運命の五分間? ミッドウェー海戦の謎!?

April 28 [Wed], 2010, 23:02
1942年6月(昭和17年)にミッドウェー島沖で行われた「ミッドウェー海戦」は日本軍の四席の空母喪失という大敗で終わりました。

この戦いには未だに「謎」の部分が数多くあります。 その中の「運命の五分間」と戦後に語られてきた事について私なりに考察してみました。

この「運命の五分間」とは米機動部隊攻撃に飛び立つ日本軍機が「あと五分早く飛び立っていれば・・・」「身軽になった空母は攻撃をかわし、日本軍機は米航空母艦に殺到し撃沈出来たのに・・・」という伝聞が戦後も語られてきました。 この話の出所が戦後編集した「防防衛庁防衛研修所戦史室」による『戦史叢書 』にあります。

この戦史叢書は日本陸海軍の作戦行動と内容を聞き取りを主に作成した第一級の資料です。
「ミッドウェー海戦」の巻では当時の作戦関係者の参謀長の証言が「運命の五分間」として海軍関係者の間では語られ始めたようです。

ただ私は疑問に思いました。戦記雑誌等で見かける米軍機の攻撃を受ける空母「蒼龍」の写真でした・・・
残念ながら写真を用意出来ませんでしたが、その写真では甲板に航空機が整然と並んでおり、今すぐ発艦出来るどころか五分どころか一時間はかかるのでは?という疑問でした。

「全く米軍機の奇襲に気が付かず、所在も把握していないままに一方的に攻撃を受けたのでは?」と思いました
「飛龍」の炎上、漂流した写真は後に日本軍機により撮影されたものと判明したのですが、「蒼龍」の攻撃を受けてる写真は間違いなく米軍機によるものでしょう。 かなりの至近距離ですからやはり急降下爆撃機からの撮影によるものと思われます。

そして言えるのは日本機動部隊は全く米機動部隊の所在が分からないままに米空母の攻撃の意思も無く、作戦行動してたのでは?と思います。唯一「飛龍」のみがその後、敢闘し山口少将の闘魂により一矢報いるのですが・・・しかしその「飛龍」座上の山口少将も加来艦長も艦と運命を共にします・・・・

思いもよらない大敗・・・そして戦いに負けた悔しさ・・・それが「あの時もう五分間あったら・・・」と言う言葉に表されて戦後も長く語られ続けたのでしょう・・・
海軍内部の身内をかばう気持ちや「敗軍の将 兵を語らず」という当時の風潮が戦後もそうさせたのかもしれません。

しかし私は思います。 やはり思いもよらない大敗というより完敗だったと・・・・
私も先人達の勇敢な志は否定はしたくありません。でも後に続く私達は教訓を生かす為にも戦争の歴史を正しく後世の人々に語り継ぐ為にも冷徹な現実も受け止めて判断して行く必要があると考えます。

今後も戦史の通説の中にある「謎」や「疑問」を自分なりに考え検証して行きたいと思ってます。
この記事をご覧になられた方のご意見頂ければ嬉しいです^^
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