誰か記事のオーソライズよろしく
July 14 [Thu], 2005, 18:40
最近、どうも公私にわたり気分が時化っているparsley。そういった気分はもろこのblogにも影響されるようで、昨日も貴重な読者様より「暗い」と切って捨てられてしまった。
だってだって。自分の関わっている仕事、退潮傾向でモチベ上がらないんだもん。
ここのところこのblogではおざなりにしがちだが、私parsleyはこれでもアダルト系出版社に勤務していて、そこで雑誌なんかも出しちゃったりしているわけです。が、コレの数字があんまり良くない。何か仕掛けていかなければイカンのは百も承知だが、広告と編集と販売がそれぞれしがらみに駆られていて動くに動けない歯がゆい状態が続いている。
もともと雑誌という媒体自体が右肩下がりだということもある。昨日読んだ出版業界紙によれば、この4年で売上が一割も減っている。だめだこりゃどうしようもないね。
そんな中、現状維持だけでも恩の字、という考え方をする向きもあるだろうが、扱っているのが特殊な分野。ある程度の読者は囲えるし、誰もが興味はあるはずの分野なのだ。そういった潜在的読者層の5%も買ってない。で、営業サイドとしては、残りの95%に目向けてもらう仕組みが必要なのだが、その切実さが伝わらない現状がある。このままいけば、ミニコミ誌に毛生えた程度へと退嬰してしまうよマジで。
もっとも『R30』様がおっしゃるように、ネット隆盛が進み、中途半端な情報をただ流しにしている雑誌に価値を認めるのは難しいから、読者の選択肢から淘汰の対象になっても致し方ないかな、と思う。公的に口にしてよいものか、悩むところではあるが(苦笑)。
私の愚痴はこんなところにして。
現状を踏まえた上で、私は情報発信手段として「雑誌」という形態はまだまだ意義があるだろ、と考える。というか、個人が主体的に集める情報の集積には限界があると思う。
ある程度続いたblogに閉塞を感じるのは、blog主個人の嗜好に依存しすぎた受信・発信をしているせいだし、RSSで気になるニュースのトピックを作ろうとすると、雑音を排除しがちだ。そして一番問題なのが、ほとんどの人がその弊害に無自覚または目をつぶっていることだろう。
それを補完する役割、もっと言えば、摂取する気のない情報を摂取させる方法論として、何らかのパッケージが必要なんじゃないだろうか。
だってだって。自分の関わっている仕事、退潮傾向でモチベ上がらないんだもん。
ここのところこのblogではおざなりにしがちだが、私parsleyはこれでもアダルト系出版社に勤務していて、そこで雑誌なんかも出しちゃったりしているわけです。が、コレの数字があんまり良くない。何か仕掛けていかなければイカンのは百も承知だが、広告と編集と販売がそれぞれしがらみに駆られていて動くに動けない歯がゆい状態が続いている。
もともと雑誌という媒体自体が右肩下がりだということもある。昨日読んだ出版業界紙によれば、この4年で売上が一割も減っている。だめだこりゃどうしようもないね。
そんな中、現状維持だけでも恩の字、という考え方をする向きもあるだろうが、扱っているのが特殊な分野。ある程度の読者は囲えるし、誰もが興味はあるはずの分野なのだ。そういった潜在的読者層の5%も買ってない。で、営業サイドとしては、残りの95%に目向けてもらう仕組みが必要なのだが、その切実さが伝わらない現状がある。このままいけば、ミニコミ誌に毛生えた程度へと退嬰してしまうよマジで。
もっとも『R30』様がおっしゃるように、ネット隆盛が進み、中途半端な情報をただ流しにしている雑誌に価値を認めるのは難しいから、読者の選択肢から淘汰の対象になっても致し方ないかな、と思う。公的に口にしてよいものか、悩むところではあるが(苦笑)。
私の愚痴はこんなところにして。
現状を踏まえた上で、私は情報発信手段として「雑誌」という形態はまだまだ意義があるだろ、と考える。というか、個人が主体的に集める情報の集積には限界があると思う。
ある程度続いたblogに閉塞を感じるのは、blog主個人の嗜好に依存しすぎた受信・発信をしているせいだし、RSSで気になるニュースのトピックを作ろうとすると、雑音を排除しがちだ。そして一番問題なのが、ほとんどの人がその弊害に無自覚または目をつぶっていることだろう。
それを補完する役割、もっと言えば、摂取する気のない情報を摂取させる方法論として、何らかのパッケージが必要なんじゃないだろうか。
オフ=雑誌という形態はひとまず置いて、オンラインに飛び込んでみれば、コンテンツが氾濫していて、聴こえの良い言葉を使えば百家争鳴、イギリスの探検家ザック・バランに言えば、もうわけわかめな状態が続いている。私も、各シーンで分かっているところとそうでないところの差が激しすぎる。せめて、「前線」がどこかだけでも把握出来ればなぁ、と思うのだが、グーグル先生に頼りっぱなしというのもなんだかなぁ、と感じる。
そこで、RSSリーダーやブックマーク、あるいはまとめサイトそのものを集めて「マガジン」として配信してしまう、ということが出来ないものか。というか、ウチの雑誌でそれをやってみたいところだが、まあそれはそれとして。
とはいえ、ニーズの問題や、形態の問題以外に、オーソライズの形を再構築する必要もある。これが簡単ではないだろうなぁ。
おそらく「読ませる」記事というのは、そこら辺に転がってはいる。が、それを権威づける媒介がないと、存在さえもが知られずに眠ったままで過去ログへと流されていく。
個人商店が基本のblogだと、ひとたびの粗相で、たちまちのうちに評判がガタ落ちになり、その後に良質なエントリーをアップしても、決して元には戻らないことがままある。
例えば、『ガ島通信』様の「記者クラブと発表ジャーナリズム;ブログができること」は、自身のカミングアウトといい、論旨の明快さといい、良質のエントリーだと思う。しかも、「これがnikkeibpでの連載オワリ」ともあれば、もっと煽られていい。だが実際は7月14日の時点で付いているトラバが4件。淋しいものである。
これは勿論、「メディアの現場を歩く」と銘打っていながら、「匿名・偽名」論などに飛び込んでしまったことで、自身のブランドイメージを決定的に傷つけてしまったためである。日経をもってしてもオーソライズ(糊塗)することが出来なかった、ということにダメージの大きさを感じるが、それ以上に日経といえどもRSSを利用した送受信の前では権威付けが通用しない、ということを皮肉にも示すことにもなった。
まったく同じことが、切込隊長様にも言える。「眞鍋かをりを本件ではどのように解釈するべきか」なんて、普通に面白い記事だと思う。が、本人以外誰もオーソライズしない状況では、内容が伝播することもない。
blogという縦軸でなくて、点単位のエントリーで捉える発送を、閲覧者に求めるのは、ちょっと無理がある。それを強制する手段として、情報の詰め合わせの配送業に徹することにより、雑誌屋が生き抜くことが出来ないかなぁ。
そんな戯言はともかく、まっさらな状態でエントリーを評価し、伝播させる仕組みを考える時期が近づいているというのは、偽りのない私の実感ではあるのだ。
そこで、RSSリーダーやブックマーク、あるいはまとめサイトそのものを集めて「マガジン」として配信してしまう、ということが出来ないものか。というか、ウチの雑誌でそれをやってみたいところだが、まあそれはそれとして。
とはいえ、ニーズの問題や、形態の問題以外に、オーソライズの形を再構築する必要もある。これが簡単ではないだろうなぁ。
おそらく「読ませる」記事というのは、そこら辺に転がってはいる。が、それを権威づける媒介がないと、存在さえもが知られずに眠ったままで過去ログへと流されていく。
個人商店が基本のblogだと、ひとたびの粗相で、たちまちのうちに評判がガタ落ちになり、その後に良質なエントリーをアップしても、決して元には戻らないことがままある。
例えば、『ガ島通信』様の「記者クラブと発表ジャーナリズム;ブログができること」は、自身のカミングアウトといい、論旨の明快さといい、良質のエントリーだと思う。しかも、「これがnikkeibpでの連載オワリ」ともあれば、もっと煽られていい。だが実際は7月14日の時点で付いているトラバが4件。淋しいものである。
これは勿論、「メディアの現場を歩く」と銘打っていながら、「匿名・偽名」論などに飛び込んでしまったことで、自身のブランドイメージを決定的に傷つけてしまったためである。日経をもってしてもオーソライズ(糊塗)することが出来なかった、ということにダメージの大きさを感じるが、それ以上に日経といえどもRSSを利用した送受信の前では権威付けが通用しない、ということを皮肉にも示すことにもなった。
まったく同じことが、切込隊長様にも言える。「眞鍋かをりを本件ではどのように解釈するべきか」なんて、普通に面白い記事だと思う。が、本人以外誰もオーソライズしない状況では、内容が伝播することもない。
blogという縦軸でなくて、点単位のエントリーで捉える発送を、閲覧者に求めるのは、ちょっと無理がある。それを強制する手段として、情報の詰め合わせの配送業に徹することにより、雑誌屋が生き抜くことが出来ないかなぁ。
そんな戯言はともかく、まっさらな状態でエントリーを評価し、伝播させる仕組みを考える時期が近づいているというのは、偽りのない私の実感ではあるのだ。
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