愛しの貴方へ 

2005年06月01日(水) 9時31分
やっとゆったりと愛し合えたね。 あのホテルのインペリアルルームが取れてラッキーだった。予約をした時から、すごく楽しみにしていたんだ。「絶対にインペリアルルームに!」ずっとそう願っていた。 久し振りに…と言っても、二〜三日逢わないともう久し振りになってる。それほど愛しい女性。 いつもいつも、頭の中からいなくなる事がない女性。仕事をサボってモーニングに行ってる時も、「僕の隠れ家を教えてあげたい」、そして昼休みは「お昼ご飯、一緒に食べたいな」だし、昼間も「メールが来ないかな?」なんだよ。 今日はタクシーチケットで取引先回りの快適な日。一緒にリヤ席で話をしながら回りたかった。「どの雑誌を持って帰る?」ってね。 先日の喧嘩でさらに深く存在を感じる事が出来た。貴方がいなくなったりしたら、僕はただの抜け殻。 今はいろんな場で、「僕の彼女」を披露して自慢したくなっている。好きになって、尊敬して、愛が深まっていく。 今の僕は、いつも傍にいて、愛情をたっぷりと注いでいたい。そんな気持ちでいっぱい。 今日はベランダの物干し竿に、僕のパジャマと彼女のパジャマを並んで干した。干し終わった時と帰宅して洗濯物を取り込んだ時、並んでいるパジャマを見ながら幸せを感じていたよ。 ここで、僕の新しい幸せを見つけたんです。

愛する彼女との初めての喧嘩 

2005年05月25日(水) 20時29分
愛する彼女との喧嘩。 「本気で喧嘩するなんて何年ぶりなんだろう…」と思うくらいの出来事だった。 僕にしてみれば、「こんなに愛しているのに、メールにどうしてこんな書き方をされないといけないのか?」から、どんどん怒りが込み上げてきた。 彼女にしてみれば「指摘魔の登場」。僕にしてみれば「俺の登場」。自分自身の中にある多面性は本人もよく知っている。 怒りの感情は何年も封印していた。でも今回、この怒りの感情が突然現れた時には止めようもなかった。 メールで出会ったから、お互いの過去は話し合った事以外は知らない。これはメールでの出会いを否定しているのではなくて、昔から知ってる女性と恋愛関係になる事以外の、例えば「お見合い」でも起こってしまう事。 不安と不満が一気に爆発した。お互いのプライドが邪魔して?意地っ張りになっていた。彼女とのメールは途絶えたけれど、実はこっそり非公開のブログがあって、そこでは彼女に対して溜まっていた感情を吐き出してしまった。 なんと大人気の無い文章のやり合いをしてしまったのだろう。 逢えない時間が経過していくとピークに達した怒りは収まり、自分自身の言動を後悔していく。 喧嘩の後のお決まりの感情。でも、その起伏はものすごく大きかった。 「これで彼女を失って良いのか?」彼女を想う気持ちや怒りの感情…、全ての事で本気のぶつかり合いだった。 結果としては、彼女が大人の反応をしてくれた。感謝の気持ちと傷つけてしまった反省の想い、そして、彼女への愛情が大きく膨らんでいる。 他人にしてみれば他愛も無い喧嘩。でも、本人達は離別を意識していたその後の和解。そこには再開の照れはあったけれど、ギクシャクしたものは無かった。ありがとう、ごめんね。 「もう、こんな歳になっても、まだ青春をしている」いろんな事が鈍化してしまうような年齢になって、今は何よりも彼女の存在に感謝している。 そんな彼女と出会いは
ここ
です。ここから新しい人生の喜びをスタートさせる事が出来たのだと思う。

愛の方向、貴方への想い。 

2005年04月12日(火) 16時50分
今まで最愛だった娘は、やっと自立してくれた。安堵感と共に寂しい気持ちが徐々に湧いてきているのは事実。 でも、父子家庭だった僕ら親子の目標としていた生活は現実の世界になった。寂しい気持ちは一時的な感傷の気持ち。娘が巣立って成長する喜びがこれから待っている。 今、僕には僕を愛してくれている女性がいる。僕の生活を優先してくれて、自分の気持ちや感情を押し殺していてくれた。 これからは、そんな事はしなくて良いよ。待っていてくれて本当にありがとう。その心遣いがすごく嬉しいし、感謝しています。 まだ、お互いによちよち歩きの愛だったけれど、もう心配しないで。僕には貴方しかいません。 たまに貴方の愛に甘えてしまって、わがままな行動をしてしまうけれど、貴方の恋人として恥ずかしくないように自覚して、分別のある行動をします。僕の愛で、貴方はもっと羽ばたいて輝いてください。 これから、貴方の事をもっと愛していきます。これ以上の愛がこの世に存在しないぐらいに、貴方だけを愛していきます。そして、僕の愛情を一人占めにしてください。 僕が彼女と出会ったサイト

出会い、そして卒業 

2005年03月29日(火) 8時16分
あと一週間で、僕は独り暮らしになる。 娘と二人だけの生活になって六年が過ぎた。この六年間は僕の人生の中で最も変化のあった時期だった。別居期間が二年。正式に離婚してから七年になる。娘はもともとは母親と暮らしていたから、父子家庭になってからの年月に相違が生じている。 そんな娘を前妻が突然連れて出て行き、別居が始まった。別居前からの夫婦喧嘩では娘には辛い思いをさせていたし、別居後の母子生活を想像するとたまらない気持ちになった。 「離婚して自由になって、自分で好きな事を好きなだけする」別居前に前妻がよく言っていた言葉。でも、離婚後の母子家庭には賃貸住宅すら入居が難しく、なかなか就職の機会も無い現実が、高い壁に立ちはだかっていた。「お母さんと二人の生活は、もっと楽しいよ」別居前に娘に毎日のように言っていた現実はどこにもなかった。 アクティングアウト。予想していた破綻。母親が登校時間にマンションから飛び降りようとして、娘が必死に止めている姿が、通学途中の娘の友達に目撃されてしまった。 幼児帰り。二年半振りに再会した娘は中学一年生。でも、指しゃぶりをして赤ちゃん語を使うようになってしまった。そんな娘の姿になす術も無く、自分の言う事を聞かない事に対して怒りを感じ、力ずくで動かそうとする母親がそこにはあった。もっと楽しい生活がこれからあるからと言われていたのに、幸せ一杯だった家庭が崩壊した結果がそこには待っていた。 「自分勝手な理由で離婚して一切逢わせなかったのに、手におえなくなったら仕事中でも呼びつけるのか」前妻には怒りが込み上げてきたが、感情的になっても何も解決しない。学校、保健婦さん、児童相談所にすぐに電話をして状況を報告し、現実になってしまった事に対する対応をお願いした。 やがて、「勉強がしたい」と言って部屋から出てきた娘は驚異的な回復ぶりを見せてくれた。中三から復学し、不登校の時期は「定時制の高校なら…」と言われていたけれど、クラスの友達達と一緒の県立高校に合格。そして、この四月からは希望していた東京の大学生。 「そろそろお父さんは卒業しても良いよね」そんな想いを持って、彼女と出合った。これからは彼女の「彼」として、僕の全ての愛情を彼女に注ぎ、二人で愛を育んで行きたい。 僕が彼女と出会ったサイト

彼女との出会い… 

2005年03月23日(水) 9時40分
目を見つめて、「愛してる」が言葉に出して言えるようになった。 「愛してる」と言う言葉がお互いに自然になるまでの期間は、僕にとってはビクビクしていた期間。 「嫌われたらどうしよう?」「嫌われないかな?」そんな想いばかりが先行していた。彼女に言わせたら「えぇ〜、本当に?」と言われそうだけれど、「嫌われたらどうしよう?」と「気に入ってもらいたい」がすごく葛藤していた。 出会いサイトでの出会い。いろんな出会いの形式があるから、僕にとってはなんの抵抗も無く、周囲にはネット婚も数組いて祝福した経験があるから、むしろ馴染みの出会い方法だった。ずっと男社会で働いていて、子供と二人の父子家庭で生活していたから、出会いサイトでしか出会いが無かったのも事実。 初めて彼女をサイトで見つけて、何度も何度もプロフィールを読み返した。 でも、最初に見つけたときにもう心は決まっていた。何度も読み返したのはそれを確認したかったからだと思う。 僕からの申し込みを「直感的にOKしてもらえると思っていた」なんて言ったら、彼女はなんて言うだろう…。「どうして私に申し込みをしたの?」には答えたけれど、同時にそんな事を思っていたなんて、まだ告白していない。 でも、そんな事を思いながらも、本当にビグビクの毎日だった。メール交換が始まって、彼女は一生懸命に僕宛のメールを書いて、毎日送ってくれていた。 毎日、毎日、会社から帰ってすぐさまパソコンを立ち上げて、メールチェックをするのが楽しみだった。深夜に返信してくる事が多いのは分かっていたけれど、とにかく早く帰って彼女からのメールが読みたかったし、それに返信したかった。 でも、いつも僕自身が正直に伝わるように書いていたと思う。「こんな事を書いたら嫌われないかな?」と思う反面、格好良く見せたいなんて一度も思わなかった。それは、彼女のメールが僕にそうさせたんだと思っている。等身大の僕を「気に入ってもらいたい」だった。 メールは便利なメディア。でも、彼女と出会った頃は昔の文通みたいなメールが、僕達二人の「気持ちの交換」だった。
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