そうでなくても 

2005年05月22日(日) 22時36分
気が付けば5月も半ば。年初めの頃にはじめたこのコンテンツ、たった2回でストップしていました・・・。もし更新を楽しみにしていてくださってい方がいらっしゃったなら、本当に申し訳ないことでした。ごめんなさね。

なかなか掲示板にも登場せずにご無沙汰しています。
看護師になって4年目になって、仕事もプライベートも思うところがいっぱいあって、皆さんに返信したいと思うこともまとまらず、何となく日が過ぎてしまったり・・・。
でも今日は、ちょっと神様と向き合える時間を頂いて、少しお分かちしたくPCに向かっています。

私には、心から敬愛する牧師が5人います。そのうちのお二人は母教会の牧師夫妻。あとの方々はそれぞれ別の教団の方々ですので頻繁にはお会いする機会がありません。
でも今日、メソジスト系の複数の教団が合同で行う会合があって、2人の牧師にお会いすることが出来ました。

お一人はW教団のA先生。牧師というか、女性の宣教師でいらっしゃって、長くバングラディシュの宣教に行っておいででした。この方からは国際援助と教会のあり方について学ばせていただく機会があり、本当に感銘しましたが、それ以上に柔和であること、美しくあることについて、そのご様子からいつも学ばされます。
贅沢なものはなにも身に着けていないのに、いつも柔和な笑顔で、そして凛として、この上ないエレガンスをまとっていらっしゃる。キリストに従う女性の美しさ、つまり真実の美しさとはこういうものだと、この方にお会いするたびいつも思うのです。

それが何になりましょう/ヨハネ6:1〜13 

2005年01月26日(水) 0時21分
 ずっと前友人が聖書を読んだことがあるというので感想を聞くと「何個かのパンで何千人も食わせたと書いてあるのを見て馬鹿馬鹿しくて先に進めなかった」と返事がありました。彼女はいつも率直なところが魅力で、私をクリスチャンと知ってのこの発言も嫌味の無いものでした。そうです、聖書には2匹の小魚と5つのパンで男性だけでも5千人をお腹一杯にする奇跡をイエスが行ったと書いてありますが、こんなアホらしい話し、誰が信じるというのでしょうか!・・・いえいえ、信じているわけです。私達クリスチャンは。神には出来ないことなど一つもないと。
 でも、本当でしょうか。私達は本当にそう信じているのでしょうか。私達の中で、この聖書の出来事は、遠い遠い昔話になっていないでしょうか・・・。

 この奇跡譚は4つの福音書全部に書かれています。
 イエスの名声が高まった頃、彼の元に大勢の人が集まって来てしまい、日も暮れるころ、弟子達は集まった人々に何かを食べさせなければならないことを案じ始めます。しかし、群衆はあまりにおびただしく弟子のひとり、ピリポは「めいめいが少しづつ取るにしても、2百デナリのパンでは足りません。」(ヨハネ6:7)と考えます。1デナリは今のお金に換算すると1万円くらいと言われていますので、ざっと2百万円分のパンでも足りないほどの人だかりだったわけです。実際数えたら「その数はおよそ5千人」(10節)だったようですが、男性だけの数なので、女性と子どもを含めたら倍以上だったかも知れないですね。
 200万もの大金は無かったでしょう。こんな状況、弟子達にとってはまさにお手上げです。どうにもならない現実って、まさにこんなところでしょうか・・・。
 しかしイエスはここでも大きな奇跡を成し遂げられ、先に触れましたように2匹の小魚と5つのパンでそこにいた全員を満腹にさせ、なお「あまったもので12のかごが一杯に」(13節)なるまで増やされたのです。
 でも、この魚とパン、一体どこから来たのでしょう。今日は皆さんと御一緒に、ここに注目したいのです。これらは主イエスが無から造り出したわけではありませんでした。9節を見るとわかりますが、それらは名も無い一人の少年のものでした。

イエスは涙を流された/ヨハネ11:1〜44 

2005年01月22日(土) 17時48分
  この章のクライマックスの場面はベタニアという町の、イエスの親しい友人、ラザロが埋葬された墓地です。
 イエスはラザロの病気をご存知でしたがなかなか見舞いに行きませんでした。でもそれは「この病気は死で終わるだけの物ではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」(4節)とあらかじめ言っておられたように、大きなご計画の故だったわけです。実際、死んだラザロの元に向かわれたイエスは彼を生き返らせるという、偉大な奇跡を成し遂げられます(43、44節)。
 ラザロの死と復活は、後日の主イエスの十字架の死と復活を表す雛形であるとされ、この奇跡は神様のご計画のうちに、重要なものであったと思われます。イエスも、ラザロが病に倒れるその前から、彼の死も、よみがえりも、十分よくご存知だったのでしょう。
 でも、なのに何故?と思う箇所があります。

そこでイエスは彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧下さい。」
イエスは涙を流された。(33節〜35節)


 私はここを初めて読んだ時、ちょっとびっくりしました。イエス様が「動揺」したと書かれているのです。皆様がどんなイメージを主に対して抱いていらっしゃるかわかりませんが、少なくとも私の中ではいつも静かで物事を泰然と受け止められている印象がありました。その主が「動揺」したというのです。またさらに「霊の憤り」だとか「涙を流された」という記述も見られます。

 皆さんは映画や小説はお好きでしょうか。私はとっても好きで、気に入ったものを何度も何度も観るほうです。 感動的なシーンになると映画館だろうがどこだろうが平気で鼻水を流し泣いてしまいます。けど、2度目に観る時の涙は、1度目よりもずっとこころの安心感に支えられ、動揺を差し置いて安定した感情に包まれての涙になります。3度目、4度目となりますと、まず鼻水から解放され、そのうちに涙なしでも見られるようになります。内容と事の成り行きがわかっているからです。
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