『コープス・ブライド』 

2005年11月03日(木) 0時45分
ともするとしんみりと、さびしげな気持ちになってしまうストーリーだけれど、見終わったときはなんだか優しい気持ちになった。
切ないけれど、それだけでなく、明るさが見えるのは、所々に見られるミュージカルだったり、それこそアニメーションがもっている本来の力なのかもと思った。

ティム・バートンは、次はどんな作品を見せてくれるのだろう?

『フラッシュ』 

2005年10月28日(金) 0時26分
『フラッシュ』 著 ヴァージニア・ウルフ

犬の視点から描かれた、イギリスの女流詩人の伝記。
この「犬からの視点」というところがまず面白いと思った。
ウイットにとんだ軽快な文章で描かれている、ただの伝記とはひと味もふた味も違う‘伝記’。

(この本をよんでからというもの、うちの犬が何を考えてるのか、感じているのかを前よりもずっと考えるようになった。)


やっぱりウルフの文章で注目してしまうのは比喩。
初めて読んだウルフ作品『病むことについて』でも、病気や様々な病気に苦しむ患者の心境の描写には、まさに目から鱗。といった感じだった。
しかも文化が違えば、そこに出てくる言葉も違う。
意識しないと出会えないような言葉たちとの遭遇は、私に‘好奇心’を与え、そして‘発見’の喜び
を与えてくれた。

『エミリー・ディキソン詩集』その@ 

2005年10月10日(月) 0時09分
「やりたいことがあるなら、‘生きている’だけでいい。生きているうちに、願いは、夢は叶うものだから。」
自分にはやりたいことがあるのにな、近づけてないんじゃないかな、そんなことで悶々としているときに、この言葉を思い出した。
何かに向かっていく本体がなきゃ物事は始まらない。もちろんただいるだけじゃだめだけどさ。自分がいて、やりたいことがあると、自分は自然とその方向へ行くために何かしらやっているものだったりする。
考えて、悩んで、迷って迷って、苦しんで・・・それでも自分自身、生きて、進んでいけば
どこかで何かがあるんだよな。

そこで次に思い出したのがエミリー・ディキソンの詩。
溜息や涙を取替え、取替えして、人は死んで行く・・という文章だったかな。
私なりの解釈は、人間はそれらをとてつもなく大きいものと見てしまって、その結果、それ以外の何か
淡く、だけどしっかりと輝いているものを見過ごしてしまっている、ということではないかなと。

溜息や涙をしっかりかみ締めるのは大切。けど、他のものもあるんだよと気づくことも大切。
たとえ時間がかかっても。

『読むサプリ』 

2005年09月25日(日) 22時56分
大人のための役立つ読書ガイド『読むサプリ』 著 斉藤孝

アイデアのサプリ、技のサプリ、心のサプリ、想像力のサプリ、見方のサプリ・・・実に色々なサプリメントがこの本には詰まっている.
そしてどれも生きていくうえで必須のサプリメント。
この本はところどころで自分の中でお休みしていた部分を程よく刺激してくれる。
もっとその部分に刺激が欲しいと思ったら、そのエッセイに紹介されている本を読めばいいんだな。
それにしても著者の斉藤孝さん。この方は本当にいい脱力の仕方をしていると思う。

このエッセイの一つ一つ、トイレに置いておくにはベストの長さで区切られている。

出すものだして、入れるもの入れる。



ドーナツ 

2005年09月24日(土) 19時52分
物事、自分の元気を優先に考えると、周りも元気になってくる気がする。そう見えるだけなのかもしれない。自分のメンタルによって物事の見方が変わるのはわかっていたけれど、こんなにも
‘元気’が周りを明るく照らしてくれるとは・・

まず周りを優先に「・・・ねばならない」「・・ねばならない」と、固めてしまうと、自分のやりたいことがわからなくなったり、自分の足元が不安定になってしまったりする。
そんなときはドーナツ論。

ドーナツの穴にはまっている自分を想定。

ぎゅうぎゅう・パンパン。なんだか苦しい・・
そうだ、周りを齧ってみよう。


あ、隙間を見つけた。

自分が見えた。

周りが見えた。前よりも、もっと・もっと。


「行き詰ったらドーナツを思い出そう」
このことを気づかせてくれた方に感謝。

『サド公爵夫人』 

2005年09月21日(水) 23時58分
『サド公爵夫人』 著 三島由紀夫

人が言葉で発する事は、実は膨大な「思考」によって生まれてきた一つに
過ぎなかったりする。
人は口にすることよりも、もっともっと自分の中で何かを考えている。見えない言葉をたくさん、たくさん発している。
だから、発せられた言葉の奥にはきっと何かがあるんだ。それが複雑なものであるときもあるし、
理解するのが易しいストレートなものであるときもあったりする。

もっともこの本はこうゆう事をいっているのではないけれど・・

本はいつ・何を自分に与えてくれるか分からない。
けど、読み終わったあと、いつの間にかどの本も印象に残るものになっているのは確か。

『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』 

2005年09月07日(水) 20時41分
著 ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラー(1880-1968)米国生まれ
著述家、社会福祉事業家。
わずか一歳で熱病によって聴覚と視覚を失ったが、七歳からアン・M・サリバンから教育を受け(そのときにはじめて言葉の存在を知る)、十九歳でラドクリフカレッジ(ハーバード大学の女子部)に合格。三重の障害をもって大学教育を終了した世界最初の人となった。全米及び海外各地で講演を行い、福祉活動に貢献。

この本は、ヘレン・ケラーが23歳の年の処女作である。題名の通り、ヘレン・ケラーの23歳くらいまでの半生を描いた作品。
この本を読んで「考える」という行為自体を考えた。
考えるには言葉が必要で、言葉を知るには目や耳からの情報が必要で、目や耳から情報を取り込むにはそれぞれの器官が機能していることが必要で・・・云々。
「考える」ことができる。そこに到達するまでには、実はこんな細かくてすさまじい過程があったのか。だったらこの「考える」という能力をうまく使っていきたいもの。
失敗したとき、凹んだとき、そんなときはずっとそこにとどまって、そのことだけを考えるんじゃなくて、それらを挽回するためにはどうしたらいいかを考える。それがきっと、この能力のうまい使い方なんじゃないかな。

『ワン・フルムーン』 

2005年09月06日(火) 23時09分
『ワン・フルムーン』(1992/イギリス)
長い刑務所生活を終え、故郷に帰ってきた男。いつか愛する母親と二人で暮らしていた家はすでに廃屋となっていた。そこでの回想−自然に囲まれたウェールズの小さな村、そこで起こった様々な出来事(伯父の自殺、牧師の少女に対するいたずら、そして気が狂った修理屋の少年の母親への暴行等々)は繊細な心をもつ少年にはあまりにも残酷であった。そして少年自らも大きな罪を抱えていて・・・
男は自分の罪を償いきれるのか。罪の償いと母親への溢れんばかりの‘愛情’は一つの形へと変わっていく。

回想と現代を織り交ぜながら淡々と物語が進んでいく中での一つ一つの描写−いくつかの事件、それぞれの人物の表情、自然−それらはどれも何故か心に突き刺さってくるような気がした。激しく描かれていない分、それらは静かに残酷で・・そして美しいとも思った。救いようのない主人公を、私はただ見つめていることしかできなかった。
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