ネットから「降りる」か「残る」か 

September 13 [Tue], 2016, 1:25
ウェブでメシを食うということ
毎日新聞出版 (2016-06-30)
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 ちょっと風邪気味ではあるし、やらなければいけないタスクが一段落したということもあって、最近読了した中川淳一郎氏の『ウェブでメシを食うということ』の感想みたいなものをざざっとメモ。

 まず。この本はウェブで稼いでいくということが主題ではなく、中川氏が博報堂に入社して社会人となり、退職後に『テレビブロス』などでお仕事をして以後に『アメーバニュース』『ニュースポストセブン』などを立ち上げに関わった間に交遊があった人々についてを交えた自伝的作品だといえるだろう。マイケル・ウィンターボトム監督の『24・アワー・パティー・ピープル』の2000年代東京IT業界版として読むと実に面白いし記録的な価値もあると思う。
 
 とはいえ。考えさせられたのは、中川氏がネットの世界、というか社会から「降りる」日がそう遠くないと準備していらっしゃるような描写が節々に感じられたことだ。まぁ、365日ほぼ休みなしで稼働することが宿命のネットニュースという仕事は、体力がないとキツイし、常にネットの感性というものを維持するために浴びるような情報収集を常に求められるし、そう長い間にやる仕事ではないのかもしれないな、と思ったりもする。
 だから、中川氏が40代のうちにキャリアから「降りる」という選択をするというのは賢い生き方のように見えると同時に、そこまで30代の間にウェブで稼げなかった自分としては羨ましくもある。

 30代のうちは、ネットの情報に対して瞬発力のあるアウトプットができたり、流れてくる情報を出しているユーザーの感覚を読むことができた。それがこれから先ずっと出来るのかどうか。ネットから降りずに「残る」という選択をした場合、それが求められる。そして、それはとても難しいのではないかと、日々のニュースやツイート、知り合いのFacebookやInstagramを横目に、ぼんやりと思いはじめている自分がいる。

 最近も、PCデポの高額解約料騒動の問題がTwitter発で明るみになって、「トウゼンカード」なるノルマの存在など次々と明るみになる中、徳力基彦氏が日経新聞電子版のコラムにボヤっとした記事を出して、若干ボヤって(小炎上)していた。

 PCデポ炎上 世間は適法より「適切」重視(徳力基彦):日本経済新聞

 徳力氏ほどの人がこれほどピントの外した記事をブログではなく日経新聞に出してしまうというあたり、2016年というメディア環境を象徴しているとも言えるし、彼ほどの人でもネットの「空気」がちゃんと読めないことがある、ということには個人的に若干衝撃を受けた。長年ネットで仕事をしている人でも、「やらかす」ことがあるのだ。そして、ネットメディアでは一回の失敗の傷がテレビや紙媒体よりも深く長く尾を引く。

 そんな中で、この先10年20年と戦い続けていけるのか。正直私自身は不安に感じている。まぁ、メディア環境は日々変わるし、元切込隊長氏が『Yahoo!ニュース個人特別企画』でおっしゃているようにそこに適応してなんぼではあるけれど、いつまでその気力と体力が続くかなぁ……。
 そういう意味でも、中川氏の「店じまい」感は生き方として学ぶべきところは多々あるし、なかなか真似はできないけれど、「残る」にしても「分からない」ものは「分からない」として置いておく勇気が必要なのかな、と感じる機会が増えているのは確かだったりするのだった。

 なんだかまとまりがないけれど、この辺で。とにかく、『ウェブでメシを食うということ』は20年後くらいに映画化されるべきだと今から強調しておきたい。

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私たちが「鳥越俊太郎化」しないためのたったひとつの希望 

August 13 [Sat], 2016, 6:55
 今日も取材なのに一睡もできなかったParsleyです。おはようございます。

 夜半についつい『ハフィントン・ポスト』の鳥越俊太郎インタビュー()について、ざざっと記事を書いてしまったわけなのですが。

 「ネットを信頼しない」鳥越俊太郎氏はネットメディアによって「終わる」のか(ふじいりょう)

 シロクマ先生のエントリーを読んで、彼の言動に関して我々が教訓というか、反面教師とするにはどうすればいいのか、考えこまざるをえなかった。

 すっかり年を取ってすっかり変わってしまった鳥越さんを眺めながら考えていたこと(シロクマの屑籠)

 個人的には、「週刊誌編集長」という肩書きを持っているひとのある種の「変わらなさ」というものがあり、鳥越氏なども考え方や思考が変化しているとは思わないので、シロクマ先生がいうような「衰え」にその理由を求めていいのか、ちょっと留保しないといけないような気がする。
 例えば鳥越氏に限らず、花田紀凱氏もこんなことを記事にしている。

 『シン・ゴジラ』、ゴジラがあまりにかわいそう。(花田紀凱)

 1954年版の初代ゴジラや1984年版のゴジラのように「人類の敵」として描かれたものは原子力、もっといえば水爆や東西冷戦といった世界情勢を下敷きにしていて、庵野秀明版ゴジラはその正統な後継作品であるということは明らかだし、さまざまな怪獣に対して「人類の味方」として戦うゴジラ像は「娯楽作品」として大衆に求められた結果として生み出されたものだということは、私程度の知識でも語れるわけなのだけど、花田氏にかかっては「最新兵器を駆使して、寄ってたかってゴジラを殺すだけの映画」と記しちゃうわけだ。ただ、彼の場合は感性の劣化ではなく、いつの時代に作られたとしても「逆張り」をしたと思う。

 話が逸れた。結局のところ鳥越氏や花田氏のように紙媒体やテレビで生きてきた人たちは「君子豹変する」というところがあって、書いたことが「ログ」として残って考え方が変わった時に即座にツッコミが入るインターネット時代の言論人ではない、ということだろう。

 私が鳥越氏と『オーマイニュース』のことを記事にした(参照)のは、当時このブログで『オーマイニュース』について継続してウォッチしてきた身として、それを指摘することが一貫性につながると考えたからだし、URLがある限りは参照されるから。まぁ、あの頃に書き散らしたことで、今スルーするのはちょっと違うだろうと思ったわけだ。

 このブログを続けている間、一時期に私も心身を害していて、若干荒れた内容のエントリーを出すこともあった。けれど、そういった「よくない時期」に自分を支えたのもこのブログだったし、過去に書いたエントリーだった。
 もちろん、シロクマ先生のおっしゃるところの「思考力や判断力や羞恥心の衰えた言動」と気力・体力はリンクするだろうし、そのリスクは誰にだってある。とはいえ、過去に「書いて残した」ものがパブリックに読める状態である限り、方々から指摘されるだろうし、それが「自律」につながるんじゃないかなぁ。少なくとも彼らよりも。
 より「自律」を意識するならば、定期的に過去に書いた自分の記事を読むこと。それによって「鳥越俊太郎化」が避けられるのではないか。私としては自分の「ログ」があるということに望みをつなげたいし、仮に事故った時には即座に訂正するなり謝るなり、他者の忠告を素直に聞くなりするだけのフックになるのでは、と思っている。だから、自分の書いたものが公開されて残っているという状態は「希望」そのものだと考えている。それが「ネットを信頼している」世代にとっての、あるべき態度だと信じる次第です。

 



 

ブログが読まれるために必要な「突破力」 

July 30 [Sat], 2016, 1:10
 たつを氏が、こんなエントリーを上げていたので、別にParsleyは「人気ブロガー」ではないけれど簡単に。

 人気ブロガーになるには熱量が必要

 自分が今でもブログを細々と続けていられるのは、やはり「読まれている」という実感があるからなのだけど、ここを始めてから1年ほど経過した2005年ごろに、あるエントリーがそれなりに注目されたのがきっかけだった。

 民主党議員がオンナゴコロを掴むために

 当時はまだブログをやっているひとが少なくて、トラックバックやはてなブックマークの数が指標となっていたから、現在と環境がまた違うのだけど、自分が尊敬しているひとや私淑していたひとがこぞって読んでくれて、むちゃくちゃ嬉しかったことを今でも思い出す。
 たつを氏が触れている「熱量」も、もちろん大切ではあるのだけど、1年程度は自分の感じたことや思ったことをそのまま文章にすることを辞めなければ、どこかのタイミングで「突破力」があるエントリーが書けるのではないか、と個人的には考えていて、活躍しているブロガーもそういうエントリーが何かしらあったりするんだよね。
 だから、「無理はせずにぬくぬくとまったりだらだら長く続けていく」というのは正解で、はじめからバズを狙って炎上したとしても、そのままでは数年で飽きられてしまう。
 
 ちょっと話がずれるけれど、自分ははあちゅう女史のことが大嫌いではあるけれど、『さきっちょ&はあちゅうの恋の悪あが記』の頃から共感なり反感なりを買うエントリーがあって、それをフックに次のステージに進む原動力にするだけのセルフブランディング力=根性はあったわけで、彼女の今があるのは「恋活」時代があってこそなのは間違いない。そういった自分を推進する「突破力」を常に磨いているところは、尊敬に値すると思うわけ。

 とはいえ、凡人が数々のブログを同時に書いて、なおかつ読み手の心に(良かれ悪しかれ)響く存在になれるわけではないので、繰り返しになるけれど自分に正直な感情だったり思いだったりを、熱量をもって伝えられるようになれるよう、そして「好き!」あるいは「嫌い!」といった気持ちを表現できるようになると、「人気ブロガー」への突破口になるかもしれない。まずはそこからなんじゃないかなぁ、と改めて思った次第です。

メディアは何を増幅・拡散させるのか 

July 23 [Sat], 2016, 1:10
 疲れているし、なんかイライラしているし、適当にアルコールを入れたので感想のような感想でないようなものを。

 「東京が壊滅する日」タイムリミットの1年後(2016年7月17日) 東京は壊滅したのか? いいえ、都知事選の真っ最中です。 (Togetterまとめ)

 私自身は公害喘息患者でもあるし、放射能よりもさまざまな排ガスや大気汚染の方がよほどリスクだと考えているわけなのだけど、何を問題視するのはひとそれぞれだ。福島県では2014年4月から約38万人の県民に調査を行い、これまで計115人が甲状腺がんだと診断されているが、同年に県内では89名が交通事故で亡くなっており、ここ5年で減少傾向であるもののおおむね70〜120人の死亡者数で推移している。
 津田敏秀氏や、広瀬隆氏、白石草女史にとっては、甲状腺がんの増加が最大のリスクだと考え、警鐘を鳴らした「つもり」だったのだろう。たが、それが実際に年月を経てどうなったのかは検証されるし、まとめにもあるように東京は都知事選の真っ最中で、しかも多くのひとは『ポケモンGO』に夢中だ。

 ここでつくづく思うのは、「メディアは何を増幅・拡散させるのか」ということだ。答えは書き手の感情が、読み手のの感情を刺激して、増幅して、正誤は関係なく「信じたい」ものを強固にしていくということになる。特にネットメディアは、読み手がどのような感情を持つのか、その喜怒哀楽に訴えて刺激するというものが結局のところ読まれるしアクセスも取れる。
 それが果たして正しいことか、というと必ずしもそうでないケースも多々あるのは皆わかっている。それでも、KPIがアクセスである以上は、書き手は書かざるをえない。
 まぁ、なんでこういうことを記すのかというと、私がいろいろなことの後追い記事を書いたところで大して読まれないし、ほとんど評価されないからなんですけれどね! そういった愚痴は以前にも書いたけれど(参照)、真面目にコンテンツ作りをしているひとほど馬鹿を見るような構造に、今のメディア環境はなっている。結局のところポータルメディアやニュースアプリの中のひとがいかにご高説を垂れたとしても、ピックアップされるのは読者の「感情」に訴えるような記事ばかりだしさ!

 そんなこんなで、360度敵ばかりに見えるParsleyではあるのだけど。今ここでサバイブしていかなければいけないのは確かなのだし、そういった風潮に流されずどこまでいられるか、できることはやっているつもりなのだけど、時に心折れそうになる日もあったりするわけで、まぁ人生ってままならないよね、と思う夜なのだった。おやすみなさい。


 
 

参議院議員選挙の感想のような諦念のようなもの 

July 12 [Tue], 2016, 7:35
 参議院議員選挙が終わった。いちおう小さいとはいえネットメディアのデスクという立場もあり、『Twitter』でもなるべく選挙に関わることは触れないようにしてきたので、その間に思ったことを含めてざざっとメモしておく。

 まずは結果。自民党・公明党が勝つということは既定路線だったので驚きはない。Parsley的な争点は山田太郎氏が国会に戻れるかどうかで、実際291188票のひとりだったわけなのだけど、非常に残念ながら落選した。選挙区は金子洋一氏に入れたのだけど、こちらも落選した。同じ民進党でより年齢の高い真山勇一氏が当選するあたり、組織票はそちらに流れていたのだろう。なんというか、こちらも残念だ。

 争点といえば、この選挙では民進党が「2/3を取らせない!」とキャンペーンを張り、メディアもそれに乗ったという図式だろうが、楊井人文氏が指摘するように明日憲法が改正されるわけではないのだし、それってミスリードなのではと思っていた。

 参院選 「改憲勢力3分の2」が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点(楊井人文)

 どうせならもっと待機児童も含めた児童福祉の話だったり、自民党の憲法草案では「改悪」になるであろうLGBTや「結婚」のあり方であったり、アベノミクスに変わる景気浮揚策だったり(減税)とか、野党はそういった政策を打ち出せなかったものか。
 もっと言えば、今回みんなの党がなくなって、「新自由主義だけど新保守主義ではない」という票は宙ぶらりんの状態だった。そこの受け皿となる人たちは山田氏以外はどこかに行って、渡辺喜美氏は当選した。なんだかなぁ。

 もうひとつ。今回の投票率は54.70%で戦後四番目の低さだった。
 選挙期間中に私は下記のようなことを書いて、例によっていろいろなひとに無茶苦茶怒られた。

 選挙に行かなくても政治には「参加」しているし無問題である(ふじいりょう)

 別に怒られるのは「サーセン」でおしまいなのだけど。あえて言うならば「選挙に行こう」的な活動をしている団体や人は、そろそろもっと違ったアプローチをするべきだと思う。結果的に投票率は大して上がってないわけだし、PDCAどうなっているの、と感じるし、むしろ投票率も政権への信任という面ではファクターになり得るのだから、有権者=生活者として、「選挙に行かない」自由をもっと肯定的に捉えるべきなのでは、と感じるんだよね。
 繰り返しになるけれど、明日憲法が変わるわけでもないし、生活者に寄り添う政策を訴える候補がいないのであれば、投票先はないということになるわけだし、そこを「選挙に行かないのは意識が低い」とか蒙昧なことを言うべきではないし、投票率の低さは「祭り」としてのクオリティを低くした政党や候補者、そしてメディアの責任だ。
 
 そういう意味では、ネットメディアに関わるはしくれとして、もっと選挙にコミットできなかったのか、という反省はある。選挙が終わってからいろいろ言ってもあとの祭りだし、山田氏の「表現の自由」を全体のアジェンダとして争点にするようなことが何か出来なかったのか、いろいろ「手」はあっただろうとも思う。
 とはいえ、公職選挙法の「選挙運動」が曖昧なので腰が引けていたのは事実だし、『Yahoo!ニュース個人』にも「公選法上の選挙運動にあたる記事投稿は禁止」と釘を刺されてしまった。本来、そこも自由に発言できるようになったのが「ネット選挙」の良いところでもあるし、そこは積極的になるべきだし「おかしい」というべきではなかったのか。

 だがしかし。私も生活者だし選挙以外にもニュースはあって追わなければいけない対象はたくさんある。自分のできることなんて限られている。そんな限界というか、諦念も感じざるを得ないというのが、「まぁ、仕方ないよね」というのが今回の参院選の感想になるのかな。仮に残念な結果だとしても、全てを受け入れるのも民主主義というものだろう。

 なんだかとりとめもなくなったのでこの辺で。

 

なぜ誰もチェックしないのか問題が起きるワケ 

June 30 [Thu], 2016, 2:20
 ちょっと眠れないのでざざっと考えたことを。

 女性雑誌に載ってた擬音がアウトなやつだった「何を思ってこれ使ったんだ」「誰か止めてやれよ…」 (Togetterまとめ)

 「くぱぁ」がダメな擬音だというのは、紳士な嗜みをもつ男子ならばすぐにピンとくるけれど、女子ばかりの編集部ならばそれがわからなかったのかもしれないね、ということがまずあるにせよ。「誰が止めてやれよ…」ということで誰も止めないロジックというのはいろいろ考えられる。

 今回の場合、アイディアだし(編集会議)⇒デザインへの落とし込み⇒読み合わせ⇒編集長チェックといったプロセスが想定されるけれど、まず最終段階の編集長が「くぱぁ」を知らなければそのまま通ってしまうだろう。読み合わせでも、もし誰かが気づいたとしても、担当外だとケチをつける=批判と受け取られないように黙るという「空気」が生まれやすい。デザイン段階ではオーダー通りに作るのがお仕事なので基本的に「これおかしいです」と指摘するのは、同じような理由で難しい。つまり、発案者の意見がひとたびOKになってしまうと、そのまま通ってしまいがちになるケースが多いように思うんですよね。

 これはネットメディアでもそうで、一応は事実関係を確認するにしても、書き手より詳しくない人間が調べることには限界がある。特に幅広いジャンルを扱っていると、どうしても知識より深い「文脈」というところまでは見ることができないケースって多々あるんですよね。
 最近だと、福島みずほ女史たち社民党が駅のホームで「選挙活動」をして公選法違反の疑いがあるのではないかと話題になった。個人的には主張を書いたプラカードらしきものを掲示するのは選挙活動と見做せるのではないか、と思うのだけれど、候補者がタスキをかけて電車に乗ることは名札をつけて乗車するだけなのと一緒で、ビラを配らなければ単純な「移動」に過ぎず、公選法違反ではない。ここの線引きはグレーな部分があるにせよ、公選法を読み込んでいない人がチェックをすると「違反」というトーンをそのまま通してしまってもおかしくないだろうなー、と思う。
 そして、編集長ではない、編集・ライターと同格の人間がそれに気づいたとして「待った」をかけることができるかというと、速報性が求められるし、「じゃあお前が調べろ」という余計な仕事を背負うハメになるかもしれないし、いろいろな意味で難しいんじゃないか、と感じる。ディスコミュニケーションだと言われそうだが、多くの媒体の編集部でそういう場面があるのではないか、と思うわけ。

 結局、世に「なんでこれ通ったの」というコンテンツが多く流れてしまうのって、書き手と媒体(あるいは編集長)の信頼関係に依っている場合が多いから、書き手や発案者の「知識」や「見解」、「アイディア」がそのまま通ってしまう。そこを抑えることができるのかどうかが、媒体としての危機管理になるわけなのだけれど、まぁ全部のジャンルを押さえるのは難しいよね、という話でした。

 そろそろベットに潜るのでこの辺で。

日本人が好きなのは「政治」ではなく「床屋政談」である 

June 24 [Fri], 2016, 23:20
 なーんか微妙に調子悪くて、いろいろなタスクをこなせないので、こちらでリハビリがてら。

 今月に入ってから、2本ほど『Yahoo!ニュース個人』に政治関連の記事を公開したのだけれど、まぁ読まれないわけですわ。

 記者クラブ外のメディアからはまだまだ「政治」が遠いという話 
 争点のない選挙戦こそ「誰」に投票するのか問われる

 もちろん、書き手としての私の力不足もあるし、「誰が言ったか」というところがモノをいうプラットフォームになっているということがあるわけなのだけど。アクセスがない割にはあちこちからクソリプはやってきるし、まぁ書くモチベを折られるますわな。これからも書くけどね!

 一方で、舛添要一都知事の関連した記事に関しては、どのメディアでもよく読まれる。その謝罪の姿勢を分析したものもあれば、彼が辞任に追い込まれた理由を日本人の「不寛容」によると分析したものもある。それらの記事はそれなりに「読まれる」意味があるコンテンツだと個人的には認める部分もあるのだけれど、一方で虚しさも感じる。
 結局のところ、日本人が好きなのは「政治」ではなくて「政局」であるし、もっというならば「床屋政談」であると断じてもいいのかもしれない。関心があるのは政策そのものではなく政治家の不祥事であったり人事(毎回、内閣改造は盛り上がる)であったりするわけだし、そこに絡む人間関係であったり党派であったりするグループ間の「争い」であったりするわけで、つまるところは「何を」するのではなく「誰が」するのかに関心があるんだなーと思わざるをえない。

 もう一つ、今のメディアは「議論」「オピニオン」といったものよりも「共感」が軸となっているところが多いから、誰か政治家が『Twitter』で投稿した内容が、どのような反応になっているのか、といった記事の方がよっぽど「ウケ」る。自分がそれに対して「共感」するか、しないかのどちらかで読めるからだ。それをさらにSNSで感想を投稿してさらに「共感」が増幅する。メディアはその役目程度しか果たしていない、という現実がある。良い悪いの問題ではなく、そうなっている、という話ね。
 
 どちらにしても、「政治」はその国民性の縮図だと思うし、それが「残念」ということであれば有権者が残念ということになるわけで、少なくとも未来の世代について考えた投票行動を自分はしたいなぁ、と思う次第です。

 シャワーを浴びたいのでこの辺で。あ、私自身も「床屋政談」は大好きなので、そのあたりは批判する意味はないよ! ……ということは言明しておきます。それじゃーね!



 

オンラインニュースは「評価」されない 

June 21 [Tue], 2016, 9:50
 ちょっと時間ができたので、簡単に感想を。

 日本人のニュースメディア接触、先進国の中で際立つ特異性、ロイター調査が浮き彫りに(メディア・パブ)

 木っ端ブロガーだった自分が主にWebメディアで書くようになって、『ガジェット通信』では“中の人”という立場にもなっているので、ポジショントークをすると、「オンラインニュース」は日本でもそれなりに生まれてきているし、「軟派なニュース」の方がユーザーの関心が高いということも平和を享受している国ということで、その状況が決して悪い面ばかりでないとも考えている。ただ、Yahoo!ニュースが強いというのは事実だし、スマートニュースをはじめとするニュースアプリ=アグリゲーターがパブリッシャーの生殺与奪=PVを握っているというのも確かだ。

 ここからは愚痴めくが、伝統メディアの系列でない、独立系のニュースサイトと、その書き手は多くの場合、どんなに良い記事を書いたとしても、大して「評価」されない。例えば自分の場合、『Yahoo!ニュース個人』でいくつかトピックス入りして数百万PVを達成した記事もあるが、だからといって自分の身にポジティブな変化があるわけでもない。
 『ガジェット通信』は、初期の頃にネットゴシップが中心だったこともあり、色眼鏡で見られることもしばしばあるが、自分がコミットするようになった2011年頃にはだいぶ「真面目」な記事も増えていた。今では取材記事もかなりの数を出しているし、私も永田町の大臣会見の記事の掲載を続けたりしている。つい昨日も山田太郎参議院議員のインタビューを出したりしている(参照)のだが、未だに重要なKPIであるPVが取れるのは依然としてネットゴシップ系の記事だったりする。それもアグリゲーターやユーザーがそちらを求めている、ということでもあるわけなのだけど。
 いずれにしても、取材記事を出して「評価」してくれるのは取材対象やPR・代理店の人であって、ユーザーの中で喜んでくれたり議論を巻き起こしたりくれたりすることはあっても、「業界」の中で何か良い「評価」がされるということはほとんどないというのが実感だったりする。

 このような状況は、ネットメディアのマネタイズの手法が広告出稿が主になり、いわゆる「ステマ」問題が起きる遠因にもなっているし、ネットメディアの書き手が食べていくにはどうしたらいいのか、えんえんと話が堂々めぐりする理由にもなっている。だから、「硬派なニュース」を中心とした独立系のメディアもあまり生まれないし書き手も育たない。そういう中で「硬派なニュース」を出すのは、ほぼ書き手の矜持に依存している。
 
 そんなこんなで。結局のところ書き手は「紙」で書かないと誰も「評価」なんかしてくれないし「実績」にならないよね、というシニカルな結論に落ち着いてしまうわけなのだけど。個人的には一度でも世の中=Webに出た記事はゼロでなく最低でも「1」以上にはなるというのが信条なので、「ま、いいか」と納得しているし、日本のメディア環境への批判的な視点はもちつつも、それにある程度は順応しつつやっていかないといけないよね、と考える次第です。

 今日もこれから取材なのでこの辺で。

地方独自で簡単にクラウドファンディングサイトを立ち上げてしまう問題 

June 16 [Thu], 2016, 13:10
 岩手県花巻のマルカン百貨店が2016年6月7日に惜しまれつつ閉店に至ったのだが、その6Fにある大食堂を運営存続させるというプロジェクトが立ち上がっている。

 マルカン大食堂 運営存続プロジェクト (いしわり)

 ファンディングの目標額は2億円だが、初期コストとして5〜6億、そのうち耐震補強に1〜1.5億かかるという。もちろん運営・存続していくことにもコストがかかるから、かなり困難な道のりが待っていることは確実なのだけど、個人的にもぜひ実現してほしいなぁ、と思う。

 ところで、このプロジェクトは『いしわり』というプラットフォームを利用している。「岩手発のクラウドファンディング」ということで、岩手に特化したプロジェクトを起案して協力者を募るようになっている。最近このような地方しばりのクラウドファンディングサイトが増えたように感じる。
 感じるのだけど、私が見る限り同規模のプロジェクトの支援者を集めるのに、『READYFOR』や『CAMPFIRE』といった先行クラウドファンディングサイトよりも苦戦している傾向があるように思う。まず個々のプラットフォームに知名度がなく、目立つプロジェクトがあってはじめて名前を聞くようなプラットフォームが多い。つまりプラットフォームで集客できていないのだ。
 もう一つ、支援者にとっていかに「お金を払いやすいか」ということでいえば、地方発のクラウドファンディングは総じて不親切だ。『いしわり』の場合は下記の通りになっている。

 いしわりでは

 ・クレジットカード(VISA、Master)
 の決済方法をご利用頂けます。

 いしわりでは以下のクレジットカードでお支払いいただけます。

 <お取り扱いカード>
 ・VISA
 ・MasterCard
 <デビットカードのお取り扱い>
 デビットカードのご利用はご遠慮頂いております。
 プロジェクトの目標金額達成が成功したか否か、
 募集期間終了を待たずに引き落としがされる場合がございますので、ご注意ください。

 <お支払い回数>
 1回払いのみ
 <お支払い手順>
 お支払いページで、カード番号などの必要情報を入力して決済をお願いします。
 <お引き落としについて>
 クレジットカードのご利用日は、プロジェクト募集期間が満了した日となります。
 引き落とし日はお使いのクレジットカードによって異なります。


 ……これ、地味にハードル高い。ほぼ「大人」に支援者を限ってしまっている。特にデビットカードも無理というのが痛いように思う。せめてPayPalに対応していると違ってくるのだけど……。

 これが『CAMPFIRE』ならば、クレジットカードのほかにコンビニ払い・銀行振込・Paidy払いに対応している。若年層やクレジットカードを持っていない層でも支援が行えるようになっているわけで、より資金を受け入れる間口が広い。
 クラウドファンディングサイト自体を立ち上げること自体はそんなに難しいことでないけれど、特に決済まわりをちゃんと整備できるのかによって、そのプラットフォームの行く末が決まってくるように思える。資金が集まらないプロジェクトの多いサイトは自然とプロジェクトの数が減っていくだろうし、そうなるとサイトの存続も怪しくなる。多くの地方発のクラウドファンディングサイトはそういった危うさをはらんでいるように感じるのは私だけだろうか?

 

杉並区保育園問題の議論を横目に思うこと 

June 09 [Thu], 2016, 13:50
 杉並区の保育園問題の議論を見て、「危なっかしいなぁ」と思わざるをえなかったので、手短に。

 まずは、境治氏の一連の記事。

 杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。
 杉並区の保育園問題。転用に直面した公園で出会った3人の人物。

 境氏に反論を寄せた、駒崎弘樹氏の記事も挙げておく。

 杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します

 そもそも、「保育園落ちた日本死ね」に関して同情的な論調の記事を何本も上げていた境氏と、待機児童問題の専門家の駒崎氏が議論しているという構図が意味不明なのだけど。思ったのは、久我山東原公園の反対運動を「住民エゴと決めつけるわけにはいかない気がした」という境氏の“気がした”という意識で反対派の声を代弁するのは、「マイノリティ憑依」に近いのではないか、ということだ。
 「マイノリティ憑依」とは、佐々木俊尚氏が著書『当事者の時代』で指摘している言葉で、「弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する」行為を指す。
 境氏にはそういう意識はおそらくないのだと思うが、テレビで放映される反対派の姿が「弱者」だと映ったのではないか。彼らは彼らでブログなどで発信しているし、署名活動を行っているわけで、そこに境氏が入って「代弁」するということは、拡声器の役割を果たしたということ以上でも以下でもないだろう。それを意識せずにしているというのは非常に危なかっしいな、と感じてしまう。付け加えると、駒崎氏は自身も認定保育園を経営している「当事者」としての発言といえるだろう。

 もう一つ思ったのは、『Yahoo!ニュース個人』という場の危なさだ。私もオーサーの末席を汚しているからよく分かるのだけど、記事を自分の上げたいタイミングで、編集を経ることなく公開することが可能で、しかも数万PVは確実に読まれる。それがSNSで拡散すると数十万レベルになり、トピックスに選出されると100万を超える。現在の日本で100万冊を超える発行部数の雑誌はないから、それを凌駕する影響力を持つわけだ。
 木っ端ブロガー・ライターの私でさえ、自分の記事がトピックスに選出されて多くの人の目に触れることを意識して書いているが、境氏のそれはその影響力に配慮した形跡をあまり感じない。なんというか…紙媒体のように記事=コンテンツの“質”までしか念頭におかれていないように、特に最初の記事からは感じた。
 個人的には、『Yahoo!ニュース個人』は“気がした”というくらいの強度でオピニオンを投げていい場ではないように感じる。そうしないと、意図しない読まれ方をしたり使われ方をして、ある問題に関しての議論を混乱させるケースもあるように思う。

 ざざっとで恐縮だけど、他の作業もあるのでこの辺で。

「当事者」の時代
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