いつかまた

April 02 [Sat], 2011, 12:25
震災後、の皆様はご無事でしょうか個人的な話で言えば、宮城の親戚、同業者、後輩、福島の親戚、顔の見える範囲の人は無事だった。そんな中、痛ましいニュースや悲しい話にも沢山触れて、様々な事を考えさせられた。ある友人は仕事で支援物資を運んだり、ある人は震災の被害に遭いながらも懸命に頑張ってたり、ある人はチャリティーコンサートを企画したり、と。あらゆる人が年に一度の大震災をそれぞれの形で乗り越えようとしてる。じゃぁ、僕に何が出来るのだろうかすっごい考えたんだけど、何も出来ない、と思った。誤解をしないで読んで欲しい、誰も否定してないし、ネガティブな発言でもない。ただ一人の人間としての現在地だというだけ。義援金振り込みで送金しhttp://www.artbonfed.com/たけど、どんなに心を痛めたって、そんな大きな金額は正直だせない。今の生活にそこまで自由に使えるお金は無い。家庭を支える人間にとってお金は本当に生命線だし、心の痛みに関係なく、遠くの被災地では無く、目の前の子供らを守っていくのが精一杯なんだ。ごめんなさい。支援物資自宅に買いだめなんか普段から無い。送れるものなんか何も無い。自分、というか家族の分しか無いんだ。ごめんなさい。チャリティーコンサートコンサートを開くのは、時間も労力もお金も膨大に掛かる。みんなどんどん自分で企画して、本当に凄いと思う。時間と迫ヘないくらでも使って高档lいから、出来る事はどんな事でも手伝う。だけど、自分で声を大にして旗を振るのは、自分では違うと思ってしまった。そんなくだらない事考えて無いで、とりあえずやれば良いんだって、声が聞こえてきそうだけど。少なくとも、自分の周りだけでケタ以上の人間がチャリティーコンサートを主催するしたという話の中で、俺もとは思えない。むしろ、何でも手伝うよ一緒に頑張ろうと、強く思う。ごめんなさい。僕の価値観ではこうなんです。震災後、沢山の稽古や本番がトリになったり、延期になった。この仕事を始めてから、初めて日近く仕事が無かった。不本意な形でのオフ。日の地震直後に、これはただ事では無いと思い、子供らを直ぐに迎えに行った。普段は、笑って、はしゃいで、うるさくて仕方ない子供らが僕を見た瞬間に大泣きをしてきた。子供ながらに、本箔Iに危険を感じ取って不安で仕方無かったんだと思う。時間を追う毎に事態は深刻さを増して、不安が募っていく。何があっても、子供だけは守らなくちゃいけない。東京は被災地ではないから、それも大袈裟なのかもしれないけど。同じ日本で、しかも一日で行ける程の近距離で、未曽有の災害を目の前にして。ニュースでしか知らないけど、自分の子供と同じ歳くらいの子供が大勢犠牲になってるのを知って。本当に、本当に、本当に垂オ訳ないけれど、悲しみや痛みや被災地の心配もあるが、それより何があっても子供を守る事が脳内の大半を占めてしまう。気持ちが落ち着いて、初めて悲しくなったり、心が痛くなったり、涙が出たりする。震災に関する沢山のニュースを見て、本当に心から悲しくなるけど、それにしても、被災地を自分に投影して悲しくなったり、痛くなったりしてるみたいで、何の慰めにもならないし、本当に被災地の方々に垂オ訳ない気持ちで一杯になる。そんな人間がチャリティーなんてしたら、ただの口だけで、被災地の事なんて何も関係なくなると思う。現場はここじゃない。自分の中でも無い。本当にチャリティーする気持ちがあったら、被災地に届く所まで行かなきゃ意味が無いと思う。僕は頭が悪い。気持ちや物資、お金を届けたければ、安全な東京なんかに居ないで、現場まで行かなきゃ納得出来ない。逆の立場で思う。自分が本当に被災した時に、有名なアーティストが自分に全然関係無い場所でチャリティーコンサートをやってたら、どんなに大好きなアーティストでも、どっ白けに感じる。コンサート収益を寄付されたとしても自分の目の前で展開されないなら、チャリティーなんて付け無いで欲しい、とさえ思ってしまうかもしれない。凄く他人事に感じてしまう、と思う。本当に難しい事だけれど、苦しい時に本当に必要なのは、目の前にある実感だと思う。では、自分はその実感を届ける為に被災地まで行けるのかごめんなさい。答えはです。いか行きたい気持ちはあっても、東京に在る色んな事を放ったらかしには出来ないし、家族を置いてはいけない。お笑い芸人の江頭さんが、支援物資をたんまりトラックに積んでいわき市にまで行ったそうだ。沢山の沢山の人が、何とか被災地を復興させようと頑張ってる何にも出来ない、何の力にもなれない、何の役にも立たない、本当に垂オ訳なく思う。自分の仕事なんて、非常に安定した平和な社会の中でしか成り立っていない事を嫌でも実感させられた。本当に死に直面した状況の中、音楽なんてただの空気の振動にしか過ぎない。世界を人の村にを何気なく、改めて読んだ。当たり前の事だけど、自分が日常と呼んでいたものが、どれだけ限定されたコミュニティーの中でしか成り立っていなかったのか、を思い知る。現在地の幸せを感じるより、垂オ訳無さを感じてしまう。ずっとずっと昔、音楽は一部の人間や特権社会の娯楽だった。マクロで見れば、音楽は市民権を得たのかもしれない。でも、おっきく地球っていう括りで言えば、全然まだまだ特権社会での出来事だし、こうしてインターネットを使う事なんて、人に人の計算らしい。だから何だよ。というわけでは無いが、一日で行ける距離で大災害が遭って、大きな括りで言う範囲で言えば、今日も空爆で民間人が殺されてる。考えれば、考える程恐くなる。今まで、自分が感じていた日常は何て危ういバランスの上で成り立っていたのだろうと思う。でも、僕は今生きている。生きなくちゃいけない、と思う。もちろん、子供の為もあるけど。もっと個人的な意味で。この生を精一杯生きなきゃいけない、と改めて思う。何も生み出せない、誰も助けられない、社会の力にもならない、ただただゴミを吐き出すだけの人間かもしれないけど。どうにか、こうにか、与えられた命を精一杯全うする事でしかない、と思う。自分の命を懸命に生きる事で、いか自分の仕事が結果的に誰かの幸せに繋がれば、こんなに幸せな事は無いと思う。本当に本当に本当に、一生懸命頑張るけど、あくまでそれは結果的に繋がれば嬉しい。自分からチャリティーは出来ないけど、一生懸命誰かの事を手伝ったり、応援したり、一緒に仕事をする事で、いか誰かの何かに届けば良い。どうか今を忘れないように、一生懸命に焼き付けて、顔も名前も知らないけど、僕は僕の目から見たこの世界を焼き付けて忘れません。全ての命を胸に刻む事なんか出来ないかもしれないけど、貴方が作った、生きたこの世界を、その命を忘れない事が残された者の使命だと思うのです。僕なんかに出来る事は何も無いけど、今の気持ちを忘れないで、命を掛けて仕事をします。せめて、僕らや貴方の子供らが、またその次の世代へ夢を持てるようにくらいはしてやりたい。何もかもが恵まれた自分が何を言っても説得力は無いけど、僕はその命を忘れない。その上で初めて自分が在ることも。だから、死ぬまで精一杯、今を生きようと思います。今、目の前にある一音に何も無駄はなく、平和の象徴だとして、全ての集中力と魂を込めて、また音楽と向き合わせて頂きます。せめて、自分が関わる、顔の見える範囲の平和しか守れなくとも。僕の関わる公演には可狽ネ限り、沢山の人の思いが集まりますように。被災地で命を落とされた方々のご冥福を心よりお祈りします。月日柴田愼平。
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