君のきれいな○○○○を見せてよ。

July 09 [Sat], 2011, 7:05
たまには、机に向かって物を考えてみるのも必要だろうと思い、現在こうしている。布団の中で、頭の中で考えることと、文字に書き起こす間にはマリアナ海溝ほどの深い隔たりがある。マリアナ海溝がどこにあるかは知らないしぐぐらない。さて、僕は音楽とか文学とか、あるいは漫画をはじめとして絵画や写真にも関心がある。これだけみるとまんま文化系といった感じであるが、これらのものの共通点は誰かに何かを伝えるものだということだ。あるいは体育会系のものでも、もともとはいかに遠くまで槍を投げられるか、いかに食料を確保できるかというメスへのアピール、まり伝達の手段だったのかもしれない。だが、それは量的な違いであり質的な違いではないのだ。量的な違いというのは、自分の中にもある基準の高低であり、もちろん高次元にいる人間の輝きというのは僕の心に潤いのようなあるいは熱のようなものをもたらしはするが、そこまでのものを持人間は少ないし、通常のコミュニケーションに求めてもいない。一方質的な違いというのは、個人的に嫌いではあるが非常に便利であるためこの言葉を使わせてもらうと、個性ということになるだろう。これは先の量的な違いが各人にあるのと同じように、誰にでもあるものである。しかし、これはその量的な違いを含めた違いそのものに対する価値観の違いであり、より包括的上位的な位置にあるもののように思える。そして、そんな違いを僕に伝えてくれるものこそ、最初に挙げた文学や音楽なのである。ではそれは、そういったものの中にしか無いかと言えばむしろ逆であり、普段の生活の中にこそ発見は多い。頭でっかちというには知識不足で存外頑固というには意志薄弱な僕にとって、他人というものの中で生まれたその言葉他、様々な伝達の子らはひどく輝いて見えるのだ。僕が紫だと考えていたものが実はピンクだったり、青だと決めけていたものがよく見れば緑だったり。もちろん、最初に自分で考える時にもそれなりに検証はしているもりではあるが、所詮は一匹のヒトでしかない僕には割合低いところに限界というものがあるのである。しかし、そうした質の違いはどこにでもあり逆にありふれている。そのことはもう一周逆に悪くない。真実である限り、それは美しいのだ。知識を持たない僕にはあまり多くを語ることは出来ないが、クオリティの低い作品というのがある。技術、センス、他様々な価値基準において低く評価されるものだ。しかしこれは先の量的な違いであり、質的な違いに本質的には関係がない。だが、質的な違いがどこから生まれるかといえば、それは比較からしかありえない。ヒトは、何も持たずに生まれてくるのだ。生きていく中で、多くのものを獲得し、多くのものを捨てながら、その違いを形作っていく。ただし、こうした取捨選択の多くは、気づかぬウチに行っている。そうした中で、心の底からこれだけは、これだけは自分に欠かせぬ、自分自身であるというものを獲得していく。それこそが、自己と他者の違いになるのだ。先にも書いたとおり、それが真実である限り、それは美しいのだ。だからこそどこまでも無自覚に、他者と同じであることのみに向かってしまうのはもったいないと思う。何をどう感じるか、というのを難しい言葉で表現するとクオリアと言う。僕は、誰かの中のきれいなクオリアを見たいのだ。余談だが、これがなければ自分ではないということを、これがないから自分だと、欠落を欠落という存在としてそこに具現化させる、という表現に出会った時、僕は身震いがした。それは決して共感ではなかったと思う。僕は割合多くを与えられ、不自由なく暮らしてきた。温室育ち、というと弱さの代名詞のように思いがちだが、多くの愛を受けて育った植物であるからこそ、きちんと花を咲かせるまで成長できる、一種の強さを持のではないかと思う。生きることは、前提ではなく一の結果であるのではないか。この書き方だと既に生き切ったというように読めるがそれは僕の文章力不足である。要するに、自らを欠けたるものであるという思いは抱いてなかったのだ。その時は。今になってしまえば、多くの欠陥を抱えた不良在庫でしかないという思いしか無いが。ともかく、そんな僕には、共感というものはなかった。だからこそ良かったのだ。理解出来ない、と投げ出すのではなく、理解出来ないことこそが感動だったのである。未知のものの美しさか。いや、より正確に言うのならば、それまでは見けられなかっただけの自分を発見したという部分も多少はあっただろう。これはこの文章を書いているのが今現在の自分だからだろうか。さらに余談だが、体育会系の人間の言葉というのは面白い。こう言うと、まるで偉い学者先生が、素人の自由な発想を褒める、というようなごまかしと見え隠れする自尊心を嗅ぎ取らずにはいられないのが僕であるが、他にちょうどよい表現が見からないのでこう書く他ないのである。こうして書いてみて余計に思う。あのきれいなクオリアを見けられた瞬間というのは、奇跡のようなものだったのだと。願わくば、これからも素敵な出会いがありますように。終わり。ちなみに、最初に書こうと思っていたことと、全く内容が違うのはなぜなんだぜどれくらい違うのかといえば、最近良く聴いているアニソンがメインになってしまう音楽レビューを書こうとしていてこれである。ポルナレフのコピペわからない人は各自ググるように
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