未来へ繋げ【FILE No.1】

December 14 [Wed], 2011, 18:36
ドイツ杯日本対ブラジル試合終了の笛と共に一人の男がピッチに倒れこんだ目には涙を浮かべているように見える中田英寿日本史上最高の選手といわれた男。
その数日後だっただろうか彼が突然の現役引退を発表したのはあまりにも突然、そしてあまりにも短いキャリアの終わりピッチ上に倒れこんだ数十分間彼は一体何を考えていたのだろうか彼が未来に伝えたかった事とは、ヒデこと中田英寿34歳山梨県で生まれ、サッカーを始めたのは小学3年生の8歳の時の事地元のサッカースクールに入った彼はその後歩む偉大なキャリアの一歩を歩み始めたのだ中学3年の時には15日本代表に初めて選出その後も、17世界選出権、19アジアユース、ワールドユース、オリンピックなどの代表に選出順調にキャリアを積み重ねていく転機となったのは1995年高校生となっていた中田にリーグのクラブからオファーがくるしかも12球団中、11球団から中田はその中から当時1部所だったベルマーレ平塚に入団持ち前のサッカーセンスと抜群のパス能力を武器に1年目から大活躍をするクラブでの活躍が認められ1997年の韓国との親善試合で日本代表デビューまだ当時20歳そこそこの若者だったが堂々のデビュー戦となった1998年には日本国民が待ち望んだフランス杯で3試合にフル出場チームは結果を残せるなかったが中田は世界にその名をしらしめるインパクトを残す杯終了後、待ちに待った海外移籍への扉が開くユヴェントス、アーセナルなど世界のビッククラブからオファーが届いたのだしかし中田はビッククラブに行けばレンタルに出される事を懸念しペルージャのオファーを受け入れる中田にとって、海外移籍は目標であり単なるスタートにすぎなかった高校時代からイタリア語を勉強しておりペルージャ加入後、数ヶ月で通訳はいらなかったというそのペルージャでのデビュー戦日本の中田から世界のとなる瞬間相手は当時世界最強といわれていたセリエAの中でも無敵のユヴェントスジダン、デシャン、ダーピッツ、デルピエロなどの早々たる顔ぶれそのユヴェントス相手に中田は2ゴールをあげてみせる試合には敗れたが日本から来た名前も分からない男にイタリア全土が衝撃をうけた瞬間だった試合後のダーピッツの言葉が中田の凄さを物語るほんとに、日本人なのかそのシーズン中田は躍動する開幕に続きゴールをあげづけるとシーズン終盤には完全に中田はチームのエースとなっていた結局シーズンを通じて10ゴールをあげセリエA最優秀外国人に選ばれる2000年、中田に最初の試練が訪れる名将カペッロ率いる強豪ローマへの移籍を果たすのだ当初はカペッロの要望であった頃からトップ下で起用されていたローマのトップ下はタブーなポジションオナニーチャットでもあったフランチェスコトッティの存在であるトッティは下部組織出身であり、エース。
まさにローマの王子なのだいくら中田とはいえトッティとの争いは難しくベンチを温める日が続くそれでも、バティストゥータ、モンテッラ、カンデラ、カフーなどのチームメイトに恵まれた中田は少ないチャンスを物にし続けたその結果が報われたのが2000年、セリエA第29節当時、ローマはスクデット獲得まで後少しのところまでいたその最大のライバルであるユヴェントスとの首位決定戦負ければ後がない状況で中田はこの日もベンチスタート試合はなかなかリズムに乗れないローマをしり目にユヴェントスが圧倒あっさりと2点差とされる後がない状況にカペッロが動く後半20分アップ中の中田に声がかかる注目の交代交代の場内アナウンスにイタリア中が耳を疑ったそう、中田に変わって交代させられたのは紛れもないトッティだったのだ不満そうなトッティを横目に中田がピッチへと投入される中田は見事期待に答えてみせるリードを守りきろうと守備的になったユヴェントスにスペースが生まれはじめる中田はそこを巧みに使い始めたのだその瞬間は訪れる中田が中盤でボールを奪い、前方に大きなスペースがあると確認するとドリブルをしかけ迷う事なくシュート右足から放たれた強烈なシュートは名手ファンデルサールでも止めようがなくゴールへ突き刺さるよっしゃ普段クールな中田からそう聞こえてきそうな渾身のガッツポーズを見せた大きく揺れるスタジアムここから一気に流れがローマに1点差となり、焦り始めたユヴェントスはデルピエロをベンチに下げるが、後半ロスタイム再び中田がユヴェントスに襲いかかる斜めの位置でボールを受けた中田はダイレクトでシュートをう意表を突かれたシュートはモンテッラの元へ、これをモンテッラが決め、いにローマが同点に追いくのだそれと同時に試合終了の笛がなる笛と共に歓喜にわくサポーターとローマの選手達ローマベンチの選手が真っ先に祝福に向かったのはトッティではなく中田英寿だった残り数試合となった状況でローマにとっては遠ざかりかけてたスクデットが近づいた瞬間だったそのシーズンローマは見事逆転優勝を果たすその明暗を分けたのは紛れもなく中田英寿だったのだその後、アジア人史上最高額の34億円で同リーグのパルマへと移籍するパルマでも、ムトゥ、アドリアーと強烈なトリデンテを結成しチャンピオンリーグの予選にも出場パルマの全盛期を支えたしかし、ここから歯車が少しず噛み合わなくなるポジションの起用法をめぐり現イタリア代表監督のプランデッリと対立攻撃が得意な中田に、守備をするようにと求め始めたのだ結局、中田はそれからボローニャ、フィオレンティーナと転々とするフィオレンティーナでも当初は活躍したが、再びプランデッリが就任した事で事実上の退団となったそして2005年舞台をイングランドへ中田獲得に興味を持ったのがアラダイス監督率いるボルトン心機一転をはかれたように見えたがボルトン、特にアラダイスの目指すサッカーはロングボールを主体としたいわゆる中盤を省略するサッカーだったパスを得意とする中田には、守備でしかアピールする術がなかったのだそんな心境で訪れたのが2006年、自身3度目となる杯結果はご存知の通り1分け2敗でのグループステージでの敗退それと同時期での現役引退圧倒的な個性とカリスマ性で日本サッカー界を率いてきた中田英寿こうして彼の偉大なキャリアは幕を閉じたのだ経歴を書いてたらキリがないんでここからオレの意見を書きたい思う今回ヒデの事を書いたのは、単純にオレがサッカー界で1番尊敬してるからこれは今までも、んでこれからも変わることは絶対ないみんなはカズが日本の顔や思てるけどオレは誰が何て言おうとヒデが1番や思ってるもちろん、カズが日本を支えてるのも間違いないし、好きやけどねでも、ヒデに対する意見て分かれると思うそれは何故か代表見れば一目瞭然でしょ2006年のチームワークはまさにバラバラで、とてもチームぢゃなかった噂では小笠原がヒデを好きぢゃなかってアイツが原因てのもあるけどなんし、ヒデを仲間外れやないけど嫌ってる奴がいたのは確か確かにヒデは意見も言うし、プレーにも注文けてくるし、決して仲良くなれるキャラではないでもヒデは昔こんな事言ってた今の日本代表は仲良し集団。
このままだったら危険。
誰かが教えなきゃいけないそれを教えたんがヒデではないのかオレは正直あの時代の日本代表が大嫌いやったあんだけヒデさん言うてた俊輔が自分の意見を主張し始めて、ヒデと対立逆に意見しといて、別に引っ張るわけでもなく開幕のオーストラリア戦でも体調悪いから不調やとか小笠原もそうヒデ外しの張本人やった男が、杯以降ほぼ代表に呼ばれることないこんな奴らが代表やと思うとヒデがかわいそうでしゃーなかっただからヒデが引退してからは、しばらく代表なんか見る気せんかったなんか、チームぢゃなくて個人の集まりやった気がする2002年のトルシエあれこそが理想な気がするなぁベテランと若手が上手く融合してて、秋田とか森島とか松田とかほんま楽しそうで、仲間って感じでで見てたら、この時の代表ってもう帰ってこんのかなってヒデもこの時を知ってるからこその危機感やったんちゃうかなヒデのあの涙ってのは、後悔や思うもっとサッカーやりたかったもっと杯で勝ちたかったとかやなくて、もっと伝えたかった事があったんちゃうかな今、その役は本田がかって上手くやってるみたいやけど今の代表でヒデがやったら、もっと楽しくサッカーできたんちゃうかなあの涙の真意、引退の真相。
詳しくわヒデ本人にしかわからんけどそんな気がします。
ヒデがあの瞬間未来に伝えたかった事それは一体何やったんやろすんません、めちゃ長くなりましたサッカー知らん人は興味ないやろけどなんか無性に書きたくなったこれは一応週1くらいで歴代の選手を書いていこかなとヒデはこんな感じやけど、他の人はもっと明るいのやからまぁ、暇潰しにでもよろしくです2はロナウジーニョの予定です
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