細木数子に言い返せ。
2006年01月08日(日) 21時34分
今日テレビを付けたら、細木数子が小学生にご託宣を下していた。
いじめられないか不安です、という小学生に細木数子が返した答え。
『いじめなんてものはありません。ただ、いじめたくなる人間っているんです。先生はそうです。いくら教えても仕事の出来ない人間、イライラさせられる人間、それは心がグチャグチャになっている人間です』
その後はまあ、いじめられない人間になるためにも、顔を洗ってシャッキリして挨拶しっかりしなさいとか、心の教育がなってないとか、言ってたけど。
あきれた。
前からこの人は言葉が貧しいと思ってたけど、ここまでだとは思わなかった。
いじめたくなる人間、確かにいます。
でもちょっと待て。
いじめたくなる人間が居たら『いじめてよろしい』って事にはならない。
他人に暴力を振るったり、追い詰めたり、そんな事する権利なんて、そもそも誰にもないでしょう。
無能な人間がいじめられるんじゃないんです。
『こいつ気に入らない』と思われた人間が、いじめられるんです。
いじめたくなる人間、って結局、気に入らない人間です。
気に入らない人間なんて、いて当たり前。
なんで当たり前かって言ったら、他人はあなたに気に入られるために存在しているのではないのだから、(もちろんあなたも他人に気に入られるために存在している訳ではない、でも人間は何かの形で他人を必要とするのだけど。)気に入る人も気に入らない人も居る、それだけの事。
世間も他人も、あなたに合わせたオーダーメイドではないのだし、世界はあなたのために作られたのではない。誰も世界の王ではないのだから。
むしろ、『気に入らない人間がいてもいじめてはいけないんだよ、気に入らなければ危害を加えて良い、排除して良いという考え方は恐ろしいのだよ、それは傲慢なのだよ』ということを子供に教えなくてはいけないんじゃないのかな。
いじめられないか不安です、という小学生に細木数子が返した答え。
『いじめなんてものはありません。ただ、いじめたくなる人間っているんです。先生はそうです。いくら教えても仕事の出来ない人間、イライラさせられる人間、それは心がグチャグチャになっている人間です』
その後はまあ、いじめられない人間になるためにも、顔を洗ってシャッキリして挨拶しっかりしなさいとか、心の教育がなってないとか、言ってたけど。
あきれた。
前からこの人は言葉が貧しいと思ってたけど、ここまでだとは思わなかった。
いじめたくなる人間、確かにいます。
でもちょっと待て。
いじめたくなる人間が居たら『いじめてよろしい』って事にはならない。
他人に暴力を振るったり、追い詰めたり、そんな事する権利なんて、そもそも誰にもないでしょう。
無能な人間がいじめられるんじゃないんです。
『こいつ気に入らない』と思われた人間が、いじめられるんです。
いじめたくなる人間、って結局、気に入らない人間です。
気に入らない人間なんて、いて当たり前。
なんで当たり前かって言ったら、他人はあなたに気に入られるために存在しているのではないのだから、(もちろんあなたも他人に気に入られるために存在している訳ではない、でも人間は何かの形で他人を必要とするのだけど。)気に入る人も気に入らない人も居る、それだけの事。
世間も他人も、あなたに合わせたオーダーメイドではないのだし、世界はあなたのために作られたのではない。誰も世界の王ではないのだから。
むしろ、『気に入らない人間がいてもいじめてはいけないんだよ、気に入らなければ危害を加えて良い、排除して良いという考え方は恐ろしいのだよ、それは傲慢なのだよ』ということを子供に教えなくてはいけないんじゃないのかな。
『だから他人をいじめてはいけないし、いじめに加担してはいけない。いじめる人間なんてそもそも、他人を自分の都合でうまく動かすのが得意なだけ。自分ひとりでは何も出来ない。
そんな奴に乗せられるな。
誰もそいつに乗せられなければいじめは起きないし、いじめが起きなければあなたがいじめられる事もない。
それでももしいじめられたら、戦っても逃げても良いから、どっちの方法でも良いから、自分を守りなさい。今あなたが居る場所なんて世界の中のたった一ヶ所なんだから、そこだけで何もかもを決めることなんかないよ』
私が細木数子の立場なら、そう返事をする。
気に入らない人間でも共存していかなくてはいけないという事はザラにある。
私はそういう時、無理に相手を好きになろうとは思わない。
それなりの距離を取って共存していく。
無理に好きになろうなんて努力なんかしちゃったら余計しんどいからね。
これは私なりの肩の力の抜き方なんだけど、こうやっているうちに前ほど嫌いじゃなくなった、という事もあった。
気に入らない人間でも、むこうが積極的に私に危害を加えてこなければ大体それなりにやっていける。
まあ、そういう態度を冷淡とか無関心とか取られたこともあったけどね。
でも無理なプレッシャーって私、嫌いなんだもん。かけられるのも、かけるのも。
人間、踏み切るときは踏み切るし、追い詰められるときは追い詰められるのだ。
日常くらい、気楽に呑気に行きまっしょい。
そう言えば以前知っていた人で、すぐ人に『性格を直せ』って言う人がいたな。
癖は直せても性格は直せないし、そもそも性格は病気じゃないから直すも直さないもないでしょう。
短所と長所は合わせ鏡みたいなもんなんだから、自分の癖がマイナスに作用する場面でだけ、ちょっと気を付ければいいだけの事じゃないかな。
でもその人はすぐに言うんだな。『性格を直せ』って。
その人も気に入らない人間をすぐ排除したがる人だった。
(矯正は暴力に頼らない排除だと思う。要は人格否定・コントロールのバリエーションだもん)
この人に似た部分は、誰の中にも結構ある。もちろん、私自身の中にも。
だから私は、自分の中のこういう部分で、他人を押しつぶすような事はしたくないし、しないように気をつけようと思う。
自分の中のそういう部分とどう付き合っていくか?というのも結構大事なんじゃないのかな。
いじめなんてものはありませんよ!と細木数子は言ったけど、いじめはあります。
それはどこに根ざしているか?
もちろん、いじめる人間の心の中。
いじめる人間が誰を、どういう理由で気に入らないか?という所からいじめは始まるんだから。
けど気に入らない人間をいじめて追い詰めて追い出したって、自分の中の『その人を気に入らなかった』という部分は変わらない。
劣等感だったり、破壊衝動だったり、弱気から来る保身だったり、色々だろうけど、それはいじめた人間の中にあるんだから。
そういう意味では、いじめた人間の方が問題から逃れられないし、抱えている闇は深いと思う。
私にも気に入らない人間はいます。今までだっていっぱい居ました。
でも気に入らない人間から学んだことは結構大きかった。
むしろ気に入る人しか居ない世界なんてもんは異常なんじゃないのかな。
後からそう思いました。
ガマンが美徳、って意味じゃないですよ。
感情も人間関係も、プラスマイナス揃ってて初めてバランスが取れる、どちらかだけに片寄らないことがむしろ健康だろうという意味。
私の場合、気に入らない人間は、有能でも無能でも気に入らないし(そもそも気に入らない人間なんて、有能ならカンに触るし無能ならイラ立つし、要は居るだけで気に入らないもんです)、気に入る人間は有能でも無能でも気に入ります。
細木数子に取って無能な人間=気に入らない人間という事なら、彼女は他人を『役に立つか、立たないか』という物差しで測っている、という事じゃないのかな?
しかしあれだけスタジオに人がいて、誰も細木数子に言い返さないんだね。
一人ぐらい、言い返せや。
『お前その性格直せ!』って。
・・・・・・あり?
そんな奴に乗せられるな。
誰もそいつに乗せられなければいじめは起きないし、いじめが起きなければあなたがいじめられる事もない。
それでももしいじめられたら、戦っても逃げても良いから、どっちの方法でも良いから、自分を守りなさい。今あなたが居る場所なんて世界の中のたった一ヶ所なんだから、そこだけで何もかもを決めることなんかないよ』
私が細木数子の立場なら、そう返事をする。
気に入らない人間でも共存していかなくてはいけないという事はザラにある。
私はそういう時、無理に相手を好きになろうとは思わない。
それなりの距離を取って共存していく。
無理に好きになろうなんて努力なんかしちゃったら余計しんどいからね。
これは私なりの肩の力の抜き方なんだけど、こうやっているうちに前ほど嫌いじゃなくなった、という事もあった。
気に入らない人間でも、むこうが積極的に私に危害を加えてこなければ大体それなりにやっていける。
まあ、そういう態度を冷淡とか無関心とか取られたこともあったけどね。
でも無理なプレッシャーって私、嫌いなんだもん。かけられるのも、かけるのも。
人間、踏み切るときは踏み切るし、追い詰められるときは追い詰められるのだ。
日常くらい、気楽に呑気に行きまっしょい。
そう言えば以前知っていた人で、すぐ人に『性格を直せ』って言う人がいたな。
癖は直せても性格は直せないし、そもそも性格は病気じゃないから直すも直さないもないでしょう。
短所と長所は合わせ鏡みたいなもんなんだから、自分の癖がマイナスに作用する場面でだけ、ちょっと気を付ければいいだけの事じゃないかな。
でもその人はすぐに言うんだな。『性格を直せ』って。
その人も気に入らない人間をすぐ排除したがる人だった。
(矯正は暴力に頼らない排除だと思う。要は人格否定・コントロールのバリエーションだもん)
この人に似た部分は、誰の中にも結構ある。もちろん、私自身の中にも。
だから私は、自分の中のこういう部分で、他人を押しつぶすような事はしたくないし、しないように気をつけようと思う。
自分の中のそういう部分とどう付き合っていくか?というのも結構大事なんじゃないのかな。
いじめなんてものはありませんよ!と細木数子は言ったけど、いじめはあります。
それはどこに根ざしているか?
もちろん、いじめる人間の心の中。
いじめる人間が誰を、どういう理由で気に入らないか?という所からいじめは始まるんだから。
けど気に入らない人間をいじめて追い詰めて追い出したって、自分の中の『その人を気に入らなかった』という部分は変わらない。
劣等感だったり、破壊衝動だったり、弱気から来る保身だったり、色々だろうけど、それはいじめた人間の中にあるんだから。
そういう意味では、いじめた人間の方が問題から逃れられないし、抱えている闇は深いと思う。
私にも気に入らない人間はいます。今までだっていっぱい居ました。
でも気に入らない人間から学んだことは結構大きかった。
むしろ気に入る人しか居ない世界なんてもんは異常なんじゃないのかな。
後からそう思いました。
ガマンが美徳、って意味じゃないですよ。
感情も人間関係も、プラスマイナス揃ってて初めてバランスが取れる、どちらかだけに片寄らないことがむしろ健康だろうという意味。
私の場合、気に入らない人間は、有能でも無能でも気に入らないし(そもそも気に入らない人間なんて、有能ならカンに触るし無能ならイラ立つし、要は居るだけで気に入らないもんです)、気に入る人間は有能でも無能でも気に入ります。
細木数子に取って無能な人間=気に入らない人間という事なら、彼女は他人を『役に立つか、立たないか』という物差しで測っている、という事じゃないのかな?
しかしあれだけスタジオに人がいて、誰も細木数子に言い返さないんだね。
一人ぐらい、言い返せや。
『お前その性格直せ!』って。
・・・・・・あり?
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もんこちゃん
