物欲 

2012年07月02日(月) 22時04分
コマーシャルに疲れているはずなのに、物欲って無くならない。

買い物をする快楽は、甘いものに対する快楽に似ている。
どちらも良い方向へ向けば生活を彩るけれど、暴走すれば
単なる自堕落で終わりツケがまわってくる。

欲しいと思って、本当に欲しいのかよく考えてみなければ
いけないのに慌てたように消費してしまう。
何かの罠にかかったように。

自分の判断を自分の手元に置いておくためにも、思考の
プロセスを少し変えないといけない。

それが、なかなか難しいのだけど。

四季 

2012年04月26日(木) 22時11分
人生はよく四季で表現されるけど、ふと本当にそうだと思った。

生きていく中でこつこつと身に付けたものを、ある時期に
なったら一つ一つ取捨選択しなくてはいけない。

冬に着込んだ服を、夏には脱ぐように。

そうして身軽になって、自分というものを再確認したら
また性懲りも無く身に付けていくのだろうな。

春に桜が咲き、秋に紅葉するように。

子供が産まれてから、自分にとって何が重要なのか、
毎日問われている気がする。

ある選択 

2012年04月12日(木) 20時56分
スーパーで珈琲を買おうかと迷った。
結局止めておいたのだけど、128円のパックに入った珈琲。

本当にそれが飲みたいのか心の底で問いかけてみると、
本当に飲みたいのは専門のお店でプロが入れてくれたソイラテで、
珈琲なら何でもいい訳じゃなかった。

代用品を購入する言い訳は星の数程あるのだけど、
そこで満足していいのか問いかける自分に対して、
言い訳をしたくなかった。

些細な事だけど、些細な選択の一つ一つを積み重ねて
今の私が出来ている。そう思うと日々の判断を疎かにすることは
自分を軽んじることに繋がる。

本当に自分に必要な物なのか、誰かの意見に惑わされていないか、
自分自身で判断してつかみ取っていく毎日でないと、
日々はどんどん色あせてしまう。

老化と安堵 

2012年04月05日(木) 22時29分
久しぶりに神経衰弱をした。
どんな風にカードの位置を記憶していたのかを
さっぱり忘れていてびっくりした。

最近、老化を感じる。
水をぐんぐん吸い上げて成長していく時期は終わったんだな。
それは寂しい事ではなく、むしろ感慨深いものだ。

これからは増やす事ではなく、減らすことを考えた方がいいのだな。
それでも増やしていきたい事はあって、その方法や効率は昔と
比べ物にならない程よくわかっている。

闇雲に、がむしゃらに、手当り次第に進む時期は終わり。
これからは意識的に、選択して、道を見つけて進もう。

もうそれだけで安堵してしまう。
手探りで進むのが、実はずっと怖かったんだな。

書く 

2012年04月03日(火) 21時31分
自分の考えをアウトプットする重要性を思い出した。
ちゃんと外に出していかないと何も伝わらないのだし、
今はネットがあるのだから、使わなくては。

ここに戻ってきました。
また書き始めます。

習慣 

2012年04月03日(火) 21時31分
習慣って恐ろしいものだなと、思う。

子どもが二人居て、おっぱいもあげて、一人は反抗期、という状況で、今の私の生活に何か余分なものを挟み込む余地は全然ないのだけど、その中で何かを付け加えたいと思ったら、それを習慣にしてしまう他ないのだと思った。

歯磨きをするとか、顔を洗うとか、と同列に並ぶくらい習慣化してしまえば、それを毎日こなす事は可能だ。反対にそうでなければ、忙しい毎日の中であっという間に吹き飛んでいってしまうだろう。

けれどそれは、一度自分では良くないと思っている事が習慣になってしまえば、それを取り去ることがいかに難しいか、ということでもある。

習慣にするまでの長い道のりを思いながら、毎日を過ごすのだけど。まずは行動すること。忘れても、放り投げても、自分の思う方に引き戻す事が重要。そうしたら、いつか、いつの間にか、自分の欲しい習慣が身に付いている事に気付くだろう

ミラノ 

2011年12月29日(木) 15時12分
石と霧のあいだで ぼくは
休日を楽しむ。大聖堂の
広場に憩う。星の
かわりに
夜ごと ことばに灯がともる

人生ほど
生きる疲れを癒してくれるものは ない。

ウンベルト・サバ
須賀敦子 訳

私には広場はないし、語り合う友人も遠い場所にいる。
それならば、このブログが語り合うための広場になれば
よいなと思う。

この詩は、最後の”ない”の前の間が秀逸。
久しぶりに心に届いた。

曖昧 〜時間の流れに対して〜 

2010年10月26日(火) 20時54分
自分が曖昧になってきた。

昔は何か事ある毎に、単純に怒れたのだけど、最近は怒れない。

物事には裏表があり、それを引き起こした人間にも喜怒哀楽がある、ことが分かってしまうと、ただただ純粋に怒りの念が湧いてくる前に、その人間に対しての共感や同情の念が生じてしまう。

そうすると怒れない。
いや、怒ってはいるのだけど、お腹のはじっこの所に、しーんと哀しみを含んだ感情が、居座ってしまう。

モシカシタラ、自分もその立場に置かれたら、同じことをしていたかもしれない。
しないっ、と断言するには、恵まれた環境に居ると、分かっていることが弱い。

辛い状況に自分が置かれて、どうなるのかなんてワカラナイ。

モシカシタラに捕まって、ワカラナイが体中を覆って、自分がワカラナクなって、どんどん曖昧になってゆく。

これが成熟するってことだとしたら、何と居心地の悪いことだろう。
もそもそ、と居心地の良い場所を求めて動いていたら、あっという間に年を取ってしまう気がする。

幸せでも不幸せでもない 

2010年04月28日(水) 21時55分
私は、幸せでも不幸せでもない。

ふと浮かぶ「幸せになる。」というような思いは、他人の評価を気にして
自分を駄目にする、セコい感情だ。

今という時間の、その瞬間に人は幸せと感じることはあるだろう。
けれどそれが永遠に続くことは有り得ない。

どんな条件でも、幸せや不幸せは混在しており、一つに決められるものではない。
例えば、人に殺されてとしても、人や状況によっては、それでも幸せとなる。
要は、自分が満足しているかどうかであって、人生において他者の評価など、意味が無い。

だから、私は幸せでも不幸せでもない。常にそういう状態でありたい。




分かり合う 

2010年04月03日(土) 20時48分
子供をもつ、という選択をする人がいる。
子供を持たない、という選択をする人がいる。

どちらにも双方の良さがあって、その良さを理解しようと
する事でしか、互いは分かり合えない。

しかし、人は経験をしたことが無い事を理解するとは出来ない。
つまり、互いは理解することが出来ない、という点でしか分かり合えない。

あとは自分とは違う価値観を、どう受け入れていくかだけ。
子供とは、そのための修行なのかもしれない。
P R
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