『ネットメディア覇権戦争』を読んだ。 

January 22 [Sun], 2017, 1:30
ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか (光文社新書)
藤代 裕之
光文社 (2017-01-17)
売り上げランキング: 1,089


 『ガ島通信』こと藤代裕之先生が、Yahoo、LINE、日経、スマートニュース、NewsPicksを中心に日本のメディア環境についての成り立ちと現状での課題をまとめた一冊。ここでは、「猫とジャーナリズム」という特に無料メディアが抱える問題と、「偽ニュース」の問題について感じたことを記しておきたい(特にYahooが抱えている「メディアかプラットフォームか」といった問題については、別途書こうと思う)。

 「猫とジャーナリズム」というのは、SNSでニュースが拡散していく上で猫に関するコンテンツが著しくシェアされるというBuzzFeed創業者のジョナ・ペレッティ氏の実験に端を発している。実際、BuzzFeedでは政治・社会系の記事からクイズまで硬軟相混ざった記事が並んでいる。ほかのポータルサイト=プラットフォームにしても、ウェブメディアにしても猫画像のような「柔め」な記事を多数配信しているし、本書で一章設けているスマートニュースにも『ねこチャンネル』がある。
 ただ、例えばSNSを駆使しているISISが「銃と猫」をあわせた写真をTwitterやInstagramで流している。これらを「面白コンテンツ」として流通させるのは本書では「偽ニュース」だと断じている。「事実」は「事実」でも文脈をぶった切って「面白い」「カワイイ」だけを切り取ると読者に誤解を与える可能性が高い、という実例といえるだろう。
 2015年のバイラルメディア騒動や、2016年末のDeNAの『WELQ』に端を発したキュレーションメディア閉鎖の問題は、クラウドソーシングサービスを介して「記事を書く人も読む人も不幸になる仕組みだった」と本書では総括している。ここ数年で、メディア運営をするにあたって「倫理」を欠いた場合、どのようなことが起こるか我々は目の当たりにしてきた。
 一方で、例えばファッションコンテンツが主だった『MERY』は女子から休止を惜しむ声もある(参照)。こういった無料で情報を受け取ることが当たり前になった読者の存在がある限り、この問題はついて回る。

 もう一つ、本書で指摘されているのはスマホでのニュースの「見え方」だ。特にネットメディアは、トップページ(ブランド)からのアクセスが1割に過ぎず、検索サイトに上位に来た記事やSNSからの流入が大半を占めるため、ユーザーは「見たいものしか、見えない」状態であるというグロービス経営大学院の川上愼市郎氏の「キメラ」説を紹介している。
 私もネットメディアでデスク・ライターをしているからよく分かるのだけど、例えばインタビュー記事のような「かため」の記事がプラットフォームやニュースアプリに拾われることが稀だし、「ネットで話題」=「テレビでの芸能系の話題」に偏りがちになり(スマートニュースにはそういう記事が掲載される傾向がある)ため、「ジャーナリズム」をやりたければ「猫」を数倍記事として出さなければならない、という状況に多くのネットメディアが直面している。ただ、上記のようなプロパガンダに引っかからず、ユーザーにとって有益な情報を出しつつ、「倫理」をもって「ビジネス」とバランスを取りつつ出して「猫」と付き合わないければならない。これは想像するよりずっと面倒くさい作業だ。

 個人的に気になるのは、「ネットの編集者やライターは質が低い」という言説(著者がそう断じているわけではない)。
 思うに、ネットメディアに人材が不足しているのは事実だろう。とはいえ、ページビューでもパイビューでもいいが、数字が厳然と示されるネットの世界ではKPIが紙の「媒体」よりも「記事」単体、もっと言うと書き手に向かう。その上、SNSなどでコンテンツの内容に関する反応に晒される。両者の耐性をつけることが出来る人間が果たしてどれほどいるのか。失敗をすれば盛大に叩かれ、よい記事を出しても大して褒められないという世界で、長くやっていける人材を育てるのは相当難しいように感じられる。それも人やメディアの「質」がなかなか上がらない理由として挙げられるように感じられる。

 いずれにしても、著者が書くようにネットメディアが「マスゴミ批判」や「ネットで話題」でアクセスを稼ぐ「ニセモノ」のままか、本物になれるのか、岐路に立っているということは肌感覚からも理解できる。個人的に、そこにどのようにコミットしていくのか、ということが課題として突きつけられた、というのが正直な感想になる。

 まぁ、そうは言っても、生活があるからね。そことの折り合いもつけながら、無理せずにやっていかないとね。
 

著作権なんて、フェアユースでいいんじゃない? 

January 03 [Tue], 2017, 2:35
 あけましておめでとうございます。2017年はもう少しブログなど個人の発信を増やしていこうと考えているので、どうぞよしなにお願いいたします。

 昨年はネットメディア、特に「キュレーションメディア」に関する問題が顕在化して、中でも著作権法違反のコンテンツを大量にアップしていたことが問題視されていた。ファッション誌なんかでも、目次の横にSNSやブログでアップすることをやめるように求める注意文を載せるケースもあって、宣伝にもなったはずなのにもったいないな〜、と感じたりもしたのだけど、『MERY』などの手口を見ているとそういった遵法意識を高める必要もあるだろう、とも思う。
 とはいえ、一般のひとの著作権法への意識って正直なところゼロに等しいよね、というのは、『BuzzFeed』の鳴海淳義氏が指摘する通りだと思う。

 著作権なんて、実はみんなどうでもいいんでしょ。(Blog @narumi) 

 個人的には、著作権にフェアユース規定を米国並みにしてもいいんじゃないか、と思っている。アメリカでは批評、解説、ニュース報道、教授、研究、調査等を目的とする場合はフェアユースを認めており、著作物の内容が事実を伝えたり、著作物の使用量が少なく、また核心的部分に触れていない場合も認められる公算が高いという。一方、利用の目的と性格で営利性を有すると認められるとフェアユースは認められにくくなるので、別メディアによる「剽窃」には一定の抑止になる要素は残されている。
 要は著作権をもう少し柔軟に運用できる状況でないと、SNSやブログなど一般のひとによる発信が意図せざる触法行為になってしまうし、TPPによる著作権法の非親告罪化によって立件に及ぶ可能性が高くなっているのと合わせて考えると、誰も彼もが10年以下の懲役または1000万円以下の罰金に処せられるかもしれないのだ。

 インターネットに限らず、表現や発信はできる限り自由であるべきだと私的には思うし、窮屈でクソつまらないネットになってほしくはないので、フェアユースの議論や啓発はもっとなされてもいいんじゃないかなー、という話でした。

 そんなこんなで、重ね重ね、本年もよろしくお願い申し上げます。



 
 

なんとか生き残った・2016 

December 31 [Sat], 2016, 18:41
 そろそろ「こいつ、いつもなんとか生き残っているな」と言われそうだけど。2016年もどうにかこうにか大晦日を迎えることができた、というのが偽らざる感想。4月と11月に大きく体調崩したし、「完調!」という日はもう年に数えるほどしかないんじゃないかな。そういった中で、このお仕事をしていく難しさを日々感じている。

 お仕事の方は……。正直ぱっとしなかった。数はこなせなかったし、特筆するようなアウトプットを出せたかというと、もうちょっとできたんじゃないか、と思うところもある。そういった反省なり悔しさを来年に活かしたいところだけど、体力がな〜。

 なんにせよ。2016年もいろいろな方々にお世話になりました。改めてありがとうございます。
 2017年も、皆様にとって何らかの佳いことがありますように。

元新聞奨学生の思い出と、終焉に向かう新聞個配ビジネス 

December 23 [Fri], 2016, 5:00
 約20年前、私Parsleyは某新聞の奨学生だった。都内の専売店に配属されて今ごろは中継所で自転車の前かごに新聞を丸めて積んでいた時間だ。
 自分のいた専売所には、10数人の奨学生がいた。その多くは近隣の音楽専門学校やアニメ専門学校の学生で、大学生は少なかった。そして、彼らのほとんどは卒業することがなかった。かといって実家に帰るわけではない。奨学金を返す必要が出てくるため、「専業」=販売所に雇われた社員扱いになるのだ。
 朝3時には起き、4時に配達に出て、遅くとも6時半までには専売店に戻ってくる。その後にまかないの朝食を食べて、自室に戻る。そして夕刊を配るために15時には再び専売所に行き、17時まで配達をして、夕飯を食べる。
 一言で配達といっても、おそらく想像以上に過酷だ。雨が降ろうが雪が降ろうが、配達しなければならない(しかも濡らさずに)。自分も台風の日に配る新聞の半分が風に飛ばされて川に落としたこともあったし、雪の日に新聞を積みすぎて滑って転んでほとんどの新聞をびちょびちょにしたこともあった。
 また、仕事は配達だけではない。毎月の集金もあるし(私の場合はヘルプだったけれど)、新規契約や再契約のために自分の割当てられた地区を回ることもある。主にそれをするのは平日の夜や休日の昼だった。まぁ、当時は新しくできたマンションで新しい契約を取ってくるのが楽しかったけれど、今振り返ってみれば契約になかったことだったし労働基準法的にもグレーだろう。
 
 こんなことを振り返る気になったのは、新聞通信合同ユニオンが産経新聞などの新聞奨学生の不当労働行為があったとして、東京都労働委員会に救済の申し立てをしているから。

 産経新聞奨学生の労働問題解決へ救済申し立て(新聞労連 新聞通信合同ユニオン)

 ここで問題視されている点を見ていくと、朝刊業務が労働契約書では2:30〜5:30(約3時間)だったのが2:00〜平均7:30(約5時間半)だったという。販売店の朝の業務は、配達の前に折り込みチラシを一軒ぶんずつ入れていく作業が発生する。配達もだいたい300軒前後に2時間〜2時間半はかかるから、3時間ですべてを終えるのは相当に上手くいった日か、選挙翌日のページ数が少なく薄いくらいだろう。あと、配達する人の体力(もっといえば走力)によっても配達時間は変わってくるし、割り当てられた配達地区の地形によっても変わってくる。だから、そもそも契約で「3時間」とするあたりが無茶でしょ、と思わざるを得ない。
 販売店には大抵の場合「代配」と呼ばれる、持ち場がある人が休みの時に代わりに配達する役割の人がいるはずだが、彼らはあくまで穴埋めであって、誰かが怪我をして長期に休むという代わりにはならない。自分も配達中に打撲をしたことは何度もあったが、足を引きずってでも配達するのが「当たり前」だった。当然、本業のはずの勉学への影響はあった。だから、今回の一件で「打撲の怪我を負った際、配達業務の免除を行わない一方で大学を休むようアドバイスするなど学業を妨げる言動」があったというのはさもありなんという印象を受けた。宿舎に監視カメラがあったというのには驚いたけれど。夜逃げ対策かなあ(実家に逃げるといった事件はよく起こる)。

 いずれにしても、今回救済を申し出た奨学生は大変勇気のある行動に出たと思う。とはいえ、多くの販売店の実態は私が経験した20年前とさほど変わっていないということが見て取れるし、氷山の一角に過ぎないとも感じる。

 私が奨学生をした当時でも、既にどの販売店も「押し紙」(配達されず販売店に買い取りさせる分)は存在したし、自分の所属していた専売店でも人口は増えているにもかかわらず部数は減っていった。そのために人員を減らしてひとりあたりの配る区域を増やすといった対策を取っていたから、しわ寄せは末端の販売員に行く。

 そんな中、朝日新聞は『出前館』を運営する夢の街創造委員会と資本業務提携して、販売店の宅配網で弁当などを配達するのだという。

 朝日新聞社、配達網使い食事を宅配 夢の街創造委と提携(日本経済新聞)

 これ、どう見ても販売所の職員に過度の負担を増やすだけだとしか思えない。おそらく昼間の時間が余剰に見えるのかもしれないけれど、翌日朝の折り込みチラシの用意や集金といった業務もあるし、なにより睡眠の時間を削られる。奨学生を多く受け入れている販売所ならば、彼らを学校に行かずに働かせる懸念があるのではないか。
 ここまで書いてきたように、多くの販売所は新聞を配るだけでカツカツの人員しか配置(雇用)していない。それでいて折り込みチラシも減少しているし、販売店への本社からの補助金はカットされる傾向にある。だから「多角化」ははっきり言って無茶だし、おそらく過度の長時間労働が現在よりもさらに問題視されるようになるだろう。

 新聞を取る人も、配達をする人も高齢化が進んでいるし、日本の新聞社による個配ビジネスが、いよいよ終焉に向かっている。私にとってはそんなことを予感させるニュースだった。

 とはいえ、私が新聞奨学生をやっていたことに後悔はあまりない。スポーツ新聞や専門業界の新聞も読み放題だったし、給料は本や映画を見るのに全振りしていて、学校に通うよりも勉強になった。何より、1円稼ぐという重みを知ることができた。
 まぁ、誰かに相談されたなら「新聞奨学生だけはやめておけ」とアドバイスしますけれどね。身体を削るお仕事だし、勉学がおろそかになる可能性が高い、リスクの大きいお仕事でもあるので。そういう意味でも、さまざまな奨学金に関して議論が高まっているのは、良い方向なんじゃないかな、と感じている。

新聞販売の闇と戦う―販売店の逆襲
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「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩 

December 11 [Sun], 2016, 3:15
 『マガジン航』の記事が話題になっていたので、その感想をざざっと記しておきたい。

 1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場 (マガジン航[kɔː])

 私はもともとこのブログを目に留めてくれた編集者さんにお仕事を頂いた2006年からライターというお仕事をはじめている。それまでは「書く」ということで食べるということは思いもよらなかった。だが、2010年に広告企画会社を解雇になって、転職活動に失敗し、結果としてライターや編集のお仕事が本業になってしまったという裏街道を歩んでいる。だから、「とにかくライターになりたい」という気持ちでクラウドソーシングサービスでの案件に手を出して、結果的に今回のDeNAや各社のキュレーションメディアでの騒動に巻き込まれたひとたちのことは他人事と切って捨てるのは躊躇われる。

 だが、残念ながらこの「1円ライター」の記事を書いたひとが、他のメディアで通用するかと言われると、しないと思わざるを得ない。
 理由は2つ。まずは「私たちが1円の仕事を辞退すれば、高級ライターが仕事を回してくれるわけではありません」というくだりから、ライティングのお仕事が回ってくる「仕組み」に対して知識が浅いことが見て取れること。もうひとつは、クラウド会議室のことを「優しさが満ちています」と記していることだ。

 そういえば、今年の春先にこんな記事を書いた。

 1件「300円」の世界から抜け出せない?ライティング仕事の罠(Suzie)

 ここでは、クラウドソーシングサービスで募集されているライティングと、それ以外のライテイングでは「世界が違う」と指摘した。DeNAの各キュレーションメディアではSEOに関するマニュアルの存在が明るみになっている。その多くのケースでは内容自体が問われない。しかし、ネットメディア・紙媒体問わず、求められるのはその記事が読む人にとって「面白いか」「役立つか」ということで、「1円ライター」を続けていても各媒体によって書く上での約束事に合わせるスキルが磨かれない、と指摘した。私を含めて、これらのサイトで書いていたライターに発注をしたいと考える編集者が少数派だという所以でもある。

 また、ネットメディアで活躍する上でライターに必要なのは「筆力」ではない。むしろ要るのは、各媒体に合わせた「文体」を書ける柔軟性と、専門的なことを「ググる」力だ。これも以前にエントリーにした。

 ライターになるために必要なたった1つの資質

 だから、もしライターとしてのキャリアアップを図りたいと考えているのならば、「居心地の良い」クラウド会議室から早々に立ち去ること、これが「1円ライター」から抜け出すためのはじめの一歩になると思う。同じレベルのひとが集まる場所にいてもスキルアップに繋がらず、ただ馴れ合うだけで時間を消費している場合ではないからだ。
 そして、ネットメディアやニュースサイトの編集・ライターの募集に応募することにチャレンジしてみて欲しい。東京から離れた遠隔地でも、最近のメディアはメールやSkype、ChatWorkなどで編集・運営を行っているところも多いので、「書ける」ライターならばさほどハンデにはならない。自分の得意なジャンルがあるならば、それに見合ったメディアの「ライター募集」のページからメールを送ってみてもらいたい。
 
 とはいえ、「高級ライター」を目指す道を進むことは、あまりおすすめできない。まずメディアに関わる上で踏まえておくべき知識が広範に渡ること(これはこちらで書いた)。その上で努力が実を結ばないことが往々としてあるということ(PVを稼ぐということ=多くの人に読まれるということがどれだけ大変か!)。それでも自分の出した記事が情報環境に質していると何があっても信じられること。これらの資質がないと、この業界で生き残っていくのは難しい。
 つまるところ、「ライターとして生きていきたい」という願望ではなく、「この仕事でしか生きていけない」という覚悟が必要だ。それがないひとは、この世界ではやっていけない。

 あまり暗い話ばかりするのもアレなので、希望めいた話も。各メディアで活躍しているプレスラボの小川たまか女史は、メルマガのライティングからこの業界に入ったという。2004〜2006年当時、メルマガのライティングはとんでもなく安価だった。他にも、クラウドソーシングサービスでのライターから、勉強会に参加して知己を得て、大手紙のライターとして活躍している知り合いもいる。彼女たちに共通するのは、外へ出て良い編集者やメディア関係者と出会うところから、現在の活躍につながっているというところだ。
 だから、私は「クラウド会議室から出る」ということが現状を打破する一歩なのだと思う。もしその会議室にいるひとを救いたいと願うのならば、そのひとたちに「仕事を振れる」立場にまで成り上がってほしい。私も偉そうなことを書いていないでそうなれるようにもっと研鑽を積みたいと思っている。

「ネイティブ広告」の混乱で思うこと 

December 05 [Mon], 2016, 8:50
 最近不眠気味で自律神経乱れっぱなしなParsleyです。ごきげんよう。

 さて、堀正岳氏が以下のようなエントリーを書いていたので、私が思うところも記してみる。

 ネイティブ広告はメディアの未来への脅威ではないかという気がしてきた(Lifehacking.jp)

 日本インタラクティブ広告協会(JIAA)が発表した『ネイティブ広告ハンドブック2017』については、すでに自分の考えを述べた。

 JIAA『ネイティブ広告ハンドブック2017』騒動と、広告サイドとメディアサイドの「溝」(ふじいりょう)

 堀氏は『ハンドブック』に記載されているネイティブ広告の定義について、『基本的には「コンテンツに誘導する広告枠」である』としているのが、それ以前の2015年3月に発表された『ガイドライン』の『デザイン、内容、フォーマットが、媒体社が編集する記事・コンテンツの形式や提供するサービスの機能と同様でそれらと一体化しており、ユーザーの情報利用体験を妨げない広告を指す』とされており、「定義にゆらぎがある」と指摘している。私もここに違和感があるということは上記の記事で記した。
 「広告枠」に限った話をすると、多くのメディアに設置されている記事枠に挟まれた「枠」のリンク先の「広告」は「ユーザーの情報利用体験を妨げない」とはとても言えないような旧来型の「商材を宣伝するページ」であることが多く、それを「ネイティブ広告」と指していいのか。私の感覚では「ネイティブ」じゃないだろ、と思うのだが……。
 そういった現状があるにも関わらず、『ハンドブック』では「編集記事ページと同じ体裁のスポンサードコンテンツ」についての説明を避けている。「ステマ」として問題視されるのは編集記事に「PR」「AD」などの表記をしないことであることが多いにも関わらず、だ。しかも現状の法解釈では「広告であることを隠す欺瞞的な行為自体が、ただちに現行法に抵触するという解釈はされていない」と踏み込んで記載されている。これでは混乱が起きるのも無理はないだろう。

 このあたり、昨年秋に『週刊ダイヤモンド』がベクトル社を刺した「ステマ特集」の時にも書いたけれど(参照)、夕刊紙やファッション誌で広告表記のない記事がYahooのようなポータルサイトに載ることはザラにある現状に変化はないように思える。末端のネットメディアのライターとしては規則があればそれに従うけれど、JIAA会員社でも対応がバラバラだから、正直なところ「こっちに判断押し付けるなよ」と言いたくもなる。
 そういえば、塩谷舞女史がPR記事を書くギャラを公開するという『MarkeZine』の記事(かなり眉唾な内容なので鵜呑みにしないように!)に対して、インターネット広告推進協議会事務局長の長澤秀行氏が以下のようなコメントを『Twitter』で寄せていた(現在は削除)。

 可視化されていいな。但し、クライアントや広告会社やメディアから広告主依頼の有料記事をPRクレジットなしで書いて欲しいと言われた時はよく熟慮して欲しい。(以下略)

 そもそも過去に受けた仕事が分かるのだから数字が可視化されたら守秘義務はどうなのか、というツッコミはさておき。「よく熟慮して欲しい」って、熟慮して受けると決めたとしたらどうするのよ。そこは立場的に「受けてはいけない」じゃないの(笑)……って思うわけですよ。広告界の権威ですらこれだと、対応がブレるのも当然だと末端の身としては感じざるをえないし、JIAAという組織もまったく信用ならないな、となっちゃう。

 長々と書いてきたけれど。ネイティブ広告についてあれこれメディア側やそこでお仕事するライターに押し付けようとするのならば、まずはJIAA各社の足並みを揃えてからいろいろ言って下さい、と最低限お願いしたいですね。どうやら高広伯彦氏とヨッピー氏はお酒飲んで手打ちしたみたいだけど、私は納得していないからね、という話でした。

 今日も売文しないといけないのでこの辺で。


政治の話題が「罵詈雑言」になる理由 

November 05 [Sat], 2016, 12:05
 音喜多駿都議が気になるエントリーを上げていたのでメモがわりに。

 批判されるのは仕事なれど…「朝まで生テレビ」初出演の感想【雑談】 (東京都議会議員 おときた駿 公式サイト)

 なんでも、Twitterの「#朝生」タグが攻撃的なツイートが多くて「読んでると病みそうなので序盤で見るのやめました」とのこと。
 「まぁ、そうなるな」と日向さんばりに言いたくなるのは、Twitterが140文字という制限(しかもタグで3文字使ったり画像を投稿しようとするとさらに減る)があるから、短い言葉で感情が先鋭的になりやすいという構造的な理由がある。2005年前後の第一次ブログブームの頃には自分も含めて政治をネタにエントリーを書いているひとは幾人もいたけれど、論理的に「それはおかしい」というものはあったかもしれないけれど暴言の投げ合いといったことになることは稀だったように思う。
 その頃に比べて、ネットに発信している母数は増えているから、より「ふつう」のひとが参加するようになって、「偉いひとには何を言っても許される」といった意識のひとが顕在化してくるのも当然といえば当然なんだろう。この「偉いひと」には例えば私のような木っ端ブロガー/ライターもそう見えることがあるみたいで、BLOGOSに転載されたり、Yahoo!ニュース個人の記事がトピックスに選ばれようなものなら、あちこちから罵倒リプが飛んでくる。
 この手のひとたちは、基本的にコミュニケーションが双方向でなく一方向だと「思い込んでいる」から、こちらの反応があるかどうか関係がなく、「言った」ことで大抵の場合満足しているように見える。だから、そもそも「議論」を望んでいるわけでないし、言われた側も返信しようがないようなケースが圧倒的多数になってしまう。

 もうひとつ。政治の話題がこの手の「罵詈雑言」にまみれる理由として、結局のところ個々が政策あるいは政治課題を我が事として考えていないのだろう、という思うことがある。豊洲の問題にしても、どんな選択肢にもリスクはあるわけで、それをどれだけ許容するかというところに焦点が当たるはずで、誰に責任があるのかは本来副次的な産物であるべきだろう。それがそうならない、というのは多くのひとにとって「他人事」として「政治」に口出しをしている、と捉えるしかないのでは、と思っている。

 これはある意味で「ガス抜き」であって、個人的には為政者とか情報発信側とかにとってはくみやすい相手と捉えることもできる。そういった面も含めて、「むなしさ」がマシマシになるわけなのだけど、まぁネットで書き込みするくらいで憂さを晴らすことができるならばそれで、といった感じなのが正直なところだったりしますね。

 そんなこんなで。今日も作業が詰まっているのでこの辺で。


 
 
 

ブログから「じぶんメディア」へ(?) 

November 02 [Wed], 2016, 6:45
 ここのところ心身が疲れ切っていたということもあって、生産性が最低レベルだったのだけど、低空飛行でもいいからそろそろ浮上にきっかけが切実にほしいParsleyです。ごきげんよう。

 2007年に富士スピードウェイで行われたF1日本戦の惨状をレポートして(参照)名を馳せた『のまのしわざ』氏のMediumのエントリーが気になったのでメモがわりに。

 ブロガーの終焉 – Medium

 ここで指摘されているような「アサマシ目的」というか「クレクレ厨」的なひとは第一次ブログブーム(2004年〜2006年)を過ぎた頃から存在していたから、ここ最近の話でもないというのが個人的な実感ではあるけれど、いま「あえて」ブログをはじめるというひとが彼のいうような「他動的な人間」になっているような印象は私も持っている。

 自分が高校生だった頃からAAAバスト向けブランド『feast』を立ち上げるまでになったハヤカワ五味さんが最近『LAVISH GIRL』というサイトを立ち上げた。

 LAVISH GIRL  痩せてる女の子向けバイブルメディア

 美容系やダイエット系のメディアは数多いけれど、「太れない女の子」向けのメディアというのはこれまでになく、ないから自分自身で作っちゃった、というわけなのだけど、特筆すべきはハヤカワさんがWordPressを一から触ってほぼ独力で立ち上げてローンチした、というところにある。
 要するに、能動的な人間は「ブログ」どころか「じぶんメディア」を新たに作る時代になったという意味でも、『LAVISH GIRL』はあとに続く若いひとが出てくるんじゃないかな、と感じられる。なんというか、自己実現でももっと大きな目的がある場合でも、ブログ作っている場合じゃない時代になっていくのではないかなぁ、と。

 私のように書くことしか脳がないような人間にとってはブログで十分ではあったけれど、「ブロガーの終焉」が訪れるとするならば次のトレンドがあるはずで、その嚆矢になることも『LAVISH GIRL』には期待したいんですよね。彼女は放っておいても自走するだろうけれど、何かをネットで始めたいというひとは「ブログ」をすることよりも「じぶんメディア」を持つ、といったマインドをもって仲間を集めるといった方が、何より生産的だし今っぽいなぁ、と感じる。

 まぁ、ブログにしろメディアにしろ、はじめるよりも継続することの方が大変だけどね。そういった意味でも『LAVISH GIRL』は注目です。



ネットから「降りる」か「残る」か 

September 13 [Tue], 2016, 1:25
ウェブでメシを食うということ
毎日新聞出版 (2016-06-30)
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 ちょっと風邪気味ではあるし、やらなければいけないタスクが一段落したということもあって、最近読了した中川淳一郎氏の『ウェブでメシを食うということ』の感想みたいなものをざざっとメモ。

 まず。この本はウェブで稼いでいくということが主題ではなく、中川氏が博報堂に入社して社会人となり、退職後に『テレビブロス』などでお仕事をして以後に『アメーバニュース』『ニュースポストセブン』などを立ち上げに関わった間に交遊があった人々についてを交えた自伝的作品だといえるだろう。マイケル・ウィンターボトム監督の『24・アワー・パティー・ピープル』の2000年代東京IT業界版として読むと実に面白いし記録的な価値もあると思う。
 
 とはいえ。考えさせられたのは、中川氏がネットの世界、というか社会から「降りる」日がそう遠くないと準備していらっしゃるような描写が節々に感じられたことだ。まぁ、365日ほぼ休みなしで稼働することが宿命のネットニュースという仕事は、体力がないとキツイし、常にネットの感性というものを維持するために浴びるような情報収集を常に求められるし、そう長い間にやる仕事ではないのかもしれないな、と思ったりもする。
 だから、中川氏が40代のうちにキャリアから「降りる」という選択をするというのは賢い生き方のように見えると同時に、そこまで30代の間にウェブで稼げなかった自分としては羨ましくもある。

 30代のうちは、ネットの情報に対して瞬発力のあるアウトプットができたり、流れてくる情報を出しているユーザーの感覚を読むことができた。それがこれから先ずっと出来るのかどうか。ネットから降りずに「残る」という選択をした場合、それが求められる。そして、それはとても難しいのではないかと、日々のニュースやツイート、知り合いのFacebookやInstagramを横目に、ぼんやりと思いはじめている自分がいる。

 最近も、PCデポの高額解約料騒動の問題がTwitter発で明るみになって、「トウゼンカード」なるノルマの存在など次々と明るみになる中、徳力基彦氏が日経新聞電子版のコラムにボヤっとした記事を出して、若干ボヤって(小炎上)していた。

 PCデポ炎上 世間は適法より「適切」重視(徳力基彦):日本経済新聞

 徳力氏ほどの人がこれほどピントの外した記事をブログではなく日経新聞に出してしまうというあたり、2016年というメディア環境を象徴しているとも言えるし、彼ほどの人でもネットの「空気」がちゃんと読めないことがある、ということには個人的に若干衝撃を受けた。長年ネットで仕事をしている人でも、「やらかす」ことがあるのだ。そして、ネットメディアでは一回の失敗の傷がテレビや紙媒体よりも深く長く尾を引く。

 そんな中で、この先10年20年と戦い続けていけるのか。正直私自身は不安に感じている。まぁ、メディア環境は日々変わるし、元切込隊長氏が『Yahoo!ニュース個人特別企画』でおっしゃているようにそこに適応してなんぼではあるけれど、いつまでその気力と体力が続くかなぁ……。
 そういう意味でも、中川氏の「店じまい」感は生き方として学ぶべきところは多々あるし、なかなか真似はできないけれど、「残る」にしても「分からない」ものは「分からない」として置いておく勇気が必要なのかな、と感じる機会が増えているのは確かだったりするのだった。

 なんだかまとまりがないけれど、この辺で。とにかく、『ウェブでメシを食うということ』は20年後くらいに映画化されるべきだと今から強調しておきたい。

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私たちが「鳥越俊太郎化」しないためのたったひとつの希望 

August 13 [Sat], 2016, 6:55
 今日も取材なのに一睡もできなかったParsleyです。おはようございます。

 夜半についつい『ハフィントン・ポスト』の鳥越俊太郎インタビュー()について、ざざっと記事を書いてしまったわけなのですが。

 「ネットを信頼しない」鳥越俊太郎氏はネットメディアによって「終わる」のか(ふじいりょう)

 シロクマ先生のエントリーを読んで、彼の言動に関して我々が教訓というか、反面教師とするにはどうすればいいのか、考えこまざるをえなかった。

 すっかり年を取ってすっかり変わってしまった鳥越さんを眺めながら考えていたこと(シロクマの屑籠)

 個人的には、「週刊誌編集長」という肩書きを持っているひとのある種の「変わらなさ」というものがあり、鳥越氏なども考え方や思考が変化しているとは思わないので、シロクマ先生がいうような「衰え」にその理由を求めていいのか、ちょっと留保しないといけないような気がする。
 例えば鳥越氏に限らず、花田紀凱氏もこんなことを記事にしている。

 『シン・ゴジラ』、ゴジラがあまりにかわいそう。(花田紀凱)

 1954年版の初代ゴジラや1984年版のゴジラのように「人類の敵」として描かれたものは原子力、もっといえば水爆や東西冷戦といった世界情勢を下敷きにしていて、庵野秀明版ゴジラはその正統な後継作品であるということは明らかだし、さまざまな怪獣に対して「人類の味方」として戦うゴジラ像は「娯楽作品」として大衆に求められた結果として生み出されたものだということは、私程度の知識でも語れるわけなのだけど、花田氏にかかっては「最新兵器を駆使して、寄ってたかってゴジラを殺すだけの映画」と記しちゃうわけだ。ただ、彼の場合は感性の劣化ではなく、いつの時代に作られたとしても「逆張り」をしたと思う。

 話が逸れた。結局のところ鳥越氏や花田氏のように紙媒体やテレビで生きてきた人たちは「君子豹変する」というところがあって、書いたことが「ログ」として残って考え方が変わった時に即座にツッコミが入るインターネット時代の言論人ではない、ということだろう。

 私が鳥越氏と『オーマイニュース』のことを記事にした(参照)のは、当時このブログで『オーマイニュース』について継続してウォッチしてきた身として、それを指摘することが一貫性につながると考えたからだし、URLがある限りは参照されるから。まぁ、あの頃に書き散らしたことで、今スルーするのはちょっと違うだろうと思ったわけだ。

 このブログを続けている間、一時期に私も心身を害していて、若干荒れた内容のエントリーを出すこともあった。けれど、そういった「よくない時期」に自分を支えたのもこのブログだったし、過去に書いたエントリーだった。
 もちろん、シロクマ先生のおっしゃるところの「思考力や判断力や羞恥心の衰えた言動」と気力・体力はリンクするだろうし、そのリスクは誰にだってある。とはいえ、過去に「書いて残した」ものがパブリックに読める状態である限り、方々から指摘されるだろうし、それが「自律」につながるんじゃないかなぁ。少なくとも彼らよりも。
 より「自律」を意識するならば、定期的に過去に書いた自分の記事を読むこと。それによって「鳥越俊太郎化」が避けられるのではないか。私としては自分の「ログ」があるということに望みをつなげたいし、仮に事故った時には即座に訂正するなり謝るなり、他者の忠告を素直に聞くなりするだけのフックになるのでは、と思っている。だから、自分の書いたものが公開されて残っているという状態は「希望」そのものだと考えている。それが「ネットを信頼している」世代にとっての、あるべき態度だと信じる次第です。

 



 

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