日本人が好きなのは「政治」ではなく「床屋政談」である 

June 24 [Fri], 2016, 23:20
 なーんか微妙に調子悪くて、いろいろなタスクをこなせないので、こちらでリハビリがてら。

 今月に入ってから、2本ほど『Yahoo!ニュース個人』に政治関連の記事を公開したのだけれど、まぁ読まれないわけですわ。

 記者クラブ外のメディアからはまだまだ「政治」が遠いという話 
 争点のない選挙戦こそ「誰」に投票するのか問われる

 もちろん、書き手としての私の力不足もあるし、「誰が言ったか」というところがモノをいうプラットフォームになっているということがあるわけなのだけど。アクセスがない割にはあちこちからクソリプはやってきるし、まぁ書くモチベを折られるますわな。これからも書くけどね!

 一方で、舛添要一都知事の関連した記事に関しては、どのメディアでもよく読まれる。その謝罪の姿勢を分析したものもあれば、彼が辞任に追い込まれた理由を日本人の「不寛容」によると分析したものもある。それらの記事はそれなりに「読まれる」意味があるコンテンツだと個人的には認める部分もあるのだけれど、一方で虚しさも感じる。
 結局のところ、日本人が好きなのは「政治」ではなくて「政局」であるし、もっというならば「床屋政談」であると断じてもいいのかもしれない。関心があるのは政策そのものではなく政治家の不祥事であったり人事(毎回、内閣改造は盛り上がる)であったりするわけだし、そこに絡む人間関係であったり党派であったりするグループ間の「争い」であったりするわけで、つまるところは「何を」するのではなく「誰が」するのかに関心があるんだなーと思わざるをえない。

 もう一つ、今のメディアは「議論」「オピニオン」といったものよりも「共感」が軸となっているところが多いから、誰か政治家が『Twitter』で投稿した内容が、どのような反応になっているのか、といった記事の方がよっぽど「ウケ」る。自分がそれに対して「共感」するか、しないかのどちらかで読めるからだ。それをさらにSNSで感想を投稿してさらに「共感」が増幅する。メディアはその役目程度しか果たしていない、という現実がある。良い悪いの問題ではなく、そうなっている、という話ね。
 
 どちらにしても、「政治」はその国民性の縮図だと思うし、それが「残念」ということであれば有権者が残念ということになるわけで、少なくとも未来の世代について考えた投票行動を自分はしたいなぁ、と思う次第です。

 シャワーを浴びたいのでこの辺で。あ、私自身も「床屋政談」は大好きなので、そのあたりは批判する意味はないよ! ……ということは言明しておきます。それじゃーね!



 

オンラインニュースは「評価」されない 

June 21 [Tue], 2016, 9:50
 ちょっと時間ができたので、簡単に感想を。

 日本人のニュースメディア接触、先進国の中で際立つ特異性、ロイター調査が浮き彫りに(メディア・パブ)

 木っ端ブロガーだった自分が主にWebメディアで書くようになって、『ガジェット通信』では“中の人”という立場にもなっているので、ポジショントークをすると、「オンラインニュース」は日本でもそれなりに生まれてきているし、「軟派なニュース」の方がユーザーの関心が高いということも平和を享受している国ということで、その状況が決して悪い面ばかりでないとも考えている。ただ、Yahoo!ニュースが強いというのは事実だし、スマートニュースをはじめとするニュースアプリ=アグリゲーターがパブリッシャーの生殺与奪=PVを握っているというのも確かだ。

 ここからは愚痴めくが、伝統メディアの系列でない、独立系のニュースサイトと、その書き手は多くの場合、どんなに良い記事を書いたとしても、大して「評価」されない。例えば自分の場合、『Yahoo!ニュース個人』でいくつかトピックス入りして数百万PVを達成した記事もあるが、だからといって自分の身にポジティブな変化があるわけでもない。
 『ガジェット通信』は、初期の頃にネットゴシップが中心だったこともあり、色眼鏡で見られることもしばしばあるが、自分がコミットするようになった2011年頃にはだいぶ「真面目」な記事も増えていた。今では取材記事もかなりの数を出しているし、私も永田町の大臣会見の記事の掲載を続けたりしている。つい昨日も山田太郎参議院議員のインタビューを出したりしている(参照)のだが、未だに重要なKPIであるPVが取れるのは依然としてネットゴシップ系の記事だったりする。それもアグリゲーターやユーザーがそちらを求めている、ということでもあるわけなのだけど。
 いずれにしても、取材記事を出して「評価」してくれるのは取材対象やPR・代理店の人であって、ユーザーの中で喜んでくれたり議論を巻き起こしたりくれたりすることはあっても、「業界」の中で何か良い「評価」がされるということはほとんどないというのが実感だったりする。

 このような状況は、ネットメディアのマネタイズの手法が広告出稿が主になり、いわゆる「ステマ」問題が起きる遠因にもなっているし、ネットメディアの書き手が食べていくにはどうしたらいいのか、えんえんと話が堂々めぐりする理由にもなっている。だから、「硬派なニュース」を中心とした独立系のメディアもあまり生まれないし書き手も育たない。そういう中で「硬派なニュース」を出すのは、ほぼ書き手の矜持に依存している。
 
 そんなこんなで。結局のところ書き手は「紙」で書かないと誰も「評価」なんかしてくれないし「実績」にならないよね、というシニカルな結論に落ち着いてしまうわけなのだけど。個人的には一度でも世の中=Webに出た記事はゼロでなく最低でも「1」以上にはなるというのが信条なので、「ま、いいか」と納得しているし、日本のメディア環境への批判的な視点はもちつつも、それにある程度は順応しつつやっていかないといけないよね、と考える次第です。

 今日もこれから取材なのでこの辺で。

地方独自で簡単にクラウドファンディングサイトを立ち上げてしまう問題 

June 16 [Thu], 2016, 13:10
 岩手県花巻のマルカン百貨店が2016年6月7日に惜しまれつつ閉店に至ったのだが、その6Fにある大食堂を運営存続させるというプロジェクトが立ち上がっている。

 マルカン大食堂 運営存続プロジェクト (いしわり)

 ファンディングの目標額は2億円だが、初期コストとして5〜6億、そのうち耐震補強に1〜1.5億かかるという。もちろん運営・存続していくことにもコストがかかるから、かなり困難な道のりが待っていることは確実なのだけど、個人的にもぜひ実現してほしいなぁ、と思う。

 ところで、このプロジェクトは『いしわり』というプラットフォームを利用している。「岩手発のクラウドファンディング」ということで、岩手に特化したプロジェクトを起案して協力者を募るようになっている。最近このような地方しばりのクラウドファンディングサイトが増えたように感じる。
 感じるのだけど、私が見る限り同規模のプロジェクトの支援者を集めるのに、『READYFOR』や『CAMPFIRE』といった先行クラウドファンディングサイトよりも苦戦している傾向があるように思う。まず個々のプラットフォームに知名度がなく、目立つプロジェクトがあってはじめて名前を聞くようなプラットフォームが多い。つまりプラットフォームで集客できていないのだ。
 もう一つ、支援者にとっていかに「お金を払いやすいか」ということでいえば、地方発のクラウドファンディングは総じて不親切だ。『いしわり』の場合は下記の通りになっている。

 いしわりでは

 ・クレジットカード(VISA、Master)
 の決済方法をご利用頂けます。

 いしわりでは以下のクレジットカードでお支払いいただけます。

 <お取り扱いカード>
 ・VISA
 ・MasterCard
 <デビットカードのお取り扱い>
 デビットカードのご利用はご遠慮頂いております。
 プロジェクトの目標金額達成が成功したか否か、
 募集期間終了を待たずに引き落としがされる場合がございますので、ご注意ください。

 <お支払い回数>
 1回払いのみ
 <お支払い手順>
 お支払いページで、カード番号などの必要情報を入力して決済をお願いします。
 <お引き落としについて>
 クレジットカードのご利用日は、プロジェクト募集期間が満了した日となります。
 引き落とし日はお使いのクレジットカードによって異なります。


 ……これ、地味にハードル高い。ほぼ「大人」に支援者を限ってしまっている。特にデビットカードも無理というのが痛いように思う。せめてPayPalに対応していると違ってくるのだけど……。

 これが『CAMPFIRE』ならば、クレジットカードのほかにコンビニ払い・銀行振込・Paidy払いに対応している。若年層やクレジットカードを持っていない層でも支援が行えるようになっているわけで、より資金を受け入れる間口が広い。
 クラウドファンディングサイト自体を立ち上げること自体はそんなに難しいことでないけれど、特に決済まわりをちゃんと整備できるのかによって、そのプラットフォームの行く末が決まってくるように思える。資金が集まらないプロジェクトの多いサイトは自然とプロジェクトの数が減っていくだろうし、そうなるとサイトの存続も怪しくなる。多くの地方発のクラウドファンディングサイトはそういった危うさをはらんでいるように感じるのは私だけだろうか?

 

杉並区保育園問題の議論を横目に思うこと 

June 09 [Thu], 2016, 13:50
 杉並区の保育園問題の議論を見て、「危なっかしいなぁ」と思わざるをえなかったので、手短に。

 まずは、境治氏の一連の記事。

 杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。
 杉並区の保育園問題。転用に直面した公園で出会った3人の人物。

 境氏に反論を寄せた、駒崎弘樹氏の記事も挙げておく。

 杉並保育園反対派からメッセージが来たので、反論します

 そもそも、「保育園落ちた日本死ね」に関して同情的な論調の記事を何本も上げていた境氏と、待機児童問題の専門家の駒崎氏が議論しているという構図が意味不明なのだけど。思ったのは、久我山東原公園の反対運動を「住民エゴと決めつけるわけにはいかない気がした」という境氏の“気がした”という意識で反対派の声を代弁するのは、「マイノリティ憑依」に近いのではないか、ということだ。
 「マイノリティ憑依」とは、佐々木俊尚氏が著書『当事者の時代』で指摘している言葉で、「弱者や被害者の気持ちを勝手に代弁する」行為を指す。
 境氏にはそういう意識はおそらくないのだと思うが、テレビで放映される反対派の姿が「弱者」だと映ったのではないか。彼らは彼らでブログなどで発信しているし、署名活動を行っているわけで、そこに境氏が入って「代弁」するということは、拡声器の役割を果たしたということ以上でも以下でもないだろう。それを意識せずにしているというのは非常に危なかっしいな、と感じてしまう。付け加えると、駒崎氏は自身も認定保育園を経営している「当事者」としての発言といえるだろう。

 もう一つ思ったのは、『Yahoo!ニュース個人』という場の危なさだ。私もオーサーの末席を汚しているからよく分かるのだけど、記事を自分の上げたいタイミングで、編集を経ることなく公開することが可能で、しかも数万PVは確実に読まれる。それがSNSで拡散すると数十万レベルになり、トピックスに選出されると100万を超える。現在の日本で100万冊を超える発行部数の雑誌はないから、それを凌駕する影響力を持つわけだ。
 木っ端ブロガー・ライターの私でさえ、自分の記事がトピックスに選出されて多くの人の目に触れることを意識して書いているが、境氏のそれはその影響力に配慮した形跡をあまり感じない。なんというか…紙媒体のように記事=コンテンツの“質”までしか念頭におかれていないように、特に最初の記事からは感じた。
 個人的には、『Yahoo!ニュース個人』は“気がした”というくらいの強度でオピニオンを投げていい場ではないように感じる。そうしないと、意図しない読まれ方をしたり使われ方をして、ある問題に関しての議論を混乱させるケースもあるように思う。

 ざざっとで恐縮だけど、他の作業もあるのでこの辺で。

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ウェブメディアがアジェンダセッティングするということ 

May 29 [Sun], 2016, 5:35
 こんな記事を書いたこともあって、日本で一番『BuzzFeed』に厳しいと一部で呼ばれたこともあるParsleyです。ごきげんよう。

 日本版『BuzzFeed』は失敗すると思う理由

 個人的には、以前に書いた見立てを変えるつもりはない。とはいえ、1月の発足から半年近くが経とうとして、スタッフが増え、「おっ」と感じるコンテンツが見られるようになってきたことは認めなければいけない。元毎日新聞の石戸諭氏の、バラク・オバマ米大統領の広島訪問を受けて出された記事には、正直唸らされた。

 なぜ慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えるのか? 世界的巨匠が託した思い

 原爆死没者慰霊碑から原爆ドームが見えること。オバマ大統領がその光景を目にするであろうこと。そして、広島市平和記念公園を設計した丹下健三の想いが何処にあるのかを詳らかにしたこの記事は、日本人が「ヒロシマ」「1945年8月6日8時15分」をどのように捉えてきたのか、さらにはこれからどのように伝えていく必要があるのか、読者に振り返り問いかける意味が込められているように思う。メディアの役割がアジェンダセッティングも含まれているとすれば、この記事はそれを充分に果たしている。

 ところで、この記事には実際に広島に訪れて取材された形跡はない。それを批判するのは簡単だ。
 しかし、複数の情報を整理して提示することが、単に見聞きすることを凌駕することもある。石戸氏は「オバマ大統領の見えるもの」というところから出発し、丹下の足跡を縦軸に据え、原爆ドームが解体されていたかもしれないという事実を交えて今見える広島の日常がなかったかもしれないというIFを読者に想起させる。そして、建築というものに込められた「平和」の願いを共有する。
 これだけのことを一つの記事にまとめ、そしてそれを読者に「読ませる」のがどれだけ大変か、私もウェブメディアでお仕事をさせて貰っている端くれとして感じずにはいられない。この記事は約3800字と8枚の画像で成り立っているが、読了率が下がらないギリギリの線。分量としてもギリギリの勝負をしている。

 現状、多くのウェブメディアは、テレビや雑誌、あるいは有名人のブログやTwitterのネットでの反応を追うことが多い。それはもちろんPVが取れるから。そういったリアクションは、それはそれで「報じる」に足るものだと個人的には考えているけれど、共感あるいは反発を増幅することは出来ても、そこから読者にとっての新たな知見を提示する役割を果たしているか、と問われると返答に窮してしまう。

 そういった意味からも。石戸氏と『BuzzFeed Japan』が「オバマ大統領広島来訪」を一人の建築家を軸にして日本人が考える平和とは何かを問うてみせたことは素直に素晴らしいと思う。
 これからはウェブメディアがアジェンダ・セッティングをガンガンやっていかなければいけない。だから、「ま、負けないから!」という気持ちを新たにしたのだった。

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言葉使いが気になるのは歳を取ったせいだろうか? 

May 03 [Tue], 2016, 3:45
 なんとなく眠れないParsleyです。ごきげんよう。
 ここのところ悩みが多くて、ほんとうに「不惑ってなんだよ」と思う今日このごろなわけなのだけど、その中の一つをだらだらと記しておきたい。というのも、最近では自分で「書く」こともそうだけど、ひと様の原稿を「見る」ということも増えてきていて、殊更に「言葉使い」を気にすることは、もしかして感覚として「古い」のではないか。でも気になってしまって直すかそのままにするか、判断に困ることが多くなっていたりするわけなのです。

 唐突だけど、「物を言う」と「ものをいう」の意味の違いを、説明できるだろうか?
 前者は「口を出す」、後者は「役に立つ」というように、全く違うのだけれど、特に後者の意味で前者のように漢字で書いてくるひと、結構いるんですよね。
 同じように「言う」と「いう」。「話す」という意味で前者を使うのはいいのだけれど、何かを指すという意味で「言う」と使うのは間違い。だけど、そう書いてくるひとはかなり多い。
 さらに「所」。これも「場所」を指しているのでもないのに漢字を使ってくるケースが非常に目立つ。

 自分が編集する場合、こういったものを見つけると、ついつい直してしまうのだけど、割とネットメディア(特に新興のところ)ではスルーされて漢字になっているところを結構見かける。まぁ、音読みすれば同じだけどさぁ……日本語としてどうなの? ……と思ってしまうんだよねぇ。
 もはやPCで文章を書くのは当たり前で、中にはスマホで書いて入稿なんてケースも珍しくない中、変換に頼ると漢字になりやすい、というのが多分に影響しているというのはわかる。読む人間がそれほど気にしなくなっているということも、なんとなく肌感で理解できる。なので、だから、それを教えるべきなのか、それとも現状に「慣れて」しまうべきなのか、かなーり悩ましいところだったりするわけで……。

 といっても、やっぱり正しい日本語が書けないライターが増えるというのは望ましいことではない、という気持ちがどこかにあるのも事実なので、メディアでお仕事をしている、もしくはしたいと思っているひとはちゃんと勉強してほしいなぁ、と思っていたりするのでした。

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「不惑」なんて知らない 

April 08 [Fri], 2016, 23:30
 卯月の項を聞いてからというもの、ぱったりと文章が書けなくなっている。喘息だったり頭痛だったり、服用している薬を取りにいけず、おかげで朝起きて動き出せなかったり、自律神経が悲鳴を上げるのをなだめながら外出するものの、ひととのコミュニケーションで手一杯で、ちょっとしたメールを書くのもいつもの数倍時間がかかっていた。
 そんな情けない状態で、また一つ歳を重ねてしまった。

 自分にとっては30という節目は大きな存在で、身体も精神も弱い自分がそこまで生きられるのか懐疑的だったから、その先の人生のロードマップが何もなかった。おまけに社会に出るのが遅かったというコンプレックスもあった。何をするか、というよりも、どうやって生きるのか、必死にならざるを得ない。そんな30代だった。

 年齢が増えても、別に体調ががらっとよくなるわけでもなく、急に文章がうまくなるわけでもない。ただ、自分より年下のひとに何かを教えたり、年長者としてどう振る舞うべきなのか、悩むことは増えた。悩んだ末に、ストレスを溜めたりすることもあるし、以前よりも無理か効かなくなっている身体に歯噛みすることも多くなった。
 そんな状態での、「不惑」である。とはいえ、現代において、40で「悩まない」というのは、むしろ不自然なのではないか、と私は思っている。

 「四十にして惑わず」としたのは孔子だが、これは15で学を志した人間の生き様について述べた言葉だ。日本において、1900年の平均寿命は44歳。2014年だと83歳だから、ほぼ2倍に人生が引き伸ばされているわけだ。当然ながら社会環境も孔子の時代とは違うし、シャワーのように浴びる情報を適切に吸収し、処理し、伝えることが求められている。
 だから、より正直に生きていくためには、迷いがないと独善的な人間になってしまう。少なくとも、今の浮世では。

 そんなわけで。「不惑」を迎えたParsleyだけど、不惑なんて知らない。昨日の自分と今日の自分と明日の自分は地続きだ。これからも、迷って、迷って、迷って、迷って、生きていく。

 これからもよろしくお願い申し上げます。 
 
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『スパルタWEB編集塾』がなくなって本当に良かった 

April 03 [Sun], 2016, 2:20
 梅木雄平氏とはあちゅうこと伊藤春香女史がやろうとしていた『スパルタWEB編集塾』。20000円という強気なお値段設定に「へー」とか思っていたのだけど、あっという間に撤退宣言が出されていた。

 スパルタWEB編集塾ですが撤退します(The Startup)

 まぁ、おそらく梅木氏が菅付雅信氏がやっていた『スパルタ編集塾』に参加していたことから(参照)、「自分も教える側に」と思ったのかもしれないし(それにしてもタイトルまで二番煎じというのはねぇ)、Hagex氏の着弾(参照)が思いのほかダメージが大きかったのかもしれないけれど、ご本人たちの思惑はどうあれ、この講座がなくなって本当に良かったと個人的には思っている。

 最近、ちょっとずつ話し仕事が増えてきて、ひと様の前でメディアについてエラソーに語ることもあるParsleyなのだけれど、何かを適切に教えるって本当に難しい。それがメソッド化されていないと、ただの印象を語るだけになるわけだし、自分の中で確かな基準がないと教える側を混乱させてしまう。「正解」がないライティングや編集だとなおさらそのようになりがちだ。

 例えば、私の場合その記事が「面白い」かどうかを測る時に『Twitter』でその記事の言及内容がポジティブだったかネガティブだったのか、それとも無関心だったのかを分類し、それをポイントにすることでおおよその反応を指数化している。これは自分がベビーカー問題について『Yahoo!ニュース個人』に書いた記事(参照)を書いて、そのツイートを分析した時に編み出したもので、おそらく独自のものなのだが、おおよその自分の記事が「面白がられているかどうか」を把握するのには役立っている。

 まず、一つのツイートを2ポイントとする。記事を読んだことで1、『Twitter』に投稿することで1という把握にする。
それから、ポジティブな反応だったときは、プラス1、ネガティブ反応があった時には、マイナス1、「どうでもいい」といったコメントだった時はマイナス3ポイントとする。それを全て加算した数に1を足し。ツイートの総数で割り算にしてみる。

[(3×ポジティブなツイート数)+(1×ネガティブなツイート数)+(-1×無関心なツイート数)+1]÷(ツイートの総数)

 もちろん最近ではツイートでの反応が減少傾向にあるし、拡散の仕方も多様化しているので、いつまでこの計算式が有効か微妙なところではあるのだけど、自分の中で「当たった」「外した」を決めるのには、ある程度に参考になると思っている。

 とはいえ、こういった知見については、駆け出しのライターや編集者が持っておくべきかといえば、そうは思えない。媒体によっては「企画の面白さ」を重視するところもあるし、となると記事化する前の段階での上役の「説得」をどうするのか、といったところが一番大事な要素になるし、そもそも「どう書くのか」といったところからはじめなければいけない場合もあるだろう。
 最近では「どう書くのか」「どう編集するのか」ということを教える機会もあり、ネタをどうやって見つけていくのかのヒントといったことを(おこがましいのだけれど)伝えることが増えた。そこで必要になるのは、日本語として正しいのかといったことから(正しいことを知ってこそそこから外すこともできるようになる)、自分なりの表現をどうやって見つけていくのか、といったことまで多岐に渡る。そして、そこで教える側に求められるのは、表現する場を提供することと、上記のようなことを理解してもらうまで我慢強く「待つ」ことだ。

 『スパルタWEB編集塾』はどうやらそういった定見はなく、ぽやっと「いい人材やってこないかな〜」というノリではじめたような印象を受ける。そういった感覚だと教える側にとっても教わる側になっても不幸な結果に終わる可能性が高かったように思う。どういう思惑だったかはともあれ、そういった意味では梅木氏とはあちゅう女史が早々に企画を引っ込めた決断に関しては、評価に値するのではないかと考えた次第です。

 ちなみに、ここで示したソーシャルでの反応から見る「面白さ」の指数はもう2段くらい複雑な公式も考えだしていたりしているのだけれど。たまにはもったいぶりたいので、今晩はこの辺で。

問われたのは“人となり”だった−ジャーナリズム・イノベーション・アワード反省会− 

March 16 [Wed], 2016, 3:00


 2016年3月12日、講談社講堂で開催された『ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016』に出展した感想……いや、反省をこの場で記しておきたい。
 前のエントリーでまとめた通り、私Parsleyことふじいりょうは、「新聞の軽減税率導入」に関するアンケートを会場およびネット上で実施し、それを会場の出展時間(13時から17時)のうちに記事化、発表するという試みをやってみた。結果的に、これは大失敗だった。

 ※参考 今一度考えたい新聞の軽減税率導入の是非

 当日は、15時30分までアンケートの実施を呼びかけ、会場で23人・その他(ネット上)114人の計137人の協力を得ることができた。前回のアワードでも同様のアンケートを試みて、32人より回答を得たのだけれど(摂エントリー参照)、会場で答えて貰えるのはだいたい20〜30人というところという点は変わらなかった、と言っていいだろう。また、「現場の記者に影響がある?ない?」といったことを尋ねて、意見を付箋に書いて貼ってもらった。それも記事に盛り込むためだ。
 実際、17時までになんとか、記事は出すことが出来た。そして、さして著名でもないブロガーにしては、そこそこの反響のある内容を出すところまでいった。そういう意味では、私が当初想定していた新聞の軽減税率導入について、アワードに来場するであろう新聞関係者の「声」を盛り込んだコンテンツを、その場で出すという実験自体はやり切ることができた。

 新聞の軽減税率の導入への反対は圧倒的、影響は「ない」が圧倒的だった件

 しかし……。当たり前のことだが、アワードに来場する大多数は、『Twitter』どころか公式サイトの一覧を見ることなく来場している(これは去年の経験から分かっていた)。つまり予備知識なしにブースを訪れる人がほとんど。そういった人たちは、目の前にあるブースとそこにいる出展者(つまり私自身)が全てなわけで、「アンケートやっています」「これから記事化します」と言っても「なぜそんなことを?」という疑問を抱くのが当然だ。
 私としては、「新聞の軽減税率の導入が参院本会議での審議に入り本決まりが確実な中、本当にそれでいいのか、現場の記者の方々がどう思っているのか知りたくてやってみたんです」と答えていた。それは私の本心だし、今回のアワードでそれを問うことができたのは意義があったと思っている。では、何が失敗だったのか。



 16時前くらいから、私は記事への執筆作業に入った。とはいえ、その間も来場者はやってくる。ブースをみて、「なぜ?」といった質問をしてくる。このことに対して、上記のような質問も当然、私に対してしてくるので、答える。ただし、PCのキーボードを打つ手を休めず、相手の目を見ずに、だ。これって超失礼だし、自分がこの企画をどのような思いでやっているのか、より知りたいと感じた人にさらなる質問を封じる空気を醸し出していたはずだ。
 つまり、16時くらいから来てまわる来場者(明らかに昨年よりも終盤の方に混みだしたように思う)は、一番キモになるアンケートについて「体験」をすることもできず、ただPCをものすごい形相で睨む私の姿を見て帰ることになったわけだ。書きながら質問を受けた瞬間に、「これはダメだ」と思わざるをえなかった。

 ■結局、問われたのは出展者の人となりだった

 前回のアワードの時は、他のブースを見て回る余裕がなかったのだけど、今回は人員を配置できた(ナコ女史に一番の感謝を!)ので、合間を見ていろいろな出展者がどのようにやっているのか、勉強することができた。
 今回、地方発のメディアがいくつか出展していたが、その中から『宮崎てげてげ通信』が最終プレゼンへ進出、優秀賞に選ばれた。
 ブースでは『テゲツー』の沿革が手書き、写真入りで掲示されていて、ビジョンや配布物が用意されていた。ただ、これは他のブースでも同様の展示をしているところがあったように感じられた。違っていたのは、「自分たちがなぜアワードに出ているのか」「なぜメディアをやっているのか」ということを、前のめりの姿勢で来場者ひとりひとりに対して丁寧に説明してまわっていたことだった。

 同じように、優秀賞に選ばれた朝日新聞デジタル編集部の『築地 時代の台所』でも、ブースで「本社の目の前にある築地のことを我々はよく知らなかった。移転を機にアーカイブを残すことに意味があると思った」といった趣旨の説明を受けてハッとさせられた。要するに、「ねぜそれを伝えに来ているのか」ということが明確で、なおかつ来場者にわかりやすく伝えるということが、この場では求められていることだったのだ。

 そういう意味では、元切込隊長こと山本一郎氏は、ブースこそ『NewsPicks』批判を展開していたけれど、決勝プレゼンでは「おかしいと思ったら直接電話するなり、メールするなり、してほしい。それがいい社会につながります」と語りかけて、講堂を“圧倒”していた。
 ネットでは内容証明が飛び交っているような言論を展開して「怖い」イメージで見られがちな彼が、「どこか憎めない」存在であるゆえんがプレゼンには詰まっていたし、「知りたい」ということに忠実であるというのは「ジャーナリズム」の第一歩なのではないか。そこには山本氏の“人となり”が詰め込まれていたように思えた。
 しかも、JCEJ代表委員の藤代裕之先生が記しているように(参照)、自身のプレゼンが終わった後に最前列の脇に立って真剣に聞き入り、真っ先に拍手を送っていた。正直、その姿を見て、「姿勢が違う」と思わざるを得なかったです。

 最優秀賞に選ばれた『沖縄戦デジタルアーカイブ』にしても、そのデータに裏打ちされたグラフィックというビジュアル面もだけど、渡邉英徳先生がプレゼンで70年前の沖縄について「私たちと同じような日常を過ごしていた人がいた」と語った言葉が静かだけど強かった。ここでも、渡邉先生の“人となり”がにじみ出ていたし、プロジェクトに関わっていた人全てを背負って語っている、と明快に伝わる内容だった。

 ■個人でもできることはまだある

 今回、映像やインフォグラフィックなど、さまざまなテクノロジーを用いた出展もあり、従来の記事より「進んだ」コンテンツの展示も数多く見られた。とはいえ、「イノベーション」を起こすのは手法ではなく、読者に何らかの「イノベーション」を起こして完結することなのでは、と気付かされた。
 例えば、『女子大生、プラ子の就活日記』で出展してたプラ子女史は、4コマと自身の就職活動を時系列でまとめる展示をしていた。彼女には4票入っていて、私のところより票が入っている。つまり、彼女の「体験」を彼女自身から聞いて、何かしら感じるところがあり、心のなかで「イノーべション」があった人がそれだけいたということだ。彼女の存在は、個人でも伝えられることはまだまだあるということを示していると思う。

 逆にいえば、どんなに凄いグラフィックを使っても、最新のテクノロジーを使っても、ブースに来場したひとりひとりに伝える努力をしないと、何にもならない、ということだ。それには、「あなたはなぜアワードに出ようと思い、どうしてこのテーマで出そうと思ったのか」という問いに対して、分かりやすく、相手の心に響くような言葉を持っていなければいけない。今回の自分にはそれがなかった。

 ブースの目の前にいる人に何かしらの響くものを与えることこそが「イノベーション」で、それを達成するためには相手の目を見て正面から説明できないと何もはじまらない。今回の失敗で、それを学ぶことができたのが自分にとっての「イノベーション」だった。今度はその「イノベーション」を誰かに与えなければいけない。まだ次回、どのようなテーマにするかまだ決められないけれど、必ず「なぜここで問うのか」伝わる内容のものを出展したい。

 ともあれ。反省会はここまで。来場頂いた皆様、運営の皆様、改めましてありがとうございました!
 
 

『ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016』に出展します 

March 12 [Sat], 2016, 1:50
 タスク抱えすぎてニヒルでアンニュイになっています。Parsleyことふじいりょうです。ごきげんよう。

 日付がまわって既に本日3月12日、講談社講堂にて行われる『ジャーナリズム・イノベーション・アワード2016』へ出展いたします。2015年に引き続いて2回目の出展です。今回も個人での参加で、バタバタとしつつもその場の雰囲気を楽しむつもりです。運営・出展者の皆様、ご来場の皆様、よろしくお願いいたします。

 自分は「ジャーナリズム」という言葉が大嫌いだと公言しているけれど、それでもこのアワードに出るのは、ちょっとした人のちょっとした発信でも、多少なりとも誰かに響いて社会なり他人なりに変化を及ぼす可能性を、自分なりに追求したいという気持ちがあるからです。少なくとも、自分のようなポジションでこのアワードに関わっている人間はいないと自負していますし、市井の凡才こそが地場の空気と「意思決定」をするエスタブリッシュメントの間に土を投げ込む役割を果たすことができると信じています。

 そんなわけで、関連リンクや「演目」を。

 出品作:政党唯一の出展なのに民主党が『ニコニコ超会議2015』でダメだった理由を考える
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20150429-00045271/

 現在、『Twitter』と『SurveyMonkey』を利用して、新聞の軽減税率に関するアンケートを実施しています。本件に関して、Parsley自身は「消極的反対」の立場ですが、新聞関係者では上層部や新聞労連の賛成意見が出されているものの、実際に現場で働いている記者の人たちがどのように考えているのか、関心の有無を含めて驚くほど表に出されていません。さすがに箝口令が敷かれていると考えたくはないのですが、匿名のアンケートですので、会場の関係者の方々にも是非ともご協力頂ければと思います。
 もちろん、会場に来られない方々からのお答えもお待ちしています。マスコミに思うところのある皆様はぜひ投票に参加して頂ければ嬉しいです。

 『Twitter』のアンケート
 https://twitter.com/parsleymood/status/707944573050314754

 JCEJアワード「新聞の軽減税率導入」に関するアンケート
 https://jp.surveymonkey.com/r/MKJZYNC

 参考:今一度考えたい新聞の軽減税率導入の是非
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujiiryo/20160311-00055329/

 また、会場では自分でも思い入れのあるアルジェリア人質事件での被害者の実名報道問題に関して異を唱えた親族の方にインタビューした『ガジェット通信』の記事のコピーを少部数持ち込み閲覧できるようにいたします。

 アルジェリアテロ被害者実名報道事件・本白水智也さんインタビュー「メディアに情報を渡すと、誰にでも起こる問題」
 http://getnews.jp/archives/285782

 「そもそも、お前誰よ??」という方は、昨年のアワードで用意したプロフィールをご覧ください。

 http://yaplog.jp/parsleymood/archive/1198

 それでは、会場でお会いできることを楽しみにしております!

 

 

profile
Name:Parsley
Birthday:1976/4/8
Point:首が長い。つまりエロい
Favorite:エイガにケイバ
タバコ:Davidoff GOLD
ウィスキー:アーリータイムズ
おしごと募集!!
カワサキシティーで布団と同化中
コメントは返したり返さなかったりです。
parsleymood@gmail.com
さらに詳しいことはこちら

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