パニック障害。

September 28 [Wed], 2011, 3:18
さんの日記を読んでて、東京でサラリーマンをやっていた頃、自分もパニック障害を患っていたことを思い出しましたその頃は忙しすぎて、それがパニック障害だということもわからずがむしゃらに働いててでも、それがなんらかの精神的な症状だとは、薄々気づいていました。でも、その症状も無視して、それでもがむしゃらに働いててこれまで、自分のことを特定されるような内容の日記は書いてきませんでしたが、今回はちょこっとだけ書きます(結局、超長文になってしまいましたが)大学の入学とともに東京に上京し、大学生時代は、いかにも大学生らしい生活をしていましたテニスサークルに入り、同級生や先輩後輩とも仲良くし、大学の成績も要領だけでかなり高レベルの成績をおさめ、就活も難なくクリアし、今で言うメガバンクやその他の大手企業にも入れる位置だったにもかかわらず、入社したのは、某コンピューターメーカー。(きっと誰もが名前を知っている会社です)週間の新入社員研修を終えたとき、「君のことを人事部に入るよう、推薦しといたから」と言う、人事の方が内緒で打ち明けてくれたのに対し、「自分は、人事に配属されるためにコンピュータメーカーに入社したのではなく、もっと直にコンピュータに触れる部署に入りたくて入ったんです。どうか、人事部以外に配属されるよう、ご配慮お願いします。」と猛抗議し、翌週の配属発表で知らされた配属部署は、海外事業部の、大型コンピュータのマーケティングの部署。社内的には、人事部へ配属されるのが一番重きを置かれていたのですが、「手に職をけていれば(コンピュータのことに詳しくなっていれば)、転職もわけない」と考えていたので、どうしても、商品であるコンピュータに直接携わる部署に行きたかったんですでも、その会社、国内では利益を上げているので、国内マーケティングの部署や国内営業にはかなりの人員がいたのですが、海外では競合が激しく、利益もあげていなかったので、国内と比べると、海外事業部の人数って、極端に少なかったんですその結果、待っていたのは、極端に忙しい業務。国内と比べると、ひとりでふた役も、3役もこなさなければいけませんでした。ただでさえ忙しい会社で、その中でも忙しい部署でというのも、当時の課長は、ヶ月前まで社長秘書を務めていた男性。しかも東大卒の超切れ者子会社を含まず、親会社だけで万人もいた会社の社長秘書ですから、会社のことは上から下まで、隅々までご存知でした。その上の部長にしろ、そのまた上の統括部長にしろ、全員が「超」の付く切れ者ばかりですので、『こいは仕事をこなせる』と思われると、入社して間もない頃から普通の会社なら考えられないくらい責任の重い仕事の数々を与えられました。入社年目から、役員の方々が出る会議に出て、「海外はどうするんだ、海外は」と他の部署担当の役員に怒鳴られながら必死で説明したり、(そもそも、海外事業部担当の役員が出席するはずの会議なのにです)担当機種の海外戦略を任されたり、その会社のコンピュータ分野における海外での全ての展示会のコーディネートを任されたり、来日するだけで日経新聞に載っちゃうようなのアテンド&通訳をはじめ、海外からの要人のアテンドにかり出されたり、まったくの平社員なのに、ははじめとする全世界のコンピュータメーカーの世界マーケティングマネージャー会議に課長や部長の代わりに行かされたり、日本で宇宙ロケットを作っている宇宙航空研究開発機構(ジャクサ)の前身の団体の方に気にいられて、通常の仕事以外に突然、無理難題を与えられたり、世界第位の時に世界第位のイギリスのコンピュータメーカーを買収することになり、数人でイギリスに乗り込んで行ったり、それための何冊にもわたる包括的な契約書を手分けして、英訳したり、和訳したり、競合他社がニューヨークで新製品の記者発表をすれば、日本時間の深夜から早朝にかけてプレスリリースを翻訳して、自社の対応策をまとめてみたり、通常行わなければいけない業務は別にあるのに、それに加えて様々な仕事が降りかかってきて(急ぎの英訳、和訳は当たり前に頼まれてました)社内的には、確かに、精鋭が集まる部署ではありました。実際、直属の上司たち統括部長も部長も課長も、みんなその親会社の取締役以上に就任していきましたし、「入社年目は海外出張に出てはいけない」という海外事業部内の内規を初めてやぶったのも自分でしたただでさえ、「世界をまたにかける海外事業部」というだけで、聞こえはよかったはずですでも実際は平日の深夜残業は当たり前。休日も出勤して深夜まで残業することが多く、残業時間が極端に多すぎると人事に指摘され、タイムカードを押さずに普通に仕事していたら、これまた人事の目に留まってしまい、強制的に会社から帰されたこともありました毎日のプレッシャーの中で、意味もなく手が震えたり、不整脈になったり、人と目が合わせられなくなったり、人と話すと対人恐怖症というか、なぜだか涙がこぼれてきたりそれでも、仕事を片付けていかないと「仕事がたまる」という不安に駆り立てられるので、仕事をこなしているときが、一番安心できるときでした。東京駅が最寄り駅の丸の内で働いていたのですが、夕方の東京駅のホームが帰宅ラッシュで混んでいるのを遠くから見るたび、『今帰ってる人たちは、どうしてこんな時間に仕事を終えられるんだろう』『こいらは、そんなにヒマなのか』とまで、本気で思っていました。会社にいるときは、分でも秒でも時間がおしいくらいで、病院に行くような時間的な余裕も精神的な余裕もありませんでしたが、そんな毎日の極度のストレスで、だんだんとおかしくなっていっていたのでしょう。でも、周りはそんなことに一切気づかず(ただ、深夜にタクシーで帰り着いても、いいラーメン屋に寄ってしまい、どんどん、どんどん太っていったのは、もちろんバレバレでしたが)そんな時、ある理由で退社することを決め、上司の方々に相談したところ、驚かれたこと、驚かれたこと『一番やめそうもないヤツ』と思われていたようです。(別に会社が嫌で退職を希望したわけではありませんので、念のため。)ちなみに、会社内外のいろんな方との接点がありましたので、会社を退職する日の送別会には、名を軽く超える方々にお越しいただき、壮大に送り出していただきました。話を戻して。でも、その会社を辞めて、今の環境になったら、そんな症状はいっさい出なくなりましたあの頃の自分からすると、夜、早い時間から飲みに行けるような生活って、本当に夢のようでしたそして、前の会社を辞めてはじめて、在籍時、自分が精神的に病んでいたのだと気づきましたあのままあの会社に残っていたら、どうなっていたことかでもひとだけ言えます。精神的に病んだら、その環境を変えないと、快方に向かいませんすべてのさんもそれぞれいろんな悩みをかかえながら毎日を暮らしているものと思います。でも、悩みに耐え切れなくなる前に、どうか、もう少し楽な方法がないか、立ちどまって周囲を見回せてくれることを願っています(すっごい長文になって、ごめんなさい)Fine サクラ
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