夕紀へ

2009年08月04日(火) 10時19分
 義男がそばに来て軽く耳打ちし、元ダンナの悪口を言い始めた。「ユキは奴に殺されたも同然さ、この若さで死んだんだぜ」「おまけに再婚して近くに住んでるらしいぞ」「まったく、どういう神経してんだか、ブッ殺してやりてぇよ!」と捲くし立てた。何も知らなかったとはいえ、ユキが幸せに暮らしているとばかり思っていた自分が情けなく、力になってやれなかった事を悔やんでも悔やみきれなかった。たぶん彼女のことだから相談したら俺が黙っていないと考えたのだと思った。他人の家庭を巻き込むようなまねはしたくなかったのだろう。
 周りを気遣っても自分のことは後にするような割と古風な女性だったが、そのくせ結構そそっかしく、何処か抜けているようなところが憎めなくて大好きだった。
 高校の体育祭で逆転優勝したとき、アンカーの義男の大活躍で三連覇を果たしたのだが、一番喜んでいたのが彼女だった。二人で行った海水浴だって泳げもしないのに誘うもんだから、結局は浮き輪を引っ張らされて沖までいくと怖がって必死で俺の腕にしがみついてきたっけ。
文化祭の準備で遅くまで教室に残り、バス停まで一緒に手をつないで帰ったこと。腕を組むことを恥ずかしがる俺に「照れ屋さんなんだから、人が見ててもいいじゃん」と笑いながら腕を引っ張るユキの姿はもう何処にもない。

・・・ つづく

『夕紀へ』 第十二話

2009年01月22日(木) 11時11分
 第十二話

 「達也、俺だけどユキが息を引き取ったから、通夜は自宅らしい、じゃあ」と淡々とした口調で伝えられた。彼もショックだったはずだ。幼いときから彼女を見てきていただろうから辛かったに違いない。仕事を早めに切り上げた俺は通夜の会場へと車を走らせた。20年ぶりに松田家を訪ねたわけで、以前は家族全員で出迎えてくれたことを思い出した。両手を振って飛び跳ねていた当時の彼女を思い出すと、涙が溢れ出し前が見えなくなった。玄関には白黒の幕が張られ、辺りに線香の匂いが漂っていた。玄関口から奥のほうへ入ると遺影が視界に入った。信じたくなかったが、やはりユキは亡くなったんだ。事実だったのか?現実を受け止められずにいる俺は何なんだ?お別れをして極楽浄土に送らなきゃ。と心の中で呟いた。

 左手に数珠を握り、焼香を済ませ棺(ヒツギ)の中の彼女と対面した。痩せ細って小さくなった顔を見たとき涙が頬をつたった。亡骸(ナキガラ)に何度も手を合わせ「ユキ、俺だよ。遅くなってゴメンよ、辛かったろう、ゆっくり休みな」「さようならユキ、さようなら・・・」暫らくして親族の席へ挨拶をしたが、離婚していたので喪主を長男が務めるようになっていた。年老いた両親はショックで横になっていたので、お姉さんに会釈しながら「ご無沙汰しております。坂崎です、以前お邪魔したものです」と言うと最初はキョトンとしていたが、思い出したようで「達也くん?随分と貫禄がでて誰だか分からなくて、ごめんなさい。ユキも喜んでいると思います、ありがとう」と言いながらハンカチで瞼(マブタ)を押さえて泣き崩れた。隣にいたお兄さんも無言で何度も頭を下げていたが声をかけることは出来なかった。

・・・つづく

『夕紀へ』 第十一話

2009年01月13日(火) 22時08分
第十一話

 自宅療養をしている彼女に病魔は刻々と押し寄せていた。ある日、孫と遊んでいて急に苦しみだした「母さん!大丈夫?今すぐ救急車を呼ぶから少し辛抱してちょうだい」長女は気道確保をとりながら母親が少しでも楽になるように必死で孫の手を彼女の頬にあてがった。「母さん!死なないで!孫の守はどうするの?お願いだから・・・」意識は無くなりかけていたが微かに息をしながら何かを伝えようとしていた。病院に到着し心臓マッサージなどを施し、一命は取り留めたものの油断できない状況下にいた。主治医が家族に説明をし「今夜が峠でしょう」と伝えられ、一同は愕然とした。何とか生きていてくれという願いも届くことは無かった。次の日の朝を迎えることなく、静かに息を引き取った。彼女の目元から一筋の涙がこぼれた。「ご臨終です」と医師に告げられた。

 病室で家族が最後のお別れをした。長女が「お母さん!目を開けて!お願い」と泣き叫び、息子たちも母親の顔を両手で何度もさすった。年老いた両親は娘に先立たれ、泣き崩れるばかりで言葉を発せる状態ではなかった。兄と姉は号泣しながら「ユキちゃん、苦しかったでしょ、可哀相に・・・」「後のことは心配しないでいいからね」と言いながら口元を指で撫でた。訃報を聞いて駆けつけた義男は、あちこちに連絡をし始めた。

・・・つづく

『夕紀へ』 第十話

2009年01月06日(火) 14時46分
第十話

 ユキを語るとき外せない重要な人物がいる。山田義男である。実は高校入試の会場で意気投合し、その日以来、親友になった。クラスも三年間ずっと一緒で卒業後も腐れ縁は続いている。

 彼の父親の妹がユキのお母さんで、いわゆる二人は従兄妹(イトコ)同士だったのだ。だから俺が車を借りた時も彼女が義男のものだと気づいたに違いない。彼は中学のとき柔道部に所属していただけあって体格がよくて、高校入学と同時に一緒にラグビー部に入った。

 その体格ゆえにフォワードを任せられ、いつも前線で体を張っていたが、俺はというと小柄だがキック力が認められ、フルバックを務めていた。思い出の試合は高総体で負けていたゲームをロスタイムで義男がトライを決めて追いつき、コンバージョンキックを俺が成功させて逆転したことがあったが、今でも酒を飲むとその時の話で一時間は盛り上がる。初戦だったのに優勝したみたいに二人で抱き合ったが、観戦していたユキも泣いて喜んでいた姿を思いだす。

 ラグビーをやって学んだことは仲間を信じること、試合が終わる時に「ノーサイド」という言葉が好きだ。「壁がなくなる」という意味で、試合が終わると敵も味方もなくなり、友達なんだと教わったが、実に男らしく素晴らしいスポーツだと思う。義男との友情もクラブを共にやったことで深まったのだと確信している。

 ユキを俺に紹介したのも従兄妹だからではなく、友として託したかったのだろう。後に彼に言われた言葉が今でもズシリと胸に刻まれている。「お前がユキを貰ってくれてさえいたら、死なないでいたかもしれない」と。確かに縁があれば、少なくとも乳癌で逝(イ)かせることはなかったんじゃないかと悔やまれるが、当時は彼女を引き止めるだけの勇気が無かったのは事実だ。「見合いするくらいなら俺のとこに来いよ!」と言えていたならと・・・

 人の世は実に無常だ。歌の文句じゃないが「くじけりゃ、誰かが先に行く」は簡単明瞭で筋が通った言葉だと思う。まさに“人生に涙あり”である。 

・・・つづく

『夕紀へ』 第九話

2009年01月05日(月) 15時48分
第九話

その頃、坂崎家では達也が家族を集めて重大発言を始めた。「実は父さんの会社が危なくてリストラされそうなんだ」「暫らく母さんと、お祖母ちゃんちで暮らしてくれ」と話し始めると長女が「父さんは一緒じゃないの?駄目だよ!そんなの」と泣き出した。

「暫らくの辛抱だからな、お父さんは頑張るから、また一緒に住もうな」「お祖母ちゃんの言うことを聞くんだよ」辛い選択だったが共倒れしないためにも今が踏ん張り時期だと考え、達也は一人で生きる決意をした。離婚ではなく家族を守る為の最終手段であり、再起を誓った。

40歳にして訪れた危機だが、この荒波を乗り切らなければ先祖様に申し訳が立たなくなると自分自身に言い聞かせながらも奮起を促(ウナガ)そうとしていた。

妻には「すまんが子ども達のこと頼んだぞ、お前だけが頼りだ。きっと迎えに行くから待っててくれないか」「貴方を信じてますから、留守は任せてちょうだい」「無理して身体を壊さないでね、貴方ならやれるわよ」と気丈に言う彼女の言葉が有難かった。

実は10年ほど前にも危機を乗り越えた経験があった。友人の連帯保証人になり債務を背負わされ、当時は途方に暮れたことを思い出した。でも必死に頑張って2年前に完済した経緯があり、そのことを考えれば乗り切れると思ったし、家族を路頭に迷わすわけにもいかなかった。

再就職も儘(ママ)ならず、日雇いのバイトや皿洗い、新聞配り等、やれることは全てやったつもりだ。一日も早く家族と暮らせるようにと神にも祈る気持ちで働いた。

 そんな折、知人が新しい仕事先を紹介してくれた。渡りに船とはこんなことだろうか。神様は自分に助け舟を用意してくれた。有難い、感謝、感謝である。

 給料は以前より少なかったが、仕事が出来る喜びと、何よりも家族と再び暮らせる幸せを思うと嬉しくで涙が止まらなかった。妻に伝えると「良かった、ほんと・・・」電話の向こうで声を詰まらせ泣いている彼女の元へ直ぐにでも飛んで行きたい気分だった。

 収入減は妻がパートをしてでも協力してくれると言うので有難かったが、子供たちのことを考えると転校の手続きや難題は山積みされていたが分かって貰うしかなかった。

・・・つづく

『夕紀へ』 第八話

2008年12月29日(月) 0時55分
第八話

 半年ほど経ったある日、彼女は意を決し、念のため病院で検査を受けることにした。孫が生まれる前に病気なら今のうち治そうと考えたからだ。

 検査結果を聞いて体中の力が抜けた。「松田さん、松田夕紀さん、しっかり聞いてください」
「細胞検査の結果、どうやら乳癌の疑いがありますので入院の手続きをしてください」と伝えられショックだった。「できればご主人に話しがあるので連絡をとって下さい」と主治医に言われたが、離婚したとも言えず「先生、治るんですよね?」「まさか切り落としたりしないでしょ?」不安は募るばかりで、大事なときに夫は居ないし、子ども達のことを考えると安心して治療に専念するわけにもいかず、切除手術を勧められたが早めに退院して家族と暮らす選択をした。

 娘のお腹も随分目立ってきていた。「お母さん、少し気が早いかもしれないけど宮参りは大丈夫だよね?」「ちゃんと先生の言うこと聞かなきゃ駄目だかんね」「もう何とも無いからアンタは心配せんでいいよ、丈夫な子を産みなさいね」と包み込むように言った。
三ヵ月後に娘は女の子を出産した。待ちに待った孫の誕生に彼女は生きていて良かったと思った。一時は夫の暴力に耐え切れず、子ども達を道づれに死のうかとバカな考えをしたこともあったが、小さな命を腕の中に抱いたとき、とても幸せを感じた。

 暫らくして大学病院で再検査をしたが癌細胞は死滅していなかった。他の臓器に転移している可能性が高く、切除手術する決心をしなければ助からないと思った。
手術は無事終了し二ヶ月の入院生活を余儀なくされたが、孫の顔を見ると不思議と元気になった。退院してからは自宅でノンビリ過ごすように心掛けていたが、ときおり下腹部に痛みがあり、吐き気もあったので辛い日々が続いていたが、とにかく我慢した。

 病魔は確実に彼女の身体を蝕(ムシバ)んでいた。末期癌で肝臓まで転移していて医学的検知ではステージ4で助かる見込みは薄かった。

・・・つづく

『夕紀へ』 第七話

2008年12月21日(日) 20時25分
第七話

 話は三年前にさかのぼる。
「夕紀!暫らく家には帰らんけん、お前も好きなようにせんか」と家族を残して夫は突然、出て行った。結婚当初は優しかった彼もここ数年は船を下りて仕事するでもなく、酒を飲んでは暴れて警察沙汰になったことさえある。生活費を稼ぐために彼女は地元の旅館で仲居をしながら新聞配りもやった。とにかく身を粉にして働いた。三人の子ども達のためにも逃げ出すわけにはいかなかったからだ。そんな無理がたたったのか、身体のあちこちが悲鳴をあげていた。

 ある日、右脇の付け根辺りにシコリがあるのに気づいたが、病院にいく暇も無ければ、勇気もなく、暫らく放置していた。三番目の息子が後一年もすれば高校を卒業するので、それまで辛抱すれば後は何とかなるだろうと甘く見ていた。

 幸いにして長女が家事全般をやってくれるので随分と助けられはした。
「お母さん、余り無理しちゃ駄目だからね」「それと、今度の休みに彼を連れてきてもいい?」
「エッ!その日は仕事だけど・・・他の人に代わってもらうように頼んでみようか?」娘が大切な人を紹介するというのだから、親として会う必要があったからだ。そう言えば20年前に自分自身も達也を親兄弟に会わせたことを思い出していた。

 翌週、娘が彼を連れてきたが、いきなりだった「お嬢さんを僕にください。必ず幸せにします」と言われ驚きを隠せなかったが、それだけでは無かった。お腹の中には既に新しい命が芽生えていたのだ。「じゃあ私、お祖母ちゃんになるの?」「嫌だわ、40歳で孫が出来たなんて信じられない!」と言いながらも嬉しくて仕方なかった。

・・・つづく

『夕紀へ』 第六話

2008年12月17日(水) 19時09分
第六話

 「達ちゃん、私さ地元の漁師さんにプロポーズされちゃったんだけど受けようと思うの」「式には義くんと達ちゃんだけは来てほしいから必ず出席してよ」と言われ、面食らったが「俺が新婦側の席につくのってオカシクない?普通は異性を呼ばないだろ!」と返したが親友として見届けてほしいという彼女の希望通り出席することを決めた。この頃の自分には幸せにしてやれる力も無かったし、見守るのが精一杯だったからだ。披露宴では義男とピンクレディの「UFO」を余興でやったのだが、大うけしたので練習した甲斐があった。せめて盛り上げてやることが彼女への餞(ハナムケ)だと考え、恥ずかしかったけど無我夢中で踊った気がする。

 それから遅れること五年、俺と義男もそれぞれが所帯を持ち、別の人生を歩むこととなった。風の噂で彼女が三人の子宝に恵まれたことを知り、以前「子供が産めない」と言っていた彼女を思い出し、素直に嬉しく思った。お互いの家族のことは毎年の年賀で知ることが出来たので、俺が父親になったときは彼女も喜んでくれたし、近況報告を聞く限りでは平凡で幸せに暮らしていると思っていた。ところがここ数年に限り、便りが無くて心配していたのだが体調を悪くしたと後で聞き、見舞いにも行きそびれてしまったことが気になっていた。
 
 一年前に同窓会があり元気そうな彼女と再会し、家族のことを尋ねると急に黙ってしまったが暫(シバ)らくして「私さ、離婚したんだ。もう何年にもなるけど、達ちゃんが幸せそうだったから黙っていたの」「隠すつもりはなかったけどゴメンなさい」と切り出され、返す言葉を失った。

・・・つづく

『夕紀へ』 第五話

2008年12月09日(火) 15時09分
第五話

 翌年の正月に彼女の家にいきなり招待され、ご両親や兄弟に会わせるというものだから、緊張しつつも玄関を開けると、家族全員で出迎えてくれた。特に振袖を着たユキの姿に驚いていると「達ちゃん、二度ぼれしたでしょ?」と言われたが「馬子にも衣装、なんてね。冗談だよ、似合ってるよ」と言うと顔が赤くなった。ご両親に挨拶を済ませた後、仏間に通されたので、ひとまず線香をあげさせてもらい、徐(オモムロ)に挨拶をはじめた。「始めまして、坂崎と申します。ユキさんとは高校時代から親しくさせてもらっています。」慣れないスーツ姿で緊張して声が震えているのが自分でも分かった。すると、目の前にいたお姉さんが「達也くん?だよね、妹に噂は聞いていたけど誠実そうで夕紀にはもったいないみたい」「こんなガサツな子でいいの?」と言われたが、笑ってその場をごまかした。隣にいたお兄さんが「熱燗(アツカン)だけど大丈夫かい?若いからビールがいいのかな?」と気をつかってくれたが断るのも悪いと思い、慣れない日本酒をいただくと急に身体中が熱くなった。俺の隣で寄り添うユキの姿にお母さんが微笑んでいた。もしかして俺が彼女を嫁さんに貰いに来たとでも思っているのかな?でも二十歳前だし、まだ早いしと心の中で思っていたが、まさか一年後に突然、彼女が見合いをして他の人と結婚すると伝えられた時は、いささかビックリした。

・・・つづく

『夕紀へ』 第四話

2008年12月07日(日) 11時53分
第四話

 久しぶりに会う彼女は少し大人びていて、ルージュをひいた唇がセクシーだと感じた。一年ぶりの再会だったから何から話せばいいか迷っていると、彼女が泣きながら「私、子どもが産めないかもしんない、だから達ちゃんに相応(フサワ)しくないよね」「おい!いきなりどうしたんだよ?お前らしくないぞ、そんなの関係ないだろ」「向こうで何があったか知んないけど、俺でよけりゃ聞いてやっから、落ち着けって。大丈夫だから気にすんなよ」と言うと左腕を軽く掴(ツカ)みながら「相変わらず優しいんだね、惚れ直しちゃうぞ」「オイ、からかうなよ、それより栄養士になる夢は諦(アキラ)めたのかよ!こっちで仕事を探すといってもナカナカねぇぞ」「まずは焦らずに身体を治してさ、若いんだし大丈夫だって」と言いながら軽く頭を撫(ナ)でると、急に左の頬(ホオ)にキスされた。
ビックリして顔が赤くなっていたのか、笑いながら「相変わらずウブって言うか硬いんだよね、そこが魅力なんだけど」と茶化されたこともあった。

 この日を境に俺たちは自然に付き合い始めた。翌週には映画を観に行ったのだが、彼女は邦画が好きだったらしく、何も知らない俺はレイトショーの「風と共に去りぬ」に誘った。長編だったから退屈したに違いないが、観終わると直ぐに俺の腕を引きながら「付き合ってほしい所があるの、付いて来て」と言うと細い路地に入り、何処かのビルの3階までエレベーターで上がった。ハンドバッグより鍵を取り出し、ドアノブの鍵穴に差した。「オイ!大丈夫なのか?ここ何処だよ、説明してくれよ」と慌てる俺をよそに「実はここで働くことが決まったの、今はお茶番だけど、この事務所でいろんな資格を取ろうと思ってさ」「お客様、コーヒーとお茶のどっちになさいますか?」「何だよそれ?似合わねぇぞ、栄養士と全然関係ない仕事じゃん、それで満足なのか?」「だって、遊ぶわけにもいかないし、とりあえず働かないと悪いでしょ?」
「もう決めたの、頑張るから応援してよ」と笑って見せた。ノンビリ屋のユキにしては勤め先を一週間足らずで探すなんて不思議だったが、結局は長続きせず、半年程でこの会社を辞めてしまった。
でも、彼女のためには良かったのかもしれない。

・・・つづく
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定林橋
» 恋のエチュード 第三話 (2008年04月06日)
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