メモ 厳島神社。

September 28 [Wed], 2011, 3:19
【前置き】※長くなりすぎたんでただのメモにします。広島平和記念公園とか何か次、紹介します。9月は色んな建築を見た。これからも見る。全然理解できない、面白くない話になるかもしれない。というか面白い云々の前に長過ぎて読めないと思うが、とにかく自分のためにメモを残しておきたい。でも、もしできれば建築の領域を感じて欲しい。建築はこんな世界にあると。きっと思っている以上に高度で哲学的だから。自分は建築を見るとき本気で見ている。趣味ではなくプロとして見てる。ただの感想で終始せずに、その本質まで迫った建築の読解をしたいと思っている。果たして、自分はどれぐらいの眼力をもって建築を見れているのか。それに加えて、何かを感じた時、その感覚を最も抽象的な言語の領域までもってくることはとても大切なことだ。人間はそれぐらい抽象化されたところで理解しないとそのときの感覚を忘れてしまう。言葉は大切だ。相手に何かを伝える以前に、自分が自分の感情を理解するため必要だ。一般的に女性は感覚が鋭く物事をよく分かっているもりが感覚を言語化する能力が足りず自分の気持ちに迷うことが多い気がする。脱線した。本当は見た順番に書くもりだったが、まずは厳島神社にいて書こうと思う。これは結構汚い話が出てくる。性の話にもなる。厳島神社に思い入れのある人、個人的に良い想い出のある人、性の話が苦手な人は読まない方がいいかもしれない。【厳島神社】厳島神社は、広島から少し西へ、瀬戸内海に浮かぶ小さな島に建。正確には島に接して海に建。安芸の宮島として江戸時代から日本三景の一として親しまれてきた。何より、特徴的なのは満潮のとき、その床下まで水に浸かったその姿だろう。しかし、果たして海の中に建ということにどれだけの意味があるのか。そこまでするからには水、海の本質と深く関わった建築でなければならないが、そこまでの領域に達しているのか。その二点が自分の中で疑問だった。個人的に厳島は水なしでも成立する建築だと思っていた。水をなくした途端、名作でなくなるのは世界で一、平等院鳳凰堂だけだと考えていた。(鳳凰堂は前池を通して見る景色に意味がある。水なしでは鳳凰堂の本質は見えない。それ故に10円玉の鳳凰堂は魅力がない。笑)それ以外は、厳島もアルハンブラ宮殿も下手すると後楽園の流亭すら最悪水なしで成立するだろう。今回、特に厳島にとっての水とは何かを見いだしたかった。船に乗る。参道を歩く。潮が引いていたので鳥居の下まで歩いた。最初に感じたのは、「これは鳳凰堂を模してるな」ということだった。客社から両脇に伸びた回廊、リズムよく中央が上にズレた舞殿(舞台)の屋根先。けれども鳳凰堂を模す理由はわからない。厳島は神社であって浄土教ではない。時代的にも浄土思想は関わらない。そういえばそもそも回廊があるのも不思議だった。本社は正確に神社の形式を守っているのに、回廊は元々お寺のものだ。機能的に、海上を渡るアプローチとして存在するのだろうと思ったが、聞くとそうでもないようだった。厳島は6期の改築を経ておよそ現在の形になっているが、初期造営の頃は回廊が丸く閉じていたという。現在のコの字で海に開かれることはなく鳥居側も回廊は閉じていた。その閉じた回廊は波浪や高潮から本社を守ったのだろう。では、なぜその機能を捨ててまで回廊を開いたのか。また新たな疑問が浮かぶ。もうひと分からないことがあった。いったい厳島は何を祀っているのか。神社の起源は自然崇拝である。大きな山や、石などにカミを感じた人々がそれらを対象に祈ったことから始まる。細かい話になるので省略するが、もともとは宮島(正確には弥山)自体が御神体として対岸の地御前神社から拝まれていた。その時、祈りの目標として鳥居が建てられることはよくある。この場合、御神体である宮島を傷けることは許されないため、海中に鳥居が建てられた。地御前神社と弥山の位置関係はちょうど子午線上、南北軸上に乗る。北斗信仰の形態である。その後、同軸上に厳島ができるが、この配置の取り方は古代の農耕佐祭祀の形態だ。なのに、厳島神社自体の軸の取り方は北西−南東である。これには驚いた。てっきり南北軸、もしくは東西軸だと思っていた。ワケガワカラナイ。とにかく少し進もうと思って歩いていると、回廊を抜けてしまった。神社を出てしまった。「これはいかん」と思い、元来た道を戻ろうとして出口を振り返ったとき。分かった。唐破風がある。出口に。笑唐破風があるということはこちらが入り口だ。まり今の参拝ルートは昔のルートとはちがう。そして、この動線、この配置ならばそれは完全に寝殿造だ。最初に鳳凰堂を模してると思ったが違った。寝殿造を模していた。鳳凰堂自体、寝殿造の影響があるし、寝殿造ベースの社寺建築という意味ではかなりイイ線を突いていたかもしれない。ちょうど回廊がコの字になり海側が開かれたのと、舞殿ができたのは同時期。唐破風で示された入り口は中門に、回廊は透渡、西側だけ回廊が延びているのは透渡殿への接続を、舞殿(舞台)は当然ながら前庭(祭事の場)に当たる。それぞれ寝殿造に対応している。そうすると、まさか本社にも類似性があるのだろうか。寝殿造でいうと本殿は表が仕事、奥は夜の場である。そこまで来てやっと厳島の祀っているものが見えてきた。ざっくり言う。厳島には男の神様と女の神様が祭られている。そして疑問だった北西−南東軸は乾巽軸である。これは陰と陽を表す。寝殿造でいう奥の場にわざわざ男と女ふたのカミが祀られていて、その神社の軸線が乾巽軸なら話は早い。陰と陽の接点、生命の起源だ。生命の起源を扱うならまあ海にあってもいいかと思った。絶対に必要ではないけれど、海に神社が浮かぶ意味はあるかと思った。母なる海。それに向かうように建厳島神社。そう思っていたけれど、厳島はもう少し進んだデザインをしていたようだ。満潮になった時、もう一度厳島にやってきた。大地と海が交接していた。引いては満ちて、延々と繰り返される誕生と喪失。なるほど、これはこの位置でないとむりだ。厳島はもっと大きなスケールで接点を捉えていた。大地と海の接点をデザインし直した。厳島の成果はそこにある。【こっからちょっとひわいな話】ちなみに建築と性はけっこう関係が深かったりする。特に昔の祭事とかかなり露骨なのがあったりする。現代の建築家でも、「大地とセックスするのは。。。」と熱く語るやもいる。ぶっちゃけていうと、厳島の位置が選ばれた理由の一は、土地の形状が女陰に似てるから。そういわれると厳島のプランがやらしく見えたりする。燈籠の位置とかかなり確信犯やと思う。ちょっと遠慮したから盛り上がりに欠けたけど、厳島はほんま弥山と海と、うまくセックスさせたと思う。なんで寝殿造なんかは全くわからんけど。時代も違うし、懐古心も妥当じゃない。作者とか時代背景の研究が意外と進んでないっぽいけど、時間できたら調べたい。帰ってきてから調べる時間なかったから、自分の考えが正しいかも分からんし。まぁ、とにかく厳島の鎮座場所や形態にはけっこうそうゆう思考があるよということです。笑Fine サクラ
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