たいむあふたーたいむ 13 

2007年01月19日(金) 11時46分
ガラスの張った大きな扉を開くと、寮内は、ほとんど真っ暗だった。入り口のすぐ左手が管理人室になっている。薄桃色の公衆電話。来客用の記帳。小さなテーブルに椅子が一個。明かりが灯っているなら奥には給湯室が見えるだろう。僕は、闇に目を凝らして中に誰もいないことを改めて確認した。玄関の右手には、下駄箱とボイラー室と部屋番号と名札が並べられた大きなホワイトボードがある。寮に居る時は名札を白側、外出時は名札を裏返し、赤側にするのが決まりだ。名札を見たが、寮には、ほとんど人はいない様だった。

僕は、自分の靴を下駄箱に置き、内履きのスリッパを履くと、管理人室の下駄箱から来客用のスリッパを持ってきて彼女に足元に並べた。

彼女は小さく、ありがとう、と言うとスリッパを履いた。

そのまま、玄関の正面の大きなガラス扉を開くと、応接室になっている。
古い木製のケースに入った32型ブラウン管のテレビ。大きなテーブルを挟んで皮張りのソファーが2つ向かい合っている。応接室には、何故か卓球台がたくさん折りたたんだ状態で置いてあり、大きな本棚には誰の興味も惹かないような、聞いたことのないタイトルの小説や漫画が並べられている。昼間は、大きな窓から中庭と中庭を挟んだ向こうの棟が見える。中庭には雑草しか生えていないが、風がある日には、緑は心地よく揺れていて、窓を開けっぱなしにしてソファーで寝たこともあった。とても気持ちが良かったのを覚えている。応接室の隣は食堂になっており、ジュースと酒の自動販売機や、新聞、大きな最新型のテレビ、ちょっとしたレトルト食品、アイスクリームの自動販売機が置いてある。80年代のバブル絶頂期には、この寮の食堂も人で溢れていたらしい。90年代の終わり頃に寮の食堂は閉鎖してしまった。僕が会社の寮の食事を取ったのは、入社してからたった1ヶ月間だった。僕は入社してすぐに神奈川に出向したが、出向から戻ってきた時には、食堂は閉鎖し、代わりにレトルト食品の自動販売機が並んでいた。食堂の御飯はお代わりが自由で味も凄く美味しかったので、物凄く残念だったことを覚えている。

僕は彼女を応接室のソファーに座らせた。彼女の嗚咽は、次第に小さく勢いがなくなっていったものの、しばらく泣き止むことはなさそうだった。僕は、食堂からお茶を2つ買ってくると、応接室のテーブルの上に置いて、彼女の隣に座った。黙って彼女の横顔を眺めていた。暗さにも目が慣れてきて、いつも見慣れた彼女の顔が暗闇にぼんやりと映る。彼女は、すごく幼い顔をしている。きっと、大きくて可愛らしい瞳と化粧気のないところがそういう印象を与えているのだと思う。彼女の泣いてる顔は、迷子の子供そのものだと思った。

(未完)

たいむあふたーたいむ 12 

2007年01月18日(木) 11時13分
警察の前を国道沿いに歩き、ファミリマートのある十字路を越えたところに駐車場がある。四方をフェンスで覆われ、その内側に大きなイチョウの木が2本、向かい合って立っており、それを起点にフェンスに沿って桜の木が駐車場の周りを囲むように植えられている。今は葉桜が風に揺られている。黄昏時の葉桜は、影絵の様に黒い葉を揺らして見せた。いつの間にか、空には白い月が輝いていた。

あの頃の面影は、もうほとんどない。

この駐車場は、元々は会社の独身寮だった。二年前までは僕も、この場所に住んでいたのだ。会社の経費削減案で、あっという間に取り壊しが決まり、追い出されるように寮を退寮させられた。わずかばかりの手当てと引き換えに、僕は色々な思い出を手放さなければならなかった。

寮のロータリーで、独りでBMXの練習をしていると、彼女がポカリスエットを持ってきてくれたことがあった。彼女が、突然、後ろのペグに乗ってきてビックリしたこともあった。そのまま二人乗りで出掛けたこともあった。重くて全然進まない、と僕が愚痴ると、彼女に背中をグーで殴られた。

桜が満開の時は、みんなで花見をしたこともあった。夜中に線香花火だけをやったこともあった。イチョウの木の下で彼女を待ったこともあった。

…あの花火大会の日だってそうだ。
僕は、彼女の手を引っ張って、寮に向かって歩いていた。


お盆期間中の男子寮は、ほとんど人気がない。
わずかばかりの人が仕事の為に寮に残ってはいるが、大概の人は実家に帰省している。寮長も、(実に無用心な話だが)お盆の夜の10時以降は家へ帰ってしまうらしい。

僕は、彼女を寮のロビーに案内した。

たいむあふたーたいむ 11 

2007年01月18日(木) 11時11分
こうやって君へ葉書を出すのは随分と久しぶりだ。

以前は、頻繁にお互い手紙のやり取りをしていた。結局、君からは何通の手紙を貰ったんだろう?僕はメールも嫌いじゃないけど、手紙の方が断然、好きだ。書くのも貰うのも大好きだ。僕の文字は僕そのもので、だらしなさや、そそっかしさが見て取れる。止めや撥ねも、どこかおかしくて、バランス感覚は皆無だ。僕は何歳になっても全然、字が上達しない。僕の文字は小学生から何一つ変っていない気がする。それは実際、とても恥ずかしいことなのだけれど、それでも僕は妙に自分の書いた字が好きだ。それは、きっと昔から余り変っていないことが好きなんだと思う。幼い頃に僕が描いた大人の僕は、全く今の自分とはかけ離れている。自分の好きだったところを全て失って、他人や大人の嫌だったところが、何故か自然と身についてしまった。でも、あの頃と変らない拙い自分の文字を見ていると、自分が、ちゃんと自分なのだな、と、不思議と肯定的に思えてくる。そんな拙さを自慰で誤魔化した様な文字で、僕は彼女に手紙を出す。取るに足らない日常や、考え付いた面白い話を徒然と書き出す。そして、必ず絵を添える。絵を添えなければ、僕には手紙を書く意味がない。それくらい僕には絵が必要なのだ。彼女に絵を描く時は、何故かモチーフが、いつも丸みを帯びる。そんな時、絵は正直過ぎると思う。僕が口には決して出さない願望の片鱗が、そこに見える気がしてしまう。それが彼女に見透かされませんように、と、ポストに投函すると、いつも耳が熱くなった。もう彼女と手紙のやり取りをすることはないと思う。

出欠席の返信葉書を書き終えると、着替えて、葉書を持って外へ出た。
夕方は、まだ肌寒い。
だいぶ日は長くなったのだけれど、それでも、もう西日は向こうに見えるビジネスホテルに遮られて、辺りは薄暗い夜の入り口に、もう足を踏み入れていた。僕は、そのまま歩いて郵便局へ向かった。僕の家から郵便局までは歩いて10分とかからない。とても狭い住宅地の道路を、ゆっくりゆっくり歩いていった。僕の家から郵便局まで真っ直ぐ歩いていくと途中に小さな神社がある。神社といっても、ホントに小さい。町内会の消防団が使用する車庫の陰にひっそりと身を隠すように神社は佇んでいる。神社の周りには大きな欅が境内を囲むように立ち並び、一年中、神社に日差しが入ることはほとんどない。神社の入り口には、心ばかりの石畳と石で出来た鳥居がある。何気なく鳥居の方を見ると、鳥居の柱の根元に猫が居た。白と灰色と黒の混じった様な色の猫だ。こちらを注意深く覗いている。警戒しているのが一目でわかった。僕は、口で舌を鳴らしながら、こっちへおいでと近づいたのだけど、猫は、あっという間に逃げる様にどこかへ行ってしまった。僕は、いつも猫に逃げられる。彼女にそれを笑われたこともあった。

郵便局のポストに葉書を投函し、僕は、そのまま自分の勤める会社の駐車場に向かって歩き出した。

たいむあふたーたいむ 10 

2007年01月17日(水) 10時42分
彼女から結婚式の招待状が届いたのは、とても桜が散り、新緑が芽吹き始める頃とは思えないほどの肌寒さが、毎日の様に続く5月の頭くらいだった。

以前から、もうすぐ招待状を送るという旨のメールは貰っていたので、とくに驚くことはなかった。僕のアパートの玄関に郵便受けから滑り落ちたらしい彼女の招待状は、僕が仕事から帰ると、靴の上に乗っかる格好で僕を出迎えてくれた。僕は、それを、ゆっくり拾い上げた。白い和紙の封筒。左上には、金色や朱色、紺色を上手に滲ませた背景に寿と白く書体の描かれた80円切手が貼ってある。中を開け、招待状を読んだ。

…そういえば、昔から結婚式は佐賀県で挙げると彼女は言っていた。僕が、

「どうして縁も所縁もない佐賀県で結婚式挙げるの?」

と聞いたとき、彼女は、ちょっと照れ臭そうに、声も小さく

「昔、その式場の結婚式に呼ばれた時、料理が凄く美味しかったから」

と答えた。食べ物に重点を置くあたりが彼女らしい、と思わず笑った。鳥栖駅の目の前のベルアミーというところらしい。招待客のほとんどが福岡の人らしく、鳥栖は久留米に近いので、結婚式場が隣県と言っても、さほど不便という訳でもなさそうだ。きっと招待客も佐賀県寄りに住んでる人が多いのだろうな、と勝手に納得した。

彼女が九州の福岡に行くということを告げられた時、動揺しなかった、と言えば嘘になる。けれども、僕には彼女を止める積りはない。行かないでくれ、と言えたら、どんなに楽だっただろう。でも、そんな言葉を言って、悪戯に彼女を困らせたり、迷わせたりすることに、一体どんな意味があるというのだ。もし、仮に彼女を引き止めたとしても、彼女は、この街から出て行くことを考え直しはしなかったと思う。彼女は自分自身の為に、悩んだ挙句に決断をし、この街から独りで出て行き、現に今こうやって最高の幸せを、彼女が選んだ、その場所で手に入れたからこそ、僕の手元に結婚式の招待状が届いたのだから。

僕は心から彼女の幸せを嬉しく思った。強がりなんかではなく、本当に彼女の幸せが嬉しく思え、けれど、それと同じくらいに寂しくも思えた。寂しくないとは言えない、でも、嬉しいという気持ちも、疑い様のない事実なんだ。

招待状に同封された葉書に、さっそく出欠席の返事を書く。丁寧に定規で御の文字の上から線を引く。葉書には一言、おめでとう、とだけ書いた。それ以上の言葉は必要ないだろう。

たいむあふたーたいむ 9 

2007年01月17日(水) 10時39分
橋の手前でうつむいて立っている彼女を見つけたのは、グランドフィナーレの真っ最中だった。夜を忘れるくらい、辺りは明るく輝きを繰り返す。うつむく彼女の姿はハイライトをくっきりと浮かばせていた。花火が上がるたびに彼女の影が伸びている様な気がした。僕は、携帯を口元に寄せると息の上がった声で静かに、見つけた、と言うと、携帯を畳んでポケットに入れた。

僕が彼女の前に立っても、彼女は顔を上げなかった。ただただ、うつむいて小さく小刻みに震えている。彼女の様子に気をとられていると、今までにない爆発音が僕の胃の奥までも振るわせた。それと同時に辺りは全ての闇を追い払い、白い光で輝いて見せた。大歓声があがり、拍手は、しばらく鳴り止まなかった。

彼女は、こんなに小さい肩をしていただろうか?いつも穏やかに笑って、時には僕をためらいもなく叩いたりもする、快活で朗らかな彼女。その肩は、こんなに弱々しかったのだろうか?思わず抱き寄せたくなるくらい小さい肩が、目の前で不規則に震えている。こんな時、僕に何が出来るだろう?僕は彼女の為なら何でもするつもりなのに、何をすれば良いのかわからない。

「どうしたの?」

やっと言葉を振り絞った。辺りは、花火大会の余韻も早々に帰りの身支度をする人達のたわいもない会話で溢れていた。さっきまでの華やかさが嘘みたいに、いつもより夜の暗闇が深く思えた。

彼女は黙って、うつむいたまま首を振った。何かを忘れたいみたいに、思い出したくもないと言わんばかりの必死さで頭を振っているような、そんな風に僕には思えた。

「そっか。わかった。もう何も聞かないから」

彼女は、うつむいたまま黙っていた。

「花火大会も終わったみたいだし、一緒に帰ろう」

僕は、そう言うと彼女の右手を捕まえた。彼女の手は冷たかった。僕は優しく、でも、しっかりと彼女の手を握って、彼女を引っ張るように、人の流れに沿って歩き始めた。すると、僕の後ろで彼女の嗚咽の音が大きくなったのに気が付いて、慌てて振り向くと、今まで見たこともないくらいに大きく震えて、彼女は泣きじゃくっていた。鼻水をすする音が、ときおり聞こえる。


彼女は、僕が振り向いたのに気付いたのか、嗚咽交じりの鼻の詰まった泣き声で

「ありがとう、ありがとう、ホントにごめんなさい」

と繰り返した。何に対して、ごめんなさいなのかは、僕には検討もつかない。呼ばれたら、すぐに駆けつけるよ。いつだって、どこだって。感謝もしなくて良いし、後ろめたさも持たなくっていいんだ、そんなものは。僕が好きでやってるんだ。いつだって君の傍にいく、必要とされるなら。

傍から見れば、僕は泣いた彼女を黙って引きずって歩く酷い彼氏にでも見えたかも知れない。それでも僕は、彼女の手を黙って引き続けた。そして、いつしか彼女が手をしっかりと握り返してくれるようになった時、僕の心臓は止まるんじゃないかと思うくらい、早くて大きな脈動を打ち始めた。普段は、付いてるかどうかもあやしい心臓は、こうやって僕に教えてくれる、生きてることや本物の幸せを。

そうなんだ、僕は生まれて初めて、自分から誰かの手を握ったんだ。
それは、ごく単純に、ごく自然に、相手が君だったから出来たんだと思う。
君に出会わなければ、僕の手は、一生、誰も触れようとはしなかっただろう。

好きなんだ。きっと、どうしようもないくらい。

たいむあふたーたいむ 8 

2007年01月16日(火) 10時23分
彼女から電話があったのは、それからしばらくしてのことだった。

僕は、なるべく人の通りの少ないところを探しては見たものの、やはり、何処へ向かっても人で溢れているので、潔く諦め、土手の上から立ち止まって花火を眺めることにした。花火が大きく弾けて、光の雫が夜空一杯に飛散するたびに、周りの人達の笑顔が綺麗に浮かび上がって見えた。それは、まるで静止画みたいにマブタに残る。誰もが幸せそうに見えた。実際に誰もが幸せなんてことはありえないだろう。でも、少なくても僕の、いま、この目で見渡せる限りには、笑顔と喜びと愛情しか見えない気がする。勿論、僕も例外ではない。僕だって幸せなのだ。

あえかな花火の残光に見る幸福は、決して僕自身への慰みでないと、僕は思う。本当に幸せなのだ、僕は。衝動的に泣きたくなった。目の奥に熱いたまりを感じ、それは僕の幸福の風景を滲ませ霞ませていく。

不意にポケットから振動を感じた。携帯電話が呼んでいる。僕は折りたたみ式の携帯をポケットから取り出し、開いてみた。彼女からの着信だった。僕は、一瞬、躊躇したが、ゆっくりと携帯の通話ボタンを押し、それを耳に運んだ。携帯からも花火の音が聞こえる。彼女は無言のままだった。

「もしもし」

僕は小さな声で言った。周りの喧騒に負けないくらいの声で言うべきだったのかも知れない。けれども、小さく話さなければならない気がした。彼女は黙ったままだった。



「どうしたの?」

と僕は乾いた声で聞いた。彼女は相変わらず黙っていたが、よく耳を澄ますと、かすかに嗚咽らしき息遣いを感じる。携帯電話を通して、彼女が震えている様子が伝わってくる。うつむきながら、この夜の何処かで、彼女は今、泣いている。考えるよりも先に言葉が出る。

「どこにいる?すぐ行くから」

彼女は、湿っていて崩れそうな声で

「…橋んとこ」

と小さく答えた。

普段、走ることなどほとんどない。もう何年も走ったことはない様な気がする。そもそも走らなければならないほど、何かに夢中になったのは、もう何年も昔の話だ。

人が多く集まる場所は苦手だった。僕は常に人の流れに乗って生きている。流れに逆らったり、目立った行動は極力避けてきた。障害は避けて通る。波風は、やむまで待つ。息を潜め、時間が流れるのに全てを任せてきた。でも、今の僕は、花火に見とれる人の群れを掻き分けながら、必死に進んでいる。これまでの自分自身に抗う様に。もういいんだ、と思った。僕は、もう、逃げても隠れても後悔するに決まっているんだ。だから、もう、周りを気にせず走れるんだ、と思った。子供の時みたいに。ゴールなんかなくっても、よく走ってたじゃないか、僕は。走る理由が出来て嬉しいとも思った。

あっという間に息が切れた。胸が痛い。脇腹も痛い。汗も出てきた。太腿とふくらはぎが、すぐに弱音を吐いた。それでも、僕は立ち止まらずに走り続けた。すると、今までになく花火が次々と打ちあがっているのを感じた。どれも大きな音を立てて、僕の道を明るく照らす。次から次へと休むことなく、弾けるように花開く。おそらく、グランドフィナーレなのだろう。人々の、これまで以上の歓喜にも似た感嘆が、そこら中から上がっていた。

たいむあふたーたいむ 7 

2007年01月16日(火) 10時21分

「あれ?サユちゃんは?ビール買ってきたのに」

と友達が右手に持ったビニール袋を、ちょっとだけ上げてみせた。

「サユ、約束があるんだって。俺も君達の邪魔するほど野暮じゃないから、唐揚げとビールを頂いたら、どこかに消えます」

と笑顔で言ったら

「ヒロキって、鶏肉だけは譲らないよな」

と友達は笑って答えた。

この川は、僕の住んでる市街の、ちょうど中心を割るように流れている。
川沿いには何キロにも渡って、丘状に土手が続いており、花火大会は、隣町とこの街とを結ぶ橋の下の運動場に大会本部を置き、川を挟んで隣町側の岸から花火を打ち上げる。夏休みの中頃、ちょうどお盆で帰省してきた大勢の人達で、街が、しっとりと賑わうこの時期に花火大会は毎年行われている。

僕は毎年、仕事で盆も正月もない生活をしている人間なので、花火大会には、この街に越してきてから、全く縁がなかった。けれども、今年は休みを取ることにした。特に彼女と一緒に花火を見ることを期待していた訳ではない。別に相手が僕でなくても全然かまわない。彼女がいちばん居たい相手と見るべきだし、彼女が幸せそうに笑ったり、花火を見て綺麗だって感嘆を漏らすなら、僕はそれで充分満足だ。ただ、一緒にではなくても同じものを見ていたいと思ったのだ。仕事を入れてしまっては、花火を見ることは出来なくなってしまうから、きっと後で彼女の顔を見ては口惜しい想いをするだろう。

カウントダウンが始まり、午後7時と同時にスターマインが打ち上げられた。色とりどりの美しい炎が一瞬の煌きを放つ。闇夜のキャンパスに描かれる星色に輝くクレヨンの火花。生まれては消え、生まれては消え、それは儚く、そして美しい。存在を誇示する鼓膜ごと身体の骨組みごと振るわせる音は、大き過ぎて、僕は静寂に包まれる。これだけの人がいるのに、何も聞こえない。ただ体が振動することで花火が鳴っているのがわかる。僕は、3缶目のビールを口に運んだ。

「サユちゃんのこと、いいの?」

不意に友達が、そう言ったのを聞いた。僕はビールを飲み続け、聞こえない振りをしてみせた。友達もそれ以上は何も言わなかった。

3缶目のビールも底をつきそうな感じになり、僕は友達が買ってきた唐揚げを右手でつまんだ。まだほんのり温かいけど、油でベトベトなのが分かった。あまり美味しそうではなかったけれど、そのまま勢い良く口に頬張り、ニ、三回噛んだ後で、缶に残ったビールを全て流し込んだ。これを食べ終わったら、とりあえず向こうへ移動して花火でも見るかな、と考えていた矢先、次の花火が上がるまでの間に

「俺たち、結婚することになった」

と、友達がハッキリとした大きい声で僕に告げた。僕は嬉しかった。黙って彼の右手を取ってギュっと握り、普段は相手と目を合わせるのが頗る苦手だけど、この時ばかりは、彼の目を見据えて

「おめでとう。本当におめでとう」

と言った。彼の花火の光で照らされた顔は、今までみてきた彼のすっきりとした造りの顔の中でも、いちばん清々しいものの様に思えた。彼とは長い付き合いだし、彼女との馴れ初めから結婚に至るまで、いちばん近くで見てきたのは僕だと自負している。彼は、僕なんかと違い真っ直ぐで素直で優しい男だ。きっと幸せな家庭を築くだろう。僕まで、幸福感に満たされた様だった。僕は、彼の彼女、いや、奥さんにも、おめでとう、よかったね、と伝え、詳しい話は、また後日聞くことを二人に約束すると

「じゃあ、俺、向こう行くわ。新婚夫婦水入らず、楽しんで」

そう言って、ビールの空き缶を持ち、立ち上がって、その場を去ろうとジーンズの後ろの方を払った。突然、今まで見たこともない様なピンクの光が煌びやかに降り注ぎ始めた。何事かと思って、空を見上げると、ハートの形をした花火が、次々と、夜空に舞い上がっている。女の子の綺麗っていう感嘆が、あちらこちらから聞こえてきた。もちろん、友達の彼女も、そして彼女もそう思っているに違いないと思った。僕は、ハート型の花火が消えるのを見届けてから、その場を後にし、宛てもなく斜面を登って、土手の上で花火を見ながら散策することにした。別れ際、僕の握った友達の手が、油で妙なてかり方をしているのを見て、少し笑った。

たいむあふたーたいむ 6 

2007年01月16日(火) 10時19分
普段は、そんなに人気のないこの街も、今日に限っては、どこにこんなに人が住んでいたんだろうと思えるくらいに人が集まってくる。

海の方からやってくる夕日のグラデーションは、突き抜けた空のてっぺんの方から、透明度を増していき、やがてはオレンジの空を散らしていく。けたたましく鳴り響き、倦怠感を煽るような、あの蝉しぐれも遠くなっていく。やがて薄く編まれた夜のビロードに包まれるころ、国道の渋滞はピークに達し、色とりどりの浴衣を着た若い女性たちが、談笑しながら川辺の丘に向かって歩いている。川辺の丘の斜面には、みんなが競うようにビニールシートを敷いて、普段、斜面を覆っている草の姿は、もう、まばらにしか見えない。やがて川辺がライトアップされ、明かりに魅せられた虫達が、ひとつの塊みたいに浮かび始める。

「からあげ買ってくる」

そう言って友達は、丘を越えたところに広がった草野球場に、今日の為にぎっちりと並んだ屋台のひとつへ足早に向かっていった。彼の高い背は、人混みでも、はっきり彼だと教えてくれるから羨ましい。僕が、人混みに入れば、きっと誰もが僕を見失うだろう。

「あ、あたしもいく」

人混みからひとつ抜け出た彼の後頭部を目印に、彼の彼女は走って彼を追いかけていった。僕はビールを飲んでいた。その辺の道端で、氷でいっぱいのクーラーボックスにビールを冷やして売っている人が居たので、先ほど、その人から買ったやつだ。ゴクゴクと喉を鳴らしながらビールを飲む。炭酸の刺激とビールの苦味が喉と鼻腔を突き抜ける。ビールなんて何が美味いとは僕には上手に説明できないけど、この雰囲気と、決して好意的でないこの苦味は美味いとしか表現が出来ない。

「なんで泣いてんの?」

と彼女は笑いながら僕の方を見てる。僕は、一瞬だけ意味がわからなくて彼女の方を見たら目が合った。暗くてよく顔が見えないけど、色白の彼女の肌が季節外れの雪みたいに白いのは良くわかる。彼女は、微笑みながら黙って右手の人差し指で右目を指差していた。

「ああ。これ、仕方ないんだ」

僕は小さい頃から炭酸の刺激に弱い。炭酸が嫌いという訳ではないのだけれど、ちょっとした炭酸でも、けっこう目にくることがあって、炭酸を飲むと目に涙が貯まるみたいだ。自分じゃ全く気にしていないのだけど。だから、いきなりビールをグイグイ飲んだりすれば、泣いてるように見えるのかもしれない。でも、こんなに暗いのに彼女は良く気付いたな、と思った。もしかして、何かの光に反射したのかも知れない。

「炭酸飲むと、出る」

そう言って、またビールをグイグイと飲み込んだ。彼女はケタケタ笑いながら

「変なの」

と僕の肩をつついて見せた。僕はビールの缶の淵を噛みながら、へへって笑った。笑い声がビール缶の中で変な音になって帰ってきたので、僕も彼女も、また笑った。しばらく忙しない人混みや、花火の準備をしているスタッフの様子を漠然と眺めていた。そもそも花火大会って、大した宣伝にもならないのに商工会の皆さんが一生懸命に働いて稼いだ金を出して、僕達に綺麗な花火を見せてくれようっていうんだから、気前のいい話だなぁ、なんて考えていると、彼女が時計を気にする素振りを見せたので

「約束あるんだろう?いってらっしゃい。楽しんでおいで」

と小さく言葉を切り出すと

「ごめん。これたら、また来るけど…」

と眉を寄せて言うので

「んー?気にしないでいいって。自分が楽しむこといちばんに考えなきゃ、人生は損をするらしいよ。花火大会なんて特別なイベントなんだから」

僕自身に聞かせてあげたい言葉だなとも思いつつも、僕は飲み終わったビールの缶を両手で挟むように潰しながら、何食わぬ顔で彼女にそう言った。

「うん。わかった。じゃあ、いってくる。またね」

そう言って彼女は、首輪を外されたときの飼い犬みたいな勢いの駆け足で丘の斜面をビニールシートの間を縫って行き、やがて人混みの中に消えていくと、周りの夜の暗闇と区別が付かなくなってしまった。

たいむあふたーたいむ 5 

2007年01月16日(火) 10時17分
近くの水族館でウミネコに餌付けをやっているらしく、どこからともなくウミネコ達が集まってきて僕達の上を優雅に横切っていった。風に翼を預けて滑空する姿は、なんだか自由って言葉を連想させる。

今日のこの景色を、昔の君にも、この先の君にも見せてあげたいと思った。
君は気付いている?
こうやって並んで座った、僕達の小指が、くっ付きそうなくらい近くにあること。君の右手の小指と僕の左手の小指が触れそうで怖い。触れたら離れなくなるかも知れない。

僕は左手を、そっと自分の膝の上に置いた。

君の今日の、そのネイルも凄く可愛いと思う。


たいむあふたーたいむ 4 

2007年01月16日(火) 10時15分

それでも、ちょっと前までは僕の心だって穏やかじゃなかった。

彼女に好きな人がいることは、もうどうしようもない悲観でしかなかった。彼女と会うのは良くないとも思った。いっそ心の中をブチ撒けて楽になって、南の海の魚になろう、南の海の魚は体の模様からして陽気そうだっても思った。どうして良いかわからなくて、毎日、ただぼうっと本を読んだりして、それでも彼女の声が愛しくて、携帯を枕の下に入れて、電話がかかってきますように、ってお願いしながら眠ったりもした。

毎日毎日、自問自答を繰り返した。
ディレンマに苛まされて投げやりになろうとも思った。
楽になりたかった。
彼女の傍に居たくて、でも、彼女の前から消えたかった。

それでも僕は、数多くのそもさんせっぱの果て、ひとつの答えを出した。

僕は、(誰かはわからないけど彼女が大好きな)そいつのことを大好きな彼女のことを大好きになったのかも知れないって。

そもそも誰かを好きになったら人は、すごく魅力的になる。昨日まで躊躇していたことが出来るようになったりもする。勇気のもてなかったことに勇気が持てるようになる。自分を凄く戒めて、規律正しくさせたりもする。綺麗なものが目に付いて、今までよりも優しくなれたりもする。言葉が温かくなって、みんなを今までよりも身近に感じれたり出来る気がする。

そんな彼女を僕が好きになってしまったとしたなら、どうして僕が彼女の恋路に割って入ることなんて出来ようか。むしろ、僕は彼女が困った時に助けてあげたいとすら思った。どんな理由であれ、彼女の困った顔は見たくないんだ。彼女が諦めそうなとき、挫けそうなとき、そういう時に励ましてあげれる僕になりたいと心から願う。

その為に、僕はおもしろい話をいっぱい考えようと思った。

大人は笑うかもしれない。僕の言ってることは戯言だと冷笑されるのが関の山かもしれない。告白する怖さを誤魔化してると非難されるかも知れない。都合の良い様に扱われてるだけだ、目を覚ませと叱咤されるかも知れない。

それら全てを僕は否定しない。
それでも、ただ、僕は、僕の気持ちを、僕のやり方で、純粋に紡いでいくだけなんだ。

それが間違ってるとか間違っていないとか、相対化された個人の倫理や曖昧な基準で判断される行為に僕は意味を見い出したりはしない。

僕の彼女への気持ちだけが唯一、僕にとって遵守されるべき絶対のルールなんだ。


君なんだ。
これからも、ずっとずっと。