誰も触れない 二人だけの国

December 18 [Sun], 2011, 0:30

好きだった歌のフレーズ。
聞いたらいまでもこのフレーズは別格だった。

だけどなんか気付いたらいつでも
いつまでも、独り切りの国を
必死で守ろうとしている私。

なんだかなあ。。。




クリスマスは名目上
キリストの誕生日なわけですが
なんかもう気付けば手遅れすぎるくらい
家族や恋人が浮かれに浮かれる日、になっていて、
それは物心つく前から、とかそんなよりもっと前から
当たり前のように。だから致し方ない。


だけどなんだか、不甲斐ない。





クリスマスイヴは彼氏と過ごしたいから休みたい、
とごねてるシングルマザーの女の子がいた。
クリスマスは娘たちと一緒にパーティがしたいから
休みが欲しいと云っているシングルマザーの女の人がいた。
自分は特に予定はないけれど、出来たら休みの方がいいなと云った。

そしたらシングルマザーの女の人の方に、
そうだね、休みたいんなら央司も
さっさと彼氏でもつくれば良いのよ、
と云われた。

なんだか浮世の全てが
その一言で嫌になった。



恋人をもたない人には
クリスマスは愚か、
なんか人権すら与えてくれない、みたいな言いぐさ。
普段お世話になってるし、
嫌いな人じゃないんだけど、
その一言に私は
なんだか絶望した。

要は、オブラートを拭い去れば
悔しかったら彼氏が出来てから物云えよなFuck
て事だったんだろーな。


クリスマスなんて人で溢れかえってるの丸わかりで
人ごみが苦手な私はそれを避けていたかっただけ。

決して裕福な家庭ではなかったから
同級生のようにプレゼントを待ち望んだクリスマス、という思い出もなく
高校生の頃は弟妹のサンタ役にまわっていたような感じだったから
幸せ家族を目に入れると若干辛いのもある。

だから出来ることならわたしは
お家で引きこもって
なにか好きなことに逃げたいなあ、と
思っていただけなのに。
それさえも許されないのか。何も持たない自分には。




自分や他人の事を本気で好きになることなんて一生
ないんじゃないか、とよく心配されてた。

まあその頃は好きでいれても
思い返せばちゃんと好きだったのかなあって
やっぱり思い返してしまうのは
みんなあるんじゃないかって思う。
殆ど自然消滅的な感じに終わってきた
自分の友情や愛情は
なんかもういっそ、一緒に心中でもしない限りきっと
又、同じことの繰り返しなんじゃないか、と。




古い記憶の中に、
一緒に心中しよう、と云ってきた友人がいた。
彼女の家庭は荒れていて男遊びの激しかった母親の影響か
援助交際を繰り返してた。
その汚いお金を使って彼女は私に色々してくれた。
そう思い返せば自分は最低だなあと。
止める勇気もなかった癖に。

ある日、学校も行きたくないし
家にも帰りたくないからいっそ死にたいのだと
云ってきた。何故か薬物関係に詳しかったかの彼女は錠剤の入った
一本の小瓶を手にしながら。
止めても止めても、彼女の涙は止めどなく溢れてくるから
もうダメなんだと思った。
最後に彼女が縋り付いてきたのは、母親でも援交相手でもなく
何ももたない自分だったから
なんで自分なんだろう、と思いながら
置手紙を残すために一度家に帰ったのだけど
もうそこからは怖くて、
風邪を引いたと嘘をついて
布団にもぐり眠った。
約束の午後6時をすぎても尚
眠り続けて次の日は仮病で休んだ気がする。

後日登校した時、
彼女の机の上に花瓶に生けられた花は無く
代わりに筆箱と教科書が置かれていた。

心中未遂どころか心中未遂未遂をした中二だった私は
あの後彼女と一言も会話することなく
卒業を迎えた。


今でも時々思うのは、
あの日あの時、逃げなければ
もしかしたら自分は、もうこの世にはいなかったのかもしれない、と。



良かったのか、悪かったのか、
取りあえずとも、心中なんて、たとえどんなに愛していようと
相当の勇気がなければ出来ないんだって
思った。あの頃は今以上に愛だの何だの分かってなかったにせよ。

別に彼女は友達で、それ以上も以下でも無かったけど。



それからもなんか思い返せば不憫で不毛で
だからもう良いんじゃないか、と思い
何かを好きになることをやめようか、と思ったのも
まだ十代の頃で、これからじゃないのって
云われてしまうだろうけど、
なんかもうそれならいっそ、と
叶う筈のない方向に逃げてるだけ、が現状なのかも。

なにかとどーこーなるってのはなんか
今はもう、とりあえずいい。


そんな風に逃げてた矢先に
今年の初秋になんか急に辞める人から
愛してるとかいうメールがきて
本気で気持ちが悪いなとか思ってしまった。

ずっと好きだった、とか云われても
もうなんていうかこっちに1mmたりとも気持ちのない
一方的な愛ってやっぱり重いんだな、と思った。



それ以前に、自分のことが好きだとか
正気か、と思う。
一種の気の迷いであって欲しいと願ったりもした。


そんな感じにそんな感じで


やっぱりどんなに頑張ってみたところ
もう無理だ。

人間不信というより
なんかどっか自分の感情が欠落してる。


だからこそクリスマス、
世間の皆様がイチャコラしてる日に私は
グロッキーな映画でも観ていたいと思うのに、
愛すべき映画鑑賞をするが為の休みが許されない、とか何事なんだろう。



ほんと、愛する対象が生身の生きた人間でないといけないなんて法律
ありましたかって話で。





とかって悶々考えていたら朗報が。

イヴもクリスマスもこのまま行けばお休みかも、
と。

なんならもう寝ないで映画鑑賞する勢い。




小学生の頃、下校時に宗教団体の人たちが配っていた冊子で
キリストについての話が載っていた時、
手足を十字架に釘打たれていたキリストのイラストを見るや否や
恐怖反面、踏み入ってはいけない禁断の何か、的な物を感じて
ワクワクしていたあの頃。
思い返せばその辺が自分が血とかそーゆー
グロテクスな表記に惹かれていった原点であるのだと。


だからこそ彼の誕生日にはそれに似つかわしい
グロッキーな映画を見る、というスタイルが自分流なのであって。



長々語ってしまったけど
ケーキが食べれるのであれば
もうなんだっていいや。。。



とういわけで、ばい。