『Twitter社会論』を読んだ。
November 06 [Fri], 2009, 11:00
Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流
posted with amazlet at 09.11.06
津田 大介
洋泉社
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いま、Twitterに関する本の刊行ラッシュ。その中でも本書が特異な位置を占めるのは、いわゆる入門書的内容やビジネスでの成功事例を取り上げるだけにはとどまらず、Twitterを使う「人」と「社会」とのつながりそのものにフォーカスしている、ということが挙げられるだろう。紀伊国屋書店新宿本店の手書きポップによれば、「これを読まずして'10年代を迎えること勿れ!」とあった。まぁ、それは言いすぎだと思うけれど(笑)。
本書では、「新しい情報流通インフラ」としてのtwitterの特徴として、「1、リアルタイム性」「2、伝播力が強い」「3、オープン性」「4、ゆるい空気感」「5、属人性が高い」「6、自由度が高い」といったことを挙げている。
中でも、リアルタイムに同期していることによって、より現実世界と深く結びつくインフラとなったことが、「個々人が今直面している現実をトリガーに様々な情報発信を行うことで容赦なくその人の思考や価値観が明らかになっていく」。そして、ユーザー自身の思考にフレームが出来ていくという指摘が特に重要だ。この、個人の行動や思考の「コンテンツ化」こそが、ヘビーユーザーが増えている理由を端的に示している。
第2章では、ツイッター中継、いわゆる「tsudaる」技術が紹介されている(自分で命名したわけではないと主張なさっているところが微笑を誘う)。
1 配布資料はあらかじめ確認する
2 スライド上の数字やデータを見逃さない
3 オイシイ発言を見逃すな
4 「つまり」「要するに」を待て
5 文字数はとにかく節約
この「tsudaる」行為について、筆者は「ジャーナリズム」だと明確に意識されており、多くの「市民記者」が増えることによって政治に影響を与え、既存のジャーナリズムを補完することが出来ると主張されている。
実際、第三章では60ページ程を費やして、Twitterと、ジャーナリズム・政治との関係について、実例を紹介しつつ、「急速に政治性を帯びてきている」ことを指摘している。
筆者は2008年の中国・四川省の大地震、インド・ムンバイのテロにおけるBBCの誤報事件、今年1月のニューヨークの旅客機不時着事故でのTwitterでの一報を引き、その「伝達機能」の破壊力とデマの危険性を指摘、投稿された真偽の不確かな「0.5次情報」の信頼性を担保して「1次情報」にするプロセスが重要になるとしている。
「監視機能」としてはモルドバやイランのような政府当局の情報統制に対抗する手段としての直接的政治行動のほかに、穏健な権力(民主主義国家)に対する政策決定のプロセスを透明化するということがある。現実社会に深く結びついたTwitterは「人間を現実社会で動かすための起爆剤」になっており、「監視」をするのにはうってつけだと筆者は指摘する。その上で、既存メディアが行えない、選挙公約や法律施行などのチェック機能の一端を、一般ユーザーが担うことを期待しているようだ。
そして、「アジェンダ構築機能」。信頼性の担保や個人の嗜好とマスとの差が埋まるかどうかがポイント、としている。
この点に関しては、brainparasiteさまがおっしゃるように(参照)、平沢進師匠が「平沢唯じゃない」とつぶやいてフォロアーが一万を超えるが、13万ものフォロアーを抱える勝間和代女史がデフレ脱却を求める署名アカウント(@anti_deflation)を告知して2500人超といったところだというあたりに、現状の日本のtwitterの限界点が見えるように思える。
日本の政治家は、既存メディアに頼らない発言の場としてブログにこぞって参入しており、twitterを利用している議員さんはまだまだ少数だ。しかし、『みたいもん!』様と『ネタフル』様の『ツイッター 140文字が世界を変える』が藤末健三参議院議員によって首相官邸に持ち込まれるなど、関心が高いことは事実だろう。
本書では、twitterを議員が使うことに対して、主に逢坂誠二衆議院議員を例にして、有権者に政治に興味をもってもらい、より身近に感じて欲しいということが大前提だとした上で、「政治への参加意識を高める」という役割を果たし得るのではないか、としている。
個人的には、もう一つ上のレイヤー、政治家に直接アクセスする手段としてのtwitterという役割も果たし得るのではないか、と思う。
10月31日に開催された駒澤大学のシンポジウム『ブロガーが問う!ネット時代の政治とメディアの新たな関係』では、『ガ島通信』様がtwitterでDMしたことで浅尾慶一郎衆議院議員の出席が実現した。
同シンポジウムで、浅尾議員はメール等で意見や陳情が送られてくることに触れて、「メッセージを伝えるにしても140文字以内にまとめてもらえると分かりやすい。1000字読んで石だった時は疲れてしまう」と述べている。(参照)
このように、既にtwitterの影響を受け、実際に政治活動に生かしている議員がいらっしゃるということは、「政治参加の喚起」だけではなく「政治参加」そのものへコミットできる可能性もあるのではないか、と思う。
巻末には、著者と勝間和代女史との対談「つぶやく力」も収録されている。ここで印象的だったのは、お二方ともTwitterの可能性は認めつつも、非常に冷静に捉えていること。ネット発で売れる人の多くが、ネットだけにとどまらず、当人の能力が高かったり面白かったりしているから評価されている、という当たり前のことを確認しているし、日本での「キャズム超え」にはケータイユーザーの存在と、「IT素人による意外な使われ方」が必要としている、というのは頷ける話だ。
これから、今は前略プロフあたりにいる女子中高生がtwitterを使ったときに、一体どういった使われ方になるんだろう? それとも見向きもされないのかな?
筆者は総じて、ことさらTwitterの面白さをデフォルメして伝えることなく、淡々とした筆致で今後Twitterが社会のインフラになりうる可能性を論じている。
それでも、個人が変わることでオープンで自由な方向に変わっていくためのトリガーとしてTwitterに寄せる期待が時折迸っている。
「おわりに」には、次のような一節がある。
社会なんてなかなか簡単に変わるものじゃない。変えるには、個人個人がリスクとコストを取って実際の社会で何かしら動く必要があるからだ。変わらないことに絶望していろいろあきらめてしまった人もたくさんいるだろう。それでも、人々が動くための一歩目を踏み出すツールとして、ツイッターは間違いなく優秀だ。何かをあきらめてしまった人が、ツイッターを使うことで「再起動」できれば、少しずつ世の中は良い方向に動いていく。そんな希望を持ちたくなる、得体の知れない力をツイッターは持っている。
Parsleyも、筆者の「希望」に共感を覚える。そして、この言葉が、まだTwitteに触れていないひと、面白さが分からないというひとに届きますように。そんなふうに願わずにはいられなかった。
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