市民参加型メディアがダメなたった一つの理由
August 22 [Fri], 2008, 23:50
オーマイニュース日本語版が「ニュース」の看板を下ろし、『Oh! MyLife』と名称変更し9月に再出発を図ることになった。このことは8月1日にリリースされているのだが(参照)、事態が注目されたのは、8月15日の『MyNewsJapan』の記事。元木社長以下社員が全解雇になったなど、センセーショナルな内容ではてぶの伸びも非常に順調、誠に重畳なことです。
もっとも、オマニだけでなく、JanJanも今年いっぱいとかいう話が、関係者に近い筋から漏れ伝わってくる。どうも「不安Jan」とか言っている場合じゃないっぽい。
いずれにしても、市民参加型メディアにとって、どこも今年の秋から年末にかけて岐路に立たされるのは間違いないところだろう。
で、前述の『MyNewsJapan』の『オーマイニュース、全社員に解雇通告 「ニュース」の看板降ろす』なのだけど。
「大企業体質、既存マスコミ体質そのまま」という部分や、鳥越俊太郎氏・元木昌彦氏の歴代の編集長のキャラクターに責任の一旦があることは、一面の事実ではあるだろう。だが、日本屈指の市民メディアウォッチャーを自任するParsleyからしてみれば、問題はもっとシンプル。
ずばり、それは「実名主義」を標榜しているから、だ。
(この続きの文章は、どなたでも読むことが出来ます)
もっとも、オマニだけでなく、JanJanも今年いっぱいとかいう話が、関係者に近い筋から漏れ伝わってくる。どうも「不安Jan」とか言っている場合じゃないっぽい。
いずれにしても、市民参加型メディアにとって、どこも今年の秋から年末にかけて岐路に立たされるのは間違いないところだろう。
で、前述の『MyNewsJapan』の『オーマイニュース、全社員に解雇通告 「ニュース」の看板降ろす』なのだけど。
「大企業体質、既存マスコミ体質そのまま」という部分や、鳥越俊太郎氏・元木昌彦氏の歴代の編集長のキャラクターに責任の一旦があることは、一面の事実ではあるだろう。だが、日本屈指の市民メディアウォッチャーを自任するParsleyからしてみれば、問題はもっとシンプル。
ずばり、それは「実名主義」を標榜しているから、だ。
(この続きの文章は、どなたでも読むことが出来ます)
小倉秀夫先生あたりに突っ込まれないように先回りをすると、実名で記事を書くことは別に問題はない。書き手の流儀に沿って、ブログを記名メディアにするのか、匿名掲示板のネタにするのか、選択すればいいことと同列に位置しているからだ。
私が指摘したいのは、各市民メディアが実名で記事を書く、という行為に過度の信頼を置いたメディア設計がなされていた、ということだ。簡単に言って、どのサイトも「名前を出して書くのだからおかしな言論の持ち主ではないだろう」ということが前提として、規約等も作られていたし、サイトの運用もなされていた。
だが、皆様ご存知のように、ヘンなことを書くひとは実名だろうが匿名だろうがヘンなことを書く。
加えて実名を記載する場合、多少なりとも発信力のある媒体に寄生して己の発言を高めているという快感を覚えるタイプのひとが少なからず存在する。「実名のみ」というプレミアがついた媒体ゆえに、そういったひと達を集めてしまい、一般人の感覚からは離れていき、「プロ市民のメディア」といったレッテルが張られるという悪循環に陥ってしまった。これは特にJanJanにそういった印象が強い。
オーマイニュースやライブドアPJニュースも含めて、この「実名」という以外のフィルターが、全く存在していなかったからこそ、明らかに特定の個人を傷つける内容が含まれた記事を掲載しても全く問題なしとされたのだろう。ありていに言って、「編集」が機能していないまま、何年もずるずると続けていたわけだ。
その間各編集部が注力してきたのは、各記事のコメント欄などの「コミュニティ管理」。良質な記事を掲載する努力よりもこちらを優先したことで、機能していない編集部がさらに機能しなくなるというスパイラル状態に陥っていったのではないか。
しかし、まだ元気に記事を配信しているように見えるPJニュースである。私は一年前のサンダーバード事件でどんな記事を載せたか忘れていない。(参照)
小田光康PJニュース編集長は、今回のオマニの体制変更を受けて『オーマイニュースは失敗したのだろうか 商業主義とジャーナリズムの狭間で』という記事を寄せているが、自らのこと「外野」とか申されているけれど、オマニの「市民記者トレーニングセンター長」だったわけ(参照)で、決して無関係ではありませんよね? そのことを明記せずに「市民記者への研修制度が無い」と記すというのは、いったいどういう了見なんでしょうねぇ。
ま、「ジャーナリズムのスピリッツ」とやらを持ち合わせるひとならば、実名だろうが匿名だろうが、2chだろうがブログだろうが新聞だろうが、読まれるべき記事を書く能力は持ち合わせているはずだ。
もし、市民参加型メディアが潰れた時に、各メディア出身の市民記者で、活躍を遂げるひとが一人でも出たとするするならば、そのメディアは意義があったと言えるだろう。逆に、一人も出ないということならば。ほんとうに本当の意味において、大失敗だったということになるね。
私が指摘したいのは、各市民メディアが実名で記事を書く、という行為に過度の信頼を置いたメディア設計がなされていた、ということだ。簡単に言って、どのサイトも「名前を出して書くのだからおかしな言論の持ち主ではないだろう」ということが前提として、規約等も作られていたし、サイトの運用もなされていた。
だが、皆様ご存知のように、ヘンなことを書くひとは実名だろうが匿名だろうがヘンなことを書く。
加えて実名を記載する場合、多少なりとも発信力のある媒体に寄生して己の発言を高めているという快感を覚えるタイプのひとが少なからず存在する。「実名のみ」というプレミアがついた媒体ゆえに、そういったひと達を集めてしまい、一般人の感覚からは離れていき、「プロ市民のメディア」といったレッテルが張られるという悪循環に陥ってしまった。これは特にJanJanにそういった印象が強い。
オーマイニュースやライブドアPJニュースも含めて、この「実名」という以外のフィルターが、全く存在していなかったからこそ、明らかに特定の個人を傷つける内容が含まれた記事を掲載しても全く問題なしとされたのだろう。ありていに言って、「編集」が機能していないまま、何年もずるずると続けていたわけだ。
その間各編集部が注力してきたのは、各記事のコメント欄などの「コミュニティ管理」。良質な記事を掲載する努力よりもこちらを優先したことで、機能していない編集部がさらに機能しなくなるというスパイラル状態に陥っていったのではないか。
しかし、まだ元気に記事を配信しているように見えるPJニュースである。私は一年前のサンダーバード事件でどんな記事を載せたか忘れていない。(参照)
小田光康PJニュース編集長は、今回のオマニの体制変更を受けて『オーマイニュースは失敗したのだろうか 商業主義とジャーナリズムの狭間で』という記事を寄せているが、自らのこと「外野」とか申されているけれど、オマニの「市民記者トレーニングセンター長」だったわけ(参照)で、決して無関係ではありませんよね? そのことを明記せずに「市民記者への研修制度が無い」と記すというのは、いったいどういう了見なんでしょうねぇ。
ま、「ジャーナリズムのスピリッツ」とやらを持ち合わせるひとならば、実名だろうが匿名だろうが、2chだろうがブログだろうが新聞だろうが、読まれるべき記事を書く能力は持ち合わせているはずだ。
もし、市民参加型メディアが潰れた時に、各メディア出身の市民記者で、活躍を遂げるひとが一人でも出たとするするならば、そのメディアは意義があったと言えるだろう。逆に、一人も出ないということならば。ほんとうに本当の意味において、大失敗だったということになるね。
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