいる。



生きるということの真の幸福は  やはり  我欲ではなく


愛(神仏の世界に)に任せるということなのだと思う。


ここでいう愛とは 人が思うような  すきすきみたいな恋愛感情の愛ではなくて


思いやるという ことだ。


世俗にいることは  憑かれて疲れる。


それが修行でもある。


いや  知らずに「気にかけて」 「気」を無意味に使ったせいかもしれない。



なんか  世の中 本気で末法の世なんだね。


でも 見えない世界はあるし  神の視えざる手は  いつも  導くのだ。


だから 何も心配せず 何も思わず (マイナスなこと)


おきてからで充分 間に合うのだ。
















イースター

March 22 [Wed], 2017, 14:09





今年は 4月16日がイースターだそうだ。

別にカトリック系信者ではないし

人が考えて作った記念日は 

どうでもいいのだが

このお人形が

お店で並んで売られていて とてもかわいかったので

飾ってみた٩(๑•̀ω•́๑)۶


自分を救うことができるのは自分だけだということを理解した方がいい。

March 22 [Wed], 2017, 10:27

以前から 以前にも書いたことだが。


再び。



信仰とか宗教とかを 自分とは別物と切り離して考える人が多い。


みんな信仰とか宗教というと


その場所(神社仏閣など)に出向いてお参りすること だとか


仏壇を持つことだとか 


あるいは何かを祀ることだとか


そこに祈りをささげるとか 


何か願うとか 


唱えるとか


そういうことを  宗教だ、信仰だ、と 思うのだと思う。


確かに 祝詞は効くし  お経をあげることで すーっと黒い影が引くこともある。


でも  その場所に行かなきゃいけないとか 祀るとか


仏像やそのほか 縁起物 開運ものに願うとか  そういうものに


頼り すがることが そもそもの大きな間違いだ。


信仰とは 生まれたときに すでに 自分のうちにあるものだ。


なぜなら 魂(良心)が あるからだ。


「胸に手を当ててよく考えなさい」 なんて 真理の名残の言葉だと思う。


要は 毎日を過ごす時に  何を思い 何を大切に思うか 


そこに すでに 眼では見えないけれど 神仏か あるいは魔が 呼び込まれて来ている。


それが  全て。


それが 自分を誘い 導く。


何も知らずに 思い描くこと   やっていること  そういう全てが


人としてどう生きるのかという姿勢が すでに信仰なのだ。


何かを特別にすることが信仰ではない。


人が考えた 神仏が 多く出回った結果なのだと思う。


何度も書いているが 神仏は人型ではない。


姿かたちは  明確ではない。


大いなる意志であり  世界の総意というか 「思い」で「思いやる」という「愛」だけだ。


今の世の中は 人が考えた神仏が まるで 本物のように祀られている。


そういう話ばかりが多すぎる。


他者を思いやるという 愛だけが世界の本流だから 世界は 自分を持たない。


全ては 他者のためであり  動植物全ては それを知っているから


その理に従い 命を全うしていく。


自分だけがという思いを抱くのは 人だけだ。


人が考えた神仏に頼れば  それはただの 人の我欲から出た思いでしかない。


何をどう願おうと  本当の神仏は 誰かだけ 何かだけをどうにかしようとは しない。


全ては 見えない世界で一つにつながっているから 絶対的な平等の中で


何かだけを特別にできるはずがない。


前にも書いたが 悪霊でさえ 人が考えるように完全に滅するということはない。


以前 「二男の悪霊憑き彼女の事」で起きたことはすべて書いた。


神仏の加護により 悪霊の力が衰えはしたが 滅されることはなく


 巣のような場所で 再びマイナスなものを集めて 又復活するのだ。


全ては平等に 許されて 存在している。


光と影は 同時にあるのだ。


陰と陽と同じように バランスだけが重要なだけ。


何物も  省かれることなく  全て平等に在る。





何かだけを特別にどうにかしてくれるのは神の顔をした 魔だけである。


我欲を強く持てば持つほど 一時的に 望みはかなうだろう。


神の顔をした魔が簡単に動いて望みをかなえてくれる。


でも本当の意味の幸福(見えない世界の中の)からは 遠ざかる。


良心(魂)がある限り  その思いに従い


素直な心で 見返りなど求めず いつも最善を尽くすこと。


自分の胸に手を当てて心(魂)がスーッと軽くなるような  生き方をすること。


自分の中の良心(魂)を信じること。


それが神仏と共にあるということで 人の言葉でいう信仰なのだ。


悪口や 妬みや 不満を持たないこと。


それらの暗い想いは 以前から書いているが マイナスなもので 魔は マイナスの塊だ。


マイナスな思いを抱けば抱くほど  魔が 忍び寄り  心(魂)に入る。


現状に不満があるなら 何かにすがるのではなく 己の心(魂)を見つめなおすことだ。


いま立っている場所は  自分の心が反映された場所であることを理解すべきだ。


自分の心が変われば それに惹かれてくるものが変わる。


すぐに大きな変化にはならないかもしれないが  時間をかけて


雪玉が 雪だるまになるように 大きくなっていく。


そしてそれが やがて 自分に返ってくる。


前にも書いたが 人はせっかちで 早く思った通りになりたがる。


だから 待てない。


「成らないこと」 には 理由があるのだが 


「どうして」 「なんで」 と 自分の至らなさに 気が付けない。


成るためには  成るためだけの  条件みたいなものが必要なのだ。


自分の魂が 世俗で物や欲の呪いで汚れて どうしようもなくなったときには


神社などでのお払いという清めも  必要だとは思うが


「信じていない」  「信じられなくなった」「自分の魂の声」を取り戻すのは


かなり 大変なことだとは思う。


新興宗教に入ろうが  何を唱えようが  何を祀ろうが それは自由だ。


だが しかし  自分の内側の魂の声を取り戻せないのなら  何をやろうと


今の状況から 真に救われることは ない。


自分を救えるのは 自分だけだということだ。


自分を見つめ  汚さを知り


良くなろうとあがくこと  それが修行なのだ。
















憲法と君たち

March 20 [Mon], 2017, 5:30




復刻新装版 憲法と君たち



内容紹介

日本国憲法がまだ「新憲法」と呼ばれていた60年前。

「憲法の生みの親」が、子どもたちに一冊の本を残していた。

憲法の原理と精神をやさしく語り掛けるように解説し、

「憲法が君たちを守る。君たちが憲法を守る」と呼び掛ける本だった。

日本国憲法が誕生して70年の今、

気鋭の憲法学者・木村草太首都大学東京教授の解説を付け、

幻の名著を「復刻新装版」として刊行!

憲法を知りたいすべての子どもたちと、
憲法が気になるすべての大人たちへ。




著者の佐藤功(1915-2006年)は、若いころ内閣法制局参事官などとして

憲法の制定に関わり、後に上智大学などで教鞭をとった憲法学の権威です。

この本で佐藤功は、憲法というものが、人間の歴史の中でどのようにして作られ、

なぜ大切にしなければならないのかを、やさしく語り掛けるように書いています。

圧巻は最終章の「憲法を守るということ」です。

「へりくつをつけて、実は憲法に

反するような法律が作られることがある」ことを説き、国民が憲法の最後の番人に

ならなければいけないと訴えています。


この本が書かれた1955年は、東西の冷戦が激しさを増し、改憲を求める声が

高まっていました。時代背景は異なりますが、再び改憲が現実的になっている今、

本書は改めて読まれる価値があると考えます。

巻末の解説で、木村草太氏は書いています。

「この本が書かれてから60年が経ったいま、憲法は、新たな困難にぶつかっています。佐藤功は何と戦うために

この本を書いたのかを想像してみてください」









戦争法案が強行採決されるごたごたのあたりで


 この本のことがたまたま情報として 入ってきた。


「日本会議」が 今の憲法はGHQが単日で適当に作った的 チラシを作りばらまいて


人々に訴えている。


「日本会議の研究」にも載っていたが  読んで思い出したことがある。


たしかあの時  憲法改正に関する大きな集会があり


TV報道されていたのを ニュースで見たと思う。


そこで  ケントギルバート氏が出てきて 自己紹介を 


「 日本国憲法を作ったアメリカ出身です」といった場面があって


そこに強い違和感を 覚えたことを  思い出したのだ。


あれが 日本会議が  それぞれの自分たちの団体を総結集させた集会だったのか と


理解できた。


同時に あの時の違和感がなんであったのかも  理解できた。


日本会議の研究を 読んだ

March 19 [Sun], 2017, 17:11




TVで報道されていることを見て よくわからないのでググったら

日本会議という名前を知った。

きちんと知りたいと想い  この本を買おうとおもった。


Amazonで 入荷待ち

楽天も同じ

地元のジュンク堂では 検索してみて棚を漁ったが 見つからず。

Amazonで22日以降 買えるということだったが 待ちきれず

Kindle版で購入  読んでみた。


「日本会議」のことは 知らなかったので いろいろ衝撃を受けた。


 この活動に参加する宗教団体のリストを見て  さらに震撼というか  絶望した。


籠池さんの名前も  塚本幼稚園の名前も出てくる。


証人喚問が行われるので  どうなっていくのかは  そこでわかると思う。


自分は  戦後という感覚さえない世代だ。


自分の父親も祖父も語れる戦争の経験がない。


「日本会議」を知って わかったのは 要は あの戦争の恨みつらみが ぬぐえない人たちが居て


信仰が源の理想を現実にしたいという想念だけで 頑張っているのだということを感じた。


これは驚きだった。


「今」が 「未だに 戦後だ」というのを  初めて実感した。


思想で理想を追求することは よくあることだが 


「人が考える信仰」が根源の思想は ものによって ひどい偏りをもたらすと思う。


誰が何を思い 何をしようとかまわない。


ただ 他人を傷つけたり 陥れたり 


一部のものを特別視するあり方は偏りとしか 言いようがない。


本当の神仏(世界)は 誰かを 何かだけを 特別に選んだりはしない。



「日本会議」の 前段階 「日本を守る会」ができたきっかけが 


伊勢神宮にお参りした際にうけた天啓であったのは読んだが


そこが一番  私を 驚愕させた。


今までも書いているが   神仏は世界そのものであり 愛という思いやりであり


人型ではないし 明確な形はない。


そして  真の世界(神仏)は完全平等なのだから  


誰かを何かを 特別に ということは起きない。


神社で声を聴いたなら 内容から考えて 


それは神ではなく自分に憑いていた何かではないのか。


神(天から)の ものなのか  自分に近いものからのささやきなのか


それすらわからないのか と驚愕し


もう  本当に 神仏(世界)の声は  人に届かないのだなと思い  


今の世の中の心(魂)の荒廃ぶりが深刻であることを 思い知らされた。


もう末法の世であることは よくわかっているのだが


ここまでとは  思いもよらなかった。








ショートブレッド

March 14 [Tue], 2017, 10:07

子供のホワイトデーの御返し用に作成。

以前は よく焼いていた時期もあったが

バターを大量に使うので 

沢山食べると 体に 症状が出るため

体のことを考え 作るのをやめていた。

たぶん市販のバターは ミルクの段階で薬で何かされていると思う。

市販のバターの共通のあの風味が その証だと思う。

無添加のよつばの生クリームで作ったバターには

あの風味が無いから そう思う。



子供がもらったチョコレートの御返しということで

久しぶりに作った。

ウォーカー社のショートブレッドが

最高に美味しいと思っているので

それを目指したレシピで作っている。

味見をしたが  やっぱり 美味しい。


( ´・∀・`)







NieR: Automata

March 06 [Mon], 2017, 5:39

4番目は廃人でチョーが付くゲーマーだ。


ゲームPlayを ちょくちょく 横で見る。


NieR: Automata は発売日に  朝一で買ってきた。


そして昨日 売った。


今現在  品薄ということだが  私個人としてはNieR: Automata は


手元において  Playをいつまでも眺めていたいくらいのゲームだった。


ストーリーは過去DODシリーズ   ニーアレプリカント と比べると


鬱感は抑えられている。


今までのストーリーにあったような


吐き気や憎悪がするほどの人の愚かさや腐り加減は  今回のニーアでは


万人受けを狙ったのか 薄い。


でも 話はしっかりしているし おすすめの 一番は  音楽の良さと絵の美しさ。


退廃した雰囲気   悲しさ  などに曲がマッチして素晴らしい。


ただのフィールドバトルでさえ   憂いを持つ名曲のおかげで


目が離せない。


「ひのきのぼう」を取ってのドラクエ風表示や 小ネタも満載。


そして小バグも 満載。  やたらバグが多かった。


Eエンド  その他 いろいろな死に方全部見て  サブクエ すべて完了 


武器 オールコンプ。


トロコンもして


エミールも 倒し  このあと追加有料ダウンロードコンテンツが出ない限り


100パーセント  やることがなくなって 売った。


4番目が  手放した理由は   Eエンドで  必ずオンラインで 他人の手を借りなければ


攻略できない演出が強制であったため。


孤高を誇るので  「助けてもらったら負け」という信念があるために


今までも  自分が他人を助けることはあっても  「助けられる」 は 


自害に値するほど プライドが傷つくことらしい。


屈辱を味わったということだ。


なので  本人にとって  あの演出は  くそ以外の何物でもなかった。


孤高でなければ  一般的には  あれは 最高に盛り上がる場面で


いろんな意味で  「泣ける」ところでもあるのだが


最後の質問に 「いいえ」で 答えて セーブデータ消去は  なかったものの


ニーアレプリカント と共に  売却されました。


売られた後  私は  はられたNieR: Automata の曲を


Play動画と共に  毎日  味わっている。


どれも素晴らしいが


ここに貼ったのは  特に  バトルが始まって  鳥肌ものだったシーン。


自分がゲームうまかったら  置いといて Playしたのになあって感じ。



NieR: Automata OST A Beautiful Song / Opera Singer Boss Theme +Gameplay / Spoilers

柔軟剤苦痛 身近な疾病知って   化学物質過敏症

February 21 [Tue], 2017, 13:57


他人の服に残る柔軟剤は「毒ガスの苦しみ」
 理解されない化学物質過敏症の患者



添加物を含む食品やアレルギーのある食材を見つけて

避けるなど食生活を見直すことで、

「別の物質の解毒作業を減らし、化学物質の解毒量を増やす」
記事本文より抜粋



うちも 化学物質過敏症になってから 4年目を迎えますが


まじで  添加物排除で  発症当時よりはるかによくなった今日この頃。


特に5番目は かなり  回復してきたようで


金曜土曜の週末に限り 市販のお菓子や


コンビニの揚げ物系や


コンビニのおでんなど 好きなものを食べる。


食べると頭がおかしくなって 


寝ないで大丈夫なテンションになったり


攻撃性が高くなったり喜怒哀楽の激しさが増すが


皮膚がかゆくなったり ぶつぶつが出たり


ただれるなどは 出なくなったので
(量的にそこまでいかない量を摂っているのかもしれない)

本人は  楽なようで 食べまくっている。


そこまで食べても割と大丈夫だったので


それならと調子にのって 昔好きだった  某有名メーカーのお茶漬けが


「食べたい」というので


週末に食べた。


月曜日 見事に起き上がれなくて


それどころか  意識がもうろうとした状態が長く 寝込んでいた。


まさかここまで 酷いとは 思わなかった。


以前  無添加という名目で添加物が一切表示されていない


ソーセージを食べたときは3日間  寝込んだ。


それに次ぐ 酷い症状だった。


油断したなーと思ったし 化学調味料の恐ろしさを痛感した。


回復してきたとはいっても  普通の人のように スーパーで買ったものを


バクバク食べるとか 外食三昧などということにはならない。


かといって   もっと良くなったとしても


添加物の恐ろしさは  良くわかったので 私はやはり 食べる気にはならない。



世間と付き合うためには最低限の 飲み会などへの出席は必要だから


それは仕方がないとしても  普段の生活は  変えないと思う。


リサイクル

February 18 [Sat], 2017, 9:09





着なくなった服でパッチワークをして


マルチカバーを作る。


まだ 並べて バランスをみているところ。


これは良くうちでやるリサイクル。


以前は ミシンがあったのでスピーディにできたが


今は  手縫い。


まあ  子供もみんな大きくなって  手がかかるということもないので


時間はあるから  チクチク縫っている。



カーテンや  間仕切りや 使えることに使い  



ざぶざぶ洗い



最後は  繊維がピッと 手で裂けるくらいになり  雑巾として使われ終わる。


色や柄は


好みのイメージが揃っているので


大体 雰囲気は バラつかない。


化学繊維の服は痒くなるので着ないので


綿や麻素材のものが多い。


なので いろいろ 再利用もしやすい。


古着で綿のオフ白のレーススカートを300円位で買って  


ペチスカートとしてあわせたりしていたが


着なくなったので  棚の目隠しカーテンに再利用して使っている。


綿や麻は植物から採るものだ。


そういう背景を考えても 


まあ  何だってそうなのだが


大事に最後まで使うということは  とても大事だと思う。


仕事をしていると 仕事にもよるが 時間が奪われるので   


その分 金で解決することが増えていたと思う。


学校で使う雑巾も 100均で買っていたから 子供に申し訳ないなあと


思っていた。


仕事してなかったら  


「古いタオルに  刺し子刺繍みたいにかわいい図柄をアレンジして作れるのに」


 とか


お母さんが手をかけた感じを  残せないのが  



申し訳ないと感じていた。



これって  自分の育った環境で そう思うのかもしれないが。

















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出てくる人

私  ちょー凡人
      化学物質過敏症になり
      普通の生活から離脱

彼 数千年来 
      一緒に転生を
      繰り返してる
      魂の伴侶 
      霊力が高い
      いろいろ
       お世話に
なってます

長男  魂の基本が 
      お坊さん
つか 常に
精神修行してる人 
今の人生での
      テーマも
       高い・・。
      20歳の時に
       発達障害を発見
       ASD
             
次男25歳 
       ASD障害 
  子育ての能力が
       欠落しているが
       何とか やっている
        様子。
       嫁は失踪から戻り
          モトサヤ
     
長女(3番目) 
     ッ霊感少女から堕落
      ASD障害とわかる
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たっくん(4番目)
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せつな(男) 11歳小5
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