大橋政人・26個の風船

November 20 [Tue], 2012, 7:44
今年刊行されていて、読めずに気になっていた大橋政人さんの詩集26個の風船榛名まほろば出版、2012年9月刊をアマゾンで取り寄せた。
おもったとおり、柿沼徹さんのもんしろちょうの道順に匹敵する哲学詩集だった。
これまた今年の収穫のうち最大級といえる。
哲学詩とはなにか。
まどみちおの詩篇りんごを知るひとは何となくイメージできるだろう。
世界の本質事物空間時間などが簡潔なことばでつかまれ、同時にそれが詩的修辞として豊穣な含有をしるしている、というものだ。
考察を哲学カで語ると多大な展開を必要とするはずなのに、この世のことばの法則にしたがって、簡明な詩の範囲に清潔に寸止めされているものといっていい。
多くのひとはヴィトゲンシュタインのかたりえぬものについて意識していて、それで寸止めが生じているはずだが、かたりえぬものと詩の関係は相補的というよりむしろ、相即的というか一如的なのだった入不二くん、詩を書かないかなあ。
ここでもまた出し惜しみをして具体的な引用をしないが、大橋政人26個の風船の構成は、こちらに向かってくるものの尖端性はなにかということを実体験から考察した詩篇と、からだの各部位はそのまま自明的にその部位だろうかと本質的な疑念を呈した数篇、その織りmintmintm.com合わせからなる前半部から開始される。
詩集ほぼ中央に、小学生でも読めるような語彙と展開で、しかもカタカナで書かれた、直截的な哲学詩があり、あとは動物の存在本質をその動物の本質をつうじてだけつかまえる最後尾あたりの猫詩数篇が、冒頭の見事なナマズ詩とひびきあっている。
構成的にも素晴らしく、いままで大橋さんの詩を詩集単位で接してこなかった自身の不明を恥じたのだった。
ほかもなんとか手に入れなければ。
まどみちおのりんごでは存在と場所の合一が起きて、そこで唯一性や偶有性、さらには排中律についての思考が惹起される。
いずれにせよ、りんごは彼の眼前に見られている。
いっぽう哲学者の考察では、たとえば椅子や石などの例示が多いが、それらには体験的実在性よりも揩ヨの導入項といった抽象性がたかまる。
そこが哲学詩と哲学のちがいかもしれない。
むろん実際に実在していることが、たぶん詩的修辞を、展開体系の手前で寸止めさせる要因になる。
なぜなら物や場や時は、いつもそれじたい慎ましく在ったりながれたりしていて、思考主体もそのなかに入るしかなく、哲学者のような思考の雄弁性を発揮できる外部には立とうとしないからだ。
だからこそ、すぐれた哲学詩の詩作者は、沈黙の必然を説いたヴィトゲンシュタインの系譜へと参列してしまうのではないか。
ということで、哲学的考察が事物をつうじてひらくのが、まずは場所ということになる。
その場所は詩作者の個人性を帯びていればいるほど、普遍となる。
場所と哲学が完全にむすびつき遺漏がないのが、大橋さんや柿沼さんで、そこから今度は場所詩として川田絢音さん、松岡政則さん、齋藤恵美子さん、白井明大さん、清水あすかさんの詩業が展け、そこに想像性がさらに加わって、瀬崎祐さん、野村喜和夫さん、小川三郎さん、金子鉄夫さん、中村梨々さんの詩業が合流する、という大きな見取りが成立するのではないか。
もうひとつ、哲学オルタナティヴというべき傍流もあって、田中宏輔さん、高階杞一さんはここに入るだろう。
むろん哲学はことばの自在性にメタ的な疑義をくわえる本質的思考でもあり、ここでは望月遊馬さん、白鳥央堂さん、大江麻衣さん、そしてここにも金子鉄夫さんのすばらしい詩業が振り返られなければならない。
まあ、いまおもっている年間回顧の大枠はそんな感じかな。
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