話題のCM 

2011年04月23日(土) 11時20分
今話題になっているらしいこの九州新幹線全線開通のCM、何の気なしに見たらなぜだか泣けてきちゃいました。どうしてだろ…。

パンダがやってきた 

2011年04月12日(火) 21時25分
上野動物園からパンダがいなくなって3年、今年2月に新しい2頭が中国からやってきた。
パンダ好きの私としてはどうしても見たくて、ここはやはり昔を思い出して母と行くことに。母と一緒に動物園なんて、何年ぶりなんだろう。母はかなりウキウキしていた感じ。

入口を入ってすぐ右手にあるパンダ舎。の前には、平日だというのに長ーい長ーい行列。母と、動物園にまつわる昔話などをあーだーこーだと話しながら待つこと約1時間。



まだ若いのね、ちょっぴり小ぶりのパンダ。なかなかタイミングが合わなくてシャッターチャンスに恵まれず、ちょっと残念。ランチ後のお昼寝タイムだったのかな。ほのぼのと癒されたひとときでした。

パーソナルトレーナー 

2011年04月02日(土) 14時00分
先月のごたごたですっかり忘れていたけど、実はランニングを始めて今年の春で3年になりました。飽きっぽい性格の私にしては、よく続いているなぁと我ながら感心。

で、そんな中、膝を痛めて巣鴨へ通うようになってもう1年。
今から代表選手を目指している訳じゃないけど、なかなか完治しない痛みや今後のためにも違う視点から考えてみようと思って、先日のマリンマラソンの報告とマラソン後の身体のチェックをしてもらうため行っていろいろ話をしていたら、パーソナルトレーナーを紹介していただくことに。そもそも巣鴨へ通うようになったきっかけは、膝を痛めた直後、何が原因なのかを探りたくて自分の走りをみてもらいたくてパーソナルトレーナーを探していたところ、提携している治療院がここだったことから。

タイミングが合わなくてまだ数回しかこなしていませんが、先生とおしゃべりしながら、自分ひとりじゃ気づかなかったこと、走る時のフォームや癖とか、そんな私にあったストレッチや筋トレの方法などマンツーマンで教えていただいていて、毎回時間が足りないくらいにとっても楽しいです。

楽しくてためになるパーソナルトレーニングと、愛情たっぷりの巣鴨の先生達の治療のおかげで、最近は走っても痛みを感じることがなくなってきたし、なによりも走ることがますます楽しくなってきました。暖かくなってくることだし、そろそろ以前のようにもっとがんばって走ろうっと。

音楽 

2011年03月21日(月) 18時00分
幼稚園児のときにオルガンを習い始め、小学生ではピアノを習い、歌番組を見てアイドルに目覚め、中学生で洋楽にはまって、クラスの男子に刺激されてバンドをやってみたくなって、高校生になってレベッカのコピーバンドを組んで、将来は絶対音楽で食べていくんだって思い上がっていた時期もあり(それはさすがに根性と運がなく実現できなかったけど)。こんな感じで常に私の周りには音楽があって、嬉しい時はよりハッピーに、悲しい時は慰めて励ましてくれる、私の気持ちを代弁してくれるのはいつでも音楽でした。

今も、これから先も、私には音楽が必要です。
心が安らぎます。元気がでます。

私には取り柄がなくって私から与えるものはなにもないけど、
音楽で得ていることはたくさんあります。
だから、ずっとずっと歌い続けてほしいです。
この世の中から音楽がなくならないでほしいです。

弱音 

2011年03月20日(日) 18時30分
まだ続く余震に毎日怯えながら、あふれる情報に振り回され、仕事ではボスのスケジュール調整に追われ、行き帰りの通勤も不安で、プライベートでは3月下旬に予定されていたマラソン大会が中止され、治療とマッサージをお願いしたかったのに巣鴨の治療院は安全点検のため当分の間は予約できず、友達に会いたくてもお酒を飲みたくてもなにかあったときに対応できないかもしれないと思うとなにも出来ず、両親のことも心配だし。大変なのは私だけじゃない、私よりもっと大変な人たちがたくさんいる。だから弱音ははいちゃいけないんだってずっと我慢していました。

でも、ごめんなさい。本当にごめんなさい。
もう限界でした。気が狂いそうでした。涙が止まりませんでした。
気を紛らわそうとしても気が休まりませんでした。
当たり前だったことが当たり前じゃなくなった今、どうしたらいいのかと。
こんなとき、独り身は辛いです。

一人部屋にいるとどうしても気が滅入ってしまうので、気分転換をしようとテレビやネットから離れて、窓を開けて空気を入れ替えて、部屋の掃除をして、観葉植物に水をあげて、盛り塩を交換して、好きな音楽を聴いて、少しだけ走ってきました。思いのほか体力が落ちていて、いつものようには走れなかったけど。

ゆっくりでいいですよね。
明日から少しずつゆっくりいきます。
だから今日だけは許してください。

夜の計画停電 

2011年03月18日(金) 22時00分
計画停電が発表されてから自宅がある地域は数回行われていて、いずれも日中だったためどんな状況なのか分からず。でも、今日は18時〜22時。夜間での実施は初めてでどんな感じになるんだろうと思っていたら、街灯も信号機も看板も、もちろんご近所さんの家の明かりも全部電気が消えていて、あたりは真っ暗。

少し不安になりながらもふと空を見上げると月明かりがキレイで、星がよく見えました。ハワイ島のマウナケアで見た満天の星空にはかなわないけど、あの星空を思い浮かべながら停電も時には悪くないなと思いました。でも、事故や犯罪が起こりやすいから、あまり長くは続いてほしくないかも。

今日はいいことがありました。
地震で東北にいらっしゃる以前お世話になった方の安否が確認できずずっと心配していましたが、ご本人もご家族も無事だということを今日知ることが出来ました。本当に本当によかった。今夜は少しゆっくり眠れそうです。

pray 

2011年03月17日(木) 21時30分

首都圏は、計画停電がありながらも交通が通常の50〜80%まで復旧してきていて、百貨店やスーパーやコンビニやファストフードなども時間を短縮しながらも営業していて、まだまだ不安定ではありますが、通常の生活に戻りつつあります。でも、3月だというのに真冬のような寒さだし、まだ余震が続いているし、被害に遭われた方々のことを思うと、これでいいのか?と胸が痛みます。

日中は家族や職場のみんながいるし、友人と携帯等で連絡を取り合っているときはいいけど、一人になったとき不安で押し潰されそうになるけど、当たり前だったことが当たり前じゃなくなった今私にできることは、今まで通りの生活を続け、みんなと協力し合い、そして自分自身もっと強くならないといけないんじゃないかと思います。

がんばれ 日本
がんばれ みんな
がんばれ 私

この度の大震災で犠牲になった方々のご冥福をお祈りをするとともに、避難所や避難できずに倒壊したご自宅等で不便な生活を余儀なくされている皆様の幸せと一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。

心ない人たち 

2011年03月15日(火) 22時20分
海外メディアでは、今回の地震で日本のことを、「非常事態でも冷静」「略奪もなく、支援物資の奪い合いもない」「マナーがいい」とか絶賛されているようで。確かに、行列でも誰一人文句を言わずに静かに待って並んでいるし、ぎゅうぎゅうすし詰め状態の車内でも静かだし、ちゃんと声かけ合ってるし、助け合ってるし。

でも、やっぱり心ない人は一部いるわけで。
通常の2割運行だったJRの駅で、整列乗車で扉が開いた瞬間に割り込みをしようとした男性がいたので、一生懸命阻止したけど知らん顔。悲しくなりました。なんで自分のことしか考えられないんだろう。マイナスのエネルギーなんて必要ない、もっと他のことにプラスのエネルギーをたくさん使って欲しい。

この異常な事態にストレスが溜まってきているのは分かる。情報が二転三転しているし、多すぎてどれを信用していいのか分からないのも分かる。でも、少しずつだけど改善してきているし、焦ってもしょうがないんだから、もっとのんびりすればいいのになって思う。今自分ができることを、一生懸命やればいいんだと思う。

地震から四日目 計画停電 

2011年03月14日(月) 19時00分
地震から二日目にやっと帰宅してゆっくり休んで、三日目は道が渋滞する中あちこちへ行き買い物をして(カップ麺の購入個数制限やガソリンの給油制限があってビックリ)、四日目は少しだけでも普及するのかと思いきや、とんでもない事態になっていて。

いつものように5時に起きて支度を始めたら、テレビで計画停電のことを初めて知ってビックリ。発表された前夜には既に就寝していたので。私が利用しているJRは終日運休、別の鉄道が動いているけど、計画停電の影響で一時運休するようなので、会社には行けるけどいつ着くか分からない、いつ家に帰れるか分からない、混乱する中にわざわざ飛び込んでいく必要はないと判断して、早々に諦めました。

数時間のことだけど明るいうちに出来る限りのことをしておこうと、とりあえず水をたくさん汲んで、ろうそくや懐中電灯の確認をしたりといろいろ準備をしていたのに、予定されていた時間を過ぎても停電にならず。二転三転する情報に振り回されて、くたびれました。

唯一よかったことは、会社へ行かなかったこと。無理して行っていたら、帰宅難民かまた会社にお泊まりだったかもしれないから。未だにライフラインを断たれている友人や知人、被害に遭われた方々からしたら、この辺りはわりとまともに機能している方だとは思うから贅沢は言えないんだけど。

いまだに余震が続いていて怖くて不安で、いったいいつになったら今まで通りの生活に戻れるのかな…。

東北地方太平洋沖地震 M9.0 

2011年03月13日(日) 18時00分

2011年3月11日(金)、朝から慌ただしく過ごしていて少し落ち着いていた午後、突然揺れました。オフィスビルの22Fにいた私は、携帯を握りしめながら自分の机の下に隠れて、窓の外では目の前の別のオフィルビルが波打つように横に揺れている光景を見ながら、正直もうだめなのかなと…。いろんなことが頭の中をよぎりました。

家族や友人達に連絡をしたくても携帯は繋がらないし、会社の災害本部が設置されるものの大変混乱していて、外に逃げた方がいいのか待機した方がいいのかまったく情報が入ってこないのでどうすることもできず、なにもないまま時間だけが進み、ネットの情報だけを頼りに過ごし、JRが復旧しないことが分かった時点で自宅に帰ることを諦めて会社に泊まることにしました。

19時に非常食が配られたのをありがたくいただき、その後はすることがないので、23時に応接室のソファに横になったけど、ときどき揺れてブラインドの揺れる音や壁がミシミシいっているのが本当に怖くて、不安でほとんど眠れず、気がついたら5時でした。

翌日は昨日の出来事が嘘のよう、外は皮肉なくらいのいい天気で…。

ボスの朝食を用意した後、ボーッとしながら過ごしていたら、7〜8時に鉄道が復旧するとのことだったけど、ほとんどが動かず。幸いにも駅が近く、部屋から様子が伺えたので逐一チェックしていたら、弟と連絡が取れるようになって、はるばる迎えにきてくれるとのことなので合流し、お昼頃オフィスを出発。いつもの電車に乗り、乗り換えの駅に着くも乗車する電車のホームは乗車規制されていて降りられず、別ルートに切り替え、自宅に一番近い駅へ行く電車に乗り、降車後一時間かけて歩いて、オフィスを出発してから約2時間半後に自宅に到着しました。

家に着くと、崩れた瓦を直す父の姿。やっと通じた昨夜の電話で母から家の様子を伺っていたので、なんとなく想像していたけど、ここまで崩れているとは…。



家の中は、食器棚の扉が開いて母が大切にしていたニューヨークで買った思い出のコップが数個割れた以外は大きな被害はなく、私の部屋も多少散乱していたけどほとんど被害がなかったのが不幸中の幸いでした。


一日経って通信回線がだいぶ普及したので、友人知人に安否確認。やはり、宮城福島茨城にいる友人の話によると、未だにライフラインが断たれていて不便な生活を余儀なくされているそうで、二日経ってもまだ連絡が取れない人が数人いるので心配です。テレビで被害状況を見ていると、悲しくて苦しくて辛くて…。とにかくみんな無事でいてほしい。ただそれだけです。
P R
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