Photography can not change the reality but can change the way to see the reality

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アメリカで写真やってます。日々感じた事など、あまり日記らしい事は書かないかもしれないけど、よかったら見てみて下さい。
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life / 2008年08月09日(土)
世の中の人は思ってたより必死だった。 何十億人の中の一人一人が自分の為に必死に暮らしている。

そして思ったより人生は厳しかったりする。何かをするっていうのは口に出すより大変で、長い道で、時には こういう文章を書くことさえも大変に感じる時期がある。

人は成長する。その成長は 果たして自分が望む事なのか? 十人十色のこの世の中で絶対なんて事はないんだって気づいた。

んー。。なかなか人生は厳しい。最近ようやく等身大の自分が見えてきた。思ったより小さく、思ったより その先には無限に広がる可能性がある。

自分は成長したいのか?このままでいいのか?

いや、このままでいいのか?このままでいたいのか?

さー人生の中での きっと大事な時期。相手は自分。己に克つ。
 
   
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best night / 2007年12月15日(土)
まずは両親と家族に感謝したい。それなしでは今の僕はいない。

アメリカに来て約三年半、本当に。。

駄目だ。言葉になんない

明日、日本に帰ります。

いろんな思いを連れて帰ります。
 
   
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オモウコト / 2007年12月03日(月)
12月になっても未だに極寒にならない気温に、温暖化の影響を少し感じつつ今年も終わりが近づいてきました。新年はいつも新鮮で、心機一転な日々に心が躍るんだろうけど、今年の心機一転は少し強烈すぎる。

最近になっていろいろ考える事がある。今まで三年間アメリカで過ごさしてもらって、僕の人生は大きく変わったと思う。思えば、高校から寮制の学校に通わしてもらってた僕にとって来年は実に8年近く振りの心機一転になると思う。

最近になっていろいろ考える事がある。僕はどうなるんだろう?どうしていくんだろう? 周りの身の持ちようの変化に対して危機感は持たない。危機感がない事に危機感を持つ。人の幸せは十人十色。それなら僕の色は何色なんだろう?白色なら見る事も許されない?

最近になってビリヤードに生きがいを感じ始める。

最近になって写真を失う怖さを全身で感じる。失ってはイケナイ。

オモウコト。自分の協調性。

シンジルコト。自分の感性。
 
   
Posted at 06:09/ この記事のURL
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media / 2007年10月15日(月)
いつもそうだけど、最近やっぱり世の中を騒ぎ立てるのがメディア。僕なんかはインターネットでしか日本の記事を見ないけど、本当に載せていいの?みたいな記事はたくさんある。
いくら視聴率?が欲しいからって言葉遊びも程ほどにしないと三流雑誌と変わらないんじゃないか?って思うようなタイトルをつけたりする。本人の言葉だからといって その前後全てを省いて載せたら勘違いする人だっているでしょうに?もちろん それが目的なんだろうけど。。

なんで急にそんな話をしたかというと、たった今、たまたま信じられないものを目にしたからです。23年の人生の中で初体験、本当にびっくりしました。それは遺書です。

会社内のトラブルにより、自殺をしてしまった人の記事が載ってたんだけど、その最後にはその人の遺書がそのまま載ってました。

どうなんでしょう?

僕らの知る権利はどこまであるのだろう?どこまで知っていいんだろう?知りたいんだろう?僕にはこれが信じられなくて、なんか朝から複雑な心境。

僕は遺書なるものを書いた事ないし、これからもないだろう。けど、だからこそ、書いた人の気持ちは図り知れない。そんな最後の手紙を公共に載せる事を誰が許可したんだろう?本当にそれを望んでいたのだろうか?僕には分からないけど、それをこんなスクリーンの文字で見ても いいものなかの?僕はそうは思わない。

僕らの生活の基準はどこにあるのだろう?目に入る情報はどこまで受け入れていいんだろう?
本当にビックリです。主観的だと言われても、僕はそんなメディアに反対です。捏造とかボクシングとか、記者会見とか、そんなもんよりも もっと大事に考えなきゃいけない事はあるのではないでしょうか?
 
   
Posted at 23:05/ この記事のURL
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modernism / 2007年10月09日(火)
もしも生まれ変われるなら1900年以前の時代に生まれてみたかった。今勉強してる写真の歴史の授業で丁度その辺りの話をしているんだけど、僕は今の時代よりソコに魅力を感じる何かがある
長い歴史の中で写真はいろんな道を辿ってきた。テクノロジーの発展と共に人々の写真に対する考え方も様々な経験を積んでいる。アメリカ内戦での写真では、その意義さえも賛否両論で、わざわざ戦士死体を自ら運んで写真を撮った人もいる。彼曰く、スタジオではモデルをアレンジしたりするのに、なぜ外ではしていけないんだ?ー結局この考えは今でいうデジタルとアナログ写真の違いに通じるとこもあると思うし。また、プロとアマの格差が出てきた時代なんて、本当に好奇心だけで先生の話を聞いた。コマーシャルなどのお金と写真の関係を作り始めたプロの写真家に対して、そんなのは芸術ではない!とアマチュアのみで形成された写真集団が出来たり、(おもしろいのはアマチュアの人はみんなお金が余った大富豪という事実w)科学と写真の関係性を見出して、人の体の仕組みを表現したりと、今の時代の僕は魅力を感じたりする。そして忘れちゃいけないのが絵と写真の存在。お互いが刺激し合って育ってきた歴史に分かれ道を作ったのが、ちょうどmodernismの時代だと僕は感じた。その頃の絵といえば、ちょうどピカソの絵で有名なcubism。クネクネしたような線は、(専門の方、素人の発言をお許し下さい)描いてる際に生じる頭、目線のズレなどを表現していて、それこそが本来あるべき物の形だ!と考える画家たちに対して、写真はpictorialismという多少似た考え方から、写真のもつ瞬間をそのままな線で切り取れる技術を尊重するようになってきた。俗にいうモダンなイメージです。果物の形で人の体を表現したり、椅子そのものの存在より、背もたれの“線”と影で何かを表現したりと、僕にとっては写真の自由さを気づき始めた時代だと思ってる。きっと多くの写真家達が新しい何かに心躍らせたに違いない。写真と絵はどっちがリアルに近いか?みたいな質問もあったけど、僕にとってはどうでもいい。ただ、お互いが尊重しあってお互いの個性を見出してきた方がよっぽど貴重な事だし。
今の僕の時代に自由がないとはいわない。ただ、自由が出し切られているという感覚は否めない。全ては結局歴史の繰り返しだ!というのは、現に最新のファッション写真があまりにも昔の写真と似た構成だったりするところから、そうなのかな?と思ったりする。ここら辺は少し前に話した著作権の話に共通する点はあるけど。別に同じだからいけないとか、それはオリジナルではない!というつもりはない。ただ、昔の人が感じたであろう本当に未知のものに対する期待感が、羨ましい。

今の僕にも持てるだろうか?

そんな僕が今日見つけた偉大な格言。多分アメリカの思想家のソローの言葉だと思う。彼?は写真をこう唱えた。

-You can't say more than you see; No matter what lens you use, no matter what the speed of the film is, no matter how you develop it, no matter how you print it, you cannot say more than you see-

ー自分が見た以上の事は表現できない;どんなレンズで、どんなフィルムを使っても、どんな現像で、どんな印刷をしても、自分が見た以上の事は表現できないー

写真はただ瞬間を切り取るだけじゃなく、自分が見た何かを伝えるものです。どんだけ技術が発展しても、僕が見たものは僕の瞬間。何か救われた気がする。
 
   
Posted at 13:19/ この記事のURL
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home page / 2007年08月02日(木)
簡単ではありますが、ホームページなるものを持ってみました。クラスでの課題で作ったんだけど、写真を自由に置けるみたいだから、これからそっちの方は写真専門にしたいと思います。まだまだ未完成だけど、アドレスは 

mypage.siu.edu/kat0226

学校のページを使ってるので今のところ検索ではヒットしません。あと、アドレスの前にwwwをつけると見れないので あしからず。。 できたら近いうちに検索できるようにします。マックとPCの色の違いに苦戦してます。何か分かる人がいたら教えてください!

英語にしたのは 先を考えての事です。もしも読めない人がいたら、、、ごめんなさい!w 僕も今さっきスペルミスとか見つけたので、直さなきゃなー・・

携帯で見てもらってるかた、見れないと思うんだけど、、もしよかったらパソコン使える時にでも!!

ではこれからどんどん “らしく”変えて行きたいと思うのでお楽しみに!!
 
   
Posted at 11:35/ この記事のURL
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Second Life / 2007年08月01日(水)
ここで質問。あなたはいつから友達の家に電話をして 00ですけど、00さんいますか? という会話をしてませんか?仕事関係はわからないけど、僕は少なくとも7年近くこんな会話をしていない。子供の友人関係が分からないという親の嘆きもあれば、会えるか会えないかのドキドキ感が湧かない!という僕ら世代の発想もあるけど、誰一人反対はできない。携帯を始め、すべてのテクノロジーは既にオプションではなくメインになりつつあるからです。今日のクラスではオンラインゲームについての話をしました。僕には未知だけど、"Second Life"というゲームについて先生が話したら ”ゲームと一緒にするな!”と猛抗議した生徒の説明なども聞いて、その凄さにビックリしました。

簡単に言えば、onlineでの生活ができる。生活という言葉を使うからには生活で、ありふれたモンスターと戦うゲームや表情の堅い女の子とのデートを楽しむのとは違って、全てができる世界です。ビデオでの説明では会社のプレゼンテーションもあったし、クラブで踊る人もいたり、友達とただただしゃべる場面もあった。なるほど、現実から離れたゲームとは実際真逆です。もちろんお金もあります。(これは当たり前なのかな?オンラインの買い物を23歳になって初めてした僕にとっては携帯でのコンビニの買い物もゲームの買い物も理解しがたい事です。。)

そこででた素朴の質問。オンラインと現実の違いは?以前テレビで地球の規模の限界を感じて、既にオンラインでの土地持ちがいると言っていたので、人間関係の面では完璧に近いものかもしれない。、正直交友関係は待つドキドキ感さえも体感できる待ち合わせも、ナンパなどの偶然な出会いもできるだろう。正直認めたくないアナログな僕だけど。。オンラインで両親と会ったという実例もあるみたいだからね。secondlifeの中で携帯を持つ事さえもできるだろうしな。。

じゃーもっと深く、一人の人間になりきれるか?五感全ては間違いなくできるだろう。一番の難関は味覚だろうけど、ここまできたらできるようになるんでは?オンラインでの食事。鉄腕アトムのアニメの中で、作者は携帯電話だけは想像できず、アトムが、空も飛べるアトムが、近くの民家で電話を借りるシーンがあるのは結構有名な話。それを考えると、ドラえもんの秘密道具ぐらいなら近いものを将来発明される気がする。

じゃー喜怒哀楽?これは聞くまでもなく今まさに現実からソッチの世界に移行されてます。クラスメイトの友達がonlineで12回結婚したという話をしていました。それなら当然喜び、楽しみ、悲しみ、そして怒りもそこにはあるでしょう。その表現をどっちでするかは分からないけど、その類いの感情なら現実と変わらず感じることなんだろう。どうでもいいけど、12回の結婚って、法律はないのだろうか?ゲームと違った新世界なら大統領とかも必要なんでは?もしかして既にいる?今度もう少し調べてみようかな

そして考えても考えても思いつかなかった、現実にあってonlineにないもの。今さっき思いつきました。それは鏡です。ふとトイレの鏡を見て思ったのは鏡を見て初めて自分が見れるんだなーって。(写真とか映像も含んで。w)

僕の生活の視点は全て僕中心です。誰と話しても誰と会っても僕の前には僕はいない。鏡を見て初めて自分の周りの視点が確認できる。そこで思ったのはonlineで自分を確認する事はあるのだろうか?僕を始め全ての人間は自分自身を100%コントロールする事は無理だとおもう。微妙な表情とか仕草の大切さは正に”目は口ほど語る”
もしもonlineで自分のしたい事全てができるなら、じゃーしたくない事はできるのだろうか?真逆の発想。言いたくない事を言わずに、全ての言動が自分の意思ならそれは自分自身にコントロールされている”自分”なんだと思う。そしてその”したくない”こととか”見せたくない”ことの方がその人にとって大事な面なんでは?それを知るための”鏡”がないの世界で自分がソコに生きてる確認、実感はできないのでは。。?

今回の日記はかなり一方的な話です。誰の事も考えずに思った通りに書きました。これが僕の”鏡”になるような失言も入ってるかもしれません。気分を悪くされた方がいたらスイマセン。ただ僕はやはりアナログなんで今の世界で一杯一杯。世界を回って写真が撮れるソフトがあっても、やはりモニターに邪魔されず、僕と被写体の二人っきりの世界を楽しみたい。

もしも、それさえも実現できたら、、年を取るのは怖いです。。
 
   
Posted at 04:44/ この記事のURL
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we love NY / 2007年07月19日(木)
昨日、久しぶりに一冊の本を注文しました。 タイトルは We NY -the life goes on-
これは写真集なんだけど、コンセプトがおもしろい。主催者は eddie adams。 有名な写真家で いろんな戦争を撮ってきた。
この写真は見覚えある人もいると思うけど、彼だ。 そんな彼のworkshopというのがある。簡単にいえばアマの写真家達が彼の元に集まってみんなで一つの作品を作る。この本はテロ後のNYを舞台に02年の9/11日のNYを選ばれた百人のアマのカメラマン達が一日という限られた時間の中で それぞれが見たNYを撮るわけです。そしてテーマは We love NY. 僕は報道番組でこの企画を知ったんだけど、テレビの中で彼はこんな事を言ってました。

”あのテロの時、私は近くに住んでいた。すぐさまカメラを取り、写真を撮ろうとしたけど、行けなかった。数々の戦争を撮ってきた私が 三度、ドアを開けようと試みたが、結局出れず立ちすさんだ。なんでだろう?と思ったけど、答えは簡単だ。アメリカだからだ。私の住んでいるアメリカで起きた事件だからだ。もう悲しみはいらない。事件後も変わらず、前以上に幸せなNYを見たい。葬式の写真は一枚もあれば充分だ。今日は笑顔がみたい。”

僕は彼のこの思いに心を打たれた。自分の国で起きてる事と他国の戦争、写真家としての使命とも言えるかもしれない状況で彼はアメリカ人としての自分を選んだ。選ばされた。そして時が経ち、彼は彼なりに100に任せてテロの写真を撮ろうとした。 映像で見る限り、かなり質の高い写真集に見えた。10人がグループになって みんなでテーマを絞っていく。いろんな形で関わったNYに住む人達の信念を見た気がする。 テレビの方は BS2 ”百人のカメラマンが見たNY” みたいなタイトルだった気がする。 機会があったら見てほしいです。

話変わって今僕はenvironment portrait なるものを撮ってます。一つの場所や事柄に絞って撮るんだけど、僕は普段お世話になっているビリヤード場にしました。今日から撮り始めたんだけど、中々難しい。。ポーズを頼む こういう写真は相手のスケジュールに合わせて撮るのは当たり前なんだけど、知人じゃなく働いてるところに時間を割いてもらって撮るのは気を使ってならないし、中々時間が合わない。結局今日も思ってたより相手が忙しく、予定変更です。プロの仕事は こういう難しさもあるんだろうな、と実感しました。
 
   
Posted at 05:40/ この記事のURL
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coin / 2007年07月09日(月)
僕は今まで戦争では日本が悪くてアメリカが正しいと教わってきた。あなたの視点からの意見を聞かしてほしいー

アメリカ人にこんな質問をされたらあなたはどう思いますか?もちろんこの日本語が読める、日本人のあなたです。憤慨?悲しみ?もしくは無関心? そしてあなたはどう答えますか?もちろん日本代表なんて責任は感じなくていい。怒ったタレントが司会する番組のようにメディアに流れる事もない。どんな答えでもアナタは“ヘン”な日本人ではない。僕は“尊敬”と“感謝”の気持ちを込めて二人の友人に素直にこう答えた。

“分からない”

今までの人生、自分が歴史に詳しいなんて思ったことはない。けど、そんな僕でも戦争で日本が何をして何をされて、アメリカが何をして何をされたかは最低限知っているつもりだ。 もしも歴史に詳しい人なら更に細かい事情が足されるだろう。けど、それでも“なぜ”という答えは出せないと思う。人の感情までは知れないだろう。仮に知ることはできても完璧に“理解”するのは無理だと思う。僕とアナタの人間関係だってそうでしょう?そしてそれが一番大事だと思うから僕の答えは 分からない。どっちが正しいかなんて到底分からない。

僕らの人生、いつも主役は僕ら自身です。だから人は客観的に物事を見る事が苦手だ。80%の情報は目から手に入れると授業で習った。全ての五感を使って いいとこで99%。そして残る1%は自分の感情だろう。この1%、時に、いや大体の場面で99%を凌駕する。感情なしに物事を見れないのは僕らが人間である証。何も恥じることはない。

けど、だから人は全ての物事はいろんな面があると知らなければいけない。日本人が海外で安く買い物する事実は、同時に誰かが日本で高くて買い物できない事実。例えば一人が円形で、一人の三角形と言ったら、それは。。?

歴史もそうだろう。コインのように表と裏があって、その両面を同時に見る事はできない。鏡を使って見てもいいけど、左右が逆になって見づらくてしょうがない。だったらどうしよう?答えは簡単。誰かに裏に立って見てもらえばいい。そして聞こう。そっちはどう?こっちはこうなんだけど?それでも100%理解することは無理かも知れない。だから何度もトライする。単純なコミュニケーションがどんだけ重要か再確認。

全ての物事は歴史によって作られると話してくれた先生がいました。そんな言葉を含めつつ僕はこう思う。

歴史でどっちが正しいかは分からない。一人の人間の歴史でさえ全てを理解するのは不可能でそれがましてや何十万、何百万、もしくはそれ以上の人たちが関わっている戦争を完璧に理解するのは無理だと思う。だから僕らは歴史を好きなように解釈していいんだと思う。自分勝手でもいいから、自分が思う事実を、自分の未来に役立ちそうな情報だけを頭に、胸に刻んでいけばいいんじゃないか?それが偏らないように、よりよくなるために、僕らは他の視点を気にかける。人と話して、人と共有して、相手の景色ももらって自分の視点を広げていけば それでいいんだろう。 もちろん歴史だけじゃなくて

こんな答えに彼らがどんぐらい満足したかは分からない。けど、僕はすごくダイレクトな質問に感謝して尊敬した。今までアメリカにいて似たような質問はされてきたかも知れない。けど、ここまで自分の事を隠さず、濁さず話してくれたのは そうそうない。すごく清清しい気持ちになれた。きっとこれからもっとお互いの好奇心を話して いい関係を作っていけるだろう。だから二人の友人、そして一緒にいた二人の日本人に感謝感謝。

有意義な時間でした。
 
   
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No live, No music? / 2007年07月03日(火)
先週末に友人たちに誘われて音楽祭?に行ってきました。それは野外での演奏で、場所は田舎を更に田舎にしたような携帯の電波もないような奥地w ステージを覆うよう大きい崖の下で昼から朝まで音楽といました。演奏もそうだけど、それよりもその雰囲気を楽しんでる人が多くて、二日間通しでのライブに備えてテント持参が常識だったらしい。。僕らはその日の朝に帰って僕を除いた友達たちは次の日も参加してました。

昔から音楽は好きです。創る方はしたことがないに等しいけど、暮らしの中でファッションと同様、自分の変化が見られるのが音楽だと思う。もちろん小さな頃から好きな音楽が変わらないって人もいると思うけど、出会う人とか環境によって その"幅”は大きく変わっていくもんでしょう?

最近MACとの付き合いが多い僕にとって結構音楽は必要なアイテムです。もっとも僕が好きなのは音楽そのものよりも音楽と、その映像です。俗にいうPV。かなり興味深い

ライブを見る音楽と、映像を見る音楽とは違った印象がある。誤解を恐れずにいうならば、ライブはパフォーマーの人間性が見れて、PVはその音楽性が見える。演奏そのままの姿を見せる人たちもいれば、いろんな場面をいろんなテクニックを使って、”言葉”に変えて伝えようとする人たちもいる。僕は個人的に後者の方が好きなのは、今更理由はいわないとして、結構な種類のPVがあるんだなーって気づきました。

ライブと映像、二重に楽しめる音楽は、やっぱ凄いです。将来機会があったらそういうものも作ってみたいなー。。。時間と技量があれば。。

そんなこんなで音楽繋がりでもう一つ。こんな写真ができました。サイト用の写真というリクエストをいただいたので久しぶりにスタジオに入りました。本当に久しぶり。。ずっと外を歩く写真ばっかだったので”創る”写真は新鮮で、僕も僕なりに楽しめたし、イメージに近い写真が撮れたと思います。


 
   
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