一握の砂 

2006年02月08日(水) 11時00分
僕はいつだって大切なものを手に入れては、壊して失っていく。

すきだから傍においておきたい、大切だから離れていたくない。

大事に大事にしたいのにどうしていつも積み上げたつみきを崩すようなことを分かっているはずなのにしてしまうのだろう。

19歳になった僕はいろいろなはじめてを経験して、この前まではいとも簡単にできたことができなくなってしまって、今まではどう足掻いてもできなかったことができるようになった。

だからこそ、我慢できなくなったこともあるでしょう。手に入れたものもあるでしょう。切り捨ててしまったものもあったでしょう。傷つけた人もいるでしょう。

頭では理解していても、雷鳴のごとく巻き起こる感情に勝てないんだ。

僕はきみを信頼していないわけじゃないんだ。

でもときどききみを独占したくて、僕だけのものにしたくてどうしようもなくなって、遠くにいるきみに迷惑をかけるんだ。

いっそ嫌いになって、僕なんか嫌いだって突き放してくれればいい。

きみから離れなければいけないのはすごくつらいけれど、もしそうなったら仕方ないよね?

僕はね、何度も何度もきみに嫌ってもらえれば、僕がきみを嫌いになれば、楽になれるのにって思ったんだ。

最初はつらいかもしれないけれど、そうすればもうきみの時間を欲しくなくなるかもしれない。

大学の勉強にだってしっかり取り組めるかもしれない。僕はきっと医者になるから。

電話だって、メールだって待たなくなるかもしれない。

さみしくなくなるのかもしれない。

・・・でも、全部「かもしれない」なんだ。

総て、僕が悪いんだ。

自由なきみを責めるから。

また僕は砂上を指の間から逃すよ。

どうしようもないな、僕がだめなのは。

自殺と宗教について思うところ・・・ 

2006年02月06日(月) 9時11分
宗教的観点において、「神様」が必要になるという理由は、基本的には責任転嫁のメカニズムではないだろうか。

他人のせいにすることで、自分の立ち位置を保持(しようと)するというだけのような気がする。

しかし、(その人物の中に)「神様」がいてもいなくても、当然ながら自殺はあり得る。

なぜなら自殺は人間として本質的に選択可能な行為だからだ。

ただ、「神様」という記号、シンボルによって解釈しようと試みる、言い訳をつくろうと試みる、あるいはその逆にその解釈と言い訳によって、自殺を思いとどまらせる、という使用法もある。

なぜ”本質的に選択可能か”というと、人間の知性が高まったことで、生命維持活動から自身を切り離すことができたからだ。

賢いから自殺をするとも極論では言えなくもないだろう。

前提として、未来予測の能力が必須である。

では、人間以外の動物はどうだろう?

彼らは生命活動から自身を切り離すためだけのために自殺をするのだろうか?

僕自身の考えが及ぶところで、それはないと思う。

彼ら動物の死はいつだって、人間の視点でみれば「事故」であると思う。

食物連鎖のピラミッドの中で、えさを捕って(狩って)る最中で、、、、

でもなかには子を守るためのように自らの自発的な意志で結果的に死んでしまうこともある。

しかし、それを差し置いてでも、人間と動物とで明らかに異なるのが、前述した未来予測能力の有無だ。

動物は今を精一杯なんとか明日に繋ごうと生きている。

彼らのとっては、明日以上の先を想像することは無駄なのかもしれない。

それは本能的に「今」を紡いで生きているからだ。

一方、人間は未来を先をと想像し、考える。

だから、(時に)絶望し、打ちひしがれ、喘いだ末自殺に至るのではないか。


ん〜なんだかあんま纏まらなかったけれど、この辺りにしておこうかな。
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