結婚てゆーやつは @27歳 【20代女子リレーブログ】

April 14 [Sat], 2012, 23:04

説明は省きますが、ひょんなことから『20代女子リレーブログ』に参加することになりました。
発起人のakuyanさんのブログ、二番手の結花理さんのブログに続き、
かけっこは50m12秒かかるようなリレー的には大迷惑者ですが、リレーつないで行きます。


お題は、「結婚」


結婚。

これについては、akuyanさん、結花理さんに続き、結婚願望のほぼないワタシです。
27歳という年齢もあり、とくに地元の友人は続々と結婚していますけれどね。東京の友人はなかなかしませんが。

とはいえ、いつかはしたいなーと思っています、結婚。
ま、べつにしなくてもいいのだけれど、やったことないからしてみたいっていう好奇心程度の願望です。
似た理由で、出産もしたいなーと思っています。子ども好きですし。
それは、小さな頃から思っていた感覚と、今も同じですね。

しかし、こんな私にも、結婚観については2度、大きな曲り道を曲がりました。
1つめの曲がり角は、「結婚なんて一生しない」と思った恋。
そして2つめの曲り角は、「結婚したい!今すぐしたい!」の暴走でした。


@「結婚なんてしない」の決意

20代の初め、それはそれはとーっても好きなひとができました。
もう、好きで、好きで、今も好きなんですけど、超好きで。
その人と過ごすことで、考え方も、行動も、発言の仕方も感情表現の方法も変わりました。
毎日刺激的で楽しくて、自分の人生が変わった出会いでした。

でも、その人は結婚できないひとでした。

結婚はできない。けれど好きで、一生一緒にいたかった。
そのとき、
「結婚なんてしなくていい。子どもだってなくてもいい!」
とけっこうすんなり思ったのでした。
だってもーそのひとがいるだけでじゅーぶんだったので。
これがまぁ、自分の母にも「アンタ好きになったらもうなんでも良さそうよね」
と言われた私の恋愛感覚です。母、正解!

さ、そんなこんなで時間は過ぎ、向こうにも恋人ができたり私にも恋人ができたりしながら今も仲は良くて大好きなのですが、その人とは今となっては良き親友なので、まぁそのうちわたしも普通の男性と恋をして結婚して子どもとか産むのかもしれないなーという可能性も心のどっかにあったのです。
そんなふうにのんびりしているうち、次に、結婚に関してはまったく正反対の気持ちになる出来事があるわけです。


A「さあ今すぐ嫁にもらってくれ!」の爆走

よくある話といえばそれまで。
2011年3月11日の東日本大震災とその後の原発事故。
人気のない渋谷はなんだか灰色で、震災にも原発事故にも、影響を受けつつも以前と変わらず楽しそうな人のニュースへの関心の薄さにも酔いそうで、居心地のわるーい日々を過ごしておりました。

意外とその気持ち悪さが日常になるのも早くって、なんとなく心が落ちついてきたような気がしてきたころ、もんのすごい欲求が襲ってきたんでした。

「子どもが産みたい!」

ってことは旦那もいたほうがナニかと良いので

「結婚したい!」

っていうのもあるけど何かに夢中になりたいし、世の中こんなで寂しい怖いしで、誰かに必要とされたい愛されたい!つまり、

「恋がしたい!」

生存本能なのか吊り橋効果なのかはわかりませんけど、今までのん気に鼻ほじりながら「結婚っスか〜〜う〜〜んま〜いつか〜〜」みたいにほじほじやってたのが、ここにきて。急に。結婚(というよりメインは出産?)が欲求になっちゃったのですアラびっくり。

なんかね、もうね、こりゃいつ死ぬかわからんと思ったのですよ。
人生なにが起こるかわからんってね。
『いつか』子どもが欲しかった。『いつか』結婚したかった。いやその『いつか』って来んの???
みたいな考えが、一気に襲ってきたんです。

人生前倒し主義のワタシ。
『いつか』でいーなら今でいーーじゃんっ!!、と。
いうわけでっ、さあ結婚。すぐ結婚。とにかく結婚さあどーぞ!
と今思えばちょっとトチ狂ってたような心理的暴走がありましたね(遠い目)。
「桃ちゃんって結婚したかんだっけ?」と周りの友人に驚かれたくらい結婚したかったですねナゼか。
今はもう落ちついて、結婚なんてちょいと待っておくれよおまいさんってなテンションなんですけどね。元に戻りましたね、なんか。(震災マジックだったんですかね)


そんなわけで、結婚ていうのは、なんかタイミングじゃないかな〜と思うんですよね、最近。

だって、@「結婚なんてしない」の決意…の若かりし時期に、めちゃめちゃ魅力的で私のことが大好きでお金があって遺伝子にも不満がなくて互いの両親とも気の合う人があらわれたって「そんな気分になれないの…」と結婚なんてしなかったかもしれないし、あーもしかしたらこれは大チャーーーンスかもよと、あれよあれよと結婚したかもしれませんし。
もしくはA「さあ今すぐ嫁にもらってくれ!」の爆走…のときなんて、さぁもうあたしの人生どうにでもしてっ!ってくらい、人並みの家庭生活を目指して、大好きなふらふら宿無し生活も、いろんな男の子といちゃいちゃすんのもナシにして、いっさい興味も願望もなかった就職までしちゃったくらいですから。


なんかもー、つまり……「結婚」……なるようになるんじゃないっスか、って感じですわ。


ひとまず心のなかで大事にしようと思っていることは、もうすぐ30代。
好きなひとや大切なひとやずっと繋がっていたいひとはたくさんいるのだけれど、
ずっと人生を絡め続けていたいなぁと思うひとと、結婚したいのです。
理想イメージは遺伝子の螺旋図みたいな感じでぐるぐると着かず離れず絡まってるかんじ。
結婚して生活を共にしても違う方向を見ていたり、いろいろ共有できなかったりするのは嫌なのです。
それなら、ずっと結婚しなくていいですっていうかむしろ辞退させていただきます。


ま、子宮がリミットを向かえはじめたら、この考え方も変わる気もしているんですけどね。
とりあえず、今は。


そんな、27歳時点の結婚観でした。



次の【20代女子リレーブログ】走者は「*これもすべて同じ一日*」のfyoukoさんです。

はい、交代。

場のちから

December 27 [Tue], 2011, 23:32
場所のちから、というのは大きい。

旅行をしているとだいたい写真を撮って
ツイートしたりfacebookにあげたくなったりするのだけど、
そんなことができなくなる瞬間、てのがある。

場の、ちから。


ノルウェーにあるハンセン病博物館に行ったとき、
澱みのあまり中に入ることができなかった。
青森の恐山では、途中、急に気分が悪くなり、
内臓がひっくり返りそうになって、走って駐車場まで戻った。

ハンセン病博物館。ひとがたくさん苦しんで死んだ場所。
恐山。霊山。生物のにおいが薄い神様の山。

ただの、建物であり、山であるのに、
立つこともままならないような
写真をかまえシャッターを押すなんてできないような
畏れのある場所。


それって、空間の所為なのか、磁場とかなのか、
空気の圧力? そういう、環境要因的なこと?

わかんないけど、「あー、じぶん、ちっぽけーだー」って
思っちゃうような場所があるんですよ。


神様なんて信じてないけど
神様のようなものなら、いるんじゃないかと思う。

人間が、コンクリートの家や、パソコンの前でわぁわぁやっているのを
まるごと包み込むような大きな存在はあると思う。
それは、誰かが「神様」と呼び、誰かが「大地」や「自然」「宇宙」と呼ぶようなものかも。
個人的には、畏れ、という言葉が似合うと思ってる。


カメラなんかに、おさめちゃいけない場所。


鈍感か、信念か、どちらかがないと、シャッターが押せないような場所。
たとえば、列車事故でぐちゃぐちゃになった知人の死体にカメラを向けるような。
そんなかんじ。




今日、伊勢神宮に行った。

落ちついた場所だったけれど、
そこにも、カメラを手にしてられない瞬間、場所、てものが、あったよー

だから、そこは、撮影できていない。




 (伊勢神宮内宮)


一年前の、今日。働く意味。不明。なう。

September 21 [Wed], 2011, 16:56
   
 
一年前の、今日、の、メモが見つかった。
一年前の働いていないあたしの言葉。


 ******


「マニュアルですから」としか答えなかった町田のTSUTAYAの店員さんくらい間違ってる。

2歳下の忙しく働いている女の子がmixiでふたつの質問をした。

●なんのために働きますか?
●なんのために生きますか?

彼女は、言う。
『決して働きたくないわけじゃないんだ。でも「何か」の為に働きたい。
 願望と矛盾の中で働く日々に葛藤しておる』

もうね。先輩たちもきっとそうだったでしょう?
あたしたちは悩んでいるのよ。
働く意味。不明。なう。


 ******


一年経った。
正社員として働いてる。
ベトナム出張、なうです。

それでもまあ、意味なんて、めちゃ不明だよね。

 
 

被災地にいなかった人の気づき

March 22 [Tue], 2011, 0:49


こんにちは。

東日本大地震。
そのときわたしは、東京にいました。

今から転載させていただくのは、そのとき沖縄にいた大学生のメルマガ。
沖縄にかよい、戦争についてのメルマガを発信している、瞳さんの言葉。

地震があって、誰もがいろいろ動揺し
わたしもいろいろ動揺し、
そしてわたしは、瞳さんの言葉にさらに動揺した。


動揺のあまり、即、転載許可をいただいて
いまやっと、こちらに載せます。3月20日のメルマガ。


************************




東北関東大震災発生から1週間。。


震災が起こっても変わらない沖縄の青い空の下で、色んなことを考えていました。



正直に、書きます。


今、沖縄にいて、
仙台と、福島には
いまだに連絡をとれない大切な人が2人いて

でも私は普通に生活をしてて
心配だけどどこか人ごとで

沖縄は親戚もだれもないし
とても不安だし
家族に早く会いたいと思うし
隆さんにも早く会いたくて
瞳は今、戦争のことに
とてもじゃないけど気持ちが向かわなくて

早く帰りたいと思ったり

でも帰ったところで何が変わる?

私は今、沖縄に来た目的を続けるべきなんじゃないだろうか。

今まで通り、、


でも、意識はやっぱり地震にある。

今はそれよりも支援をすること?

聞いてくれる人がいて、

平和な日常があってこその
瞳が伝えたいこと

これからはホテル滞在、
そのお金を支援に向ければ

ゆくゆくは繋がって行くんじゃない?

そんなところをぐるぐるしていました。


でも、15日の朝、気付きました。


結局、私が、動揺していたのは、


世界で最大級の地震が来たからではなくて、


悪夢のような津波が襲ってきて
人や街をのみこんで
なんにも無くなってしまったからでもなくて、


原発が大変なことになっているからでもなくて、


ただひとつ、


結局は今まで無関心だった自分に気付いたからでした。




今、避難所では食べ物や水に困っています。


でも


今までも、食べ物に困っている人は
世界中に数えきれないほどいました。


家すら持てずに路上で暮らす人々が
日本にすら山ほどいて


原発が危険なことも私は知っていました。


だけど、日本で、今、
こういうことが起こるまで
自分のこととしてとらえられていなかった。


世界はひとつ

とか言いながら。


心の底から世界を想っていたら、

とっくに世界は変わっていました。


私は「無関心」と何も変わらなかった。


そんな自分に気付いてしまいました。

だから苦しかった。



だけど、幸い、今、私は、気付くことができました。



あまりにも大きな犠牲の上に。


あまりにも大きな悲しみの上に。



みんな本当にごめんね。


本当にごめんね。


どんなに涙を流してもこの状況は変わらないけど
あやまります。


本当にごめんなさい。


今ごろ気付いてごめんなさい。


みんなが家族を失ってから、
みんなが住むところを失ってから、

気付いてごめんなさい。


ごめんなさい。




でも、気付いたから、ここから動きます。


自分にできること。


それをやるために予定より早く沖縄を出て、長崎の仲間のところへ向かっています。


沖縄で、最後に戦争体験を聞かせてもらったおばぁが言っていました。



「テレビ見てると、戦中、戦後を思い出すさね〜

みんな食べるものも無かったし、

一滴の水さえ飲めなくて

家なんてどこにあったかわからないくらい何にもなくなっちゃって

みんな大切な誰かを亡くして

そんな場所が沖縄だけじゃなくて
日本全国いたるところであったわけさ。

みんなが大変だったから、自分たちだけで
復興させてきたんだよ。

でも、今は、被災していない人たちがいて、助けることができる。

大丈夫。大丈夫さ。」


かつて焼け野原だった沖縄を、
今は想像することができないように

被災した地域に光が降り注ぎますように。



瞳より


(一部割愛)


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力が小さくてごめんなさい。

たくさんのことに気づかなくてごめんなさい。

いっぱい、いっぱいごめんなさい。



福島第二原発のすぐ近くから帰ってきた友人が言いました。(前回の記事で紹介した友人)

「あのね、自分を責めちゃだめだよ」

あたしなんにも言えなかった。
そのあと言葉を探して、なんて答えたのか、なんにも答えなかったのか、それすら覚えていない。

でもやっぱり消えないごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい


けれど、負けたくないし、
    間違いたくないのは、


ごめんなさいって思ってるから動けるんだってこと。


ごめんなさい だから、わたしにできること。
ごめんなさい だから、あなたの声を聞き
ごめんなさい だから、わたしは自分の生活をして
ごめんなさい だから、胸が熱くなって足が前に出ます。前かな、うしろかな、知らんけど。


瞳さんは、長崎の友人のところに向かったようですね。
それから、なにかを形にするのでしょう。

わたしは、山口県上関の原発建設予定地、そして祝島へ。
ちょっと、それは、またの話しに。


できること。
たくさんあるやろ。
考えてわからんやったら、動いてみて、誰かと話して、立ち上がって探してやっとみつかるできること、
きっとあるやろ。


むやみやたらに動いてるんじゃなくて
頭も身体もつかって、
ごめんなさいもありがとうも大好きも
伝えにいく方法。



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 さいごに、瞳さんのメルマガは
 00587166k@merumo.ne.jp
 に空メールで登録できます。

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福島原発――避難対象地域で被災した友人の記事。ショックでした。

March 19 [Sat], 2011, 1:27


福島の、原発の避難対象地区にある病院で働いている、友人のmixi記事。

mixiで公開していたものを、
お願いして、転載させていただきました。


*****************


明日、浜松にいる叔父が、郡山まで迎えにきてくれることになりました。
現地に残ることも考えましたが、結局わたしは、福島を離れることにしました。

というのは……

私の病院の患者さんを引き受けてくれた病院のうちの一つが、引き受けるための条件をいくつか提示してきました。
院長は、その条件をのんで、患者の受け入れをその病院にお願いしました。
そして、他のスタッフに対して、「ボランティアのような、ただ働きになる可能性が高い。それぞれの生活があるから、みんなは連れていかない。再建できたら、必ず声をかける」と。
入院患者さん全員転院先が決まり、昨夜はスタッフのお別れ会になった。みんな泣いてた。

原発の避難対象地域に病院があった。ただそれだけ。
なのに、なんで転院先から引き換え条件をだされる?
私たちの立場は下なのか?


首都圏に放射能が観測された。
「首都圏」で観測されて「はじめて」マスコミは詳しい図説をはじめた。
福島県で観測されたとき、なぜそこまで報道しない?
仮に首都圏で高濃度の放射能が観測されたとする。
そのとき、福島県はどうなっている?

原発は悪だという人がいる。
ではあなたは電気の恩恵を「一切」受けずに今まで生活してきたか?


双葉病院のことを責める報道がある。でもそれはデマだった。
(参考記事
『福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった』
放射能がもれている、逃げなさいとしか言わない行政。
患者さんの搬送に対しては「迎えにバスがいく」といい、何時間まってもこない。
放射能がいくつもれているかわからない。
街はどんどんゴーストタウンと化していく。
極限の恐怖。
うちの病院は、一度、スタッフと動ける患者が避難。
院長が警察経由で自衛隊に要請し、ヘリコプターにて救助した。
もし、要請がとおらなかったら。
私の病院も報道の矢面にたったかも。


避難指示がでたとき、
県立病院のうち2つ「だけ」「すぐに」緊急搬送した県。個人病院は「なんとかしてください」と。
福島県と、日本政府が許せない。


昨日まで、スタッフは家族のもとへいかず、患者さんたちの看護のために働きました。
全国の医療従事者の思いは同じです。


この日記を読んでくれたマイミクの方々だけでも、私の思いが伝われば。

少しでも、真実を知ってもらえたら。


********************


友人は、差別が怖いとも言います。

多くの人に、現状を知ってほしい。
そして、その場にいた人の声を聞いてほしい。

放射能はこわい。
けれどその放射能とはなんなのか、
そのときそこで、なにが行われているのか。

福島原発の傍にいた人の話を聞いて、思いをめぐらせてほしいのです。





宮城ではネットが見られない。けどわたしたちはこういう記事を読める(ので転載)。

March 15 [Tue], 2011, 1:53

友人の日記から転載。
地元の宮城が心配だろうに、ずっと「笑いを!」と言っていた彼女の友人で、ほんとによかったわたし。


 ↓↓


わかりやすいのでそのままコピペします。
この記事を読めて本当によかったのです。

→→ 阪神大震災を経験された今村岳司さん(西宮市議会議員)のBLOG
今これを読める状態の人こそ、これからのために読んでほしい。


前後も含め、ブログを読んでほしいですが(阪神大震災での観光気分のボランティア、被災地にいない人間の発言について言及)抜粋。

 ■   ■   ■   ■

私はこの地震で何も失っていない部外者です。
そして、この地震に対して何もできない無力な素人です。
ただの「被災していない人」です。
被災していない人間に被災者の気持ちが分かるわけがないのです。
分かるわけがない相手に分かったようなことを言われたりされたりすることこそが、
相手に「被災者の気持ちなんて結局誰もわからない」を痛感させます。
とにかく、自分にできることなど何もないことを受け容れることが必要です。
「何かしよう」という気持ちが、本当に自己満足ではないのか、よくよく考えるべきです。

政府の大規模な財政出動に理解を示すこと、増税を受け容れること、
節電など、政府の呼びかけに応じて、不便を受け容れること、
被災者の苛立ちや要望をただ受け容れること、
プロが呼びかけるボランティアや募金に参加すること。
これくらいが関の山なのです。

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。

私のところで学生のころ活動をし、
そのあと陸自の士官になった女の子が、きょうから災害派遣で被災地に行きました。
彼女は、明確に被災地に必要とされている人間です。
16年前の私に、人生を日本のために使うと決意させてくれた災害派遣の自衛官として、
彼女が岩手に行くことがとても誇らしいと同時に、
無力な自分の被災地に対する気持ちは、彼女に託すことにします。

被災地の復興と、自衛隊の活躍、そして、大切な友人である自衛官の無事の帰還を、
心から祈ることだけが、無力な私にできることです。


■■■

そして本日の日記。

それでもなにかできることを。〜昨日の続編



最初のみ抜粋/
大きな反響をいただいてびっくりしております。
そして、「それでも自分にできることはほんとうにないのか」
というご連絡を、遠くに住む方からいただきました。

「できること」を改めて考えました。
考えて出た結論は、
落ち着いたという雰囲気になってきたときに行動を起こすことでした。

テレビに「復興した」というニュースが散見されだしたときこそ、
動き出すべきときです。
テレビは感情に訴えかけるエンタメなので、
感動的なドラマを放送するために、「復興」を放送します。
しかし、ほんとうの復興など、そんなにすぐできるわけがないのです。
そういう報道が為されだすくらいから、
必要な物資や、必要な人的支援や、必要な資金などが明確になってくるいっぽうで、
反比例的に「助けを求めている!」という報道は減少します。
さっきまで国じゅう挙げて「力を合わせて」といっていたのに、
さらっと忘れるのです。
そういったときにこそ、小さな情報を拾って、
みんなに呼びかけてあげてください。そして応えてあげてください。

いまみたいに、テレビが連日特番をやっている情況では、
みんな「なにかしたい」と思っています。
献血に長蛇の列ができたりするのです。
それはそれで、たいへん価値のある行動だと思います。
しかし、血液もいつまでも保つわけではないので、
献血の行列がなくなりかけたときこそ献血をするべきです。

いま、自衛隊、全国の自治体の救援部隊、さらには外国からの援軍も
被災地に投入されていっています。
彼らがまずは現地入りして、救援の統制系統の下地を整えた状態であれば、
ボランティアは活きてくる可能性もあります。
ただし、彼らの指揮下に入ることが最低条件です。
(後略 大体1/3です)




被災地のために今できること “ボランティア難民”にならないために

91の国と地域、国際機関から支援申し入れ



わたしたちにできること。阪神大震災の経験者の声 転載

March 14 [Mon], 2011, 18:20

ネットで、いてもたってもいられなくて自分の家、土地を離れた若者や、おじさんを見かけました。

わたしだってそうしたい。
でも、ずっと疑問に思っていること。

いろいろな人の「誰かを助けたい」という思いを目にして、
タイガーマスク現象をふと思い出してしまった。


ここに、阪神大震災の経験者の声を転載させていただきます。



**************************



阪神淡路大震災の時、希望したわけでないのに(全く立派ではない) 震災3日目から一週間(交代) 約一ヶ月後に又一週間(交代)で計2週間 ある団体の現地対応に借り出されました。


震災3日目からは全国から集まる弁当を避難所別に仕分けて配送係へ渡す係、自動車で運べる避難所は我々で運び入れる。

無理な避難所へは自衛隊の装甲車で運んでくれる。

簡単に書きましたけど、メチャメチャ大変で

作業する体育館準備室(結構広い)の横の体育館には60体のご遺体と遺族 、棺おけも間に合わなくて、ブルーシートに包まれただけ。なるべく腐敗を遅らせるため、窓・ドア開けっ放し。

ライフライン(水道・ガス無し、電気は比較的早く復旧)なし。手も洗えないし、トイレに困る。

寝泊りしていた西宮商工会議所のオフィスは2棟あって、一つは倒壊。
我々の棟もひび割れが・・・余震が怖くて毎回2階から外までダッシュ


で、そこでの大きな問題を書いてみます。

2次災害と人災、被災地ではそう呼んでました。今でもそう表現しているみたいです。

まず、人災・・・・・
当時災害ボランティアの考えた・活動の手法を我々含めて、よく解っていなくて、訳のわからんNGOが乱立→押しかける。

休日や土日にふらっと来て、何も出来ずに怒って帰っていく。そんな人が大勢きて混乱した事を人災と呼んでいました。

人命救助が終わって、生活支援が始まる最初の段階では、 専門家(看護士・介護士・栄養士・建築関係者)しか必要ありません。

何にも出来ないけど気持ちだけあります的な人は、活躍できる機会がありません。もう最後のほうに床上浸水した家屋の清掃ボランティアがありますが 、悪臭と不衛生さでみんな2,3時間でダウンしてしまいます。

そんな人もかえって迷惑です。

日本海重油流失事故あたりからまとまってきて、地元NPO・社会福祉協議会・地元青年会議所・地元ロータリーなどが連合で
「がんばれ○○○」なんかの名前で共同でボランティアセンターを開設します。

ボランテァ登録(有料・保険加入)。ニーズ→派遣のシステム。も確立したみたいです。

ボランテイアは気軽に行かずに最初は経験者に連れて行ってもらって下さい。

基本公共交通機関で現地入り

合羽(分厚いゴム製)・長靴・ヘルメット・弁当・飲物・マスク・軍手・長いゴム手袋・着替・バンドエイド類・・・
それらを入れて背負う登山時に使うようなリュクサック 、すべて自前で調達です。

それらを持って現地に入り待機所で待って、ニーズが無くて何もしないで、夕方帰る・・・に絶えれる精神力・体力の人だけ行って下さい。

でないと 人災になります。

女性は余程体力ある人以外無理です。あと女性は必ず当日帰ってください。
問題ある事案も沢山発生しています。


次に2次災害・・・
これはまさしく個人災害支援品

神戸でも北海道でも大問題になりました。
神戸の時は、どうしたら良いかよく解らないので政府が、現地への個人・団体への災害支援品をゆうパックで送るの無料・・・
なんてやったもんだから・・・100万個以上集まりました。

又各地でいろんなNGOや法人もジャンジャン送ってきました。

いろんな思いを手紙に託したり、わざわざ女性向け用品と書いてあったり

残念ながら・・・ほとんど廃棄されました。 (その時送って、いい事したと思っているひとばかりですが・・・)

一ヵ月後に行った時、その処理を手伝わされました。自治体・郵便局から処理を要請されたのです。

関西の郵便局の倉庫がすぐ一杯になり、小学校の体育館3つ分も一杯になり。神戸製鋼の空いている大きい工場に山積みになりました。

はっきり言って、ストーブだけを取り出して後は廃棄されました。

開封もしていません。100人体制位で処理しましたが完全に廃棄するのに何ヶ月もかかったと聞いています。

北海道の時は地元自治体が「善意を捨てれない」と大型倉庫を3000万かけて造り、結局最後にはすべて廃棄。処分費含めて1億円以上北海道の財政負担になりました。 他の災害も同様です。

とにかく
安易なボランティア参加(人災)
個人支援品送付(2じ災害)はやめてください。無駄になるばかりか、現地に迷惑になります。



***********************



この現状を見て、力になりたいとか、
なにもできなくて申し訳ないとか、いろいろな思いがあると思う。

けれど、衛藤信之さん(心理カウンセラー?)とか、いろんな人が言っているけれど
助けることが、助けた人の満足だけになってしまってはダメだ。

ついこの間の、タイガーマスク現象で一部あったように
親切の押しつけになっては、せっかくの善意も行動ももったいない。


新入生がいない児童養護施設にランドセルを送ったって仕方ないんだよ。


どういう行動が、どういうふうに誰の役に立つのか。

いてもたってもいられない、っていうのは、素晴らしいけれど、ときに危険なことだと思います。
はやる気持ちをコントロールできる人……つまり感情的になりすぎない人に
冷静で確実な判断を仰ぎましょう。



これから1週間、1ヶ月、3年、5年、10年以上。
わたしたちみたいなシロウトでもなにかしたいと思っている人の力が役に立つときは
これから先にずっとずーっと、長い時間待ってるので。




『包帯をまいたイブ』読んだ。第7回すばる新人賞。

March 03 [Thu], 2011, 16:55



「僕」はレズビアン・バーに男役として勤める女。(『包帯をまいたイブ』冨士本由紀)



この小説、手が吸いつくように本にのびた。

16年も前の作品だというのに('95)、背表紙は褪せているのに、内容は褪せない。
冨士本由紀さんの小説『包帯をまいたイブ』。
解説は漫画家の、槇村さとるさん。
ひさびさに、ナマで血管そっとつままれたみたいな、やわらかくて的確に致命的な内側の刺激を感じた。


「僕」はレズビアン・バーに男役として勤める女。
冴子という美女と同棲している。
胸にさらしを巻いた店長の麻生にも、金持ちのパトロネーゼがいる。
だが「僕」の心には麻生がいて、麻生もまた……。
麻生の入院をきっかけに、愛を確認したふたりだが、いざベッドインすることになって男役同士、女になって愛されることができない。
ばりばりスタンダードなレズビアンたちの切ない「純愛」の行方は。



と裏表紙には紹介されているけれど、私はこれを、
「誰かと生きること、その生き方」
を書いた小説だと受けとった。

誰もが自覚的でも無自覚的にでも、持っている 
 プライド
 コンプレックス
 誇り
 理想
 自分のルール…
誰かと生きるときに、それらは愛おしくもなるし、邪魔にもなる。
他人と擦りあうことで、それら“自分”というものは輪郭をはっきりさせ始める。
いままで気づきもしなかった“自分”というものが見えてくる…。

僕と麻生(アサオ)は、レズビアン同士、男役同士、ということで
その“自分の輪郭”がお互いにうまく嵌まらないことに気づく。
でも、好きだ。
じゃあ、どうする?


いつだって傍にいる誰かと愛しあって、傷つけあって、
うまくいったり 離れたり 間を空けたり 結婚したりする。

レズビアンが主人公だからって、異性愛者でもその他でも一緒だなあきっと。
槇村さんもあとがきで、
『一体、「私は身も心も魂も、生まれてから今まで、そして死ぬまでずっと、100%ヘテロな女よ!」といえる人間がこの世に存在するだろうか? いないと思う』と書いているが、
もし同性を愛せない(恋愛の意味で)と思っている人は、どう思うんだろうそこんとこ。


そういえば。


今朝わたしはすっごい機嫌が悪かったんだけど
それは遅刻しかけたからだけじゃなくって
その遅刻しかけた理由っていうのは、
ツイッターで話しが合うね!と盛り上がっていたバイセクシャルの女の子と
一緒にライブハウスでのパーティに行ったら
初めて顔を合わせるその子は、はじめて好きになった女の子にどことなく似ていて
ずっきゅん!(やべーなこりゃ)
と思ったわたしは 焦り、思考がまとまらず、ぼーぜんとして
彼氏の家にいくはずだったのに終電をのがしてしまった
ので、そのずっきゅん彼女を 夜も遅いし まだ終電が間に合う自分の家に誘うかどうかを
むーんと激しく思案していて胸と頭がイタイ。
というちょーリアルな夢を見てしまったからで。

なんてうまいこと現実をひっかきあつめたリアルな感触の夢なんだ
とぐったりした身体は起き上がれず、
すっきりしなくて機嫌も悪い。
たぶん、この小説を読んでいた影響もある。と思う。


夢は、じっさい引っ掻かれたわけでもないのに鈍く痛くて
小説も、じっさいおっぱい掴まれたわけでもないのに胸が痛くて
まぁ痛いような気がするだけかもしれんけど
少なくとも、気はした。


「僕」と、それから麻生の、これからはわかんないけど最後の選択は好きだし、
冨士本さんの最後の二人の描き方はとっても優しかった。


あああん、自分のままに相手のままに、強く優しく誰かを愛したいなあ
とか、嘘くさい言葉並べただけみたいなようなことを思っちゃった本でした。
ま、ね。


死ぬということ自体は、じつにあっけない

February 27 [Sun], 2011, 0:02


おじいちゃんは病室でクダに繋がれながら、
「こんなところに来んと、帰って勉強しい」と怒った。
おばあちゃんも隣りで頷いた。

わたしはなんだかこわくって、
すぐにとって返して、翌日からもう病院へは行かなかった。
そしてしばらくして、おじいちゃんは遠足の前日(それはわたしの高校説明会の日)に、死んだ。

「早く来れば会えたのに。おじいちゃん待ってたのに」
と言われたけど、携帯電話もなかった中学3年生のわたしは、友達とのんびり翌日の遠足のおやつを買ってたの。
で、お菓子片手に帰ったらおじいちゃんは死んでた。

そしてそれからは、おじいちゃんの言うとおり…というわけじゃないけどそこそこに勉強してそこそこにサボりつつ、県立の進学高校に合格した。

そして今は、おじいちゃんの言うとおり…とはいかず、勉強もせず、ぼーっとだけして、今にいたる。
なんの頑張りもないという罪悪感もちょぴっとは感じつつ、でもどっかり降ろした腰をあげるほどではない。まいにち、ぼーーーー。



『死ぬという、そのこと自体は、じつにあっけないものだ。その現場にたちあえば、他人がおもうほどすごいことでないのは、すぐわかる。ひとは簡単に死ぬのだ。
 だれかの死がおもい意味をもつのは、その不在によってである。不在によって、死ははじまる。』
(「もっと夢中になれる青春映画ってないのかしら」鈴木いづみ)




おじいちゃんは無口で真面目で山が好きで、角はそろえないと気がすまないひとで、あまり話しももなかったし思い出も霞んでなくなってしまうくらいわたしは小さかったから、そんなに仲が良い記憶はないんだけど。
おじいちゃんの死によって、反芻した思い出はたくさんある。
なくさないように消えないように。無意識にかわざとか、反芻した。
もしおじいちゃんが生きてたら、たぶん溶けてなくなちゃってた記憶。

反芻したことで、忘れずにいるおじいちゃんのこと、けっこうある。
それがどこまで、ほんまにあった出来事かはわからんけど。でも、いろんなおじいちゃんの映像を、わたしは脳みそに持ってる。

おじいちゃんの死は、不在によって始まり、同時に「生」も、始まったような気がするわたしのわたしだけのなかで。

シュルレアリスム展 〜 から、中2病とか言ってるのは保守的〜〜ってなった

February 22 [Tue], 2011, 21:01



“Le cadavre - exquis - boira - le vin - nouveau”
 ”甘美な 死骸は 新しい 酒を 飲むだろう。”




シュルレアリスム展行ってきた。
シュルレアリスムよりダダに惹かれるわたし だ けれど、よかったシュルレアリスム展。



  家族の否定をゆるす嫌悪から発したもの、それがダダである




言葉は絵であり
絵は言葉であり
と 思っているけれども。
絵画展でこれだけ言葉がアートとして使われていると心地よい。


 
     シュルレアリスムは天才の共産主義か?





みんな死ねみんな死ね死ね
と思って生きていた。
けれどおなじ口でおなじ脳みそで、世界中のみんな愛している!と強く叫ぶ。
愛しいからこそ死ねと思うのだなと、
愛しいからこそ愛したくて愛して欲しくて、
それがうまく行かないときに 死ね と思うのだなと。
ツンデレだからさっ



ダダは何も意味しない。




最近、焦りがすごい。
なぜかわからなけど、気持ちは逸ってばかり。
けれど、身体は動かないのは、動く理由を見失ってるからで
とくに動く理由はないから動かないんだけど動く理由がないから焦るって感じ。
あーなるほどね



             シュルレアリスム。
        私にとってそれは、
        青春の絶頂の
        もっとも美しい夢を
        体現していた。




それにしても一日のたいていは社会問題とエロについてしか考えてないよ。
というと思い出すのは
フリーライターの中村敦彦さんが、
エロとかAV女優とかの記事ばかり書きながら
ときには紛争地域に行ったり
さいきんでは福祉施設デイサービスを運営したりしていて、
それっていつか「バランスをとっているのかも」
みたいなことを書いてたんだよなあ。
それはよく、よくよくよくわかる。
(しかし彼がブログで『カンブリア宮殿』を『カリビアン宮殿』と書いていたのにはガクっとなった(笑)
 まあ、カンブリヤ宮殿、とか、カンビリア宮殿、とかよく間違えられてて、まあそうだよねとは思うけども)



   いとしい想像力よ、
   私がおまえのなかで
    なによりも愛しているのは、
     おまえが容赦しない
      ということなのだ



けっきょく、
歳をとったあとのことを心配してるけどそれは歳をとってみないとわからないわけで
かといってもう子どもじゃないんだからそこそこ歳をとったあとのことは予想しろよって話で。
そうなると、安心っつーか、どこが不安なの?という考えがある。
けどまわりは貯金とか保険とか仕事とかしっかりしてる人多いから、ん?あたしの考え方って浅いのか?とか不安になっちゃって、自分の考えじゃないところで不安になってるかんじ。
そういや、仕事でも、計画ねって考えて、実行しようとしていたら先輩から、「わからないことないの?」と聞かれ私「ないです」。「ほんとに?」「はあ、とくに」「それで大丈夫なの?」「と、思いますけど…」「ほんとう?」(どっかだいじょうぶじゃないんだろか……)と急に不安になるかんじ。けっきょく先輩にはなんの助言ももらわなかったけれど問題なくうまくいったんだけどさ。そんなかんじ。
で、
なんか、それは、
自分なんかペーペーのひよっこなもんですから何がわからないのかなんてわかってないんですよね、っていう懸念とか不安とかが自分のなかにあるから「大丈夫?」ってきかれると自分では「大丈夫」って思っていても(ほんまやろうか。自分の気づいてないところで失敗とか抜かりとかがあるのかもしれん)と心配しだしてしまうんよね。結果的にはいらん心配を。

それって自分に自信がないからなのか、
けど自信がないって、自尊心やプライドの裏返しやったりもするから、
けっきょくは自信があるのかなとか。

ちょっと考え込んでてもわからんのだけど
まぁつまりは、将来の何が不安なのかがわかんない自分が不安で焦る、なう。


外から植え付けられた不安の種
の正体が
不明で、不安。
ふう。


そんなわけで、不安と自信と自負心ないまぜになったまま、中2病といわれようが
ぐらぐらぐだぐだしながら寝坊なんぞしてヘコんでいるんですな、今日。
そんなときにシュルレアリスムなんて思い出したら、
元気出てきてしまうやんか。
だって、言葉とか、絵画って、武器だもの。ねえ。
かんぜんにアジテーションされてしまうよ。




 頭に弾丸を受けた君たち、
    それを溶かしてシュルレアリスムの黄金となれ。





中2病といえば、
アメリカ映画の設定なんてたいてい中2病設定なんだよね。
中2病って言葉がけしてプラスには使われていない日本の風潮は、さすが、保守的、ってかんじ。




P R
プロフィール
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  • 誕生日:1985年1月20日
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アート→世界一周→マスコミ→車生活&日本ふらふら。
“働く”ことについて同世代にインタビューをしています。“働く”ってめんどくさくね? 
スカイツリー近くのナガタシコージョにてハウスシェア。
keywordは、アートマネジメント/スペイン語/南米/茶・マクロビ/セクシャルマイノリティーなどです。
いろんな世界をうようよしながら恋愛にまきこまれている高知うまれの酔っ払い。
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