ブログのお引っ越し。 

December 30 [Sat], 2006, 0:35
ずっと更新せずにいて、ごめんなさい。

こちらのブログと、私のパソコンの相性が、本格的に修復不可能になってしまいました。

したがいまして、いろいろ探した結果、こちらへお引っ越しすることにいたしました。

場所が変わっても、私もブログも変わりませんっ 

これからもどうぞよろしくご愛顧くださいましっ

移動しました↓
http://blog.goo.ne.jp/perfect_fan_2006/

ドツボ。 

December 15 [Fri], 2006, 19:07
とうとう、恐るべき事態が発生してしまった。

父も私も、やられてしまった!! ノロウィルスに!!

父の下痢がひどく、転院は延期になり、私は昨夜からあまりの腹痛と嘔吐に悩まされていた。

私は明け方、救急車で運ばれ受診したところ、完全にウィルスに腹を侵されていた。

私が母を守ってあげる、そんなことを思ってしっかりしていた私はどこへ行った?私は一人では歩けないくらい、腹をやられていた。初めは嘔吐。次に水下痢。(汚い話でごめんなさい)この下痢は大敵!30分おきに痛みが襲い、食事はできずせめてのポカリスエットを飲んでも痛みはすぐにやってくる。も〜久々です、こんなに辛い腹痛と水下痢と発熱。

父との面会はしばらく禁止され、私は母にお世話になりきることになった。

皆さんも、病院に行くときはどうぞお気をつけください。マスクと手洗い励行は必須です!

病床より

ノロウィルス猛攻中。 

December 14 [Thu], 2006, 21:06
昨日、父の転院が決まりました。明日11時に元いた病院に戻ることになりました。

昨日11時に主治医よりお話があるということで、私と母とで病院に向かいました。母は、少し体調がよくない様子で、この時は「また低血糖になってるのかな」と思っていました。

主治医との面談が一時間以上遅れて、「また学校休まなくちゃならなくなったなぁ、やばいなぁ」という気持ちが私を少し焦らせた。

面談が終わり、病室に戻って父に「転院の日が正式に決まったよ!15日だって!よかったねぇ あとは足のリハビリを頑張るだけよ。今日は少し長くいてあげられるからね!」と話した。

「じゃあ、下に行って何か食べるもの買ってくるね」と、地下にある某コーヒー店に行き、サンドイッチを買ってきて、母と食べた。

母は、体調の悪さを低血糖のせいだと思い込んでいたので、サンドイッチを無理に口に頬張っていた。

しかし…
それから一時間ほどして、母はいきなり嘔吐してしまった。顔色はもはや土気色で、一度目で胃の中が空っぽになったかのような量だったのに、二度も嘔吐してしまった。

そんな母を介助していた私に看護師さんが「今、ノロウィルス性胃腸炎が院内でも流行っているんですよ。娘さん、嘔吐物が手に付着したら必ず石けんで指先を洗浄してくださいね。」と教えてくれた。

母はぐったりしており、看護師さんに車椅子をお借りして地階の救急外来に向かいました。ベッド上の父はかなり心配そうに見つめており、何も手伝えない自分が歯痒く感じていると、あとで聞いた。    

救急室に顔面蒼白な面持ちで入った母に矢継ぎ早に若い医師が質問するのだが、言葉を発するのも億劫そうだった。

レントゲン撮影や血液検査をした結果、ノロウィルスにかかってしまうと白血球の数が異様に増えるその特徴通りになってしまった。

幸い、その場で点滴治療をし楽になったようだった。薬を一日分だけもらい、あとは今日、外来を受診し、何とか吐き気は治まりつつあるようだ。

しかしながら、昨日は帰りのタクシーを降りたすぐあとにも、点滴と同量分、嘔吐してしまった。  

母は今とても参ってしまっている。気遣いのこまやかな母だから、そんな自分の情けなさや、本来病人中の父、そして学校退所通告がちらついている私の気持ちを思いながらも、自分一人ではどこへも行けない現実にとても申し訳ないと言うが、私にしてみれば、今母を守ってやれるのは私だけ。学校の欠席率は気にならないと言えば嘘になるけど、このような状況下でも、精神的な強さを失わずに受けとめ、立ち向かっていくことを、人生の修業と思い生きていく。

何はともあれ、ノロウィルスには十分注意しましょう。(私は大丈夫なのか!?)

ブログのトラブルにつき。 

December 10 [Sun], 2006, 22:16
ヤプログのトラブルが招いたせいなのか、原因は不明だけど、ただいまパソコンからブログを書くことができないんです。

父のその後を心配してくださる皆様には大変お待たせいたしておりますが、もうしばらくお待ちくださいませ。

そんなわけで今日は、携帯から入力です!

ちなみに今日の父は、全粥と、きざみ食を9割までスプーンで食べられるようにまでなり、着実に快復にむかっているように見えます。

けれどまだ、なぜか重症患者病室を出るまでには至っていません。おそらく、また新たに発生したという肺炎に、主治医も危惧されているのでしょうか。

不安が募る一方、父の様子は日和見的に、変化の兆しがみえます。

たとえば、尿の管が抜け、首のカテーテルが抜け、点滴の針が一本に減り、鼻の酸素吸入がなくなり、徐々に自力で生きる準備が整いつつある。まだ意識は時折、緩慢になるけれど…。

今日で、父は入院してから通算32日となった。

毎日、病室を離れる際、私は父の手を持って、決まってこう言ってきた。
「あしたも、が〜んば!」
今日は、なんと父のほうから手を差し出してきた。

今日の最大の喜びの出来事だった。

10日振りの父の声。 

November 29 [Wed], 2006, 2:15
11月9日に、大腿部頚部を骨折してから、20日。

11月15日に、人工骨頭挿入の手術から、二週間。

11月19日に、呼吸困難で転院、人工呼吸器を装着してから、10日。

父は、ひたすら、耐えていた。

10日間、父は痛い時に痛いともいえずに苦しんでいた。

そのことが、

今日、10日ぶりに人工呼吸器の管が外れて、

父の口から、聞けたのだった。

「長い管が器官に入ってて、痛くてたまらなかったよ」と。


とはいえ、自分の肺で呼吸するにはまだ

高酸素マスクが欠かせない。

20秒くらい話すと、もう酸素は96%程度に下がってしまう。


主治医の先生からも、

「まだまだ予断は許さないですから、あまり長く話さないようにしてください」と

予めお達しがあった。


看護師によると、

父は、口から管が外れると開口一番に

「みなさん、どうもありがとう」と言ったそうだ。

やはり、辛く苦しい思いをしたからこその

感謝の言葉だったのでしょう。


母はそれを聞いて、感動していた。

自分の体調を隠して、

父の声を聞くなり、目が潤んでいた。


しかしながら、

父の言動は、おかしい点が数多く見られた。

あまりの精神的ショックにより

今、自分がどこにいるのか

どうしてここに来たのか

ところどころ、記憶が喪失しているようだった。


これからゆっくり、焦らずに

つきあっていきましょう。




一方、母の様子は、少し落ち着いていたものの

やはり、自分の病気への大きな不安感と

父の病状の心配は、

老いた母の小さくなった背中に

まだまだ、覆いかぶさっているようだった。


母の心の曇りを取り除いてあげられるのは

娘の私の、大事な思いだと感じている。


状況は様々に変化していく。

いつでも、どんな時でも、

冷静に受け止める強さが、必然に備わってきたように感じる。

どんなことが起きようとも、

その状況を的確に伝える、こともまた、

家族の大事な役割だと、感じた。

家族だけでは、成り立たない。

周囲の人々のたくさんの励ましの言葉、気持、

電話、メール、メッセージ、

看護師たちの笑顔、などなど。

すべてに、感謝の気持でいっぱいなのです。


そして、今日、11月29日は、

父の、73回目の誕生日なのですっ。

頷いた父。 

November 28 [Tue], 2006, 7:52
大学病院に転院して9日目。

人工呼吸器を装着して8日目。

昨日、父の容態は、とうとう好転した。

一昨日までは、緩慢ではあるが、頭の向きを変えようとしたり

骨折してないほうの足のひざをたてようとしたり

少しずつ、生きているという主張を始めていた。



ただ、これは、人工呼吸器をつけているので

あくまで自分の呼吸で行っているわけじゃないと、

今どんな容態なのか、すごく確認をしたかった。


しかし、昨日、

病室に行って驚いた。


まだ父の口には太い管はつけられているものの、

呼吸を維持させる器材は、止まっていた。


父は、自力で息をしているのだった。

しかも、ちゃんと目をあけて、

話しかけると、頷いてくれた。

何度も・・・。

うれしくて、うれしくて、

私はたいして関係もないのに、

「お父さん、朝青龍が優勝したんだよ」なんて言ってみた。

それには、特に頷くことはなかったけれど・・・。


今日か明日には、管を一旦、抜くことができるかもしれないそうだ。

父も辛かったと思うが、

母も相当、辛そうだった。


その母が、

一昨日からついに寝込み、

昨日の夕方、とうとう救急車で運ぶ事態になってしまった。


急激な食欲減退。

暑くもないのに発汗。

5メートル歩いただけでもふらつく。

倦怠感、疲労感、なによりも意識が低下しはじめて

話しかけても反応が鈍くなっていた。


一週間前、

これよりちょっとだけ軽い症状のとき、

父の転院前の入院先に連れて行ったら、

「血液検査の結果は、すばらしい数値です。

糖尿患者とは思えないほどの平均的な数値です。」

と言われ

「じゃあ、気にしすぎてたんだね」

と、無理やり納得していた。


けれど、

昨日、また父の入院先に運ばれたときには

「今日連れてきていただかなかったら、たいへんなことになってましたね。

糖尿の薬が効きすぎて、血糖値が極端に低くなっています。

正常値の3分の1以下です。」

先生の説明に愕然とした。


そういえば、ここのところ母の食欲は極端に減っていた。

食事の量が減ってきているのに、

薬の量は調整せずに、服用しているとしたら

当然、血糖値を下げすぎる状況を想定するのも難しくはない。


それだけ、

母の身体は、薬に頼り切ってしまっているのか!


母は、何度も「私まで迷惑かけてすまないね」と

つらそうに話す。

けれど、

このところの母の心労が、おそらく母の心の限界を超えていたと思うと、

今は、少しでも元気になって欲しいと、

ただ、励ますばかりだ。



こんな状況の中で、

はっきりと思うことは、

すべての日常がありがたいということである。


父がいてくれて、ありがとう。

母がいてくれて、ありがとう。



心の変化。 

November 23 [Thu], 2006, 20:35
まず、本当にたくさんの心の応援をいただきましたことに


心から感謝します!どうもありがとうございました。


そして、私と私の家族に対して、涙がでるほどに


やさしいお気持を表現してコメントくださった方たちに


心からありがとうございます!


皆々様のおかげで、


家族一同、ほんとうに心を一つに、がんばっていけるような気がしています。






◆◆◆◆◆


父の様子は、依然として、まだあまり変わったことはない。


けれど、毎日、話しかけながら、髪をなでてあげたり、


顔を拭いてあげたり、手を握ってあげたり、


足のつま先を手で包んであげたり、、、、


会話が普通に成立していた頃にはこんなに近くで


父の顔をじっと見つめることなんて、当然なかった。


母は、あったのかなあ・・・いや、きっともうなかったでしょう。。


その母が、涙を流しながら、一所懸命に、


顔を拭いてあげながら「耳の後ろの髪の毛が長くなると


お父さん、嫌がるんだけどなあ」って言う姿を見ると、


長年連れ添った夫婦なんだなあって、しみじみ思う。




そういえば今日、同じように、語りかけながら


二人で目やら、おでこやら拭いていたら、


突然、父が頭をぐいっと起こして、苦しい体勢を変えたいような


しぐさを三回した。


思わず、私「あっ!!お父さん、動いたっ!!!!!!」と


感動してしまった。


これは、意識が少し戻ってきた現われだそうだけれど、


残念ながら、意識が戻ってしまうと、口から肺までつなげている


人工呼吸器の管に気づいて、痛さをひどく感じてしまうので


その感覚を感じさせなくさせるために、また、


鎮痛剤によって安定させることもあるそうなのだ。







そうなんですよね。


私、これまで、自由をあっけなく奪われてしまった父が不甲斐なくて


ずっと、泣き通しだったけれど、


昨日あたりから、私の心の中に、少し変化が起きたようなのである。


よく、よく、落ち着いて、冷静に考えてみると、


父は、脳死や、心臓停止によって、人工的に生かされているわけでは


ないのである。


「重症肺炎」の原因究明のために、


突如、悪くなった肺を徹底的に調査するために、


今は、仮に眠らされている状態なんだと、考えることにした。


時間稼ぎをして、


肺炎を引き起こした原因を徹底追求する、必要があるからなんだ。


確かに、初めはその父の姿に、唖然愕然茫然自失、という心境だった


けれど、今はこれから先を生きるために必要な処置なのだと思える。


そう考えたら、気が引き締まった。





そう。


私は、この5日間、ちょうど、熱と扁桃腺のひどい痛みとも闘ってきた。


安静にすることはできなかったけれど、


気力ってすごいもんだ。


熱があっても、のどが痛くても、ひぃひぃ言いながらも


病院にいる父に会いに行きたい一心で、歩けるんだから。



そして、調子の悪い中で、ずっと私をある一面で冷静にさせてきたことを


考えてきた。


それは、


なぜ、


 @骨折で入院→A人工骨頭の挿入手術


 →B酸素低下による呼吸困難→C重症肺炎→D人工呼吸器装着


の図式なのか。


そればかりが、気になっている。


一般的に考えたら、


骨折して、人工呼吸器。


この定義はあまりにもおかしい。



呼吸器内科の主治医は、


1.細菌の感染による。


2.リウマチによる、関連性。


しかしながら、細菌の感染による、事例は多いらしい。


そうなると、院内・・・・。


今後も、少しずつ、冷静に追究していこうと思う。



また、『頼りきっていた夫の、突然の骨折、呼吸困難、人工呼吸器』を


目の当たりに体験してしまった、妻=母。


ここのところ、母の記憶力低下、つまり、まだらに記憶が飛んでしまっている


状態は、ひどくなりつつある。


これまで、長閑な田舎暮らしでのんびり過ごしていた母には、


あまりのショック状態。


病院に通うことになるからと言って、買ったバス共通カード5000円を


昨日買ったことを忘れて、今日また買おうとする行為もまた、


あのショックと悲しみのあとでは、しかたのないことだと、思う。



そんな母を、守るのも、私しかいない。


そう、思ったら、私は泣くわけには、いかない。




気張るわけでもなく、


三日三晩、


泣き尽くした気持が自然に導いた、私の心の変化。


一歩、前に気持を踏み出せるように、導いてくれたのは、


何より、こうして、私にたくさんの人たちが心の支えをくださり、


多くの力をくださった、皆さんの気持、応援があったからこそ、


と、強く感じています。


ほんとうに辛くて悲しいとき、


こうして、その人に対して、心から伝わるエネルギーを発信できる人に


私も、なれるように、人間を磨き続けたい。




人工呼吸器。 

November 20 [Mon], 2006, 23:00
これまでに、心温まる励ましのコメントや、メッセージ、メールなど


たくさんの心の応援をいただいたこと、


ほんとうに心から感謝します。


今日、このブログをアップするのに、


少し、気持を整理する時間が必要でした。


正直、書きたくない気持が優先しましたが、


でも、このブログは、私の生きた証として、公開したいと


書き始めたものなので、やはり、ありのままの感情や状況を


綴ることにしました。





夜中の三時。


病院から電話。


「お父様が今、呼吸がかなり困難な様子で危険な状況です。


非常に苦しんでおられます。


昼間、ご家族の方に同意していただいた、


人工呼吸器の処置をこれから始めさせていただきます。


今すぐ来られますか?」


「はい、すぐ支度しますが、順調に行けば30分ほどで行けます。」


「わかりました。では、間に合わない場合は、


先に処置を始めてしまいますが、よろしいですか?」



このとき、私は、先に処置を始める、という言葉が


どういうことを意味しているのか、深く理解していなかった。





母は、二時間しか寝ていない。





冷たい雨がそぼ降る中、


タクシーがなかなかつかまらない。


夜間も受け付けている、というタクシー会社の電話も通じない。


私は、雨に濡れるのも構わず、道路に身を乗り出して、


必死に手を上げ続けた。


ほとんどのタクシーは、私の目の前で、回送に表示を変えていく。


無情だった。



と、一台の個人タクシーが二車線のセンター寄りを走り去った。


私はドライバーが一瞬、こちらを向いたのを見逃さなかった。


タクシーのバックミラーに私が映るように、うしろから手を上げ続けた。


戻ってきてください・・・・!!



すると、そのタクシーは、5分くらいして、Uターンして戻ってきてくれた。


反対車線から、私に向かって、指でOKサインを出してくれた。


私は、このドライバーの気持がとても嬉しかった。


実は、このときの私、39度の熱を出していて、


おでこに、熱さまシートを貼り付けていたのだった。


その姿が、異様だったらしい。




とにもかくにも、母を連れて、タクシーへ乗り込む。





病院。



お父さんのベッドの周りが騒々しい。



私たちが到着した時には、


既に処置が始まっていた。



医師に、外のベンチで待っているように指示された。




結局、


お父さんには、私たちが見守っていることを


見せることができなかったのだ。



これが、大きな意味を持つことを数時間後、知ることになった。




何時間たったでしょうか。


廊下のベンチですでに、3時間待機。




7時。


医師が私たちに説明をしてくれた。


「人工呼吸器を取り付けましたが、


重症肺炎の状況は、いまだ危険を脱していません。


予断を許さない状況です。


覚悟は必要かもしれません。」


とおっしゃった。


あまりの、突然な、生命の危険予告。


私と母は、受け入れることができなかった。


骨折だったのに・・・。


涙がとめどなく溢れて止まらない。


この状況をどう、受け止めたらいいのか、わからない。



後悔ばかりがよぎる。


私があの時、二人を誘わなかったら・・・


私がもう少し、早く二人と落ち合えていたら・・・


私が・・・


どうしようもないんだけど、どうすることもできない。




さあ、涙を拭いて、


7時半、病室のお父さんに会いに行く。


え!!!!


口には、直径3センチほどの人工呼吸器の管が顔半分をテープで


止められている。


その管の先には、人工呼吸器が、大きな息をたてる。


お父さんの鼻には、ごはんを食べる代わりの、栄養剤挿入の管。


お父さんののどにはカテーテルの管。


お父さんの両腕には、点滴の管。


お父さんの両手は、網状のグローブみたいな手袋。


お父さんは、足を肩幅ほどに開いて、両手を脇に、仰向けで


ガリバーみたいに眠らされていた。



医師「意識がはっきりしていると、口に食い込んだ太い管が


痛いのがわかるから、意図的に意識を低下させています。」


そんな、こと、するんですね。




この状況を目で見て、やっと、


母と私は、すでに話すことも笑うことも励ますことも


お父さんには認めてもらえないことが理解できた。




母も私も、


お父さんの顔を見つめるけれど、


涙があふれて、声にならない。


お父さん、早くお話しようね、と


精一杯の笑顔で、声をかけてあげたいのに、


それができない。



看護師がその様子を見て


「突然でしたものね。


でも、話しかければ、わかるんですよ。


がんばって。」


と、代わりに話しかけてくれた。




それから、しばらくベンチに戻って、


母と、泣いた。


「前向きに考えなくちゃね。


お父さんは、ああして、一生懸命、息をしているんだから。」


と、慰めあったけれど、



またお父さんの顔を見たら、可哀想で泣けてきてしまった。



一昨日、夕飯どきに病院に訪れたとき


「この白菜の漬物がおいしくないんだよ」


って、言っていたのが、お父さんのはっきりした言葉を


聞いた、最後にならないでほしい!!!





帰宅してもなお、


お父さんがまとめていた荷物を見ると、


母が「お父さん、このズボン、またはける時がくるかな」


と、ポツリ漏らすのが、耐えられなかった。





でも、お父さんに、この思いを届けて、


また、いつの日か、お父さんと話せる日が来ますようにと


母と二人、心から願うばかりだ。

青天の霹靂。 

November 19 [Sun], 2006, 19:12
今朝10時ごろ、電話が鳴った。


ぼーっとした機嫌で出ると、父の入院先の病院からだった。


「ゆうべから、お父様が呼吸困難に陥っていて、


ここの病院では呼吸器科の機能がないので


これから大学病院に救急車で搬送しますから、


ご家族の方もいっしょに来てください」



「・・・・・・・。」



どういうことでしょう??



呼吸困難って?どうして?



取るものもとりあえず、病院へ急行す。



すでに酸素吸入器をつけられた父親の姿。



生きてる・・・。


それだけでほっとした。


けれど、救急車内で体内酸素低下。


同行してくださった、婦長さんも心配してくれている。


何も言えない母。


母は、今朝の電話からすでに気が動転している。


私、しっかりしなければ!!



大学病院の救急センターに到着してから、レントゲンを撮る。


先生「先週、整形外科で入院された病院にお借りしたレントゲンには


   肺はきれいで、何の影もなかったんですが、


   さきほど撮ったレントゲンでは、同じ肺とは思えないほどの


   白い影で肺は覆われてしまっています。


   正直に言いましょう。


   これは、肺炎の重症です。


   今後、調べていきますが、既往症のリウマチから来る場合もありますが


   今回の手術により、何らかの状況で感染したものかもしれません。


   とにかく、急激に悪い状態です。


   今夜、マウスの酸素吸入器だけで、対応が難しくなった場合は、


   気道確保を最優先にするために、


   人工呼吸器を取り付ける必要も出てきますが、


   これをつけるには、ご家族の同意が必要です。


   どうなさいますか?


   それが必要になった時に、


   同意されない場合は、万が一・・・・・の状況もあり得ると


   考えてください。」



先生は、いともすらすらと、母と私の心臓を貫くような、痛い言葉を


伝えてきた。



私は、あまりにもびっくりして、


瞬きを忘れていた目から涙が流れていた。



え?人工呼吸器?


一生?


もう何が何だかわからなくなって、混乱しそうになる頭を


私はフル回転させた。


足の手術がまさか、こんな状態を創り出す事があるんですか?


救急センターの治療室に入った父に会いに行くと、


苦しそうに、はあはあと、早い呼吸を繰り返し、


体内酸素も低下したままだ。


なぜこんなことに??


そんなことを繰り返し考えてしまう。。。



母と話し合った結果、一つの結論を出した。


いざという状況の時は、人工呼吸器を取り付ける、ことに同意をする。


ということ。



とにかく、酸素が足りなくなったくらいのことで、


死んでしまってもらっては、困るのである!!!


何が何でも、父にはまだ生きていてもらわなければ、


母も私も、困るのである!!!



父は今、身体中に、幾つもの管がつけられ、


点滴の嵐だ。


それでも、いい。


生きていてくれなきゃ、困るのである!!!



今、一番父が好きなミネラルウォーターも、取り上げられた。


食事は、管を通しての、点滴。


家族としては、見ててやることしかできないのだけれど、


そんな私たちを見て父は、


マウス越しに「もういいから、お母さんの具合、悪くなっちゃうから


帰っていいよ。」なんて、声にならないのに、息で言う。


明日は、朝からまた、父の様子を見に行きます。


予断を許さない状況が、一秒でも早く去ることを祈っている。


これぞ、青天の霹靂だ、と思った。


つかの間。 

November 17 [Fri], 2006, 8:13
母の体調が 悪くなりました。


食欲がなかったから、


昨夜は、母の好きな魚の煮付けにしたのに、


それでも、おいしい顔をせず、


すぐに横になってしまう。。。


今日は、父のいる病院へ、母を診察に連れて行きます。


ああ、思ったことが叶ってしまいました・・・。
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