ある女の存在証明 

2007年06月14日(木) 10時59分
ある女の存在証明  Identificazione Di Una Donna
(1982・伊=仏 130mins)
監督・脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:トニーノ・グエッラ ジェラール・ブラッシュ 撮影:カルロ・ディ・パルマ
出演:トーマス・ミリアン ダニエル・シルヴェリオ クリスティーヌ・ボワッソン ララ・ウェンデル
◇カンヌ国際映画祭 35周年記念賞

<あらすじ>
妻と離婚したばかりの映画監督ニコロは、次作品の構想を練っていたところ
にマヴィという上流出身のマヴィという女性と出会う。
二人の関係が親密になるには時間を要さなかったが、マヴィに近づくなと
脅迫する男に作中終止つきまとわれる
ことになる。彼女はやがてニコロのもとから姿を消し、彼は彼女の幻影を追い
かけるように今まで彼や彼女が関係した女性をたずねてあるく。
その中の一人、イダと曖昧な関係をつづけながらも、マヴィを追い求めていた
彼はついに彼女の居場所をつきとめる。新しい生活をおくっていたマヴィをみて、
彼はイダとヴェネチアに旅行にでかけるが、そこでイダは前の彼氏との子供を
妊娠していることをニコロに告げる。最後に次作品の構想として、SFの映像を
浮かべながら映画はおわる。

<感想>
アントニオーニ監督70歳のときの作品。
まず、映画監督である主人公ニコロに、老境のアントニオーニが過去の
女性関係や恋愛に対するジレンマという自身の経験を投影した作品であるの
ではという見方ができる。

女性に不自由せず、興味をもった女性とは一定の距離まで近づくことは
できるものの、あと一歩入り込んでいけないという、恋愛への好奇心と
恐怖とのジレンマを作中、闇の中の濃霧や仲を裂こうとする脅迫男と
いったような「記号」をつかって象徴的に描いている。
一見外部環境により妨害されてるようにみえるこれらの出来事は、
じつはニコロ自身が心の中でひいている恋愛への、あるいはもっと大きく言えば
人とのコミュニケーションにおける境界線ではないだろうか。
関係を望んでいるにも関わらず、それ以上入り込むことを自ら拒否
するのはなぜなのか?
はじめにニコロは、恋愛映画の構想をたてていたにも関わらず、最後に
全く関係のないSF映画の構想が頭を支配する。
とうとうニコロは、現実逃避するかのように上の疑問から目をそらすのである。

コミュニケーションをあえて3つの段階にたとえて
1 マスターベーション
2 セックス
3 妊娠

とするならば、1の段階ではこちらの一方的な気まぐれや勢いで
相手に近づいたり離れたり出来る状態。
好きなときだけコミュニケーションをとればよいのでストレスも
たまらない、自分を楽しませるためのエンターテインメントといえるだろう。
次に2の段階へくると、独占欲や嫉妬心といったものが芽生え、
束縛したりされたりといったことが生じてくる。
これらはお互いの首を真綿でしめるように拘束しあい、緊張とストレスを生む。
最後に3の段階へくると、自己中心的な独占欲、嫉妬心というものを
のりこえて、すべてを受け入れ、自分以外の存在に対する、「責任」という、
より強力な拘束力をもつものが重みをもって自分の肩にのしかかる。

ニコロは3の段階はおろか2の段階へ進むことさえおそれていた
のではないか。自由を求めるあまり、自分を拘束し苦しめる可能性のあるもの
に対する恐怖と拒絶。しかし、本当の自由とは「責任」の向こうにはじめてみえる
ものなのではないか。
最後にニコロがイダに妊娠の事実(しかも自分以外の男との)を
突きつけられて言葉につまるシーンは象徴的である。


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