たまには強運

November 16 [Fri], 2012, 2:18
今日、21日の東京新聞の中のあの人に迫るという記事を読んで、ものすごく感動を覚えました。
ドイツのライプチヒのバッハ資料財団で広報を務めるという、高野昭夫さんという方株式会社アルメイダへのインタビュー記事です。
中学時代はたいへんないじめに遭いいつもひとりぼっち、そういうなかで、中学3年生だった秋のある日、いつも気にかけてくれていた音楽の先生が、音楽会に誘ってくださったのだそうです。
その晩その音楽会で、高野さんは初めて、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトなどの作品に出会うわけですが、中でもバッハのバイオリンとオーボエのための協奏曲作品番号1060に、世の中にこんなものがあったのかと、魂を揺さぶられるほどの感動を受けたのだそうです。
そうやって出会ったバッハを、翌日から高校卒業まで、市立図書館の視聴覚室で、休館日以外は毎日聞いた、と。
東西ドイツ統一の3ヵ月後、夜はマイナス20度という寒さの1991年1月に初めてライプチヒを訪れ、3ヶ月を、トマス教会の牧師館に1室を使わせてもらって滞在した後、何回もライプチヒを訪ねたそうです。
貧乏と闘いながら、バッハの研究者を夢見ていたもののあきらめ、いったん就職した高野さんですが、うつ病に陥り、仕事も辞めざるをえなくなり、コンビニで余ったお弁当で食いつなぐといった極貧の生活となります。
もうにっちもさっちも行かなくなった頃、ライプチヒのトマス教会の合唱団によるコンサートが東京で開かれ、そこの楽屋で再会した旧知のオルガン奏者の方が、ぼろぼろの高野さんを見てすべてを察知、高野さんは精翠ネを受診、うつ病と診断され、生活保護を受給できることになります。
ここで、医療と福祉に救われた高野さんは、ライプチヒのトマス教会のみなが心配してカンパを集め、そのお金で買ったライプチヒ行きの航空券を受け取ります。
そして、ライプチヒでバッハの生誕250周年を記念した行事の手伝いをすることになり、現在に至る、ということです。
新聞の記事には、もっと詳しく高野さんの心情が述べられています。
中3の秋に出かけた音楽会、それに誘ってくれた先生、ライプチヒのトマス教会の人々、ものすごい出会いではありませんか。
人自身は雛lになれるわけではないけれど、コンサートのチケットを、あるいは飛行機のチケットを、そのときそういう状態の高野さんに渡す、といった行為に、なんだか雛lの存在みたいなものを感じてしまいました。
そして、ずっと以前に読んで感動した、ユングのアフリカでの体験談まで思い出してしまった。
日の出を見たとき、現地の人が垂セと言ったのを聞いたユングが、あなたたちの垂ヘ太陽なのかと尋ねると、いや、太陽が昇る瞬間が垂ネのだと答えられた、といった内容だったと思います。
人と人との出会い、時代を隔てている場合も、時代を共有している場合も、すごいですね。
ほんとうにすごい。
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