パク・チョンハク またまた壮絶な死 

2007年12月07日(金) 9時20分


チョンハクさんはまたまた壮絶な死を遂げたらしい・・・

太社期’ ホゲフックゲ故友虫悲壮な最後


“私たちは必ず勝つでしょう.何故ならば抜くかは方法が分からないからだ.”

5日放送された MBC ‘太王使臣期’(シナリオソン・チナ / 演出金鐘学) 最終回 24回はダムドック(ベ・ヨンジュンの方)がイクンヌン太王君とホゲだね(ユン・テヨンの方)が導く後淵華川連合軍との超大型前投資信託でお終いになった.

ホゲは伽揶となぜを利用して高句麗軍隊を分散させて高句麗民たちの死骸を利用して太王君を誘引する.初めてここに応じないで待つと言ったダムドックは幾何と彼の間に生まれた息子が華川回大将路(チェ・ミンスの方)に拉致されたという事実が分かって軍隊を導いてアブルランサに向けた.

太王君 7千,キタイのアティルラが支援してくれた ·1万,隣近都城で支援した 1万 2千支援軍,旺歪で 5千,最後に伽揶に侵入したなぜを打つために下がったフックゲ(長項線分) 軍隊 6千まで総 4万名の軍隊を導いてダムドックは後淵華川の 10万台君と一戦をした.

ダムドックは一触即発の戦雲が漂う中に軍事たちの前で兵士らの買うのを引き立てる一言を投げた “私たちは必ず勝つでしょう.何故ならば抜くかは方法が分からないからだ.私の軍隊,私の兄弟たちよ私が見えるか.”

アブルランサ近くで出くわした太王君とホゲグンの代置する場面は今まで ‘太王使臣期’で演出されたどんな場面より強いコントラストで構えられて劇的緊張感を加えた.遂にダムドックを始まりに二つの軍隊は血と肉が飛ぶ戦場を実感の出るように見せてくれた.

この渦中にフックゲが血を吐いて馬から落ちてたまらないことを当たったしダムドックの師匠と同時に太王君の首長故友虫(薄情学分)がホゲの窓に悲壮な最後に迎えた.これを見たダムドックは怒ってホゲの窓をホゲに戻して投げることでホゲも最後に迎えるようになった.

この前投資信託はこの間京畿道水原華城オソムで撮影された.1,000人余りのエキストラを動員してその間何回も戦闘場面を演出して来た ‘太王使臣期’製作陣はドラマの対米を超大型前投資信託で飾りながら 3年にわたった大長征を仕上げた.

‘太王使臣期’ 最終回はダムドックが天弓を折って空の力をあきらめて人間の国を選択しながら仕上げされた.

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ラストを読む限りでは、韓国版「ニーベルンゲンのリング」ラストは「神々の黄昏」のよう

太王四神記 ペ・ヨンジュンさんと共演 

2007年12月04日(火) 0時33分


始まったらしい・・・

ヨン様 太王四神記 

2007年10月28日(日) 21時46分

ヨン様と共演

パク・チョンハクさんを追いかけて(4) 

2007年10月28日(日) 21時41分
〜〜〜終わりに〜〜〜〜〜〜
言葉もわからず且つ韓国初めてで不安でいるであろう私を、チョンハクさんはじめ皆様、ほんとうに暖かく歓待して下さった。
他人の気持ちを察することが自然に出来るって、今の日本では難しくなっていることかもしれない。
私自身結構考えすぎて、どこまでやったらいいのかわからなくなることもしばしばあるが、今回はチョンハクさんにお会いできたという感激だけではなく、皆様に快く暖かく迎えていただいてということが何よりも嬉しかった。

本当に、ファンクラブの方々や劇団の方々にも一方ならぬお世話になり、プロジェクトのみならず、是非、普段から韓国の皆さんが日本にいらっしゃる時には、同じような心のこもったおもてなしで迎えたいと思う。


長い文章を最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。
チョンハクさんとの会話については、近々まとめます。
本当はこちらが気になるところですよね!ごめんなさ〜い。

パク・チョンハクさんを追いかけて(3) 

2007年10月28日(日) 21時40分
3月21日
前日私が韓国初めてなのを知り、この日、ファンクラブのウンさんが昼間ソウル観光のガイドを引き受けてくださり、また、夜はシンディさんがご自宅にご招待してくださることに。

昼、ウンさんにお会いすると「今日楽日だから澪が良ければ打ち上げ会に参加しないか」とチョンハクさんが仰っているとの話。きゃ〜、それでシンディさんに詫び、夕方、また仁川に向かう。

劇場に到着すると丁度最終公演が終わり出入口には人だかり。
一際きれいな女性2人はチョンハクさんの姉妹様。
穏やかそうなお兄様、そしてきれいで品のあるお優しそうな母上様。
全てのご家族に紹介してくださる。
母上様には「日本から観に来て下さって」と日本語で御礼の言葉と握手を頂く。
そんなぁ、劇団の代表としてとっても忙しいのにこんなに時間を割いて頂いて、お礼を言わなくてはならないのはもちろんこちらの方だ。

チョンハクさん達の片付けが終わるまで、慣れ親しんだロビーでウンさんともう1人のファンの方とおしゃべり。通りすがりに私の拙い英語を真似するチョンハクさん。実は3枚目なんですよね。

今日は通訳者がいないため、持参した「やさしい韓国語会話」のテキストが大活躍。
忙しい合間を縫って一寸顔を出しては、テキストから「カラオケは好きですか?」と私に質問してみせたり、その人間性に尊敬を覚える。

全ての関係者のお片づけ終了。いざ打ち上げ会場へ。
この時もウンさんと私はチョンハクさんの車。
でもって助手席に座らせて頂く。時間が止まって欲しいよ〜。

打ち上げ会場はお座敷になっていてテーブルが縦にずーと繋がって2列。チョンハクさんは劇団の代表者であり演出家であるから当然お席は真中の上座(分かりにくい説明ですみません)。
私はそそっとテーブルの隅にでも入れれば良いと思っていたのに、これまたチョンハクさんが「隣に座るの」と仰って下さって隣に・・・。もうこの場で死ねたら絶対幸せ。

そして極上の時間を過させていただき、私が前日プレゼントした時計(G-SHOCK)も着けていて下さった。チョンハクさんはもちろん時計に喜んでくださったのではなく一ファンからの気持ちを大事になさってくださったんです。カナム以上に誠意あるかた、自分がファンとして大事にされていることを実感する。

そして、母上様はなんと打ち上げ会の最中にわざわざチョンハクさんに電話をかけてきて「日本からのファンを気遣ってあげなさい」とまで仰って下さっていたそう。本当に感謝。

そののち本当に最後の最後、1次会で失礼する際、チョンハクさんからフリージアの花束を頂いてしまう(逆でしょ〜コレ)

ウンさんに途中まで送って頂いて、無事ホテルに戻り私の熱狂の2日間は終わった。
チョンハクさんを好きになって78日目と79日目の出来事だった。

パク・チョンハクさんを追いかけて(2) 

2007年10月28日(日) 21時38分
2004年3月20日 仁川寿鳳文化会館小劇場 公演は午後4時と7時。演目「殺人の追憶」

2時15分、ファンクラブの代表ジャスミンさん、ウンさんに劇場ロビーでお会いする。
挨拶もそこそこチョンハクさんを呼んで来てくださり、チョンハクさん、奥様とお子さんと登場。挨拶と同時にまず握手。

頭の中真っ白で手先が震え出すし顔は引きつるし、どうしよう。
すぐ奥様は移動され、ロビーのベンチでチョンハクさん、ファンクラブの方、私と向かい合うことに。
通訳者を通し、MUSAが如何に素晴らしかったか等を伝える。でも!一言挨拶が出来る程度と思っていた私は正直舞い上がり何を言ったのか覚えていない状態。

日本でのファンサイトでのMUSA2も伝え、次回作も聞き、その他黙ってしまう私に気遣ってチョンハクさんは気さくに話しかけて下さった。写真も数カット一緒に撮っていただく。日本から持っていったMUSAグッズ(DVD、CD、Tシャツ、プログラム、ユー・ロングァンさんとのツーショットの記事)ひとつひとつにサインしてくださる。

携帯電話保存のチョンハクさんアルバムや待ち受けは大層ウケた。
また、本当に来るとは思っていなかったので何も用意していなかったことを詫びられ、
なんと今回の公演のメイン宣伝幕の片側、カナムのプリント部分をご自身で切って下さり、そこにサインしプレゼントして下さる。公演は4回のうち未だ1回しか済んでおらず、必要なものなのに。

その他、日本にも未だファンがいることを伝えると快くその方たちのためにと言ってサインも書いて下さった。コーヒーを買って来て下さったりと細かい事まで気遣っていただく。
結局舞台の始まる15分位前まで一緒にいてくださった。
3時ごろからファンの方々が続々とお見えになり、皆チョンハクさんと話したそうだったのに遠慮してくださったようで本当に心苦しく思った。

舞台終了、通訳者に「では、挨拶して帰りましょうね。」と言われ、そのつもりでいたのに、もっとすごいことが起こることになる。

別れの挨拶をするため、ロビーでジャスミンさん達と一緒にチョンハクさんを待つ。
開演前に私が独占してしまったため、かなりお忙しそうなチョンハクさん。
けれど、ひと段落なさると、「食べ物は何が好き?」と聞いて下さりお食事に連れて行って下さることに。それもチョンハクさん運転の自家用車に。うきゃ〜、全く想像も出来なかった展開。

劇場と駅との中間地点位の場所の海鮮料理のお店に到着。
横に座ればって勧められたけど、緊張のあまり座れないよ〜。
チョンハクさん自らよそって下さるので、手先が震え出し、平たいお箸をカチャカチャ鳴らしながらも、日本と韓国のドラマの違いやら気になる映画俳優の話やら、私もようやく少しずつ会話を楽しむことができるように。

そうこうする内に7時15分になって「次の公演が始まったから行かなくちゃ」と仰り、お開き。
で、通訳者がここでタクシーをひろうから直接会場に戻って下さいと言ったのに、駅までは送りますと仰って送って下さる。
うるうる・・・そして、また2度握手をしてお別れ。電車の中で通訳者曰く。
「何度もチョンハクさんに電話がかかってきてたでしょ、あれ、早く戻れって言う連絡だったのよ。7時15分になって気付いたんじゃないよ」
え〜!!
なんていう方なんでしょう。
もう一生ファンとして尽そうと決意する。
余りにも興奮し過ぎて夜眠れず。まぁ、明日は観光するだけだし・・・と思っていたところ、またしても、すごいことが!

パク・チョンハクさんを追いかけて(1) 

2007年10月28日(日) 21時35分
はじめに〜〜〜〜〜〜

初めてMUSAを観たのは2004年1月3日。

年末「ラストサムライ」に失望し、映画中毒の私は感動できる作品に飢えていた。
NEWS23筑紫哲也とおすぎのお正月映画特集、おすぎの映画評で予備知識はあったものの、「MUSA」を実際見始めるとすごい。その迫力の中、別将カナムに最初に注目したのはチェ将軍に囮の馬車を自分に任せるよう申し出るシーン。

えっ、この別将って何者?
と思った途端、私は彼に感情移入し始め、彼の一挙一動をみつめることになった。それにしても上手い。どのシーンも完璧。

この映画の格調を高めているのは彼の演技だ。
観終わった時には作品として、パク・チョンハクという役者に、完全にやられてしまった。
映画のパンフレットには、舞台俳優と記載されていて納得、それにしても情報少なすぎる・・・

その後、ボーナス版のインタビューでますます彼のファンになり、「劇団の舞台でお目にかかればいいと思う」というメッセージを読み、必ず会いにいく!と決意したのだ!

2月末、チョンハクさんのファンサイトに劇団の公演の告知。
いつもご尽力頂いている金様に、日本のファンが行きたい旨書込みをお願いし(サイトに書込みをするには、韓国の住民番号等を先に登録しなくてはならない)、今回の夢のような出来事が実現することになる。

チョン・ハクさんからのメッセージ 

2007年10月28日(日) 21時30分
この前にも一度BBSに書きましたがうまくアップできないですね。

澪さんを含めて多くの方々から私に関心と応援を与えて下さり感謝いたします。

澪さんが送ってくださった皆さんのメッセージを受けとりました。

とても感動的で、感謝した心をどのように現せばいいか分からないです。

誠に感謝させていただきます。

皆さんの関心と熱情にお応えするには、よりいい演技をお見せすることだと思って熱心に行います。

皆さんにもう一度頭を下げて感謝致します。


2004年4月12日 
パク・チョンハク

MUSA 特典映像インタビュー 

2007年10月28日(日) 21時18分
特典映像インタビュー

Q 内容(字幕)
A 武士の提案があった時、監督がイメージした人物と同じだと言われました。
顔がそっくりだと言われました。
私のイメージとカナムのイメージが似ているようです。

Q カナムという人物
A カナムの印象はとても難しい役だなと思いました。
寡黙な雰囲気と力強さが必要だと感じて、かなり悩んだが色んな工夫で声を変えたりして演じました。

Q プロフィール
A 82年から演劇を始めたが親の反対が強かったのです。
昔は演劇をやることは大変な事でした。(社会的に偏見があった−訳者注)それで家から追い出され一人で生活しました。
一時はミュージカルをインチョン(地名:ソウルの左側−訳者注)のシリ劇団でやっていました。
今も演劇をやっており、映画はいい作品があればやるつもりです。
これからも劇団の舞台でお目にかかれればいいなと思っています。
私の記憶に一番残る作品がカミュの「正義の人々」とか「捨てられた子供たち」等その他色々あります。

最近はバレーという映画でキムヒョンミン監督の作品を準備しています。
内容は韓国の大統領を飛行機で連れ去るというテロの話です。
もうひとつはキムジョンハク監督と時代劇の作品を作る予定です。
ふたつの作品を同時に進行しているから大変です。

Q 一番記憶に残る場面
A 一番集中した場面だと思います。何か演劇をした時の思いと重なる処がありました。
チェ将軍が兵士を叩いた後、丘のような場所で話をする時です。
その場面はその日の最後のシーンでした。
ところが終わった人たちが誰も帰ろうとせず、私達の撮影現場に釘付けになっていました。
そのシーンの場所がとても素晴らしくしかも照明が照らされていて、本当に美しい光景でした。
恥ずかしかったが自分もその気になり、その時の感情表現のために自分の感情と役の感情を重ねて一所懸命に表現しました。そして、とても上手く表現できたと感じて嬉しかったですが、公開された時、劇場でその部分を注意深く見ましたが、思ったほどでもありませんでした。ははは。

もうひとつは皆さんがよく言われることだが何とかの走る場面(城門から戦いに走るシーン)で撮影する時にはわからなかったが実際見てみると「アレがほんとに私か」と思うくらい格好よかった。

Q エピソード
A 暇つぶしにキムチソングをふざけて作曲して歌ったらアン・ソンギ先輩に面白いと言われ、みんなの前で披露しました。
全体的にとても楽しかった。いい同僚に恵まれ本当にいい時間を過ごせました。
本当に楽しく撮影できた映画でした。最初に出た映画でしたから本当に幸せでした。最高の経験でした。

Q 衣装が重く見える
A 監督が皆を説得して撮影しました。
気温が40度を超えていたから暑くて重く大変でした。しかも冑(かぶと)が太陽の熱で熱くなり手で触れられない程でした。それでも出来たのは、人の心構えで何でもできるということではないでしょうか。

Q 皆さんに
A 初めて皆さんのお目にかかる作品で一生懸命にやりました。
これからも多様な作品で皆さんにお会いしたいです。また、いつも変化する(成長する)姿をお見せしたいと思います。
ありがとうございます。

演劇人として 

2007年10月28日(日) 21時14分
1988年〜 仁川市立劇団にて活躍。
舞台での秀でた演技がMUSAのキム・ソンス監督の目に留まり、別将カナムの役を射止める。

2004年 劇団ボアス(柱)創立。劇団代表
3月 全国演劇祭予選出品作 「私も見に来ます」(映画「殺人の追憶」)の演出を手がける。