12月4日の日記

December 06 [Thu], 2012, 12:56
今日の出来事1884年甲申政変、1890年北里柴三郎らがジフテリアと破傷風の血清療法を発表、1986年鉄道事業法、日本国有鉄道改革法公布今日は、甲申政変です。
甲申政変とは、朝鮮で起こったクーデターです。
当時の李氏朝鮮は、壬午事変で興宣大院君が清へ連れ去られ、閔妃をはじめとする閔氏一族は、親日派政策から清への事大政策へと方向転換していました。
このままでは朝鮮の近代化はおぼつかないと感じた金玉均朴泳孝徐載弼らの開化派独立党人士らは、1879年に李東仁を日本に密入国させ、福澤諭吉や後藤象二郎をはじめ一足先に近代化を果たした日本の政財界の代表者達に接触し、交流を深めました。
開化派の曹は、日本と同じように君主を頂唐ニする近代立憲君主制国家の樹立でした。
政府首脳閔氏一族が事大政策を採る中、金玉均らは国王高宗の一本釣りを計画しました。
外戚の閔氏一族や清に実権を握られ、何一つ思い通りにいかない高宗もこの近代化政策の実行を快諾しました。
金玉均らが計画したクーデター案は、12月に開催が予定されていた郵征局の開庁祝賀パーティーの際、会場から少し離れたところで放火を行い、その混乱の中で高官を倒し守旧派を一掃し、朝鮮国王はクーデター発生を名目に日本に保護を依頼し、日本は公使館警備用の軍を派遣して朝鮮国王を保護し、開化派が新政権を発足させて、朝鮮国王をトップとする立憲君主制国家をうちたてて、日本の助力のもとに近代国家への道を突き進む、というものでした。
当時、清はフランスと、ベトナムの覇権を争う清仏戦争の最中でした。
そのため朝鮮駐留の清軍が通常時の約半数ということもあり、計画は実行に移されました。
しかし、この段階まで来て不幸にも清仏戦争で清が敗退し、フランス領インドシナが誕生することになります。
朝鮮における覇権だけは保ちたいと考える清は、威信に懸けても朝鮮をめぐる争いを譲るわけにはいかなくなってしまいました。
開化派は、予定通り計画を実行しました。
竹添進一郎在朝鮮公使など日本側の協力のもと、放火は失敗しましたが計画は順調に進み、閔泳翊ら閔氏一族を殺害、開化派が新政府樹立を宣言しました。
そして首謀者の金玉均は、首相にあたる領議政に大院君の親戚李載元、副首相に朴泳孝、自らを大蔵大臣のポストに置く事を表明しました。
しかし予想通り、袁世凱が率いる清軍が王宮を守る日本軍に攻め寄りクーデター派は敗退します。
日本軍も撤退し、親清派の守旧派が臨時政権を樹立します。
開化派による新政権はわずか3日で崩壊し、計画の中心人物だった金玉均らは日本へ亡命することとなりました。
残った開化派人士、及び亡命者も含めた彼らの家族らも、三親等までの近親者が残忍な方法で処刑されました。
金玉均の妻子は10年程、生死不明で行方知らずとなった後、1894年に忠清道沃川近傍で東学党の乱甲午薄ッ戦争を鎮圧中の日本軍が偶然発見し、妻と女子は保護されました。
また、金玉均は日本各地を転々とした後に上海に渡り、1894年3月28日に刺客洪鐘宇に暗殺されました。
その遺体は朝鮮半島に移送された後に凌遅刑に処せられ、五体を引き裂かれた後に朝鮮各地に分割して晒されました。
この後、日本と清国の間に1885年4月、天津条約が結ばれ、双方とも軍事顧問の派遣中止、軍隊駐留の禁止、止むを得ず朝鮮に派兵する場合の事前通告義務などが取り決められました。
これから10年後、この事前通告に基づき清に続いて日本が朝鮮に派兵し、日清戦争の火蓋が切られることとなります。
次に、北里柴三郎らがジフテリアと破傷風の血清療法を発表です。
北里柴三郎は、日本の医学者細菌学者です。
初代伝染病研究所現在の東大医科学研究所所長、日本医師会創立者、初代慶應義塾大学医学部長、初代北里研究所所長です。
日本の細菌学の父として知られ、門下生からはドンネル先生と呼ばれて親しまれていた。
1875年に東京医学校現東京大学医学部へ進学しましたが何度も留年し、医学士となりました。
在学中医者の使命は病気を予防することにあると確信し、さんかれあ エロ予防医学を生涯の仕事とする決意をし医道vを書きました。
東京医学校の同期生、東大教授兼衛生局試験所所長を務めていた緒方正規の計らいにより、1885年よりドイツベルリン大学へ留学し、コッホに師事し業績をあげました。
1889年、世界で初めて破傷風菌だけを取りだす破傷風菌純粋培養法に成功しました。
1890年、破傷風菌抗毒素を発見し世界の医学界を驚嘆させました。
さらに血清療法という、菌体を少量ずつ動物に注射しながら血清中に抗体を生み出す画期的な手法を開発しました。
血清療法をジフテリアに応用し、同僚であったベーリングと連名で動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立についてというカを発表しました。
第1回ーベル生理学医学賞の候補に北里柴三郎の名前が挙がりましたが、結果は抗毒素という研究内容を主導していた北里柴三郎ではなく、共同研究者のベーリングが受賞しました。
ドイツ滞在中、脚気の原因を細菌とする東大教授緒方正規の説に対し脚気菌ではないと批判を呈した為、恩知らずとして母校東大医学部と対立する形となってしまいました。
この事態を聞いた福澤諭吉の援助により私立伝染病研究所が設立されることとなり、北里柴三郎は初代所長となりました。
その後、国に寄付され内務省管轄の国立伝染病研究所現在の東大医科学研究所となり、伝染病予防と細菌学に取り組みました。
1894年にはペストの蔓延していた香港に政府より派遣され、病原菌であるペスト菌を発見するという業績をあげました。
しかし、1914年に政府は所長の北里柴三郎に一切の相談もなく、伝染病研究所の所管を文部省に移管し、東大の下部組織にするという方針を発表しました。
長年の東大との対立が背景であるといわれています。
医科大学学長であった青山胤通が所長を兼任することになりました。
北里柴三郎はこれに反発して所長を辞任し、新たに私費を投じて私立北里研究所現社団法人北里研究所、北里大学の母体を設立しました。
狂犬病、インフルエンザ、赤痢、発疹チフスなどの血清開発に取り組みました。
福澤諭吉の没後の1917年、長年の多大なる恩義に報いるため、慶應義塾大学医学部を創設し、初代医学部長、付属病院長となりました。
新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長や、赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を送り込みました。
北里柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力しました。
また明治以降、多くの医師会が設立され、一部は反目しあうなどで、ばらばらでしたが、1917年に北里柴三郎が初代会長となり、全国規模の医師会として大日本医師会が誕生しました。
その後、1923年に医師法に基づく日本医師会となり、初代会長としてその運営にあたりました。
最後に、鉄道事業法日本国有鉄道改革法公布です。
鉄道事業法は、鉄道事業及び索道事業等の運営について規定する日本の法律です。
日本国有鉄道の分割民営化に伴い、従前の日本国有鉄道法地方鉄道法索道規則に代わって制定された日本の鉄道事業を一元的に規定する法律です。
本法が管轄する鉄道事業とは、2本レールの構造を持つ普通の鉄道、モレール、案内軌条式鉄道、トロリーバス、ケーブルカー、リニアモーターカーなどを経営する事業で、索道事業とはロープウェーやスキーリフトを経営する事業です。
専用鉄道とは工場への引込み線などのように自分専用の鉄道で、鉄道事業用線路に接続しているものを言います。
路面電車は、鉄道事業法ではなく軌道法が管轄します。
道路に敷設してはならないのが鉄道、道路に敷設しなければならないのが軌道です。
日本国有鉄道改革法は、経営が破綻した日本国有鉄道の経営形態の抜本的な改革を、分割民営化により行うことを定めた法律です。
この法律に基づき実行された1987年4月1日の国鉄分割民営化により、約27万7000人の国鉄職員のうち、JR各社に再就職できたのは約20万人でした約7600人の再就職未定者が発生しました。
国鉄清算事業団は再就職先の斡旋に努めましたが、最終的に1047人がJR以外の再就職を拒否し、解雇されました。
このJR不採用者には、分割民営化に反対した国鉄労働組合国労、全国鉄動力車労働組合全動労、国鉄千葉動力車労働組合動労千葉の組合員が多数含まれていました。
前記3組合は、JRが社員採用時に所属組合による差別という不当労働行為を行った。
として、全国の地方労働委員会に救済を申し立てました。
各地方労働委員会は対象者全員を分割民営化当日にさかのぼって採用する旨の救済命令を出しましたが、JR各社はこれを不服とし、中央労働委員会中労委に再審査を申し立てました。
中労委は地方労働委員会に沿った命令を出したことから、JR各社は東京地方裁判所に中労委命令の取消を求めて行政訴訟を起こし、3組合も採用を求めて反訴しました。
東京地方裁判所、東京高等裁判所、最高裁判所はすべてJR各社勝訴の判決を出し、2004年11月11日、国労が最後に残った事件の上告を取り下げ、JR各社の完全勝訴が確定しました。
今日の誕生日盧泰愚、芦屋小雁、二瓶正也、デニスウィルソンザビーチボーイズ、奥山和由、セルゲイブブカ、永井真理子、浅香唯、イナマイト関西、中川剛中川家、宮村優子、田村淳ロンドンブーツ1号2号、湯原麻利絵、ギャル曽根、木下優樹菜今日の記念日血清療法の日今日の今日訓本日は、1890年12月4日にエミールベーリングと北里柴三郎が血清療法開発につながる破傷風とジフテリアの抗体を発見したことから血清療法の日となりました。
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