もらったマウスパッド

June 01 [Fri], 2012, 23:15


お土産だと父からもらったのですが、一体どうしたら…
輝宗さんのマウスパッド。まさかお顔の上でマウスがりがりやるわけにもゆかないし。
飾るべき?しかしなんで輝宗さま…

ブーム

April 13 [Fri], 2012, 0:24
最近家族でへうげものにはまりました。
アニメが地上波で始まるというので見始めたら面白くて、買ってきたら乗り気だった母だけではなく父まではまりました。
現在コミックスを回し読みの取り合い状態です。

日本前近代史の中で最も興味がなく、両親共に日本古代史の人でもあったので(縁結びが奈良時代の政治史の人達なので)戦国時代は縁の薄い時代でしたがBASARAと鍋のおかげで相当に我が家で身近な時代になりました。
今では食卓での話題が政宗公の祖母の墓の場所です。
日本史のプロと地元史ボランティアと日本中世文学囓った人間で構成されているので残念レベルでマニアックです。
ただ一番残念なのはそんな話題になる度に、同人誌のネタになるぜ☆って思っちゃうことですね。まあ…更に残念なことに今まで一度も実践はしていませんが。
何にせよ詰め込みでも知識があれば思わぬところで楽しめたりするので勉強はできる時に十分やっといた方がいいですよ、ってちょっと教育的なこと言っときます(´▽`)

何はともあれ世間の流れからかなり遅れましたがへうげもの楽しいです。
信長様かっこよすぎる!
フルッチ(鍋での古田さんのニックネームですよ)も超かっこいい!
しばらく我が家では戦国ブームっぽいです。ほんと世間の波に乗り遅れてる。

充実した一日

August 23 [Tue], 2011, 23:09
ひっさびさに仙台市博に行ってきました〜。
何ヶ月ぶり?7ヶ月ぶりくらい?

企画展も常設展もすっごく満足な展示でした。
仙台市博のいいトコどり、って感じで。
企画展は館蔵名品を集めたもので、正直この五年ほど常設展が季節ごとに変わる度に通っていた私にはどれも見慣れたものですが、だからこそ見たいものが見れた、そんな感じです。
良い物ぞろい。仙台市博がどういうところなのか、仙台がどういう歴史をたどってきたのか、常設展と併せて見ればよく分かります。
おとといで展示が終わってしまった物も数点あって残念でしたが、9月から展示が大きく変わってしまうので、その前に行けて良かったです。
水玉陣羽織も見れたし、伊達のブラックボックス(伊達騒動後の書簡を詰めた箱)も見れた、政宗公筆の道の記は二年ぶりくらいにお会いできました。
正直これらのものが前期だけの展示だなんてもったいないわ、見れなかった人はかわいそう、おほほほ〜と、見ることができたことを無意味に自慢したくなる感じです。
企画展はそりゃもうたくさんある市博の所蔵品の中から選び抜かれた百点が並んでいるので、どれも見る価値100%のものでございます。
半分くらいが前期後期で変わるから、正式には名品百点ではなく、名品百五十点くらいですが、後期限定の名品も十二分に期待ができそうな余力を残した展示でした。
なぜなら私の大好きな梨地の鏡台?化粧箱?か何かがまだ出ていないのです!
他の梨地はたくさん出ていましたが、確かに私の好きな何か(何だったかなー…)が出ていない!
政宗公の代表的な書状もあまり出ていませんでしたので、後期に出るのかもしれません。
どちらかというと立体物が多く、書状の類が少なかったのが不満ですが、書状が多いと見るのが疲れるので、これくらいがちょうどよいのかもしれません。もうほとんど読めなくなっているし(..)

長くなったので追記ヘ

私と『平家物語』と研究と

March 01 [Tue], 2011, 0:16
最後の研究発表の場を明日に控えなんだか少しわたわたしています。
体調的にも気持ち的にもパソコンになかなか向かえなくて、正直やっつけ仕事になってしまったような恐れもありますが、修論でやり残した卒論で本当にやりたくてできなかったことを何とか手がけることができました。
出来はともかく、修論では先生たちに未開拓の分野を丁寧に考察したことを評価していただいたテーマであるし、最後の授業(ではないけど)と思って勉強してこようと思います。


今日はほんの少し真面目な日記です。長いです。楽しくないです。

正直研究と離れるということがまだ実感できません。
そりゃ、修論終わってもその発表会と口頭試問と明日の発表と修論の雑誌論文化と今までにないほど自身の研究に打ち込んでいる2ヶ月間ですからね。ぐーたらしてたけど。
この5年間本気で『平家物語』を愛してきました。
この作品に向かい合ってたくさん泣きました。
思えば物語の中―漫画とかゲームも含めて―人が死ぬということの重さを教え叩きこんだのが『平家物語』でした。
『平家物語』を読んで、心から愛して、研究して。
『平家物語』の物語内の人の死に何度も直面して何度も落ち込んで時には泣きました。
遺された人の悲しみ、それを乗り越えなくてはならない悲しさと強さ、人を遺して逝かねばならない苦しみ。
フィクション、ノンフィクション問わずそれを伝えるメディアは多々ある中で、どうして私がこの作品で最も強くそれを感じたのかは分かりません。
けれど、『平家物語』が平家滅亡後50年経たず原型が作られ、その後100年以上かけて現在読まれるような形ができて、それがお能や歌舞伎なんかの二次創作をされて、現在でも漫画やゲームやドラマの種となって、それぞれの時代の人たちを楽しませ涙を流させてきたことを思えば、私が感じた様々なものは当然のものなのかもしれません。
その意味で私は『平家物語』を批判研究する立場には立てていない。
それを教授や先輩からも散々指摘されてきました。
でも、今研究を離れる時期に来て、これはこれで良いのではないかと思うようにもなりました。
批判は必要。私だって批判する時はするし、『平家物語』の中身を美談としてとらえているわけではない。
けれど、批判して粉々に解体して打ち崩してしまったら、それは私の愛するものではないと思うのです。
本当に好きだからこそ見えるものがある。もちろん同時に見えないものもある。
でも360度全ての視点を持つなんて無理だと思うんです。
自身が持っていないことは自覚しないといけない、そのような視点があることを理解しなくてはいけないけれど、だからと言ってその視点を無理やり自分のものにする必要もないのかなって。
もちろんこれは逃げです。
でも私が『平家物語』を読んでその内容に感情のままに泣いてその人たちを想うには逃げなければならないところもあった。
『平家物語』に書かれた人物≠実際の人物であることはもちろんです。
私が泣くその理由がどちらの人物に当てられたものなのかは分からない。
本当に好きなのは歴史上の平家の人物なのかもしれないと思うこともありますが、でも私がその人物を知るのは『平家物語』がやはり大きいんですよね。
『平家物語』や他の史料・資料、あるいは『平家物語』の虚構性そうしたものを全て受け入れて、私は『平家物語』が好き。
そうしたもの全てを含みこんでいるものが平家物語なのだと思います。
だから『平家物語』の何が好きなのか分からなくなってもやもやした時もあったけど、今は『平家物語』のことが本当に好きなんだ、愛しているんだって大声で言えます。
本当に大好きです。

冗談ではなくて、たぶん私が研究を離れることで私が研究している…してきた『平家物語』のその分野の研究は何年も遅れます。下手したら何十年。
この70年間本当に触れられていない分野だった。今後急に進むとも思えない。
でも、後輩に私の研究に興味を持ってくれたコができた。
私のこの4年間の研究生活…長くないけどその中で一番の成果が他人にその面白さを伝えられたことだと思います。
もしかするとその子が研究をしてくれるかもしれない。私が見えなかったものに手を出してくれるかもしれない。
後から来る者に感じる焦燥とかも実はあります。でもそれでも期待感が大きい。
論文化しないかというお誘いに前向きな返答ができたのも私の論文を読むことで誰かがその研究に興味を持ってくれることを期待するからです。

特にこの3年間は本当に研究が生活の一部で、正直周囲よりもぐだーっとしていたことも知っているんですが(汗)、それがなくなる日々が来るということが良く分かりません。
とは言え、今後も本格的に腰を入れたものではないけれど、日本文学の研究の同人誌にお誘いも受けているので完全に切り離されることはなさそうです。
「呟き」程度だろうけど、その内生活が落ち着いたら『平家物語』ブログでも立ち上げようかなーと思っています。
だって、本当に好きなんだもの。
『平家物語』で同人はもう無理だと確信したのでしませんが、これからもずっと愛してゆきたい。
第一線(ではないけど)を退いても携わってゆける、それが文学研究の素晴らしさだと思います。

うーん、なんだか学生生活の総括みたいになっちゃいました。
本当に研究が好きだったんだなー。その割にはサボってばっかりだったけど。
本気で専門職として研究を続けるなら触りたくないものに触らないといけない、持ちたくない視点を持たないといけない、『平家物語』に泣いている場合ではない、それが研究を止める理由です。たぶん最後のが最大。
晩年になって一冊くらいエッセイでもなんでも『平家物語』の本を刊行できたらいいなーと夢を持って生きてゆこうと思います。
人生の夢がまた一つ増えた。

では明日発表してきます。

驚き

February 17 [Thu], 2011, 21:38
修論に関して、思ってもみないことを主任教授より聞き、今日担当教授と話をしてきました。
本当に想定外もいいところで、非常に動揺しています。
それはこの2年間…いや6年間の全てが報われても余りあると思っています。
内部のものとは言え教授に雑誌に掲載する論文化を勧められたということに修論での苦労が吹き飛ぶ感じです。
平家物語の和歌研究という先行研究がほとんどない分野であったことが評価されたのかもしれませんが、発表にしろレポートにしろ余りお褒めの言葉をいただくことはなかったので驚くやら嬉しいやら。
人生何があるか分からないなぁと遠い目をしてみたり。
まさかまた修論に向き合うことになるとは思わなかったので、複雑な気持ちもいっぱいですがせっかくのチャンスなのでやってみたいと思います。

それのための論文執筆の期限が来月末までなので、HARUコミの新刊がほんと危うい感じなのですが、こっちもこっちでちゃんとスペースいただいたわけなのでできるだけ頑張りたいと思います。
まだ昨日の日記のもやもやは解決しそうもないわけですが、せっかくスペース取れたわけなので何かしら本は作りたいと思います。


学生生活最後の最後で急に忙しくなりました。
頑張って行かないと!

無事に

February 15 [Tue], 2011, 10:56
昨日は無事に口頭試問を終えました。
とにかく怒られた卒論時とは違い、事態が飲み込めないくらいにお褒めの言葉をいただき驚きました。
3人の教授を90分間独り占めで平家物語の和歌についてだけ一緒に考えてもらうという貴重な体験。
なんかとても幸せでした。
私は平家物語の和歌が本当に大好きなんだと実感した一日でもありました。
あと一回学生間発表会みたいなのがあるので、そこでも愛を前面にして最後の発表を楽しみたいと思います。

文学的気分

December 26 [Sun], 2010, 21:40
毎度のことですが鎌倉へ行きました。
今日は甘縄神明宮と鎌倉文学館と吉屋信子邸という地味なラインナップでした。
地味っていうか文学館以外はマニアックというか・・・。
でもるる〜ぶにも載ってるんだよ!

甘縄神明宮はこれっぽっちも期待していなかったんですが、それが申し訳ないくらいに正に好みの神社でした!
何にも無いのですが、雰囲気が最高!
ほかに誰もいないさびしい感じと、昔からの信仰を集めてきたのだろう佇まいに胸がいっぱいになりました。
北条氏の何代目かの産湯に使ったとされている井戸なんかもあって、ほんと何もないのですけど、私には十分楽しめる場所でした。
社もいくつかあって、全部は回りきれなかったけど、今でも信仰を集めているように感じられてすごく良かったです。
他に行く場所がなくて、そしてもう少し風が弱かったらベンチでしばらくぼうっとしていたい雰囲気。
鎌倉のお気に入りスポットがまたひとつ増えました。
おすすめはしないけど、よいです、甘縄神明宮。

文学館は一度研修旅行で来たことがありましたが、その後鎌倉に行くときがなぜか常に月曜日の休館に当たってしまっていたので、今日はようやくこられた気持ちです。
旧前田公爵家の建物もすばらしいし、時期さえ合えば薔薇園もすばらしい。今は冬なので葉っぱばかりでしたが。
で、なぜか文学館の中で文士たちの文学への想いとか、それを守ってきた鎌倉の人たちの想いなんかを感じていたら、吉屋信子の直筆原稿の前で泣けてきてしまって、特別展の井上ひさしのコーナーの前でぼっろぼろに泣いてしまいました。
その場所に人がいなくてほんと良かった…。
決して泣くようなポイントではなかったはずですが、末端の末端であっても文学研究に携わっている身として(まだ過去形じゃない、よね)どうにもこうにも感じ入る場所があったようです。
文学の価値って難しいよね・・・。なくても生き物としては生きてゆけるんだもん。でも、文学があるからこそ人は人として生きているのかなって最近思うようになりました。文学を文化と入れ替えても勿論。
文学研究は人を研究することだと師が言っておりましたが、それをどう私がこの先噛み砕いて考えてゆけるのかは分かりませんが、なんとなく今日文学館で泣けてきたのはそういうことなのかなぁと思います。
私にとっての文学というものが見えかけたのかもしれない。

そんなことを思いつつ吉屋信子邸へ。
とはいっても、ここは決められた日しか一般公開していないので門を見るだけです。
鎌倉にはそういう建築物が多いですね〜。
甘縄神明宮から文学館に向かう途中(文学館から吉屋信子邸に向かう途中だったかも)にも旧児童館の建物がありました。
中が見られないのは残念ですが、概観だけでも溜息ものです。鎌倉建築はすごい。
吉屋信子は『花物語』を目にしてから心酔の域で好きです。
正直苦手な雰囲気も漂っているのですが、それがあってもなぜか好きなんですよね。
この人の少女たちへ、女性たちへの生へのメッセージというか、甘い言葉の中の叱咤は胸に突き刺さります。
『花物語』は昨今の百合ものの流行の中で脚光を浴びていますが、そうも読めるだろうけど、そうしたくくりの中にわざわざ入れなくてもいいかな〜って感じです。入れてもいいと思うんですが、そう読みたくない人はそう読まなくてもいいよね〜って感じ。
けっこうレビューでそういう風に書かれているけど、百合ものということで倦厭している人でも好きになる人はいるだろうなぁと思います。
まあ、好き嫌いはけっこう分かれると思いますが、うちの父は好きだったっぽいです。でもある意味オトメンな父なので評価は微妙。

あと今日ふらふら〜と入って笑いそうになったのが、御成通り。

こんな感じで頼朝家臣らの名前が5m間隔くらいで並んでいました。
今度じっくり見てこないと。



そんなこんなで、文学的な鎌倉旅をしてみました。
本当はもっと歌碑とか見たかったけど、時間も無くて今日はここまで。
文学館では鎌倉文学散歩って感じの本を販売しているので、鎌倉文学に興味のある方はそれを購入の上歩いてみるといいかも。
私はそれの歌碑巡り編を買いました。いろいろあって楽しいです。知らない人が多いんですけどね〜

立場表明

December 05 [Sun], 2010, 21:51
誰か教えて下さい。
修論って終わるんでしょうか?


何万字打っても終わりません。
理由は分かっています。文献引用が異様に多いのと、いらないものを切り捨てられていないからです。
捨てればきっと全部で規定時数程度なんだろうけど、何を捨てればいいのか分からないまま提出日が来るんだと思います。
先生、本気ですみません。


修論は(卒論もなんですけど)血なまぐさくない、武者武者していない『平家物語』論にしたいと思っています。
でも、どんなに頑張っても人は死にます。『平家物語』で人の死はどうしても避けられません。
人が死んだり、人の死を悼んだり、永遠の別れを交わしたり、死を覚悟したり。
そんなところばっかりを扱っていることがつらくなってきました。
人々の涙を論じることに疲れました(別に涙論はやってませんが)。

軍記物語には読者の立場として二つの説があります。
有名なのは、人がその本を読むことで鎮魂していることになるということ。
書かれたテキストを読むことで、死んでいった人々を鎮魂することになるのです。
書くこと、読むこと、語ること、そうしたことで死者の魂を鎮める…それは死者のためであると同時に勝利者が敗者を敗者として扱うシステムでもあるんですが(その辺は難しいから割愛)、とある軍記ではテキストの最後に「死んだ者のために、読み終わったら念仏を唱えて欲しい」なんていうのもあります。
でももう一説、人がそのテキストを読むことで、登場人物の苦しみは無限に再現されるというもの。
人に読まれるたびに苦しい生をいきて、死んでゆく。それが永遠に繰り返されてゆくという説。
後者はそこまで一般的な論調っていうわけでもないかもしれないんですが、その論を知った時にすごく苦しくなりました。
国文学(日本文学)の研究においてその論はどう扱われているのかも知らない勉強不足者なんですけど、確かにそれは真理だなーって。
私が読めば読むほど、あるいは論じれば論じるほど、『平家物語』の人たちの苦しみって増えてゆくんですよね。何度も再現されてしまう。
だからその人々がかわいそうだーって話ではなくて。
読者はある意味すっごく罪深さを持つのかなって。平和な世の中だからそうした物語を読めるわけで。
平和な、安全な場所で(いや、今が厳密な意味で平和だとか安全だとか、それはまた違うと思うけど)人々の悲しみについてどうのこうの言ったり、同情したりって、私にそんな権利あるのかなぁと思ったら泣くしかありませんでした午前2時。

私は研究者にはなれません。
悲しみとかつらさとか、そういうものをぽんぽんとし分けたり、論理的に考察してゆくことができません。
いや、したくないのだと思う。
論文一歩手前(もっと?)なものを書いたり、人と意見を言い合ったりするのは楽しいけど、その作品については踏み込めない場所を持っていたいのです。
と、言うわけで私は『平家物語』の合戦シーンと斬首シーンは触れられない。
何か論理をそこに見出すのではなくて、悲しいから悲しい。泣けてくるから泣けてくる。そういう風にしておきたい。
読者を泣かせる構造とか、読者を泣かせてしまうことそれ自体とか、そういうことを論じてゆくことは『平家物語』の面白さを追求してゆくことだし、意義のあることだとは思うけど、それがもう自分としてはいっぱいいっぱいな感じになってきました。
研究者としては論を読んでゆくことが勉強になる。楽しい。
けど、いち読者としてはそうした論を読んでゆくことにつらさを感じる。
平家一門の供養に生きる建礼門院を、勝利者が作ったシステムと言ってしまうことが悲しくてつらいのです。

多分今後も私は『平家物語』を小説みたいには読めない。
源平盛衰記の有盛と行盛ならカップリングいけるんじゃないか?とか本気で考えたりもするけど(いや、本気で源平盛衰記の壇ノ浦合戦のあの二人はフィルター通せばそうなる)、ある部分では一生研究対象なんだと思います。
ただの楽しい読物では決してないです。
『平家物語』を考えてゆくことが人生を考えてゆくことになるのだと思います(人文社会は研究対象を通して人間を考える学問です)。
だから今お休みしている平家の同人活動は再開できるのかな―果たしてって気分です。ほんとは修了したら再開したかったんだけど。
言葉本来の意味での文学系の同人誌に参加させてもらおうとは思っているので、それで満足しそうな気もします。
まぁ、有盛行盛には若干の気の迷いを残しつつ(笑)



つまり何が言いたいかって…



逃避したい。ってことです。


机横のタワーオブテラー(触れれば倒れてきそうな文庫本や昭和一ケタの本をハードカバーでサンドイッチしている恐れのある本の積み重なり)が四つになりました。70cmは積まないようにしたいですが今60cmオーバー…。

愛は理屈じゃない

October 28 [Thu], 2010, 23:48
自分の論文(授業発表用)見ていたら吐き気がしてきました。
(身体的に)ここまで危なかった発表準備は初めてでした。
明日は這ってでも学校行って刷ろうと思いました。

近況報告が最近ただの危ない人になっていることが残念でたまりません。
私が伝えたいのは病気じゃないから平気☆と思っているものでも、思わぬ酷い症状に繋がったりするから早めの受診を心がけて下さいということです。
研究室の後輩たちに伝えたいこともそれだけです。
いや、本気で。




人死と悲劇が苦手な私がなぜ『平家物語』を卒論・修論テーマに選んだかは謎です。
でも、何だかんだ言って『平家物語』大好きです。
それに本気で向き合える今が幸せだと感じました。
一方で、早く「研究者」の立場ではなく、一読者としてその本文に無心に涙し、胸を痛め、ただひたすらに死にゆく人々に安らかな眠りを望みたいのも本音。
理由などない、好きだから好きなんだ。そう言いいたいのも本音。
もういっそ論文じゃなくて評論っていうかエッセー書きたいと思うのも本音。
修了後に、と評論・エッセーの同人誌(コミケとかのじゃないやつ)に誘っていただいているので書かせていただきたいなぁと思っています。
っていうかそういうブログサイトを作ろうかどうか思案中。

久々市博!

September 15 [Wed], 2010, 22:58
昨日は鹿子さんと仙台市博に行ってきました〜☆
改装挟んだので1年半ぶり以上!
もっと早く行きたかったんですが、インカもチベットも興味がなく(0ではないけど混んでるの押してまで行く気になれなかった)、
今回文化庁の購入品と一般展示で殿の直筆若書入れのある屏風が出ると言うので、これは行くしかないでしょ☆と思い鹿子さんを巻き込んだ次第です。

ええっと、以下本気で新しくなった市博について本音発言です。
愛ゆえにかなり厳しいことがんがんいっています。
この件についての苦情は受け付けません。
それでもOKって人のみお進みください。
この5年ほどヘビー来場者だったゆえに新旧のギャップをかなり感じたっていう話です。


その前に、鹿子さんにすごいお土産いただきました。

中に米が入っている米の容器。
大きいです。二合入っています。
家族に見せたところ大笑いでした。
鹿子さんのセンス素敵過ぎる。
って言うかN県のセンスが素晴らしすぎる。
これがわさわさ入れ物に入れられ販売されている姿を想像すると楽しくなります。超シュ〜ル〜。


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