1月31日・クルナ〜コルカタ
2007.02.19 [Mon] 23:32

宿で日本の昔のアニメ、トランスフォーマーがやっていた。
2人とも昔見てなかったけど日本の番組が懐かしくなって、
タカちゃんと一緒に昨日は深夜までついつい見てしまった。


昨日調べておいた国境行き直通電車が朝7:15発車らしい。
結局、勘違いで騒いでアニメ見て寝るだけの宿だったんだな。


最初はバスで帰ろうかと思っていたけど電車はご隠居の希望、
「ワシはバングラの電車にまだ乗っておらんから乗るのじゃ」、
非常に分かりやすい理由で電車に確定。


やっぱり電車は時間に正確で、ちゃんと到着まで着けてくれる。
イミグレの担当官のおやっさんはご隠居を笑顔で迎えてくれる。
ついでにご隠居のバングラ出国手続きも全部やってくれる。


インドのイミグレに行くにはちょっと歩くのでここはリキシャの出番。
イミグレまで道の両端に日本で見れないようなでかい木が並んでいる。
ご隠居曰く、「日本の松並木なんてメじゃないねえ」


やっぱりご隠居は俺達以上にバングラをお気に召したご様子。
終わりよければ全て良しと上手くバングラ道中記が締りそう。



そんでもインドに入ればやっぱりインド、数段うるせえ・・・
次に乗ってるコルカタのシアルダー駅に戻る超満員電車の中、
人と人の隙間を割って物売りがしょっちゅう行き来しやがる。
せっかくのバングラでのいい気分がどんどんと削られていく。


とどめに車内にマイクとスピーカー持ち込んで歌の押し売り・・・
満員の中で腐ってる俺達にとってはこれが完璧なトドメとなった。
70年代歌謡曲のようなものを見事な腹式呼吸で披露しくさって
俺達の殺意すらも封じ込められました、俺の魂抜き取られた気分。
これがアパッチの雄叫びってやつなんだろうか・・・


あげくに連れの女が車両中から集金に回ってやがる。
俺らのところにも来やがったけど当然払うわけねえ。
でも手をヒラヒラさせて追い払うのが精一杯だった、
タカちゃんすら怒鳴る気力が無くなっているくらい。
それでも金払っているヤツがいるのがもっと驚いた。


コルカタに着いたらまだ3時、意外と早く着いたもんだ。
それでもご隠居の体調はまたおかしくなっていたみたい、
(多分インド電車のせいだと思うけど・・・)
念のため今日中に病院へ行って診察してもらいに行った。










ご隠居即日入院Σ( Д) ゜ ゜

1月30日・クルナ
2007.02.19 [Mon] 23:30

引続き船の上、36時間という長い船旅も今日でおしまい。
やっぱり寝心地がいいから遅くに起きるのはしょうがない。
ついでに早朝の濃霧で3時間遅れらしいけど気にならない。

ご隠居はすでに起きていて昨日と同じく川を飽きずにずーっと眺めている。
この船旅だけで「入院してた分も取り戻したようだ」とまで仰ておられる。
そんな横で、俺達若造コンビは不敬にもギターなんぞを弾いて遊んでいた。


ここでも俺はイスラム服だったので船内の売店に行くときはよく声をかけられた。
考えたらここでの俺はイスラム服だけど仏教徒の外国人、そりゃーおかしいよな。

意外なことで嬉しかったのはイスラム教の女の子からも声をかけてもらったこと。
体の線どころか顔も隠したイスラム教の女の子が声をかけて来るからうろたえた。
相手も同じ人間なんだってことは分かっていたけど、せっかくなら笑顔も見たい。
当然バカやって笑わせたけど布で隠した顔の目が笑うといつもより倍嬉しくなる。
おかげで一仕事したって気になった、他に何か話した男のツラなんて当然忘れた。



俺らが降りる「クルナ」は終着駅なので乗り過ごすのは特に心配なし。
最初はたくさん乗っていた客も降りる頃にはもうまばらになっていた。
3時間遅れのせいか着くともう夜遅く、すでに店も閉まりだしている。

幸いガイドブックで宿を決めておいたのでそこへ向うことに。
安く泊まれるのはそこだけらしく他の宿は倍近くなるらしい。
リキシャに目当ての「パークホテル」へ連れて行ってもらい、
受付へ案内してもらって値段を聞いたら他の宿と変わらない。
「またボラれてんのか?」「リキシャへのコミッションか?」
疑いだしたら止まらない、またもタカちゃんが怒鳴り散らし、
2人部屋を3人で泊まることで妥協してやっと荷物を下ろす。


それでも納得いかないので軽く食いに表へ出ることにした。
カレーは夜だといいかげん胃に痛いので揚げ物を突っつく。
バングラでは小さい店でも揚げ物は豊富で色々と注文して、
3人とも気に入った卵のフライで機嫌を直して宿に帰れた。
そこで店の親父さんからありがたいことを教えてもらった。











親父「そこパークホテルじゃないよ」
一同orz

1月29日・ダッカ〜クルナ
2007.02.19 [Mon] 23:26

昨日に出航してからはやっぱり川の船、波が少ない分寝やすかった。
いつもより早く寝たのに起きたらもう10時、半分以上過ぎたんだ。
もう今夜の20時には到着のはずだから、残りの時間も早そうだわ。


まだ今は乾季だけど、雨季に入ると対岸が見えなくなる所もあるらしい。
言われてみると対岸の土手は明らかに川の氾濫によって削られた跡があり、
あと数年で崩れるであろう橋桁や半分以上露出した木の根がたくさんある。


さらに下流には新しい中洲があり、削られた分新しい土地が生まれている。
こうやって毎年地図が変わるという土地をバングラ人は渡り歩くんだろう。
「土地に根ざした」と言うが、ここでは「川に根ざした」と言うのかもな。

景色を見ても川幅が広く、網を投げて漁をしている人とたくさんすれ違い、
対岸にはまだまだ藁葺き屋根の家が点在し、各自家用船らしきものもあり。
新しい土地に作物を植える人達は昔ながらに腰をかがめて手で植える。


ご隠居はこういう景色を見て溜息と感慨交じりに曰く、
「もう日本ではこんな景色はもう見れなくなったねえ、
 それでもワシらはこういう中で育ってきたんじゃな。
 アルバムを開いてでしか見れない風景が現実にある、
 逆にワシらのような世代はこういう所へ来るべきだ。」


当たり前だけどやっぱり景色ってやつも見る人によっては全然違うよな。
ご隠居の言葉を聞いてなるほど、これが半世紀前の日本の原風景なんだ。
俺が生まれた頃はもう親の田舎でもとっくに機械化がされていたしなあ。
しばらくはご隠居にとっては昔日の、俺にとっては幻の日本に浸ろうと、
船の縁に体を預けて悠然と流れる景色に3人とも物言わず見入っていた。











たまーにご隠居の含蓄がこんな風に炸裂すんだよな

1月28日・ダッカ
2007.02.19 [Mon] 23:22

出発は今日だってのにあんまり緊張感のない面々。
病院を出るのは船の出港に合わせて3時半の予定。
そんなもんで横のBRAC経営の土産屋に寄って、
タカちゃんとご隠居は一緒にスラム街へお出かけ。
やっぱりたくさん写真を「撮らされた」らしい。
勧められたチャイをタカちゃんは遠慮したけど、
ご隠居様はここでも無警戒に飲んじゃったらしい。
以前の反省は全く反映されておりません・・・orz


夕方にはご隠居様お待ちかねの外輪船が出航する港に到着。
ここは大きな港らしいけどやっぱりそこは川の港の限界か、
小船から貨物船まででタンカーのような大型船は無かった。
港が船だらけなら当然陸も物売りと客でごった返している。
道路が整備される前は川が交通手段の国というのが分かる。
ご隠居は乗る前からすでに露店での交渉を楽しんでおられ、
ほんとにどこまでが病人なのか分からない・・・(;´ω)


船は1等・2等・3等に分かれており俺たちは2等船室。
1等には1等の客にしか入れない食堂が用意されており、
2等は普通のベッド部屋、3等は雑魚寝の大部屋になる。
でも1等も2等も2ベッドなので女の子の1人旅は注意。
料金は1ベッドに対してなので、2ベッド分買わないと
こっちの女性は一人旅なんてまずあり得ないらしいので、
バングラ男性と相部屋になる可能性がすごい高いらしい。


実際次の目的地「クルナ」へは船で26時間、でも陸路はもっと早いらしい。
やっぱり旅客船、また輸送船としての役割はすでに終わってるんだと思う。
もっとバングラが観光地になり客がたくさん乗ってくると俺も嬉しいんだけど。
その中、華の時代もあったであろう我らが外輪船は一番端に鎮座しており、
古いとは言われても外観はきれいに手入れがちゃんと届いてるのは嬉しい。











外輪船の名前は「ロケット」スチーマーだそうな

1月27日・ドゥルガプール
2007.02.19 [Mon] 23:19

今日の行先はドゥルガプール、マイメイシンからまたバスで3時間程。
民族部族資料館がありガロ族だけでなく他の部族の紹介もされている。
タカちゃんはまたバングラに来るみたいなので見ておくのはいいかも。


ドゥルガプールの近くにもガロの別の村があるらしく昨日と同じく行ってみる。
でも歩くには少し距離があるらしいのでまたリキシャに乗っていくことにした。
昨日と違い、今回はちゃんと価格交渉したけど、またも降りてから付いて来る。
交渉した結果すらもまだカモネギな料金払ってるってのか(50タカ)・・・?


やっぱり家のドアは開け放たれ、昨日と違うのは村の造りが細長いこと。
そうすると3軒隣へ行こうと思ったら途中の2軒の庭を通らないとダメ、
写真を撮りながら歩くには実に効率的な造りだと2人とも笑けてきた。

また途中でどっからどう見ても一般の村の家からお菓子をご馳走になった。
そんでまたフツーの20歳くらいの女の子から英語で少しだけ話ができた。
大学を目指しているとかじゃなく金持ちでもなく、ほんとうにフツーの子。
そんな女の子でも英語で話ができる教育を受けているのはやっぱりすごい。

ひょっとしたらこういうのはガロの村だけなのかも知れないけど、
勝手に「村は貧乏」って決め付けていた自分が恥ずかしくなった。
百聞は一見にしかず、片寄った情報を鵜呑みにしちゃいけないね。
少なくとも、ここの満ち足りた村の生活が見れたのは収穫だった。


そんでもメインの部族資料館は今日は休館日ナンテコッタイorz
俺の方も現地NGO団体の人とは少し話ができたけど、
フェアトレード関連の村や人への接触はできなかった。
残念だけどタカちゃんも俺も肝心な部分が欠けちゃった。


帰りのリキシャもやっぱり行きの倍額100タカを要求。
やっぱり計算方法は同じだったのか今回は素直に払った。

マイメイシンに着くともう夜7時になっていたけど、
まだダッカ行きの次の電車が30分後にあるらしい。
2人共もう用事は無いのでいっそ今日帰ろうとなり、
宿に戻って急いでチェックアウトして駅に駆込んだ。
インドと違い電車の時間が正確なのを呪いそうだった。


電車の中ではもうベンガル人ばかりなのでやっぱり囲まれる。
その中の1人、5,6歳くらいのガキがタカちゃんに因縁をつけ、
タカちゃんの最も大事なカメラがカツアゲされそうになっていた。
要するに「ダメだ」と言ってもまるで聞かない我がままボウズ。
横にガキの親もいたけどなんにも言わないでやんの、アホか。

他のことには寛容なタカちゃんもこればかりは赦すわけなく、
よってガキの腕を捻り上げ、見事に返り討ちにしてしまった。
甘やかされっぷりがよく分かる、1時間近く泣いてやがった。
泣き喚きながらもいかに痛いか捻られたかを熱弁してやがる。
子供いたぶる趣味はないけど、今回は2人とも謝る気は無し。


ダッカ着いたらさすがに深夜、タクシー使って一気に病院へ。
ご隠居の様子もマシになったらしく体調もいいみたいだけど、
入院中に少し歩いたときやっぱりまだ長くは歩けないみたい。
それでも出発はもう明日、変更は面倒臭いなので待ったなし。
ビザの日数的にももう待ったなし、覚悟を決めて船に乗ろう。











でも明日一番はしゃいでそうなのもご隠居だと思う・・・

1月26日・ガロ村
2007.02.19 [Mon] 22:22

毎度毎度のことながら朝一のはずが起きたら10時、いつものことか・・・
でも起きてからは早い、用意は10分で済ませて先住民族ガロの村へ出発。
リキシャにバス停まで乗せて行ってもらうけどわずか8タカ(15円ほど)、
本当にこれでこの人たちは生活が成り立っているんだろうかと心配になる。

まずは国境の町ハルアガットへ行って、さらにその外れにガロの村はある。
ガロ族はベンガル人と明らかに顔の造りが違って、かなりモンゴロイド寄り。
タカちゃんは「多分言い寄ってくるリキシャの中にもガロ族いますよ」と鋭い。
案の定、すぐ分かるくらいのアジア系がいて聞いてみるとやっぱりガロ族。
ガロの村まで案内を頼んでみると驚いたような照れたような笑顔で即OK。

途中で国境警備隊のところまで連れて行かれたときはちょっとビビッた。
俺たちを売り飛ばすつもりなのかと疑ってしまったけどただの道間違い。
道間違いも含めて1時間位背中に塩噴くまでリキシャを走らせてたので
タカちゃんが気前良く100タカ渡したらそのままずーっと付いて来る。
「もういらない」って何度言っても居残るので諦めて村の案内も頼んだ。

ガロ族はこのイスラム教が国教のバングラに珍しくキリスト教を信仰。
きっかけは忘れたけど村ごとキリスト教に改宗したという歴史がある。
さらに男社会の中にあってここは女系社会(姓も女性側のを受け継ぐ)


ガロ村の雰囲気は平和を絵に描いたような平穏さに驚いた。
現地の人と道ですれ違ってもほとんどジロジロと見てこない。

当然だけど村には教会もありブラザーやシスターもちゃんといてる。
教育も行き届いてるようで、村の人口よりどう見ても大きな学校と、
キリスト教の村らしく、ミッション系の女学校と寄宿舎まで建ってる。
村社会は女の子への教育は疎かになりがちなのにしっかりしてる。

驚いたのは子供達への英語教育、中学生で十分に話せます。
これは昔にカナダとオーストラリアのNGOが残した成果らしく、
今では現地の牧師がその語学教育を担っていると教えてくれた。


生活も裕福というか質素なんだけど満ち足りているというか、
家のドアはほぼ開けっ放しで外から丸見えだからよく分かる。
過度な贅沢品が無いけど必要なものは全部揃っている感じ、
TVやPCはまだ贅沢品だけど持っていなくても別に困らない、
その分他の家具調度品の質と装飾は確実にいい物持ってる。
何と言うか「足るを知る」って表現がぴったりだと思った。


そこへカメラ片手のタカちゃんと今日はイスラム風のパンジャビドレスの俺、
「フォト・ディナ(写真・OK)?」と「ノモシカール(こんにちわ)」2種類だけで
顔立ちは似てても明らかにおかしな風貌の2人が人の軒先へ踏み込んで、
写真を撮りまくって行くというのは村にとって怪異なことだったろうなあ。

でも断られることはなく、それどころかお菓子までご馳走してくれたり。
若い人に聞いてみると外国人旅行者なんて1年以上見ていないそうだ。
それでもジロジロ見ず、もてなしてくれたりで日本人以上に丁寧です。

間違いなく俺の中でベストオブバングラデッシュ、マジでもう一度来たいわ。
残念だけどこの村には宿泊施設が無いのでマイメイシンまで戻ろることに。
帰りもバス停まで乗せてもらい別れ際に200タカ要求されたのは笑った。
行きの100タカを元に帰りも同額、残り100タカは村の案内賃、だそうな。
行きを基準にしてるってことはこいつ、50タカだったらどうしてたんだろう?











シスター寮にもっと入り込んでもみくちゃにされたかった・・・

1月25日・マイメイシン
2007.02.19 [Mon] 22:18

つーわけで今日からようやくというかダッカから移動、
朝一から移動しようと言ってた割に出たのは9時半。
もう今さらお互い時間についてはとやかく言わないし
インドよりマシだよなって思ってたらそれでOKです。


タカちゃんは東のチッタコゴンやコックスバザールへ行きたいらしいけど、
今は外務省の安全情報でも危険地域に指定されているので今回は無理。
ちょうど来るときに大統領が辞任して今は無政府状態になっているらしい。
そのため暴動の原因になっていた選挙の実施も延期されてしまったらしく、
バングラの人達は慣れているのか、「もうしばらくは大丈夫」と言っていた。

でも今回は今日から3日間しかないのでそんな遠くへは行けない。
行先はタカちゃんが次に目をつけていた北の町「マイメイシン」。
ダッカからバスがよく出ているらしく、2,3時間程で着くらしい。
さらに北の国境付近の先住民族「ガロ」の村へも行きたいらしい。


まずはバスに揺られてマイメイシンに着いてみるとやっぱり人混みすげえ。
正確には人混みの中のリキシャの割合がどう見てもおかしいくらいに多い。
バス停で降りたらすぐ一斉に客待ちリキシャの一団がお出迎えしてくれる。
まずチャイを飲んで落ち着かないとこっちが飲まれる、シャレにもならん。
それでも相手から寄って来てくれるって事は情報は集めやすいんだけどね。

人口過密の国の喰いっぱぐれがたくさんいるってことなんだろうな・・・
それとも今は(一応)冬なのでそれだけ出稼ぎに来ている人もいるからか?
こうやって次はインドみたいにみんなタクシーに変わっていくんだろうか?
でもダッカに比べてまだ交渉も正直にやってくれるみたいでちょっと安心。

目星をつけていた何軒かの宿へ向かってもらい無事3日の宿を確保。
このマイメイシンを基点にまた他の町へ日帰りで向うことができる。


そしてマイメイシンの隣町にはバングラでも有名なお菓子があるらしく、
お菓子の名前は隣町の名前そのまま使っていて「モンダ」というらしい。
着いた時間も2時を回ってて、今日はこの町周辺を周るつもりだったし、
ご隠居へのお土産を先に買っておこうとすし詰めバスで行ってみた。
バスの中で(おそらく)ゲイな人にタカちゃんが撫でられまくっていた、
タカちゃんイラン以来2度目のモーホー被害らしい・・・
言っときますけどタカちゃんはノーマルで身長180の骨太スリムです。


よりによってそいつが勝手に付いて来て何故か道案内までしくさりやがって、
あげくに何故か一緒に食ってる俺達、道案内の礼?として勝手に注文された。
ヤツに怒鳴ったりしなかったのは何かしら別モノの怖さがあったからと思う。
出てきたお菓子は牛乳と砂糖を固めた物なので日持ちがしないのにがっかり。
そんで店主の態度はでかいし味も正直ダダ甘い和菓子風の乳菓子、土産失格。


今日はおとなしく帰ってギター弾いてデジカメでお互いの写真撮って憂さ晴らし。
そしたらデジカメ使いまくった後にの充電器を忘れて来ていることに気付くorz
さらに撮りすぎて残りの写真容量もかなり少なくなっていることにも気付くorz
今日は厄日か?










イスラム教の男は現実にホモ率高いらしいよ(;・∀・)

1月24日・ダッカ
2007.02.19 [Mon] 22:12

朝にタカちゃんは到着、でも午前中に来るはずの先生が全然来ない。
ご隠居の診断結果を出してもらわないと今後の予定が話し合えない。
やっと1時半になって先生様ご来訪、変なところはインド系ですね。

先生が言うには、
・最低2,3日の安静が必要
・短時間の歩行はいいけど痛みが出るまで歩いたら回復しない。


そのため3人で話し合った結果、ご隠居はこのまま入院してもらい、
入院してもらう3日間で俺とタカちゃんが農村部へ行くことになった。

今日はもう昼をけっこう回っているので出発は明日にすることに。
この病室に荷物を置かせてもらえるので宿はチェックアウトして、
ご隠居が退院予定の28日夕方の外輪船の切符を手配すること。


*外輪船
 文字通り船の横っ腹にでっかい水車が付いているバングラ名物船。
 お飾りで付けている観光船は多いけど現役なのはバングラくらい?
 船体自体も相当に古く、今後いつ廃船になってもおかしくないらしい。
 ほんの一昔前は貨物船としても旅客船としても活躍してたらしいが、
 道路の整備が進み陸路での移動や輸送が格段に進歩したこと等や、
 他の船のほうが速いため今では観光が主な役割になっているらしい。


やること自体は少ないはずなんだけど移動は本当に時間かかるんだよね、
ほとんど移動時間に費やしてリキシャとまた揉めたこと以外は無事終了。
あのヤロウども吹っ掛けてくるときは本当にボッてきやがるわけでして・・・、
今回はバングラ来て以来最高金額、相場の10倍を吹っ掛けてきたので
タカちゃんがまたえらい剣幕で怒鳴ってくれました、やっぱりあんた最高。










俺の出番無ぇー(´・ω・)

1月23日・ダッカ
2007.02.19 [Mon] 22:04

男やもめ3人衆、揃って起きればすでに昼近くという体たらく。
タカちゃんは今日1人でカメラ片手に色々と街を回ってもらい、
俺はご隠居の足の具合が良くないので今日一緒に病院へ。


ダッカには「山形ダッカ友好病院」という日本語が通じる病院があり、
JICA関係の人やバングラ駐在の日本人もよく利用しているらしい。
この病院長が以前に山形県に研修に行ってたことが病院名の由来。
以降、ここの先生の多くが日本のどこかへ研修へ行っているらしい。
そのおかげで日本語の対応も完璧になのでご隠居にはありがたい。
俺も病気とか症状とか、英語で説明されても分からんから助かった。

診断の結果、腫れはご隠居が疑っていたリンパ線ではなくヘルニアでした。
本来は手術がいいけど、手術するとそのままインドへUターンになるために、
今日のところはご隠居の意を汲んで抗生物質と牽引で応急処置することに。

バングラに来たあたりから、夕方になるとよく道に座り込んでたんだけども、
俺はてっきり疲れからだと思ってたら本当は足腰の痛みからだったらしい。
それでも来たのはやっぱり以前にも同様足の痛みでバングラを諦めており、
今回もまた同じように足腰のせいで2度も中止になるのは悔しいだろうに。
でも、「助さんと格さんがいなかったらまたバングラ諦めていたかも・・・」
なんて聞いたら放っとくわけにはいかんでしょう、内心ちょっと火がついた。

で、ついでに他の検査も兼ねて早速今日から入院することになってしまった。
幸い部屋はネットに繋げられるので俺のPCがあれば退屈にはならんでしょ。
他の検査をすると言っておきながらけっこう放置され気がつけばすでに夕方、
そろそろ帰ってるはずのタカちゃんに電話すると明日の朝一に来るとのこと。
同時に明日の朝には今日の他の検査結果が出るので予定を立て直ししよう。
てなわけで今日は割り切って2人ともネット三昧。












でもご隠居が寝込んでしまわれると水戸黄門は成り立ちませぬ

1月22日・ダッカ
2007.02.12 [Mon] 03:18

朝からJICAへ行く予定だったところ、
ご隠居のコルカタ滞在中のバングラ人に写真を届けに行くことになりました。
日本で15年働いていた人なので日本語ペラペラらしい。
電話してみるとすぐ会えるし車で15分ほどの場所らしいので先に行くことに。

宿前の大渋滞からやっと捕まえたタクシーに住所を見せていざ出発。
のはずが15分どころか30分以上経ってもなかなか着かず。
あげくに運転手が道行く人に場所を聞いている始末。
後で知ったけどバングラの成人識字率は未だに50%前後だということ、
タクシーの運転手やリキシャなど地方からの出稼ぎ労働者は特に顕著らしい。
最初の出だしから分かってなかったってことなのか・・・

着いたら先方はでかいビルを建築中のオーナー、建築中なのにもう住んでます。
バングラだけでなくインドなどでもブロック塀積み上げとフロア作成は同時進行です。
中は今までのアジアの家のどこよりも綺麗でおしゃれでお手伝いさん付き。
日本で貯めた金を元手にしてこっちでも貿易の仕事を始めるとのこと。

こっちでのお手伝いさんは12歳、ここで住込んで働いています。
住込み時期の全費用と結婚時の全費用を出すことを条件に給料などは無し。
バングラでは結婚時の持参金が悩みの種で「3人の娘の親」という諺があるくらい。

前々から気になっていたNGOや国内外の援助団体の感想を聞くことができた。
このバングラは援助団体が山のようにあるけど有名なのがありまして、

「グラミン銀行」
農村部の貧困層への無利子&低利融資(マイクロクレジット)
をきっかけにノーベル平和賞受賞の銀行。
経済の常識に反した無利子、もしくは低利息による貸付。
今では銀行業だけでなく他業種に渡っている。
「BRAC(ブラク)」、
旧称バングラ農村向上委員会。現在ではバングラの看板企業。
本来の政府の補完作業的役割のNGOから営利団体へと進化。
すでに雇用・経済の一角を担うにまでに役割が広がっている。

その分金持ってる人には利息高くして貸し付けるなどしてはいるものの
評判と存在意義は十分に理解していた。
それでも都市部への人口流入はまるで止まっていないのが現状ですけど。
おまけで可愛い娘さんの1歳誕生パーティーの映像を見せてもらった。


夕方近くになり本来は朝一のはずのJICAへ移動。
アポ無しで突撃したけど応対してくれた人がいい人。

タカちゃんは今でも昔ながらの風習や民族衣装を残している農村と、
俺はその上でできれば援助団体が介在している農村を聞きたい。
ご隠居は昔のバングラ担当官の知り合いの消息を聞きに来た。

ご隠居の尋ね人は不確定ながら分かったけど、俺達のは返事は夜に電話預かりとなった。
一緒に各村にて俺達の案内もできるかどうかを各地の隊員に聞いてくれるらしい。
さすがにそこまでは期待してなかったし返事によるとやっぱり無理だったらしいけど
「地方都市周辺の農村には昔ながらの民族衣装も風習も色濃く残っています。
 そしてこの国のどこへ行っても何かしらの援助団体が介在しています。
 そのくらいこのバングラという国は被援助大国なんです。」
ダッカの外へ行くのは返事次第と思ってたけど結局これじゃまとまらないorz
夜に移動するのはやっぱり危険だとか安全に関する情報を色々ともらって帰路に就く。
色々と気遣ってもらってありがたいです。

帰る前にご飯に寄った先は外資系のバーガー屋「A&W」、日本では沖縄にしかないらしい。
ハンバーガーというだけで懐かしくどんな味でも許せてしまう。
マクドには勝ってるな、うん・・・。












一緒に飲んだコーラはサロンパス味だった・・・
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