5. 友人の恋A 

November 30 [Sun], 2008, 13:37

樋高のバイト、次の日。

何と彼女は前日と全く同じ行動をとったと言う。

暗く、静かに、つまらなそうに、今度は4〜5時間をかけてピンクの花を仕上げた。

そしてそれを樋高に渡し、「さくら」とつぶやく。



最後に彼女は髪を下ろし、メガネをはずし、ちょっとした変身を遂げてから事務所を後にする。




その彼女の変身にあわせて、彼の手の中の絵もとびきり魅力的なものへと変身するのだ。










最終日。

一点を除いては、前の2日間と何も変わらなかった。




もっとも、彼女がメガネをはずす儀式を行うまでは、その一点の違いすら見つからなかったのだが。




その日もすばやく変身を遂げた彼女は、一礼をして事務所の扉を開けた。

最後になるであろう後姿を名残惜しく見つめていた樋高は、出て行くはずの彼女が突然くるりと振り返ったので少しだけ驚いたと言う。


ぎこちなく振り返った彼女は、見たこともない柔らかな表情で微笑んだ。


その瞬間、樋高は三日間で彼女が唯一描いた3枚の桜の花を、自分のデザインにコラボレートしようと決めたのだそうだ。









出来上がった表紙をもう一度眺めながら、妙に納得していた僕に樋高が言った。






「今日、これを渡す為に彼女に会うんだ。」








名前も知らない、言葉を交わしたこともない、たった三日間同じ空気を吸っただけ。

そんな女性に恋をし始めた彼。

彼と仲良くなったのは大学に入ってからだから、約一年の付き合いだが、はじめて見るきらめいた顔に、悪い気はしなかった。









結果、彼が納めた 「大成功」 は、表紙のデザインの大成功ではなく、

彼自身の、彼の恋愛の、成功を意味しているだけだった。




とは言ってもデザインのほうもあながち失敗ではなかったのだろう、彼はその事務所から再度仕事の依頼を受けているらしい。







僕は、彼をうらやましいと思った。



恋をしていること、新しいことに突き進んでいること、それに加えて、樋高が別れ際にさらっと言った言葉が、何よりうらやましかった。











「些細な出逢いも、大切にする主義なんだ。」









何故その言葉を聴いた瞬間、数日前のあの箱庭男を思い出したのだろう。


そして思い出すのみにとどまらず、知らず知らずのうちに「また偶然に会う日が来るだろうか」などという考えすら浮かんできて、気づけば僕は、午後からの講義もほったらかして校門の外へと歩き出していた。

4. 友人の恋@ 

November 30 [Sun], 2008, 13:30

彼がはにかんだ理由は、僕にとっては分かりきっていたし、詳細を聞くなんて

やっぱりはっきり言わせてもらえば避けたかった。

それでも聞き出したのは、ただ、暇だったからだろうか。

樋高は待ってましたとばかりに饒舌に語りだし、僕も一応、聞いてやる体制を作った。




「このピンクの花を書いた子な、俺と一緒で、今回だけのバイトだったんだ。」


「へぇ。 で?」


「うん。 なんかこう、髪長くてメガネかけてて、暗くてさ、物静かで、陰気くさいというか。」




てっきり ”惚れた” だ ”腫れた” だという言葉が飛び出すと予想していた僕は、肩透かしを食らって何故か逆に話題に夢中になる。





「うんうん。 で?」



「バイトは俺ら2人だったんだけどさ、結局他の人はメジャー雑誌で手が離せなくなって、

2人で一枚の絵を仕上げなきゃいけなかったわけ。」


「うん。」






「ところが。 彼女しゃべらないんだよ。一言も。」


「最後まで?」






「だいたい、そう。」


「じゃあどうしたんだよ。」






「それで結局、1時間たっても何にも決まらなくて、やばいと思ったから勝手に書いたわけ。」


「あー、あの青ベースのヤツな。」





「そうそう。 それで・・・」


「最後にピンクのお花登場?」





「そういうこと。」






彼女は約3時間をかけ、たった1粒の小さな花を描いていた。

さっきも言ったように具象画でも抽象画でもない花を。



そして最後にそれを樋高にそっと差し出した。


蚊の鳴くような、しかし澄んだキレイな声で 「さくら・・・」 とささやきながら。

一瞬凍りついた樋高を気にも留めず、彼女は椅子を立ち、雇い主に何かごそごそと耳打ちをすると帰る準備を始めた。

今まで首元で1つにたばねていた髪をバサリと肩に下ろし、代わりにそのヘアピンで前髪を頭頂部に留めた。

そしてメガネを取るとペコリと一つお辞儀をして、そそくさとその場を去っていく。

その一連の彼女の動きを、樋高は余すところなく見とどけ、さらにその約1分後、やっと我に返る。






その頃には、彼女がそこに居た気配はさっぱり消え去っていたが、樋高の手の中の小さな花の絵はさっきとは比べ物にならないほど

貴重なものに変身を遂げていた。











彼は結局、僕のつまらない予想の通りに、彼女に恋をしたのだ。













それが1日目。最初の日の仕事だった。

3. ピンクの花と新しいこと 

November 30 [Sun], 2008, 13:24



あの例の “箱庭の人” と会話を交わした日からも、相変わらず僕は何の変哲もない時を過ごし、あと2、3日

もあれば、その日の出来事など消え去ってしまっていたと思う。





午前中の講義が一通り終わり、友人の樋高は、その日とてつもなく明るい顔をして僕の前に現れた。

何でも、ゴールデンウィーク中の3連休を使って試みたアルバイトが思わぬ大成功を納めたという。


そのアルバイトというのは、ほとんど自費出版に近いようなマイナー雑誌の表紙をデザインする仕事で、

芸術系の学部に属している樋高にはもってこいの仕事だった。

プロのデザイナーの事務所で、数人の仲間と意見を出し合いながら絵を描くという作業。

雑誌は1か月分で、3日を使って1枚を仕上げればよいという、比較的余裕のあるスケジュールだったようだ。




樋高が自慢げにカバンから取り出したその雑誌のタイトルは 「月刊 サイエンシー」 と名づけられていた。

科学系の大学教授や、その線のマニアしか読まないような代物のようで、

本屋の店頭で手に入れるのはもちろん、小さな本屋においては取り寄せも難しいという。





ただ、現物を手に取り、1ページめくってみると、これが意外と面白そうに見えたから不思議だ。

今月号はどうやら、”シャボン玉”がテーマのようで、大きなシャボン玉を割れずに作るコツとか、

小さなシャボン玉を沢山作る方法とか、小学生でも楽しく読み進められるのではないかという気がした。





近くにあったベンチに腰掛け、ご丁寧に足を組んでまで雑誌を読みふけろうとし始めた僕だったが、

2,3ページ読み進めていくと、だんだんと最初に感じた意外性や好奇心が薄らいでくるのを受け入れないわけにはいかなかった。


最初のページすら「小学生向け」だったものの、やはり数ページ後はそれなりもそれなりで、

受験勉強のとき必死に詰め込んだ ”√” やら ”Π” やらが数字に混じってびっしりとページを埋め尽くしていた。

シャボン玉の大きさを表現しているのだろう。 石鹸液の粘度でも表しているのだろう。  そのくらいはわかる。


苦笑いで雑誌を閉じた僕を、相変わらず樋高はキラキラとした目で見つめていた。




「どう?」




「どうと言われてもね・・・・ こういうのは文系にとっては暗号でしかないから・・・・」




「表紙だよ、表紙」





「あぁ。」





そうだった。と慌てて表紙を見返す。




悪くない。



決して悪くはない。



ただ・・・・







「このさ、ピンクの花は何?」







青・紫・黒の幾何学模様の組み合わせの中に、場違いなピンク。


しかも不自然な”花柄”。


リアルでもなく、抽象画にも程遠い、ピンクの花。


それが3つほど、幾何学模様の中に浮かんでいた。





僕が指差したその3輪を見て、「ああ、それ。 それね。」 と樋高は頬を染めた。






僕は遠慮がちに紡ぐ。

「別にこういうののセンスとかあるわけじゃないけど、無かった方が良かったと思う。」




「やっぱりか。 そうか、無いほうが良かったか。」







がっかりするかと思って「センスがあるわけじゃないけど」なんて”前置き”をつけたが、「やっぱり」と何度もつぶやく彼は、がっかりよりは、どちらかと言えばはにかんだ顔をしているように見える。






この不自然な樋高の対応に、ピンときた。

僕はこういうことには敏感なほうだと思う。

2. 出逢い 

November 30 [Sun], 2008, 13:18
「もっと大きくしなくちゃならないんだ。」




箱庭の前にうずくまったままの僕は、

後ろから都会とは不似合いな爽やかな声にそう言われ、思わず立ち上がっていた。





「はぁ。」





何と答えていいかわからない僕を無視して、その人は淡々と言葉を紡ぐ。



「今はこのとおり、ミニチュアの森でしかないけど。 ここから、そうだな、あの橋のある辺りまで、ずぅっと広く、ね。」



指差された先は途方も無い。50キロはあるだろうその橋のある方角を眺めながら、

僕はきっと今、目をキョロキョロ動かしているに違いない。 

理解できないのだ、その話の趣旨は、全く。



「昔、ここは池だったんだ。だから地盤がゆるくてね。今建っているビルもほとんどが近々別の場所に移築されるらしい。」



「ふうん。」 







「君は、この辺りに住んでいるの?」



初めて僕の存在を認めてくれたような言葉遣いで、何故だかうれしくなる。



「そこから、バスに乗って、3つめ。」



顎でしゃくって見せた目的のバス停までは、あと30歩足らずといったところだ。




「あぁ。そうか。」







背は高く、少し痩せ型のその男は、30代前半と思われる顔つきをしていた。

一瞬少し若く見えたのは、着古した紺色のポロシャツと真っ白のジーンズを身に着けていたからに違いない。

ただ、その辺りの男たちと一線を画していたのは手元と足元だった。

茶褐色に汚れた軍手を両手にはめ、同じく茶褐色に染まったスニーカーを履いている。

よくよく見れば顔もあちこち泥まみれだった。





あとになって考えてみれば、このときから全てが少しおかしかったのかもしれない。



あれだけ小さな花壇を作るためだけに汚れたにしては、その茶褐色は派手すぎた。



ビルの移築の話なんかも、冷静に考えれば非現実的だった。



もちろんこのときの僕には、そんなことに何一つの違和感も疑問も生まれていなかったのだが。








「木を植えるとね、少しだけ心の荷が降りるんだ。」



また妙なことを言い始めたと思いながらも、何故だか僕はそこを離れることも、うちに帰ることも忘れて彼の話に聞き入ってしまう。



「心に苦しみや、悲しみが溜まったときには木を植えるんだ。そう、決めたんだ。」



世間話にしては重い話題になりそうな予感がしていた。

その悲しみの訳を語るよう促したほうがいいのか、黙っていても話は続くのか。

選択肢はそのどちらかしかないと思っていたのに。


その人は続きを語らないまま、不意に歩き出した。

僕の向かうべきバス停とは反対側に向かって・・・・







「あ。あの・・・・」



その人の背中に向かってボソッと投げかけた僕の一言は、

すうっと空気の中に吸い込まれて、そして消えた。



サヨナラも言わないその人の後姿の横を、乗るはずだった時刻のバスが通り過ぎたが、

僕は、そのバスに走って追いついて息を切らせて乗り込むなんて、そんなことをする気は起きなかった。

もちろん、彼を追いかける気も全く起きなかったのだが・・・




そして次のバスまでの時間を、また例の、箱庭の前で過ごすしかなかった。

1. 箱庭 

November 30 [Sun], 2008, 13:13
あれはたぶん、偶々ではなかったと思う。


 ― 3年と少し前、僕がまだ大学生だったあのころ。



遊ぶために入ったような大学で、遊ぶために入ったようなサークルで、

くだらない友達と、くだらない話しかしていなかった毎日。



そしてその日も僕は、そんな自堕落な学生生活の帰り道なのに、まるで人生に疲れたような顔をして歩いていた。

ビルと車と忙しそうな人々しか見えない埃まみれの空気の中をやっぱり埃まみれで歩いていた僕は、

何かの拍子にふと一瞬だけ、鼻と目を同時に奪われて立ち止まった。




路地の一角に、小さな小さな花壇。1M四方のレンガに囲まれた小さな小さな空間だ。

花壇。と表現して正解だろうか。

植えられていたものは正確には「花」ではなく、木とか、草とか、そういった緑のもの達ばかりだった。

それは、街中に気を利かせて備え付けられたカラフルな鉢植えとは程遠く、

かといって道路の中央分離帯にドッカと現れる不自然な街路樹ともまるで違う。

箱庭、とでも言おうか、森の一部を切り取ってきたような違和感が漂うその空間に、

僕はなぜか吸い寄せられ、すうっとその場にしゃがみこんでいた。




盆栽に愛情を持つどころか、都会の喧騒を疎ましく思う歳にすらなっていないのに。



きっとその小さな森には妖精か何かが住んでいて、不思議な力を発しているからだろう、

などと幼稚で幻想的過ぎることを思う。





しかしどうやらその「不思議な力」は僕にしか通用しないようで。

立ち止まって、さらにはしゃがみこんでまでこの緑の箱庭を眺める人物は、

自分一人だけだと気づいたから。



プロローグ 

November 30 [Sun], 2008, 13:10
今になっても、少なくとも3日に1度は考える。

“きっとあれは、いつか叶う恋だった“ と。

振り返るとまぶしすぎて眼を細めたくなるような青春の思い出とやらがあるという。

だけどこれは、そうではない。

だからいっそう簡単に心に舞い戻ってきては、じっと見つめなおす機会ばかり与えてくるのだ。

過去を振り返ることしか知らない僕に、ゆっくりと差し伸べられるハズの暖かな手は、もう無い。



その気持ちを「恋」と形容し始めたのは、あの人たちが消えてから。

甘えていたとか、強がっていたとか、寂しかっただけだとか・・・

そんな風に自分を正当化させられたのは最初のうちだけ。

意思とは裏腹に。ではなく、全くもって意思だけで、僕はあの日々を過ごしていたから。

言葉にするのは簡単だったし、本音を告げることも難しくはなかった。

あえてそれをしなかったのは、あの日々がいつまでも続くものだと思っていた所為。

いつまでも手の届くところに欲しいものが転がって散らばっていると信じていた所為。



そうやって、またいつものくだらない後悔を並べ立ててはあの人たちの残像に重ねて遊んでいた。

時間があればいつもそうだ。今日もそうだ。きっと明日からも。

そのはずだった。





久しぶりに。といってもたった1週間ぶりに足を運んでみた花屋の窓辺に、

ズドンとした銀のバケツが無造作に並ぶ。

そのひとつに真新しいカスミソウの束を見つけたとき、

“いつものくだらない後悔“は命を吹き込まれたように、僕の中でくるりくるりと漂い始めた。


・・・生まれたくるりくるりは、そのうちユックリとぐるりぐるりになり、さらには巨大な渦巻きとなって、

僕の中でどころか、僕自身をも飲み込んでしまいそうなほど育って行く。

この渦巻きは大切なものを失ったときの悲しみとよく似ているような気がしたけれど、

何故だか絶望に飲み込まれてしまわなかったのは、ずーーーっと先に僅かな「望み」が見え隠れしていたからだったろう。



踵を返すわけでもなく、その場にへたり込むわけでもなく、

傍から見れば僕は全く冷静に、懐かしい方角へと歩き出していた。

もう何年間も足が向かなかった、その方向へ・・・・・・

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