森友学園をネットメディアが取り上げるのは難しいと思う件 

February 26 [Sun], 2017, 3:55
 安倍晋三総理の奥さんの昭恵さんが名誉校長だった森友学園の瑞穂の国記念小学院。教育方針を読んだり園内にあるという瑞穂神社を籠池泰典理事長自らが斎主をつとめたというくだりに「ないわー」とゲラゲラ笑うくらいには不謹慎なParsleyではあるのですが。まとめサイトが森友学園問題をスルーして民進党叩きをしているという話を読んで考え込んでしまった。

 痛いニュース、ハム速、はちま、JIN……大手まとめサイトが森友学園問題を軒並みスルーで民進党全力叩きの怪(BUZZAP!)

 自分が森友学園を取り上げるなら、どういう切り口で出すか。国有地関連の問題を指摘するか、安倍総理と日本会議との関係性を指摘するのか、それとも教育方針がトンデモ(だと少なくとも自分は感じる)だと指摘するのか……。いろいろ考えてみたのだけど、民進党や維新の「失点」を叩くほどアクセスやSNSでのシェア数の獲得できず、なおかつ素材を集めるコストがかかるので、労力に見合わない、という結論に達しざるをえなかった。
 とはいえ、例えば『ハイフィントンポスト』はこの森友学園問題を継続して追っている(参照)。ただ、朝日新聞提供の記事もあるし、画像なども国会の画像(ハフポにとって著作権がクリアになっているもの)を使うことができる。多くのネットメディアには、それがない。
 一方で、匿名掲示板や『Twitter』でのまとめ=ネットでの反応を記事にしようとすると、不確かな情報(安倍総理と日本会議の関係も、「実証」されていない)や党派性の強い発言、単に「安倍嫌い」なだけの書き込みなどが多く、なおかつ「数」が十分でない。そもそも、日本会議の存在をわかりやすく説明すること自体が至難でもあるし、国有地が安く払い下げられたことに対する違法性をどこに求めるのか、正直なところ自分には手が余る。各新聞社の土地だって、かつては国有地では破格で譲られているわけだしね。

 唯一できるとするならば、森友学園問題についてのユーザーの関心度を明らかにするために、アンケートを実施することだが、それも「そこまで皆にとって重要なトピックなのか」と自問自答してしまう。数が集まらないかもしれないし、それを明らかにするだけのコストをかける価値があるのか、何ともいえないな〜という結論になってしまう。

 つまるところ、まとめサイトは結局のところ「皆の反応」を抽出することしかできないし、多くのネットメディアにとっては、「調査報道」をするだけの体力がない。オールドメディアの皆さん、頑張ってください、というしかなくなる。すべてのメディアが同じ問題意識でいる必要もないのだし、それぞれの得手不得手もあるわけだから、、森友学園問題をネットメディアが取り上げづらいというのは確かなのではないかな、と思った次第。

 ただ、政権批判をネットメデイアがしないか、といえばそんなことはない。著作権問題や表現規制、TPPといったところではどこも相当に踏み込んで発信している。一方で野党批判ばかりというのは、単純に脇の甘い議員の数が与党よりも多いというだけの話で、与党議員でも不可思議なツイートをすれば食いつくだろう。そのあたり、メディア戦略が自民党に比べて他の党が稚拙だという話でもある。

 そんなこんなで。森友学園問題をネットでピックアップしていくには、知識が発信側にも読み手にも必要で、コストをかけただけのリターンがあるか微妙だという以上の話ではない。ならば他のトピックにリソースを割く方がいいということになっているだけなんじゃないか、と思うわけです。

 以上、ネットの現場からお送りしました。

「フリーランス」は荒野で戦う姿勢が不可欠ですよ 

February 19 [Sun], 2017, 6:10
 久々に早起きでして、ひと仕事を片付けることができたので、さっくりと『弁護士ドットコムニュース』で5回に分けて連載されていた「フリーランスの光と影」の感想を記しておきたい。

 「会社勤めはイヤ」自由な働き方の裏側にある厳しい現実【フリーランスの光と影・1】(弁護士ドットコム)

 まず、大前提としてフリーランス=個人事業主という働き方は、「労働者」にあてはまらないため、労働法が適用されない。例えば、いつ・どこで仕事をするのか自分で決められるということは、使用従属性における「勤務時間、勤務場所の規律に従っている」ということに当てあはまらないことになるし、成果報酬だった場合、報酬が労務に対して支払われるというのに外れている。このあたりは連載の5回目で今泉義竜弁護士が解説している(参照)。

 私Parsleyの場合だと、2010年に勤めていた会社を解雇になって、なし崩しにライター業をするようになったというのが実際のところだった。最初の頃は転職活動をしていたけれど、150件以上面接して内定に至ったのがゼロという状態で心が折れた(摂エントリー参照)。そうこうしているうちに心身ともに身体を壊したし、普通に満員電車に乗って通勤する体力に自信が持てなくなっていった。
 一方で、幸運なことに「書き物」のお仕事は切れ目なく各方面から頂けるようになった。正直、メンタルが万全でない中で不安定な収入、不規則な生活になるというのも良いことではないと分かっていたけれど、当時の自分には選択肢がなかった。選べないとなれば、腹をくくるしかない。今もそうだけど、必死にネタを見つけて書くしかない。

 そんなこんなで、やむを得ずに「フリーランス」になった自分だけど、働き方は気に入っている。身体の調子が悪い時はいつでも横になることができるし、体調が戻ればまた作業に向かえばいい。ちょっと行き詰まりを感じたならば、首都圏から離れて温泉にでも行って、そこで作業する(ついでにネタも拾ってくる)。最近ではしゃかりきに働くのではなく、一日の作業時間をなるべく短く調節することもできるようになった。
 とはいえ、そういう状況もお仕事の発注のされ具合でいつひっくり返るかわからない。だからその時のために準備(もっと言えば貯金)が必要だし、誰からも守ってもらえないという意識は常に必要だ。要するに、「フリーランス」という身分になったからには、荒野で戦い続ける覚悟が不可欠なのだ。ここを理解していないと、上流の発注側に「捕食」されて終わる。

 今後のことを考えれば、一度フリーランスになって実績を重ねて、そこから契約社員なり正規雇用に「戻る」という選択肢も出てくるような労働市場になるべきだと、個人的には考えている。もっと言えば、労働法の外の「荒野」で戦ったということ自体が「評価」の対象になるような社会になると嬉しいなぁ、と思ったりもする。なにせ、リーマンなら確定申告すらする必要がないしね。

 ……と、ここまで書いて今年の確定申告がまったく手付かずだったことに気づいた。こんなこと書いている場合じゃなかったな。そんなわけで、今朝はこの辺で。


「有名・無名」の物差しにとらわれずにいたい 

February 15 [Wed], 2017, 22:55
 ちょっと仕事が一段落したので、ココアを飲みつつ。
 少し前に、『文春オンライン』がスマートニュースの藤村厚夫氏のインタビューを出していて、内容自体も興味深かったし、『週刊文春』が「文春砲」として存在感を発揮している中でユーザーへの「伝え方」をテーマにした記事を出している、という事自体も面白いな〜と思っていたのだけど、一点だけ気になった箇所があった。

 誰が書いたかが、重要な時代になってくる  おしえて、ウェブのセンパイ! (文春オンライン)

 書き手の価値はむしろ高まっていくんじゃないですかね。もちろんソーシャルな空間で、詠み人知らずで書かれたがゆえのおもしろさもあるんだろうとは思いますが、信頼性という意味でも「誰」が書いたかは重要な指標であり続けるだろうと思います。ネット空間の匿名の書き手も、プライベートな個人情報は開示しなくてもヴァーチャルな人格は同定されていきますし。

 私自身もネットのコンテンツの信頼性の拠り所として「誰が」というものが問われるようになっているように感じるし、そんな中でブロガーからライターになったという「何者でもない」自分の居場所はどこにあるのかな、ということはずっと考えているわけなのだけど。私のことよりも気になるのは、「有名人でないひと」≒「匿名・ハンドルネームのひと」の発言や声は、どこに行くのか、ということだ。
 現状は『Twitter』があるし、『はてな匿名ダイアリー』からは昨年「保育園落ちた日本死ね!!!」が流行語大賞トップテン入りするといったこともあって、無名の人の声が、その人自身の言葉として発信される場というのは存在している。
 一方で、友人しか見れない『Facebook』や、『LINE』メッセージアプリのグループなど、非公開の場で発信される事象も今後増えていくだろうし、そういったものは不可知のまま流れていくこともあるだろう。
 こういった「無名の声」を受信して、必要があれば取材してオピニオンにするというのもメディアの役割だと個人的には思っている(藤村氏のいうところの「ゼロ次情報」という概念に近いかもしれない)のだけど、近年のネットメディアは、有名人≒テレビの情報をネットに流す、ということでPVを稼ぎ出していて、むしろ新聞社や雑誌社の方が、そういったオピニオン化するということに意識的なような気がしてならない。まぁ、ネットメディアといっても千差万別だけど。

 私自身は、ネットがあったおかげで物書き仕事ができるようになった身でもあるし、ずっとブログをやってきた身でもあるから、有名無名といった物差しに頼らずに、「何を言っているのか」ということに敏感であり続けたいし、そういった感受性を武器にして、これからも仕事が出来ればいいな、と思っていたりする。

 仕事が一段落したと書いたものの、終わっているわけではないので、まとまりがないけれど今夜はこの辺で。

『Yahoo!ニュース個人』はまとめブログ並になっちゃうかもね 

February 04 [Sat], 2017, 1:00
 しばらく体調の浮き沈みが激しくてしんどいParsleyなのだけど、どーしてもモヤモヤしたので簡単に記しておく。
 上智大学の水島宏明教授の『Yahoo!ニュース個人』の記事なのですが。

 MXと似てる?TBS「ビビット」もヘイト放送!(水島宏明)

 実際に番組を見ていないので、内容については触れない。個人的に無茶苦茶気になるのは、番組の内容の画像を大量に使用していること。
 まず当然ながらテレビ番組の著作権はテレビ局にある。今回の場合もTBSが権利者となるだろう。そのため、ネットでは各ポータルサイトやメディアはホームページのキャプチャーや出演者を自前で撮った写真などを使用するか、著作物の利用の許可を得るなどの工程を経るなどしている場合がほとんどだ。個人的には、番組を録ったりテレビ画面に写したりした一般ユーザーのSNS(とりわけTwitterのツイート)の使用も避けている。

 『Yahoo!ニュース個人』の場合、特にスマホなどではYahoo!のトップに他メディアのニュース記事などと同じにリンクが並ぶ。そして画像のキャプションが表示される。つまりポータルサイトであるYahoo!のトップに、水島先生の記事のトップで使われている『ビビット』の番組内画像が載るということになるのだけど、いいんですかね……? 

 おそらく、著作権の「引用」の範疇で番組がヘイトであるというオピニオンを出した、というのが水島先生の立場なのは理解できるのだけど、ネットの世界ではまとめブログがさまざまなテレビ番組のキャプチャーを許可なく使っているという実態がある。さらに『NAVERまとめ』や『Spotlight』などのまとめサイトやキュレーションメディアの著作権違反の問題のほとぼりが収まっていない段階で、元テレビ局ディレクターで現職大学教授としてジャーナリズムを教える側が、堂々とそれらのまとめブログと変わらずに番組の画像を使用しているというのは、正直に言えばショックだ。もっと言うとテレビ局のHPのキャプチャー使うのにも気を使ってやっている自分がバカバカしくなる。

 前にもエントリーにしたが、個人的な意見として著作権はフェアユースにしてしまえ、と思っているので(参照)、重箱の隅をつつくようなことはしたくないのですが。現行法は現行法として守らなければいけないというのが法治国家の前提だし、メディアあるいはジャーナリズムもそうであるべきだろう(もちろん、「現状を変える」というオピニオンを出すのはまた別として)。

 まぁ、『Yahoo!ニュース個人』にも著作権コンテンツの使用に関する規定があるし、Yahoo!ニュースの編集チームがどのように今回の事態に対処するのかは、ワクテカで見守りたい。仮にコレが通るということになれば「そういうことなんだ」と思うし、自分がTBSテレビのキャプチャー使って著作権料請求されたり、『Yahoo!ニュース個人』に記事を書いて編集サイドから「待った!」がかかったなら「あーダブルスタンダードなんですね」と思うことにします。

 こちらからは以上です。



 

『ネットメディア覇権戦争』を読んだ。 

January 22 [Sun], 2017, 1:30
ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)
藤代 裕之
光文社 (2017-01-17)
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 『ガ島通信』こと藤代裕之先生が、Yahoo、LINE、日経、スマートニュース、NewsPicksを中心に日本のメディア環境についての成り立ちと現状での課題をまとめた一冊。ここでは、「猫とジャーナリズム」という特に無料メディアが抱える問題と、「偽ニュース」の問題について感じたことを記しておきたい(特にYahooが抱えている「メディアかプラットフォームか」といった問題については、別途書こうと思う)。

 「猫とジャーナリズム」というのは、SNSでニュースが拡散していく上で猫に関するコンテンツが著しくシェアされるというBuzzFeed創業者のジョナ・ペレッティ氏の実験に端を発している。実際、BuzzFeedでは政治・社会系の記事からクイズまで硬軟相混ざった記事が並んでいる。ほかのポータルサイト=プラットフォームにしても、ウェブメディアにしても猫画像のような「柔め」な記事を多数配信しているし、本書で一章設けているスマートニュースにも『ねこチャンネル』がある。
 ただ、例えばSNSを駆使しているISISが「銃と猫」をあわせた写真をTwitterやInstagramで流している。これらを「面白コンテンツ」として流通させるのは本書では「偽ニュース」だと断じている。「事実」は「事実」でも文脈をぶった切って「面白い」「カワイイ」だけを切り取ると読者に誤解を与える可能性が高い、という実例といえるだろう。
 2015年のバイラルメディア騒動や、2016年末のDeNAの『WELQ』に端を発したキュレーションメディア閉鎖の問題は、クラウドソーシングサービスを介して「記事を書く人も読む人も不幸になる仕組みだった」と本書では総括している。ここ数年で、メディア運営をするにあたって「倫理」を欠いた場合、どのようなことが起こるか我々は目の当たりにしてきた。
 一方で、例えばファッションコンテンツが主だった『MERY』は女子から休止を惜しむ声もある(参照)。こういった無料で情報を受け取ることが当たり前になった読者の存在がある限り、この問題はついて回る。

 もう一つ、本書で指摘されているのはスマホでのニュースの「見え方」だ。特にネットメディアは、トップページ(ブランド)からのアクセスが1割に過ぎず、検索サイトに上位に来た記事やSNSからの流入が大半を占めるため、ユーザーは「見たいものしか、見えない」状態であるというグロービス経営大学院の川上愼市郎氏の「キメラ」説を紹介している。
 私もネットメディアでデスク・ライターをしているからよく分かるのだけど、例えばインタビュー記事のような「かため」の記事がプラットフォームやニュースアプリに拾われることが稀だし、「ネットで話題」=「テレビでの芸能系の話題」に偏りがちになり(スマートニュースにはそういう記事が掲載される傾向がある)ため、「ジャーナリズム」をやりたければ「猫」を数倍記事として出さなければならない、という状況に多くのネットメディアが直面している。ただ、上記のようなプロパガンダに引っかからず、ユーザーにとって有益な情報を出しつつ、「倫理」をもって「ビジネス」とバランスを取りつつ出して「猫」と付き合わないければならない。これは想像するよりずっと面倒くさい作業だ。

 個人的に気になるのは、「ネットの編集者やライターは質が低い」という言説(著者がそう断じているわけではない)。
 思うに、ネットメディアに人材が不足しているのは事実だろう。とはいえ、ページビューでもパイビューでもいいが、数字が厳然と示されるネットの世界ではKPIが紙の「媒体」よりも「記事」単体、もっと言うと書き手に向かう。その上、SNSなどでコンテンツの内容に関する反応に晒される。両者の耐性をつけることが出来る人間が果たしてどれほどいるのか。失敗をすれば盛大に叩かれ、よい記事を出しても大して褒められないという世界で、長くやっていける人材を育てるのは相当難しいように感じられる。それも人やメディアの「質」がなかなか上がらない理由として挙げられるように感じられる。

 いずれにしても、著者が書くようにネットメディアが「マスゴミ批判」や「ネットで話題」でアクセスを稼ぐ「ニセモノ」のままか、本物になれるのか、岐路に立っているということは肌感覚からも理解できる。個人的に、そこにどのようにコミットしていくのか、ということが課題として突きつけられた、というのが正直な感想になる。

 まぁ、そうは言っても、生活があるからね。そことの折り合いもつけながら、無理せずにやっていかないとね。
 

著作権なんて、フェアユースでいいんじゃない? 

January 03 [Tue], 2017, 2:35
 あけましておめでとうございます。2017年はもう少しブログなど個人の発信を増やしていこうと考えているので、どうぞよしなにお願いいたします。

 昨年はネットメディア、特に「キュレーションメディア」に関する問題が顕在化して、中でも著作権法違反のコンテンツを大量にアップしていたことが問題視されていた。ファッション誌なんかでも、目次の横にSNSやブログでアップすることをやめるように求める注意文を載せるケースもあって、宣伝にもなったはずなのにもったいないな〜、と感じたりもしたのだけど、『MERY』などの手口を見ているとそういった遵法意識を高める必要もあるだろう、とも思う。
 とはいえ、一般のひとの著作権法への意識って正直なところゼロに等しいよね、というのは、『BuzzFeed』の鳴海淳義氏が指摘する通りだと思う。

 著作権なんて、実はみんなどうでもいいんでしょ。(Blog @narumi) 

 個人的には、著作権にフェアユース規定を米国並みにしてもいいんじゃないか、と思っている。アメリカでは批評、解説、ニュース報道、教授、研究、調査等を目的とする場合はフェアユースを認めており、著作物の内容が事実を伝えたり、著作物の使用量が少なく、また核心的部分に触れていない場合も認められる公算が高いという。一方、利用の目的と性格で営利性を有すると認められるとフェアユースは認められにくくなるので、別メディアによる「剽窃」には一定の抑止になる要素は残されている。
 要は著作権をもう少し柔軟に運用できる状況でないと、SNSやブログなど一般のひとによる発信が意図せざる触法行為になってしまうし、TPPによる著作権法の非親告罪化によって立件に及ぶ可能性が高くなっているのと合わせて考えると、誰も彼もが10年以下の懲役または1000万円以下の罰金に処せられるかもしれないのだ。

 インターネットに限らず、表現や発信はできる限り自由であるべきだと私的には思うし、窮屈でクソつまらないネットになってほしくはないので、フェアユースの議論や啓発はもっとなされてもいいんじゃないかなー、という話でした。

 そんなこんなで、重ね重ね、本年もよろしくお願い申し上げます。



 
 

なんとか生き残った・2016 

December 31 [Sat], 2016, 18:41
 そろそろ「こいつ、いつもなんとか生き残っているな」と言われそうだけど。2016年もどうにかこうにか大晦日を迎えることができた、というのが偽らざる感想。4月と11月に大きく体調崩したし、「完調!」という日はもう年に数えるほどしかないんじゃないかな。そういった中で、このお仕事をしていく難しさを日々感じている。

 お仕事の方は……。正直ぱっとしなかった。数はこなせなかったし、特筆するようなアウトプットを出せたかというと、もうちょっとできたんじゃないか、と思うところもある。そういった反省なり悔しさを来年に活かしたいところだけど、体力がな〜。

 なんにせよ。2016年もいろいろな方々にお世話になりました。改めてありがとうございます。
 2017年も、皆様にとって何らかの佳いことがありますように。

元新聞奨学生の思い出と、終焉に向かう新聞個配ビジネス 

December 23 [Fri], 2016, 5:00
 約20年前、私Parsleyは某新聞の奨学生だった。都内の専売店に配属されて今ごろは中継所で自転車の前かごに新聞を丸めて積んでいた時間だ。
 自分のいた専売所には、10数人の奨学生がいた。その多くは近隣の音楽専門学校やアニメ専門学校の学生で、大学生は少なかった。そして、彼らのほとんどは卒業することがなかった。かといって実家に帰るわけではない。奨学金を返す必要が出てくるため、「専業」=販売所に雇われた社員扱いになるのだ。
 朝3時には起き、4時に配達に出て、遅くとも6時半までには専売店に戻ってくる。その後にまかないの朝食を食べて、自室に戻る。そして夕刊を配るために15時には再び専売所に行き、17時まで配達をして、夕飯を食べる。
 一言で配達といっても、おそらく想像以上に過酷だ。雨が降ろうが雪が降ろうが、配達しなければならない(しかも濡らさずに)。自分も台風の日に配る新聞の半分が風に飛ばされて川に落としたこともあったし、雪の日に新聞を積みすぎて滑って転んでほとんどの新聞をびちょびちょにしたこともあった。
 また、仕事は配達だけではない。毎月の集金もあるし(私の場合はヘルプだったけれど)、新規契約や再契約のために自分の割当てられた地区を回ることもある。主にそれをするのは平日の夜や休日の昼だった。まぁ、当時は新しくできたマンションで新しい契約を取ってくるのが楽しかったけれど、今振り返ってみれば契約になかったことだったし労働基準法的にもグレーだろう。
 
 こんなことを振り返る気になったのは、新聞通信合同ユニオンが産経新聞などの新聞奨学生の不当労働行為があったとして、東京都労働委員会に救済の申し立てをしているから。

 産経新聞奨学生の労働問題解決へ救済申し立て(新聞労連 新聞通信合同ユニオン)

 ここで問題視されている点を見ていくと、朝刊業務が労働契約書では2:30〜5:30(約3時間)だったのが2:00〜平均7:30(約5時間半)だったという。販売店の朝の業務は、配達の前に折り込みチラシを一軒ぶんずつ入れていく作業が発生する。配達もだいたい300軒前後に2時間〜2時間半はかかるから、3時間ですべてを終えるのは相当に上手くいった日か、選挙翌日のページ数が少なく薄いくらいだろう。あと、配達する人の体力(もっといえば走力)によっても配達時間は変わってくるし、割り当てられた配達地区の地形によっても変わってくる。だから、そもそも契約で「3時間」とするあたりが無茶でしょ、と思わざるを得ない。
 販売店には大抵の場合「代配」と呼ばれる、持ち場がある人が休みの時に代わりに配達する役割の人がいるはずだが、彼らはあくまで穴埋めであって、誰かが怪我をして長期に休むという代わりにはならない。自分も配達中に打撲をしたことは何度もあったが、足を引きずってでも配達するのが「当たり前」だった。当然、本業のはずの勉学への影響はあった。だから、今回の一件で「打撲の怪我を負った際、配達業務の免除を行わない一方で大学を休むようアドバイスするなど学業を妨げる言動」があったというのはさもありなんという印象を受けた。宿舎に監視カメラがあったというのには驚いたけれど。夜逃げ対策かなあ(実家に逃げるといった事件はよく起こる)。

 いずれにしても、今回救済を申し出た奨学生は大変勇気のある行動に出たと思う。とはいえ、多くの販売店の実態は私が経験した20年前とさほど変わっていないということが見て取れるし、氷山の一角に過ぎないとも感じる。

 私が奨学生をした当時でも、既にどの販売店も「押し紙」(配達されず販売店に買い取りさせる分)は存在したし、自分の所属していた専売店でも人口は増えているにもかかわらず部数は減っていった。そのために人員を減らしてひとりあたりの配る区域を増やすといった対策を取っていたから、しわ寄せは末端の販売員に行く。

 そんな中、朝日新聞は『出前館』を運営する夢の街創造委員会と資本業務提携して、販売店の宅配網で弁当などを配達するのだという。

 朝日新聞社、配達網使い食事を宅配 夢の街創造委と提携(日本経済新聞)

 これ、どう見ても販売所の職員に過度の負担を増やすだけだとしか思えない。おそらく昼間の時間が余剰に見えるのかもしれないけれど、翌日朝の折り込みチラシの用意や集金といった業務もあるし、なにより睡眠の時間を削られる。奨学生を多く受け入れている販売所ならば、彼らを学校に行かずに働かせる懸念があるのではないか。
 ここまで書いてきたように、多くの販売所は新聞を配るだけでカツカツの人員しか配置(雇用)していない。それでいて折り込みチラシも減少しているし、販売店への本社からの補助金はカットされる傾向にある。だから「多角化」ははっきり言って無茶だし、おそらく過度の長時間労働が現在よりもさらに問題視されるようになるだろう。

 新聞を取る人も、配達をする人も高齢化が進んでいるし、日本の新聞社による個配ビジネスが、いよいよ終焉に向かっている。私にとってはそんなことを予感させるニュースだった。

 とはいえ、私が新聞奨学生をやっていたことに後悔はあまりない。スポーツ新聞や専門業界の新聞も読み放題だったし、給料は本や映画を見るのに全振りしていて、学校に通うよりも勉強になった。何より、1円稼ぐという重みを知ることができた。
 まぁ、誰かに相談されたなら「新聞奨学生だけはやめておけ」とアドバイスしますけれどね。身体を削るお仕事だし、勉学がおろそかになる可能性が高い、リスクの大きいお仕事でもあるので。そういう意味でも、さまざまな奨学金に関して議論が高まっているのは、良い方向なんじゃないかな、と感じている。

新聞販売の闇と戦う―販売店の逆襲
真村 久三 江上 武幸
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「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩 

December 11 [Sun], 2016, 3:15
 『マガジン航』の記事が話題になっていたので、その感想をざざっと記しておきたい。

 1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場 (マガジン航[kɔː])

 私はもともとこのブログを目に留めてくれた編集者さんにお仕事を頂いた2006年からライターというお仕事をはじめている。それまでは「書く」ということで食べるということは思いもよらなかった。だが、2010年に広告企画会社を解雇になって、転職活動に失敗し、結果としてライターや編集のお仕事が本業になってしまったという裏街道を歩んでいる。だから、「とにかくライターになりたい」という気持ちでクラウドソーシングサービスでの案件に手を出して、結果的に今回のDeNAや各社のキュレーションメディアでの騒動に巻き込まれたひとたちのことは他人事と切って捨てるのは躊躇われる。

 だが、残念ながらこの「1円ライター」の記事を書いたひとが、他のメディアで通用するかと言われると、しないと思わざるを得ない。
 理由は2つ。まずは「私たちが1円の仕事を辞退すれば、高級ライターが仕事を回してくれるわけではありません」というくだりから、ライティングのお仕事が回ってくる「仕組み」に対して知識が浅いことが見て取れること。もうひとつは、クラウド会議室のことを「優しさが満ちています」と記していることだ。

 そういえば、今年の春先にこんな記事を書いた。

 1件「300円」の世界から抜け出せない?ライティング仕事の罠(Suzie)

 ここでは、クラウドソーシングサービスで募集されているライティングと、それ以外のライテイングでは「世界が違う」と指摘した。DeNAの各キュレーションメディアではSEOに関するマニュアルの存在が明るみになっている。その多くのケースでは内容自体が問われない。しかし、ネットメディア・紙媒体問わず、求められるのはその記事が読む人にとって「面白いか」「役立つか」ということで、「1円ライター」を続けていても各媒体によって書く上での約束事に合わせるスキルが磨かれない、と指摘した。私を含めて、これらのサイトで書いていたライターに発注をしたいと考える編集者が少数派だという所以でもある。

 また、ネットメディアで活躍する上でライターに必要なのは「筆力」ではない。むしろ要るのは、各媒体に合わせた「文体」を書ける柔軟性と、専門的なことを「ググる」力だ。これも以前にエントリーにした。

 ライターになるために必要なたった1つの資質

 だから、もしライターとしてのキャリアアップを図りたいと考えているのならば、「居心地の良い」クラウド会議室から早々に立ち去ること、これが「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩になると思う。同じレベルのひとが集まる場所にいてもスキルアップに繋がらず、ただ馴れ合うだけで時間を消費している場合ではないからだ。
 そして、ネットメディアやニュースサイトの編集・ライターの募集に応募することにチャレンジしてみて欲しい。東京から離れた遠隔地でも、最近のメディアはメールやSkype、ChatWorkなどで編集・運営を行っているところも多いので、「書ける」ライターならばさほどハンデにはならない。自分の得意なジャンルがあるならば、それに見合ったメディアの「ライター募集」のページからメールを送ってみてもらいたい。
 
 とはいえ、「高級ライター」を目指す道を進むことは、あまりおすすめできない。まずメディアに関わる上で踏まえておくべき知識が広範に渡ること(これはこちらで書いた)。その上で努力が実を結ばないことが往々としてあるということ(PVを稼ぐということ=多くの人に読まれるということがどれだけ大変か!)。それでも自分の出した記事が情報環境に質していると何があっても信じられること。これらの資質がないと、この業界で生き残っていくのは難しい。
 つまるところ、「ライターとして生きていきたい」という願望ではなく、「この仕事でしか生きていけない」という覚悟が必要だ。それがないひとは、この世界ではやっていけない。

 あまり暗い話ばかりするのもアレなので、希望めいた話も。各メディアで活躍しているプレスラボの小川たまか女史は、メルマガのライティングからこの業界に入ったという。2004〜2006年当時、メルマガのライティングはとんでもなく安価だった。他にも、クラウドソーシングサービスでのライターから、勉強会に参加して知己を得て、大手紙のライターとして活躍している知り合いもいる。彼女たちに共通するのは、外へ出て良い編集者やメディア関係者と出会うところから、現在の活躍につながっているというところだ。
 だから、私は「クラウド会議室から出る」ということが現状を打破する一歩なのだと思う。もしその会議室にいるひとを救いたいと願うのならば、そのひとたちに「仕事を振れる」立場にまで成り上がってほしい。私も偉そうなことを書いていないでそうなれるようにもっと研鑽を積みたいと思っている。

「ネイティブ広告」の混乱で思うこと 

December 05 [Mon], 2016, 8:50
 最近不眠気味で自律神経乱れっぱなしなParsleyです。ごきげんよう。

 さて、堀正岳氏が以下のようなエントリーを書いていたので、私が思うところも記してみる。

 ネイティブ広告はメディアの未来への脅威ではないかという気がしてきた(Lifehacking.jp)

 日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が発表した『ネイティブ広告ハンドブック2017』については、すでに自分の考えを述べた。

 JIAA『ネイティブ広告ハンドブック2017』騒動と、広告サイドとメディアサイドの「溝」(ふじいりょう)

 堀氏は『ハンドブック』に記載されているネイティブ広告の定義について、『基本的には「コンテンツに誘導する広告枠」である』としているのが、それ以前の2015年3月に発表された『ガイドライン』の『デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す』とされており、「定義にゆらぎがある」と指摘している。私もここに違和感があるということは上記の記事で記した。
 「広告枠」に限った話をすると、多くのメディアに設置されている記事枠に挟まれた「枠」のリンク先の「広告」は「ユーザーの情報利用体験を妨げない」とはとても言えないような旧来型の「商材を宣伝するページ」であることが多く、それを「ネイティブ広告」と指していいのか。私の感覚では「ネイティブ」じゃないだろ、と思うのだが……。
 そういった現状があるにも関わらず、『ハンドブック』では「編集記事ページと同じ体裁のスポンサードコンテンツ」についての説明を避けている。「ステマ」として問題視されるのは編集記事に「PR」「AD」などの表記をしないことであることが多いにも関わらず、だ。しかも現状の法解釈では「広告であることを隠す欺瞞的な行為自体が、ただちに現行法に抵触するという解釈はされていない」と踏み込んで記載されている。これでは混乱が起きるのも無理はないだろう。

 このあたり、昨年秋に『週刊ダイヤモンド』がベクトル社を刺した「ステマ特集」の時にも書いたけれど(参照)、夕刊紙やファッション誌で広告表記のない記事がYahooのようなポータルサイトに載ることはザラにある現状に変化はないように思える。末端のネットメディアのライターとしては規則があればそれに従うけれど、JIAA会員社でも対応がバラバラだから、正直なところ「こっちに判断押し付けるなよ」と言いたくもなる。
 そういえば、塩谷舞女史がPR記事を書くギャラを公開するという『MarkeZine』の記事(かなり眉唾な内容なので鵜呑みにしないように!)に対して、インターネット広告推進協議会事務局長の長澤秀行氏が以下のようなコメントを『Twitter』で寄せていた(現在は削除)。

 可視化されていいな。但し、クライアントや広告会社やメディアから広告主依頼の有料記事をPRクレジットなしで書いて欲しいと言われた時はよく熟慮して欲しい。(以下略)

 そもそも過去に受けた仕事が分かるのだから数字が可視化されたら守秘義務はどうなのか、というツッコミはさておき。「よく熟慮して欲しい」って、熟慮して受けると決めたとしたらどうするのよ。そこは立場的に「受けてはいけない」じゃないの(笑)……って思うわけですよ。広告界の権威ですらこれだと、対応がブレるのも当然だと末端の身としては感じざるをえないし、JIAAという組織もまったく信用ならないな、となっちゃう。

 長々と書いてきたけれど。ネイティブ広告についてあれこれメディア側やそこでお仕事するライターに押し付けようとするのならば、まずはJIAA各社の足並みを揃えてからいろいろ言って下さい、と最低限お願いしたいですね。どうやら高広伯彦氏とヨッピー氏はお酒飲んで手打ちしたみたいだけど、私は納得していないからね、という話でした。

 今日も売文しないといけないのでこの辺で。



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ウィスキー:アーリータイムズ
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カワサキシティーで布団と同化中
コメントは返したり返さなかったりです。
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