第4回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会のご案内 

2012年01月23日(月) 12時25分
■日時 2012年2月18日(土)13時〜17時30分
■会場 立命館大学 衣笠キャンパス 学而館 第3研究会室

《来聴歓迎》

□研究発表
1 小説『山宣』と映画『武器なき斗い』における山本宣治像の研究
立命館大学大学院博士後期課程 雨宮 幸明
2 50年代における「白蛇伝」の受容 ―漫画映画『白蛇伝』を中心に―
立命館大学大学院研究生 禧美 智章

□ラウンドテーブル
1 安部公房作品の「子供」考 ―ネオリアリズモおよびチャップリンとの比較から―
立命館大学非常勤講師 友田 義行
2 古典の近代化という問題 ―〈原作〉の記号学―
北海道大学大学院教授 中村 三春
3 “調和”の物語を紡ぐのはなぜか ―1950年代短編アニメーションの脚色から探る―
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

専修大学村上春樹研究会 第1回研究発表会のご案内 

2011年12月19日(月) 17時37分
1Q84』をどう読むか
■日時 2012年1月14日(土)14時30分〜18時
■会場 専修大学サテライトキャンパス スタジオA
(小田急線向ヶ丘遊園駅北口下車。新宿より急行で約20分)

■ポスターダウンロード



□研究発表

『1Q84』と『リトル・ピープルの時代』
専修大学日本文学文化学科 米村ゼミ3年生

『1Q84』―"邪悪なるもの"を受け入れること
専修大学大学院生 徳江 剛

『1Q84』はどう読まれてきたか
専修大学准教授 米村みゆき

□特別研究発表

「あなたもかきかえている」―村上春樹『1Q84』再論―
北海道大学大学院教授 中村 三春

第2回 日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉研究会案内 

2011年11月24日(木) 15時42分
■日時 2011年12月17日(土)14時〜17時
■会場 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟 W409会議室

※参加歓迎

司会
北海道大学大学院文学研究科   
リサーチ・アシスタント  山田 桃子


□研究発表

〈退屈〉で〈うるさい〉テクスト―坂口安吾『吹雪物語』―
北海道大学大学院文学研究科   
博士課程  山路 敦史


□Session The Pure DAZAI 第2回

小説で倍音はいかに響くのか、言葉(ロゴス)はいかに表象するのか―太宰治「I can speak」前後―
北海道大学大学院文学研究科   
客員研究員  大國 眞希

パラドクシカル・デカダンス
北海道大学大学院文学研究科   
教授  中村 三春


北海道大学大学院文学研究科RAプロジェクト
「日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉の研究」


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

第3回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会案内 

2011年08月05日(金) 13時22分
■日時 2011年9月10日(土)13時〜17時30分
■会場 北海道大学東京オフィス

※参加は事前申込みが必要
(eメール、DMで9月1日(木)まで。会場の収容人数のため、お断りする場合があります。)

□研究発表
1 「文芸映画」について考えるとはいかなることか―ポスト占領期を中心に―
同朋大学非常勤講師 溝渕久美子
2 〈工房〉としての菊池寛
早稲田大学演劇博物館客員研究員 志村三代子

□ラウンドテーブル
1 戦後映画運動への一視点―〈シネマ57〉の顛末―
立命館大学非常勤講師 友田 義行
2 〈宮沢賢治原作〉とは何か―1950年代の児童向け映像の諸相―
専修大学准教授 米村みゆき
3 テクスト変換の諸相―〈原作〉の記号学3―
北海道大学大学院教授 中村 三春

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

第2回 1950年代日本〈映画-文学〉相関研究会案内 

2011年06月23日(木) 9時21分
■日時 2011年7月30日(土)13時〜17時30分
■会場 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟 W409会議室

《来聴歓迎》

□研究発表
1 鈴木清順の初期映画と1950年代の日活における文芸映画について
北海道大学大学院文学研究科博士課程 井川 重乃
2 第二次世界大戦直後の探偵小説と探偵映画―『獄門島』(1949)を題材に―
北海道大学大学院文学研究科助教 横濱 雄二

□ラウンドテーブル
1 日本映画と日本文学の相関研究史
立命館大学非常勤講師 友田 義行
2 俳優化の原理―〈原作〉の記号学2―
北海道大学大学院教授 中村 三春
3 大藤信郎のアニメーションにみえる神話的想像力
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

第1回 日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉研究会案内 

2011年06月15日(水) 7時27分
■日時 2011年7月23日(土)14時〜17時
■会場 北海道大学人文社会科学総合教育研究棟 W409会議室

※参加歓迎

□研究発表

梶井基次郎「器楽的幻覚」論
北海道大学大学院文学研究科   
リサーチ・アシスタント  山田 桃子


□Session The Pure DAZAI 第1回

水中のミュートとブレス―太宰治「秋風記」論―
北海道大学大学院文学研究科   
客員研究員  大國 眞希

太宰・ヴィヨン・神
北海道大学大学院文学研究科   
教授  中村 三春


北海道大学大学院文学研究科RAプロジェクト
「日本モダニズム文化における〈知覚の変容〉の研究」


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

2010年度第3回 日本比較文学会北海道支部研究会案内 

2011年03月09日(水) 13時54分
=一般来聴歓迎 聴講無料=
■日時 2011年3月19日(土) 15:00開会
■会場 北海道大学 W講義棟 W205号室



全体司会 北海道工業大学 梶谷 崇

*14:00 開会の辞
北海道大学 中村三春

○研究発表1 15:10-15:50
表象された「原爆」―映画『二十四時間の情事』と『さらば 夏の光』をめぐって―
北海道大学大学院修士課程 朱依拉

○研究発表2 15:50-16:30
〈同化〉と〈抵抗〉―村山知義「明姫」を中心に―
北海道大学大学院博士課程 韓然善

◆比較文学・比較文化 名著読解講座 第4回 16:30-17:30
鈴木禎宏著『バーナード・リーチの生涯と芸術―「東と西の結婚」のヴィジョン―』
北海道大学大学院修士課程 井上裕子

*17:30 閉会の辞
北海道支部支部長 飛ヶ谷美穂子

(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

第1回 1950年代日本〈映画−文学〉相関研究会案内 

2011年02月14日(月) 16時06分
■日時 2011年3月12日(土)13時〜17時30分
■会場 北海道大学東京オフィス

※参加は要登録。一般公開はいたしません。

□研究発表
1 『彼岸花』・『秋日和』成立の背景―「原作:里見ク」の意味するもの―
早稲田大学オープン教育センター研究助手 宮本 明子
2 戦後イメージのなかの1950年代―押井守作品を基点に―
日本学術振興会特別研究員(名古屋大学) 水川 敬章

□ラウンドテーブル
1 日本映画と日本文学の横断的研究動向
立命館大学ポストドクトラルフェロー 友田 義行
2 〈原作〉の記号学―『羅生門』『浮雲』『夫婦善哉』など―
北海道大学大学院教授 中村 三春
3 1950年代における大藤信郎のアニメーション的想像力―「国歌 君が代」に着目して―
専修大学准教授 米村みゆき

科学研究費  基盤研究(C) 課題番号22520120
「1950 年代日本映画と日本文学との相関研究」(研究代表者 中村三春)


(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

2010年度第2回 日本比較文学会北海道研究会のお知らせ 

2010年11月05日(金) 10時18分
=一般来聴歓迎 聴講無料=
■日時 2010年11月20日(土) 14:00開会
■会場 北海学園大学 豊平キャンパス D42番教室(7号館4階)



全体司会 北海道大学 中村三春

*14:00 開会の辞
北海学園大学 テレンクト・アイトル

○研究発表1 14:10-14:50
道教と室町時代の物語―お伽草子『不老不死』、『蓬莱物語』、『すゑひろ』について―
千歳科学技術大学 王建康

○研究発表2 14:50-15:30
画家の眼差し―北野武『アキレスと亀』のパラドックス―
北海学園大学大学院博士課程 井川重乃

○研究発表3 15:40-16:20
都の記憶―芥川龍之介「杜子春」論―
北海道大学大学院研究生 高啓豪

◆比較文学・比較文化 名著読解講座 第三回 16:30-17:30
西成彦著『森のゲリラ−宮沢賢治』
北海学園大学大学院博士課程 吉村悠介

*17:30 閉会の辞
北海道支部支部長 飛ヶ谷美穂子

(発表要旨は「続きを読む」をクリック)

昔、書店というものがあった 

2010年09月21日(火) 17時08分
 もちろん、今でもあります。しかし、街中の小さな個人経営の書店は、めっきり数が少なくなりました。

 高校時代、授業をサボっては、通りの小さな書店で本を見ていたものです。覚えているのは、一度など、ぶらっと入って文庫本のシャルル・ペロー童話集を手に取り、欲しくなって買ったことがあります。だいぶ後になってからも、隣の席の女の子に、「あのとき、あなたは授業をエスケープして、ペローの本で憂さを晴らしていた」と言われたものです。授業をサボって本屋に行く! そういうことが、別にキザでもなく、普通に行われた頃でした。

(「頃」というのは曖昧ですが、「年齢」「時代」「街」など、そういう曖昧な指示語です。)

 当時の材質のせいでしょうか、文庫本にも、特有の匂いがありました。悪い匂いではありません。また、その表紙や頁の紙の手触り、一歩入り込むと、小さな店なのに外の騒音が一瞬消される、そうした安心感。小さな書店には魅力がありました。

 今や、全国チェーンの大規模書店が、中核都市のどこにも進出して、個人書店の多くは淘汰されてしまったのでしょう。電子書籍が普及して、紙の匂いや手触りもまた、昔のことになるのかも知れません。けれども、考えてみると、幼い日から今に至るまで、私の周りにはいつでも本があって、商売っ気抜きにして、本とともに生きてきたというほかにありません。

 私は、本があるということ、本が提供されるという、一見当たり前のことに感謝したいと思います。どんなものよりも、自分を取り戻すきっかけとなるのは、たとえ、あの匂いや手触りがなくなっても、本にまさるものはないからです。

 ―これは、出版社・書店の集会で講演した際に、話の枕にした話題です。