無題 

August 13 [Sat], 2005, 10:35
今日の買い物;
なし。

■最近、本当に本を買っていない。
部屋に収まりきらなくなりつつある、ということもあるんだけれど、自分よりも大切に思える人が現れた、というのが一番大きな理由なのだと思う……と書いてみないと自分が何を考えているか分からない僕はなんと不自由な人間なのだろう。

■「なんて大それたことを夢見てしまったのだろう
  あんな傲慢な類の愛を押し付けたり
  都会では冬の匂いも正しくない
  百道浜も君も室見川もない」(@椎名林檎「正しい街」)

つまり、そういうことなんだろうと思う。

「もうわがままなど言えないことは分かっているから
明日の空港に最後でも来てなんてとても言えない
忠告はすべて今罰として現実になった
あの日飛び出したこの街と君が正しかったのにね」(@椎名林檎「正しい街」)

歌詞と死の因果関係 

July 31 [Sun], 2005, 10:05
今日の買い物;
なし。

■「バイバイ長い夢。そこに行くにはどうすればいいの??」(@YUKI「長い夢」)

人の死は、きっと人間に多くの影響を与えるんだけど。
それが自分の親であったり子供であったりしたら、余計なんだろうな、と。
ただのバイバイではないから。

その人のいる世界はもはやどこにも存在しなくて。
ただ、記憶だけを頼りにして。
その記憶もだんだんとあいまいになり。
いつの日か、誰も彼もがその人が存在したことを思いもしなくなる。
もはや、世界を取り戻せない。
そういうものの気がする。
だから、きっと歌にするのでしょう。
歌われ続ければ、その人の思いも残るから。
形だけでも。

YUKIは恐らく本気で「そこに行くにはどうすればいいの??」と思ったのでしょう。
でも、やっぱり生きている。

この歌も、「長い夢」と似た気持ちで書かれたものの気がします。

「それはとても晴れた日で 未来なんていらないと思っていた
わたしは無力でことばも選べずに 帰り道の匂いだけやさしかった いきてゆける そんな気が していた」(@Cocco「Rain」)

うお 

July 29 [Fri], 2005, 20:56
今日の買い物;
奥泉光『モーダルな事象』(文藝春秋)
いしいしんじ『麦ふみクーツェ』(新潮文庫)

■久々に過去の日記を見て驚いた。
結構ぼやいているねえ。
なかなかのぼやき節。

■「夜のない世界で、僕らは目をつぶるのだろう」(@フリッパーズ・ギター「Groove Tube」)

何でか、昔からこの詞が気になっていまして。
目をつぶるのは、昼なんでしょうか、夜なんでしょうか。
目をつぶる、といえば眠るとき。
とすると、目をつぶる、といえば夜なんだろうな。
その、夜がない世界で、僕らは目をつぶる。
何のために?
いや、目くらい閉じるでしょう。
眩しかったり、諦めたりするようなときは。
昼に目をつぶるということは、夜に目をつぶるよりもはるかに「意味がある」。
行為自体が、何か感情とか状況とかを反映させる。
それでも僕らは目をつぶらずにはいられない。
そゆこと?

無題 

July 25 [Mon], 2005, 20:37
今日の買い物;
なし。

■何かまた文句じみたことでも書こうと思っていたんだけれども。
忘れてしまったよ。
佐々木倫子『HEAVEN』面白いねー。
相も変わらず、ファンタジー=6、リアリティ=4の配分が素晴らしい。

無題 

July 23 [Sat], 2005, 23:06
今日の買い物;
藤崎慎吾『ハイドゥナン(下)』(ハヤカワSFJコレクション)

■珍しく日常のことを書いてみるとだね。
いやあ、ひどい目に遭いましたよ、まったく。
あのときあの場所に何故あの人がいて。
で、あの人があの人(2)を呼び出し。
あの人(2)が来るのを待っていたらあの人(3)が現れ。
やってきたあの人(2)は、ねえ。
おかげでとんでもない時間まで帰れなくなってしまいましたとさ、おっしまい。

無題 

July 21 [Thu], 2005, 22:09
今日の買い物;
藤崎慎吾『ハイドゥナン(上)』(ハヤカワSFJコレクション)
朱川湊人『花まんま』(文藝春秋)
米澤穂信『クドリャフカの順番 「十文字」事件』(角川書店)

無題 

July 20 [Wed], 2005, 21:53
今日の買い物;
藤原伊織『シリウスの道』(文藝春秋)
桜庭一樹『GOSICK ―ゴシック―』(富士見ミステリー文庫)
桜庭一樹『荒野の恋 第一部 catach the tail』(ファミ通文庫)
桜庭一樹『推定少女』(ファミ通文庫)
桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない A Lollypop or A Bullet』

■というわけで、桜庭一樹迎撃週間です。
桜庭一樹がどこから襲い掛かってくるのか知らないが(←どうも、創元から本を出すらしいが)
まあ、前から興味のあった作家なわけで。
もともと、ライトノベルには理解がないのですが、とはいえねえ。
有川浩とか買ってるし。
唯川恵や岩井志麻子も読まないわけではないし。
津原泰水なんて大好きだったりするし。
久方ぶりに読もうかな、と思ってね。

■『夏と花火と私の死体』にああだこうだと言っていましたが。
このタイトルはとてもいいと思うわけで。
非常にきれい。
本が好きな人だったら、1回くらいはジャケ買いならぬタイトル買いをしたことがあると思うんですよ。
このタイトルはその対象になるね。
というわけで、とーとつですが、好きなタイトルベスト5!

ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に捧げる薔薇』(ハヤカワ文庫SF)
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』(岩波書店)
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『たったひとつの冴えたやり方』(ハヤカワ文庫SF)
乙一『夏と花火と私の死体』(集英社文庫)
アーサー・ランサム『海に行くつもりじゃなかった』(岩波書店)

という感じかな。
『たったひとつの冴えたやり方』には誰も敵わないでしょう!
向かうところ敵なしの最強タイトルだと思います。

ところで、ここでクイズです。
一つ、意図的に間違ったタイトルがここには入っています。
それは何でしょか?

ヒント
Well, without a cup of Coffee-milk, I can't live any longer, Coffee-milk crazy.

我ながら分かりにくいヒントだ……

夏と花火と私の死体(2) 

July 19 [Tue], 2005, 21:05
今日の買い物;
クリストファー・プリースト『逆転世界』(創元SF文庫)
角田光代『空中庭園』(文春文庫)
栗田有起『ハミザベス』(集英社文庫)

■というわけで、続けてみる。
さて、件の台詞に何故違和感を感じるのでしょね?
それは、人間観が変!とか思っちゃうからではないでしょうか。
自分の知り合いの人間が死んでいるのを見たときって、もう少し違う反応を取る気がするんですよ。
それが、乙一の世界では、「こういう反応」を取ることが当たり前であるかのように話は進んでいくわけで。
つまり「前提」が違うんですよ。
そして、死体であるところの「私」を「五月ちゃん」と名前をつけて呼ぶ、という更に変な世界に進んでいく。
「すわ!?死体愛好!!??」とか思うと、それもまた違う。
その死体を「いかにして捨てるのか」ということに、子供二人が没頭していくのです。

いや、名前で呼ぶ、って行為は愛好の表れみたいな物ではないですか?
犬や猫に名前をつけたり。
下手をすれば、パソコンや自転車にまで名前をつけたり。
その行為の当否はここでは置いておいて、少なくとも僕の理解ではそう。
しかし、ここでの対象は「死体」なわけで。
この時点では、ちょっと変。
ところが、その死体を捨てようというのだから!
死体を捨てる=人間が物と化しているわけで、しかし、その物には名前がついているわけで、しかもそれを捨てようとしているわけで。
はぁ??としか言いようがないのですよ。
その上ここらへんで一番異常な事態に気付きます。
それは、語り手が、死体であり、名前を付けられてしまい、しかも友達にその骸を捨てられようとしている五月ちゃんだということ。
何ていうか、頭の配線がごっちゃごちゃになっているみたいじゃないっすか?
少なくとも、常人とは見ているものが違う。
同じ物を見ていても、全く見え方が違う。

恐らく乙一の、少なくともデビュー時の面白さはこの辺りにあったのだと思います(今ははっきりとは分からない。何故なら読んでいないから)。
確かに「このような」世界の見え方をする人の頭がどうなっているのかには興味があるけれども。

※昨日のアップ時より、ちょっとだけ文章をいじりました。
あしからず。

夏と花火と私の死体 

July 19 [Tue], 2005, 0:41
今日の買い物;
なし。

■タイトルは、ご存知かどうか知らないが、乙一のデビュー作の題名です。
オフで本の話をしたことがある人ならば聞いた事があるかもしれないが、僕には乙一の面白さが分かりません。
何となく、すごく損をしている気がする。
というわけで、デビュー作ならもう一度読めば分かるかも(根拠なし)、とか思い、再読しました、『夏と花火と私の死体』(集英社文庫)

……

結論。

……

やっぱりよく分からない。
以下、ネタを割りつつ話をします。
未読の方、といっても本作はネタが分かっていても面白く読める方は面白く読める作品だと思うので、前情報を一切なく読みたいという潔癖症でもある方はご注意ください。

まず、第一文から訳が分からないんだよね。
「9歳で、夏だった」
この文章、何かよく分からないが、何かがとても以上であることよ。
9歳で、夏だった。
この「9歳で」の意味はなんなのでしょう??
と、いきなりボディブローを喰らいながら話は進んでいく。

話の大要はこんな感じ。
語り手は「私」たる「死体」。
ある9歳の夏の日、「私」は友達の弥生ちゃんに、木の上から突き落とされて死んでしまう。
それを知った、弥生ちゃんのお兄ちゃん・健くんが、事が発覚しないように(とりあえず、健くんは弥生ちゃんが「私」を突き落としたことを知らない)死体である「私」を隠そうとする……

まあ、こんな感じだよなあ。
これ以外何もない気がする。
うむ。
で、何が変なのか。
多分ね、前庭たる価値観が大きく異なっているのですよ。
健くんが「私」の死体を発見した時、健くんは弥生ちゃんに対してこう言うんだよね。
「おい、五月ちゃん(「私」の名前ね)死んでいるじゃないか。何があったか話してくれないか?」
さて、この台詞に違和感を感じないでしょうか。
感じない/そういう反応をしてしかるべきだ、と思うあなたは本作を買うなり借りるなり拾うなりして読んでみましょう(続く)

無題 

July 19 [Tue], 2005, 0:37
今日の買い物;
永井するみ『大いなる聴衆』(創元推理文庫)
ロバート・J・ソウヤー『ヒューマン-人類-』(ハヤカワ文庫SF)
ヒラリー・ウォー『愚か者の誇り』(創元推理文庫)
松浦寿輝『花腐し』(講談社文庫)
2005年08月
« 前の月  |  次の月 »
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
プロフィール
  • プロフィール画像
  • アイコン画像 ニックネーム:perfect_sphere
読者になる
Yapme!一覧
読者になる