森ガールの森は森ガールの胸の中に
March 10 [Wed], 2010, 21:45
gotanda6様より、森ボーイどころか森ガール認定されましたParsleyです(参照)。皆様ご機嫌いかがでしょうか。
ちょうど一週間前にアップされた、中川大地氏がビジスタニュースにご寄稿なさった『「森ガール」にできること〜「少女」から「女子」への変遷の中で〜』を巡って、特にtwitterなどは百家争鳴状態だった。(参照)
かくいうParsleyも、この論考の部分部分で若干の違和感を覚えた。しかし、それ以上に「なんじゃこりゃ」と思ったのはtwitter上での『ユリイカ』文化系女子特集号に登場していた面々を中心とした方々の反応がひどすぎること!! そのあたりのことをざっとまとめておきたい。
Parsleyがこれまでに森ガールについて書いた記事もお暇な方はご参照下さいませ。
「森ガール」はオリーブの夢を見るか
森ガール&ボーイをつかまえて
文化系女子研究所(2) はじまりの「オリーブ少女」(週刊メルマガクリルタイ)
文化系女子研究所(3) 森ガールは草を食んでおしまい?(週刊メルマガクリルタイ)
まずは、中川氏にも拙稿をご笑覧頂いて貰ったようで(ありがとうございます・参照)、「少女性が素朴だった80年代後半的なオリーブ少女」よりも90年代の『Olive』のイコン達やその影響下にあった読者達の文化が「能動的で強固」だったというように言及頂いている。確かに、ビジスタの記事だと、「リセエンヌ」から「北欧の森」へと一足飛びに進んでしまって、自分達の好きな空間やアイテムを積極的に求め軽やかに得てきた酒井景都女史のような存在について、もうちょっと言及があってもよかったのでは、と感じた。
近代日本への「少女」の認識は明治大正期から戦前にかけての少女の確立については、『少女の友』や中原淳一、川端康成らの仕事をつぶさに追えばその沿革が解かるのでここでは置くとして、そこから、水無田気流女史の「無頼化」という概念に結びつけるまでの過程は、良く言えばアクロバティック、悪く言うと乱暴に過ぎたのではないだろうか?
私の知る限りにおいて、森ガールは無頼化しているわけでもカツマーでもカヤマーでも負け犬でもない。『小悪魔ageha』は「生まれたときから不況だったし」という名コピーを生み出したが、森ガールもそれは同じ。今そこにある生活環境がデフォルトな彼女たちは、比較対象してやさぐれるべき時代を知らない。
その上で、中川氏も言及しているように、高度消費社会になり、「少女」性が社会全体に浸透するようになった。簡単に言えば少女的コンテンツに囲まれて育った彼女達が、「カワイイ」を志向するようになるのはしごく当然のこと。その「カワイイ」が、人によってはage嬢的なキラキラなネイルやアイシャドーにもなるし、森ガール的なゆるふわワンピになる。それ以上でも以下でもなく、社会的な「意義」は所詮は「識者」が後付けで負わせるものであって、当人たちの文化とは無関係と断じて差し支えないだろう。
つまり森ガール文化は本当の意味で彼女達の生活に根ざした価値観の上に構築されていて、そのマテリアルさはちょっとやそっとの外的要因では揺るぎようがないのだ。
たぶん、本当の自分のスタイルを持った森ガールは、去年末から沢山刊行されたムック本は買っていないだろうし、CAROLINA GLASERやMade in COLKINIKHAの服にあこがれることはあっても、LOWRYS FARMやearth music&ecologyでリズナブルな価格でお気に入りの服を見つけるのだろう。何とかお金を使わせたいと考える大人の皆さんにとっては、想像以上に手強い存在だ。
そんな彼女達は、元からあるものを消費するだけで満たされているようにも見える。手芸にしても、最近は専門サイトや動画などが沢山上がっているので、わざわざ書籍を買う必要はないし、お菓子作りもcookpadでレシピを探して、若干のアレンジを加えればいい。
独自のコンテンツを作りづらいように見える森ガールだが、実は自身の生活そのものをコンテンツ化する、ということが、これから主流になっていくのではないか、とParsley的には感じている。
一番分かりやすいのは「散歩」。モデルの菊池亜希子が『PS』で連載されている「みちくさ」は、本人のエッセイとキュートな絵地図が添えられていて、自身の散歩コースや食べたもの、行ったところなどがつぶさに描かれている。
こういった、絵日記に近い行動記録を残していく、ということや、写真に撮る、ブログに残すといった「ライフログ」が、彼女達のコンテンツとして今も広まっている。
おそらく、森ガールたちの「森」は、ずっと彼女達の胸の中で変わらず根を張り続ける。ちょっとリリカルだけど。
蛇足だけど。中川氏の森ガールの起源は遊佐未森説は、彼女の世界観はケルトの森というモチーフがあるので幻想「的」かもしれないが幻想ではないということでアウトです(笑)。ケルト民謡的音楽の系譜は、例えば遊佐未森のプロデューサーだった野見祐二氏がジブリ作品の『耳をすませば』等で音楽監督をしていることや、坂本真綾をはじめとする声優の多くが受け継いでいることなどから分かるように、少女文化からは離れてオタク文化に吸収されていったように個人的には思えるのだけど。ここはより深い考察が必要だろう。
あ、文化系女子の面々の「こじらせ」具合についても書かなきゃ。でも長くなっちゃったから来週配信予定の『メルマガクリルタイ』の「文化系女子研究所」でつらつら記すことにしよう。期待せずにお待ち下さいませ。
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ちょうど一週間前にアップされた、中川大地氏がビジスタニュースにご寄稿なさった『「森ガール」にできること〜「少女」から「女子」への変遷の中で〜』を巡って、特にtwitterなどは百家争鳴状態だった。(参照)
かくいうParsleyも、この論考の部分部分で若干の違和感を覚えた。しかし、それ以上に「なんじゃこりゃ」と思ったのはtwitter上での『ユリイカ』文化系女子特集号に登場していた面々を中心とした方々の反応がひどすぎること!! そのあたりのことをざっとまとめておきたい。
Parsleyがこれまでに森ガールについて書いた記事もお暇な方はご参照下さいませ。
「森ガール」はオリーブの夢を見るか
森ガール&ボーイをつかまえて
文化系女子研究所(2) はじまりの「オリーブ少女」(週刊メルマガクリルタイ)
文化系女子研究所(3) 森ガールは草を食んでおしまい?(週刊メルマガクリルタイ)
まずは、中川氏にも拙稿をご笑覧頂いて貰ったようで(ありがとうございます・参照)、「少女性が素朴だった80年代後半的なオリーブ少女」よりも90年代の『Olive』のイコン達やその影響下にあった読者達の文化が「能動的で強固」だったというように言及頂いている。確かに、ビジスタの記事だと、「リセエンヌ」から「北欧の森」へと一足飛びに進んでしまって、自分達の好きな空間やアイテムを積極的に求め軽やかに得てきた酒井景都女史のような存在について、もうちょっと言及があってもよかったのでは、と感じた。
近代日本への「少女」の認識は明治大正期から戦前にかけての少女の確立については、『少女の友』や中原淳一、川端康成らの仕事をつぶさに追えばその沿革が解かるのでここでは置くとして、そこから、水無田気流女史の「無頼化」という概念に結びつけるまでの過程は、良く言えばアクロバティック、悪く言うと乱暴に過ぎたのではないだろうか?
私の知る限りにおいて、森ガールは無頼化しているわけでもカツマーでもカヤマーでも負け犬でもない。『小悪魔ageha』は「生まれたときから不況だったし」という名コピーを生み出したが、森ガールもそれは同じ。今そこにある生活環境がデフォルトな彼女たちは、比較対象してやさぐれるべき時代を知らない。
その上で、中川氏も言及しているように、高度消費社会になり、「少女」性が社会全体に浸透するようになった。簡単に言えば少女的コンテンツに囲まれて育った彼女達が、「カワイイ」を志向するようになるのはしごく当然のこと。その「カワイイ」が、人によってはage嬢的なキラキラなネイルやアイシャドーにもなるし、森ガール的なゆるふわワンピになる。それ以上でも以下でもなく、社会的な「意義」は所詮は「識者」が後付けで負わせるものであって、当人たちの文化とは無関係と断じて差し支えないだろう。
つまり森ガール文化は本当の意味で彼女達の生活に根ざした価値観の上に構築されていて、そのマテリアルさはちょっとやそっとの外的要因では揺るぎようがないのだ。
たぶん、本当の自分のスタイルを持った森ガールは、去年末から沢山刊行されたムック本は買っていないだろうし、CAROLINA GLASERやMade in COLKINIKHAの服にあこがれることはあっても、LOWRYS FARMやearth music&ecologyでリズナブルな価格でお気に入りの服を見つけるのだろう。何とかお金を使わせたいと考える大人の皆さんにとっては、想像以上に手強い存在だ。
そんな彼女達は、元からあるものを消費するだけで満たされているようにも見える。手芸にしても、最近は専門サイトや動画などが沢山上がっているので、わざわざ書籍を買う必要はないし、お菓子作りもcookpadでレシピを探して、若干のアレンジを加えればいい。
独自のコンテンツを作りづらいように見える森ガールだが、実は自身の生活そのものをコンテンツ化する、ということが、これから主流になっていくのではないか、とParsley的には感じている。
一番分かりやすいのは「散歩」。モデルの菊池亜希子が『PS』で連載されている「みちくさ」は、本人のエッセイとキュートな絵地図が添えられていて、自身の散歩コースや食べたもの、行ったところなどがつぶさに描かれている。
こういった、絵日記に近い行動記録を残していく、ということや、写真に撮る、ブログに残すといった「ライフログ」が、彼女達のコンテンツとして今も広まっている。
おそらく、森ガールたちの「森」は、ずっと彼女達の胸の中で変わらず根を張り続ける。ちょっとリリカルだけど。
蛇足だけど。中川氏の森ガールの起源は遊佐未森説は、彼女の世界観はケルトの森というモチーフがあるので幻想「的」かもしれないが幻想ではないということでアウトです(笑)。ケルト民謡的音楽の系譜は、例えば遊佐未森のプロデューサーだった野見祐二氏がジブリ作品の『耳をすませば』等で音楽監督をしていることや、坂本真綾をはじめとする声優の多くが受け継いでいることなどから分かるように、少女文化からは離れてオタク文化に吸収されていったように個人的には思えるのだけど。ここはより深い考察が必要だろう。
あ、文化系女子の面々の「こじらせ」具合についても書かなきゃ。でも長くなっちゃったから来週配信予定の『メルマガクリルタイ』の「文化系女子研究所」でつらつら記すことにしよう。期待せずにお待ち下さいませ。
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