絶歌

September 12 [Sat], 2015, 0:15
元少年A著「絶歌」が出版されることを知ったのは数カ月前のことでした。
(本当に本人が書いたものかどうかが不明だという話は今回置いておこうと思います。)

私は手に取る気にもならず、ただただ多方面で話題になっているのを横目で見ながら日々を過ごしました。

そして昨日、今度は元少年Aが自身のHPを開設したことを知りました。
「存在の耐えられない透明さ」
これは「存在の耐えられない軽さ」という小説に由来するのでしょうか。

元少年Aが事件を起こしたのは、私が7歳のときでした。
それから長い時間を経て現在に至るまで、この事件はあらゆる面で話題となり、影響力もそれなりに大きかったと認識しています。

私も少年A/元少年Aや、事件についていろいろと思い、時には憤り、時には悲しくなったものです。

ですが、今回元少年Aが「絶歌」そして「存在の耐えられない透明さ」を形あるものとして、私たちの日常に放り込んだことを受け、
私は元少年Aのことを頭の中から排除することに決めました。

かつて最悪な少年犯罪として世に刻まれた事件は、時を越えて、ただ軽率なばかりの悪意のカタマリと成り果てたのです。
もう彼は「少年」でもなければ「得体の知れない怪物」でもありません。
反社会的な性格に憧れ、マイノリティーな性的嗜好を抱えただけの男です。

私は亡くなった被害者のお二人の苦しみや無念さ、傷つけられ辛く恐ろし思いをしたであろうもう一人の被害者の方のことを思い、胸を締め付けられながらも、どこかで少年Aのことを心に留めていました。
14歳だった彼がいつか過ちの本質に気づき、赦しを求める日を願っていたのです。
それは在り来たりで、退屈で、つまらないことなどではなく、最悪の出来事に唯一意味をもたらしてくれる希望であるからです。
だからこそ、今回このような形で元少年Aの名を耳にすることになり、とても残念でなりませんでした。

著書ではもちろんのこと、HP上でも、彼はすでに「元殺人者」である意識を欠いていて、まるであの事件に対しても、「過去」という名の作品かのような意識を持っているのだと感じざるを得ませんでした。

残念な気持ちと共に真っ先に考えたのは、被害者遺族の方々のことでした。
これは、出版に関しての前以た断りや説明がなされたか否かの話に因むものではなく、被害者遺族の方々の絶対的な存在と、それに伴う絶対的な悲しみや絶望を深く感じてのものでした。
被害者児童のご両親は間違いなく最愛の子供を失っている。被害者児童のご兄弟は間違いなく大切な兄弟を失っている。
その大きすぎる事実が、まだしっかりとそこにあるのです。
日が昇れば、その影は深く濃くなり、日が沈めば、その暗闇に飲み込まれまいと力強く踏ん張っている事実が、です。

少年Aの事件は、彼の年齢、残虐さ、挑戦状の文章…と、あらゆるところに「稀さ」が目立ったために、彼を極端に恐れたり、憤ったり、また崇めたり、と事件を見つめる人々の心は大きく揺さぶられました。

少年A、少年A、少年A、少年A…

世間は少々彼にピントを合わせ過ぎたのではないかと思います。

少年Aが誰を、どうして、どんな風に殺害し、その後どのように血で手を染めたのか、
一人の少年がどのような環境で育ち、どのような思想を、どのように構築していったのか、イマジナリーフレンドは本当に彼の中に居る(居た)のだろうか…
世間は時に目を輝かせ、時に驚き、時に少年Aに「人間の闇の何たるか」を背負わせることに必死でした。
(もちろん、被害者やそのご遺族に心を寄せて過ごされていた方も大勢いらっしゃったと思います。)

これは人間なら当たり前のことです。好奇心というものは、何もポジティブで美しいことのみに向けられるものとは限らないからです。
「自分と同じ人間」に何が起きたのか、これを想像し様々な思いに耽ること自体は健全です。

けれど、忘れてはいけないのは「殺人者」が生まれた陰には「命を奪われた者」がいるという確固たる事実です。

少年Aがどんな人間で、どんな思想を持っていたかなどとは次元の違う話なのです。

命を奪われた者と、最愛の人を奪われた者の絶対的な存在を前に、
いかなる理由であれ、奪ってしまった側の人間が、彼らをこの後に及んで苦しめてはいけない。
私はそう思います。
そして「絶歌」はまさに被害者やそのご遺族、またこの事件に心を痛めた多くの人を苦しめる内容であることは、僅か数行足らずの抜粋記事群を読んでも明らかです。
「絶歌」が出版され、多くの人の前に晒されることにより、被害者は一度のみならず、何度も何度も誰かの想像の中で亡くなるのです。
それも甚だ身勝手な動機のもとに。

反社会的な性格の人や、それに憧れる人、世の中に順応し兼ねる思想を持った人が存在するのは確かです。これもまた複雑な問題で、中には望まずも極自然な形でそのようになる人もいます。(私個人、少年Aは元来のサイコパスではなく、極度にそれらに憧れを抱いてしまいマイナスな努力をした人であると思っています。)
程度に差はあっても、彼らにいわゆる道徳観念の修正や更生を求めるのは難しいことかと思います。

では、今日の元少年Aの姿はこうなる他無かったのかというと、そうならない道も十分にあったと考えています。

「絶歌」
これは、元少年Aにとっては「真実」として、はじめからいつか産み落とすことが決まっていたような強い何か、だったのかも知れません。
「絶歌」や「存在の耐えられない透明さ」で明らかな通り、彼には何を言っても無駄です。彼のようにサイコパス(認められない何か)に強く憧れる人にとって、世間からの「非難」は自己の異端性の再確認にしかならず、むしろ逆効果ですらあるかも知れません。

ですが、このようなケースの「形の無い痛みや叫び」が形を得る為には、外部の協力が必要不可欠です。
例え彼が「絶歌なるもの」を産み落としても、それを「絶歌」にする者がいなければ、それは「絶歌」にはなり得ないですし、
例え彼の産み落としたものが「絶歌」という姿を得ても、それを目で捉える者がいなければ、それは存在しないことと変わりません。

彼の妊娠を支えた幻冬社、そして彼の出産を手助けした太田出版には、今後長きにわたって、その意味を(利益云々抜きにして)考え続けて欲しいですし、非難の声も真摯に受け止めて頂きたいです。
そして「絶歌」を購入した方や、目を通した方は、その内容に心を使う前に、著者の記した一字一字の裏、その遥か遠くに、もしくはすぐ傍に、亡くなったお二人や傷ついた方、そのご家族やご遺族の方々の底知れない悲しみと痛みがあることを思い出して欲しいです。

人が壊れていくのは簡単です。
壊したり、奪ったり、そしてそこに自分の都合を擦りつけることは簡単です。
悪しき思想に溺れることも、おかしな人間を決め込むことも、実はとても簡単です。
あなたにも、私にも、できます。

しかし、清らかに、正しく、優しく、強く生きることは難しいです。
これは誰にだってできることでは決してないです。

前者が特殊で特別なのではなくて、後者が本当は特殊で特別なのだと私は思います。


元少年Aの産み落とした「それ」が、今日明日を吹く風に消えていくことが難しいのなら、
せめて一人でも多くの方が、被害者やご遺族の方々の紛れも無い「今」を思うことを願って止みません。




*ぴーこ*
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