
御歳94歳、我が家のサブローさん。
その昔、本町通り(旧油町)の長屋で「山月堂」という、餅屋兼食堂を営んでおりました。戦後から団子一本20円・30円の商売をウン十年。隠居するまで続けたのは今となっては凄いことなんだな。
山月堂で団子をかって食った人達には今でもよくお会いしますが、そのかたがたは懐かしがてらに「爺さんが見てない隙に、串をごまかして余計に団子を食った」とか白状します。爺さんいわく、だいたいわかっていたけど見逃したそうです。
さて、実は我らが三郎さん、戦前は茅ヶ崎でピストン堀口と一緒に練習していた拳闘家。戦争が終わって盛岡に帰って来てから「盛岡拳闘倶楽部」を作った張本人らしいのです。が、ある時期に拳闘から一切身を引いてからは、自身のボクシングの話を一切話してくれず。どこかに資料でもないかと思うのですが、多分無い。
数少ない話といえば…
サブローが40歳の頃、今より半世紀も前、餅の配達中に街角で市井人が刺青人にやられているのを見かねて、刺青人をやっつけて帰って来たら、翌日の店先に大勢の刺青人が因縁を付けに現れてしまい、サブローさんは困ってしまった揚句に、結局その中でいちばん立派な刺青人をやっつけてしまったそうです。
その後、話を聞き付けてボクシングを習いたいという若者がちょくちょく店を尋ねてくるようになり、暫くの間、店先でボクシング教えていたそうな。
…そんな我が家の爺さんは、最近、亀田次男の試合を見て、
ボディーを狙いすぎて身体が開いているから、顔の真ん中をちゃんと叩けなくて相手が倒れない
とか言いながら、大好きなバナナを頬張っていました。