アーダンや、その他、いろいろ考察

November 16 [Fri], 2012, 16:22
一般的[#「一般的」に傍点]な構造と運動形態とである、何故一般的であるか。世界観は存在論を、存在論は論理学を(又は世界観が直接に論理学をでも好い)発生し根柢づける、だから最も正常な――その意味で一般的な――理想状態の下では、世界観に於て現われる一つの特徴(例えばプラス+)は、そのまま(プラスとして)存在論へも論理学へも伝えられる筈である。一般的[#「一般的」に傍点]にはそうなのである。だが哲学が一つのイデオロギーであるという点から、当然に、世界観――存在論――論理学のこの二つの連絡点には、元来弁証法的な質的飛躍が含まれている。だからそこでは、後の者が前の者の特徴の符号を逆転するような機構も潜入することが出来るわけである。哲学のこの三つの根本契機は決して常に幸福な統一を持つのではない。例えば論理学と存在論との食い違い(方法と体系との乖離)又は論理学と世界観との乖離は、ヘーゲル哲学に於て人々が好く指摘する処であり、存在論と世界観との行き違いはニュートンの自然哲学などで最も有名である。一概に云えば、イデオロギーの歴史的発展の契機的な過渡期に位する諸哲学的思想は、多くそれ自身の内に矛盾を持つのであるが、その矛盾がかかる三つの契機の間の歪みとして現われる。この歪み、この食い違いは、哲学というイデオロギーの歴史的・現実的――弁証法的――発展の真理[#「真理」に傍点]を物語るに外ならない。だがそればかりではない、例えば物質生活に人間的関心を集中する物質主義的世界観の所有者が、却って精神主義的存在論を不随意に或いは故意に所有し又は之に左袒することは、人々の好く見る人間喜劇である(例えばセネカはこの点で評判が好くない)。
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:qjhbjmp7
読者になる
2012年11月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
最新コメント
ヤプミー!一覧
読者になる
P R
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
http://yaplog.jp/qjhbjmp7/index1_0.rdf