親愛なるみなさまへ 

2010年09月11日(土) 14時15分

この日記をご覧の皆様

このページへ辿り着く際、ご覧いただけたかと思います。



ON THE WAY
2010年 9月20日をもって解散します。



挨拶が遅れてしまったことが、本当に申し訳ないです。


何度も話し合い、何度も悩み、
すべての想いを込め、この決断に踏み込みました。

“なんとなく”で続けることはきっと出来たと思う。
でも、それでは決して満足しない自分が大きかった。


今から約5年ほど前、
メンバーを集め「ON THE WAY」を結成しました。


長いようであっという間に過ぎていった日々。


さまざまな感情と景色の出会いが、僕達を少しずつ大きくしていってくれた。
その中で一人一人が、限りある魂のなかで、何が大切で何をすべき人生かを見つけつつあるんだと思う。


歩みだす意志を強制することはできないし、もともとバンドなんて奇跡の塊だ。
だからこそ、拍手をもらえたり、感動を与えられるんだ。

次なるステージを目指す為に、
僕達は“解散”という道を選んだ。

過去の自分に負けないように、
この決断が間違いじゃなかったと、
応援してくれたみんな、支えてくれた人たちみんなにそう思ってもらえるように、
これからの道に碑を灯していきます。



解散を発表してから、本当にたくさんの愛を受け取りました。
東京最後のツアー、見に来てくれたみんなが涙を流してくれた。

バンドを続けてきてよかったなぁって、みんなのおかげで心から思えたよ。


いつもいつも本当にありがとう。


その想いをすべて、9月20日に繋げます。


正直、本当に寂しかった。
こんなことを言ってしまうと申し訳ないんだけど、

誰よりも俺は悲しかった。悔しかった。
ずっと続いていけると思ってた。
どうしていいのか解らなくなったし、
全部の時間が寂しくなった。


でも、みんなのおかげで、その寂しさが大きな感謝に変わっていく。

大袈裟じゃないよ。


今日までの日々に感謝。
そして最大限の大きな愛を歌い、贈ります。


ほんとうに、どうもありがとうね。




9月20日まで、一心不乱で走ります。




ありがとう。

ON THE WAY Vo.信吾

ばぁちゃん 

2010年07月20日(火) 23時29分

2010年、7月17日(土)




金田ばぁちゃんが亡くなった。



僕のひいおばあちゃん。
106年間、この地上で生きた。


本当に、今日までありがとう。
106歳、ずっと元気でいてくれてありがとう。

母さんと父さんを引き合わせてくれて、本当にありがとう!


今の家族、僕がいるのは、あなたが優しく、そして生き抜いてくれたおかげです。



僕は金田ばぁちゃんとの記憶は、実際には覚えていません。

でもばぁちゃんの家の風景の記憶は、ずっと残っている。
僕が3、4歳のころかな。

家の本当にすぐの真裏に一車線の線路が通っていて、ばあちゃんの庭の扉を開けて線路へ出れる。
田舎だから電車なんてめったにこないし、ただのどかな風景の一画。

お兄ちゃんと遊んだ記憶がかすかに残っている。



7月18日(日)
金田ばぁちゃんのことは覚えてなかったけど、僕はばぁちゃんに最後の挨拶をしにいくことに決めた。

7時41分発
新大阪⇔津山(岡山)行きの特急バスに母さんと乗り込む。


どの家庭にも、きっといろんな問題はあるし、みんな悩みは抱えている。
だから、あえて人には話さないけど、僕の家にも本当に色んな問題があった。し、ある。

でも、どんな問題が起きたとしても、
家族は、何にも変えられない、唯一無二の宝物

そんな家族を築く、第一歩を与えてくれたのが金田ばぁちゃんだった。


いつかの日、僕は母さんからその話を聞いた。


だから僕は、ばぁちゃんに会いにいった。
僕に大切な家族をあたえてくれたばぁちゃんに、
あの思い出の家で会いたかったから、お通夜やお葬式ではなく、
朝一番のバスで、まだばぁちゃんが家にいる間に
ばぁちゃんと、ばぁちゃんの家に挨拶に行った。


106歳。


106年間、本当に色んな景色見ただろうね。
キレイな景色も、
見たくないものも、
本当にたくさん見ただろうね。


ゆっくり、ゆっくりやすんでね。


金田ばぁちゃん、本当に今までありがとう。



本当に、本当にありがとう。


天国でじぃちゃんと仲良く暮らしてね!




僕も毎日頑張るからね!


今までずっと、ありがとう。


毎日 

2010年07月07日(水) 23時12分
今までの、すべての日々が僕に教えてくれたこと


きっと日々は一瞬で、出会いと別れがすべてなんだ。



難しく考える必要なんてない。
その連立の上、今日までやってこれた。

とりあえずは今日、今があって、
僕の考え次第で 明日は何とでもなるはず。


色んな考えがたくさんあって。
ほんとにほんとにたくさんあって。

近付きたくて
すごく愛したくて、すごく愛してほしくて、

でも、ときどきジャマだったりする。


季節の変わり目は、いつも時間に置いてかれないようにと必死です。




そして、すごく色んなことを考えて
一人で弾き語りをすることにしました。

7月14日(水)
アメリカ村 CLAPPER

ここでの告知がふさわしくないくらい、
ON THE WAYとはまったく違うスタンスで、この日からもう一つ音楽を始めます。


BANDとはまた違った顔の僕を、よかったら見に来てください。



一生懸命やります。




今日は七夕。

織姫、彦星

おめでとう!

大切なもの 

2010年06月20日(日) 0時25分
大事なのは


大切な瞬間を、大切にすること。



それが全てだと思う。


解ってるけど、難しい。
解ってるから、余計に難しい。



不安定でもないけど、最近はそんな具合です。



大切な時間は、ほんとにいつも一瞬のような気がするな。

2010年 6月2日 “フェニックス” 

2010年06月07日(月) 22時37分
6月2日 
待ちに待ったCLAPPER復活の日

なんか、色んなことの感謝したい。

この日見に来てくれた人にはもちろん、
CLAPPERスタッフのみんなと、そして今日までCLAPPERを支えてくれた人たち

そして、CLAPPERへ

本当にありがとう。

これからもよろしくね。



そして、昨日は福井CHOPでのライブ。
CHOPはやっぱり素敵な場所だった。

CHOP店長ダニ純さん、結婚おめでとうございます!

年内に、またいけたらいいな。



そして一年前の私。

2009年、6月7日は、実はもうカンボジアでの生活を終えてタイに戻っています。

日本で過ごす時間と、本当に流れ方が違います。
海外での日々はほんとにスローで、一日としての時間の長さがまるで違う。

それだけ新鮮で、刺激のある日々だったのだろうな。


前回アンコールワットのお話をさせてもらいましたが、
今日はカンボジアが世界に誇るもう一つの遺跡、“ベンメリア”についてのお話を。

とは言っても、これもアンコール遺跡群の一つ。
これは車で1時間30分ほどかかるところに、とても離れた場所にある遺跡。

あの“ラピュタ”のモデルとなった遺跡です。

大きさはアンコールワットとほぼ同じくらい。
それに造りも似ている。

舗装された道も少ないような山奥に潜む遺跡。


ただ、他と圧倒的に違うところ。


この遺跡は、崩壊したままなのだ。


それ以外のほぼ全ての遺跡は、形を保つべく人間の手が加えられている。
崩れないように柱を立てたり、崩れた壁を舗装して再現していたり。

でも、ベンメリアだけは崩壊したまま、遺跡に一切の手も加えていない。

もともとは人類が創り上げたもののはずなのに、山の中に聳え立つ遺跡は、
暗闇の中、木漏れ日を浴び、まるでそれは聖地に見える。

きっと誰も手を加えられなかったんだろう。

それほどまでに特別に見える空間と、古代遺跡の力。

美しすぎるほど鮮やかに見える、遺跡に絡みつく木々とこけの絨毯
どこから現れたのか、やぎの親子が顔をのぞかす。


それは本当にラピュタのような、ただ圧倒される世界だった。

カンボジアってすごい暑い国なのにね、その場所だけ少し肌寒いんだよ。



たった一つの遺跡に、思わず何時間も時間を奪われた。


2010年 5月28日“仏様”  2009年 5月28日(木)“アンコール遺跡群” 

2010年05月29日(土) 23時06分
2010年5月28日
昨日のことです。


昨日、奈良へ遊びに行ってきました。

平城京&興福寺

もっとたくさん回ろうと思ってたけど、自分はのんびりやだったのを忘れてました。

見て回ったのはこれだけだけど、本当によかった。


奈良へ行ったのは、きっと小学生の遠足以来。
もう十数年前のこと。

そのときには気付かなかった、お寺、そして仏様の偉大さ。

こんなに近くに、こんなにすごいものがあったんだな…

日本の文化のすごさに圧倒されました。


国宝館では、千手観音、阿修羅などの仏が並ぶ。
タイの大仏や、アンコール遺跡にも衝撃を受けたけど、同じくらい、奈良に存在する仏様に衝撃を受けました。


シカは神様の使いなんだってね。





そして去年の昨日、僕はアンコールワットへ足を踏み入れた。



2009年5月28日(木)



アンコールワット
かつて栄えた伝説の都。
堂々と、今なお誇らしく存在している。


迫力と、存在の力が半端じゃない。



それと同時に
もう一つの景色、物売りの子たちにも衝撃を受けた。


正直、胸が痛い。

みんなは必死だ。
きっと、唯一覚えているであろう日本語、
「3コ1ドル」
呪文のように言ってくる。 
物売りの子たちは、、まだまだほんとに4〜5歳の子達ばかりだ。

ご飯の最中、何度断っても“ずっと”テーブルに物を並べ、売ってくる。
僕はアンコールに到着して一番最初に出会った少年から、ポストカードセットを買った。
後にも先にも、物売りの子供たちから買ったのは、この時だけだ。


これもきっと、訪れた者にのみ見せる、アンコールの一つの姿。


旅立つ前、日本で何人かの女友達が「アンコールワットへ行くのが夢だ」と言っていました。
僕が現地に行くまでは、すごく賛同していたが、正直今なら全力で止める。




“アンコールワット”というのは、広大は“アンコール遺跡群“の中にあるたった一つの遺跡の名前。
遺跡群自体は広大な敷地、言うならばもはや一つの町。

遺跡群の敷地内には、実は学校や、畑や田んぼ、もちろん家が建っていて(お店はそこらじゅうにあります)、人々がふつうにそこで暮らしている。
アンコール遺跡内へは入場料が必要。
一日券は20$。
他に3日券、一週間券とあって、僕は3日券(45$)を買っていた。
カンボジア人はすべて入場無料。
暮らしてる人や学校もあるんだから、そりゃそうだ。


アンコールワットを囲むように、川が流れ、そして池になっている。
裸になって飛び込む子供や、釣りを楽しんでいる少年、
枝の剣をふりまわしてチャンバラごっこ、
高校生のカップルが川辺で寄り添っている。

そして店の前の道を人が通るたび、大声を張り、お店の前へ出てくるお母さん。
ビル5〜6階に相当する、大人が登るのも危険なくらいの高さを誇る遺跡、
その頂上へ登ったとき、そこでも物売りの子供達が待っている。


そして旅行費を貯め、自国を飛び出し、自由に旅をする旅人


アンコール遺跡群、ここでは過去と現在がごちゃ混ぜになってしまっているようだ。


遺跡の秘める圧倒的な力と、想像を絶する壮大なスケール。
写真やブラウン管を通してでしか見たことのなかった景色が、目の前に広がっている。


大自然の中、石の城がいくつもたたずむ。
かんかんの日差し、大きなアリに、ジブリのような木々。


色々書いたが、僕にとっては、ただただ素晴らしい場所だった。



僕は宿泊中のゲストハウスで自転車を借り、
3日間、この遺跡群のなかを心行くままに走り回った。

2009 5月27日 “ほほ笑みはやがて連鎖する” 

2010年05月28日(金) 2時05分
今日の日記は長いです。
自分の人生の中で、とてつもなく大きな意味を持つ一日の話です。




去年の今日のお話


僕はカンボジア、シェムリアップという町にいる。
今日でカンボジア2日目。

この日、僕は当初の目的地の一つ、
孤児院と学校を訪れた。


朝、昨晩泊まった宿を出て新たな宿探し。
この町では有名な、タケオゲストハウスというところに宿を移した。

この宿は日本人客が多い。
そこで、たつやくんという21歳の男の子に出会った。

彼は本当に優しい人で、僕に色んなことを教えてくれた。

話が弾んだ僕達は、そのまま一緒に町へ散歩に出た。
カンボジアでの買い物のコツや、町の情報を教えてくれた。


そして、孤児院が近くにあるから行ってみようと誘ってくれた。




僕がカンボジアに来た理由。

さまざまあるが、やっぱり自分の目で見てみたかったからだ。

学校
孤児院
トゥールスレン博物館
キリングフィールド
アンコールワット
そして町並み、人々…



そして訪れた孤児院。
ここは学校も隣接していて、授業風景なども見せてくれた。



この場所は、僕から“当たり前”という感情を一瞬でかっさらった。






2009年 5月27日(水)の旅日記より。



“ほほ笑みはやがて連鎖する”


カンボジアの子供達
少年少女の瞳は本当にきらきら輝いていた。


働ける環境に感謝を。
この世界に平和のうたを。
当たり前ではない、親のありがたみに愛と尊敬を。
明日を生きる喜びを。


甘えていた。
みんな生きる為に必死なんだ。
僕は本当に甘えていた。


孤児院では、年長(高校生)の女の子達がご飯を作っていた。
夕方15:00〜16:00 女の子4人でみんなのご飯を作っていた。

高校生の男の子がまきを割っている。
それを近くで見ている小さな少年は、笑顔でまき割りのマネをしていた。


そして18歳、高校生の日本語を学んでいるという男の子が色んな話をきかせてくれた。


ここにいる子達は、みんな親がいない。
「お母さん」と呼ばれ、みんなの面倒をみてくれる人が一人いるだけだ。
「お母さん」は朝から買出しに行ったり、物を売る仕事をしたり、とにかく忙しいという。
僕達が行ったときは奥で寝ていた。
きっと、偉大なお母さんなんだろう。


みんなお金がかかるから、大学にはいけない。
仕事をみつけるのも、とても難しいと言っていた。

彼は日本語学校に通っている。
いつか日本に行ってみたいと言っていた。

男の子は、少し前に彼女と別れたという。
離れた町、ポイペトという町のカジノで彼女が働くことになったからだ。

少し寂しそうに話してくれた。

(ポイペトという町は国境に接する町。以前この日記にも書いたが、無法地帯として知られている。
その町へ、彼女が働きにいく。僕には返す言葉なんて見つからなかった。)

カンボジアの王は何もしない。
この国が貧しいのは政府のせいだと言っていた。

「カンボジアの政府は崩壊してるんだ!」

彼ははっきりと、そして何度もこの言葉を言った。



そして学校、授業風景を見させてもらった。

教室では
みんなの前に立って、本読みをする男の子。
教科書をぴんと持つ姿が美しかった。

窓際の子たちは、僕らに気付いて手を振ってくれる。
みんなとっても可愛い。
でも、授業はちゃんと受けないと…

思った以上に、教室はわりとにぎやかで、ガヤガヤしていた。

音楽室からは、クメール文化を漂わせる独特のメロディーが流れる。
素敵な音楽だなぁ。




ほんとに1〜2歳の小さな子から、お兄さんお姉さんまで。
みんなが一緒に暮らしている。

みんな本当に優しくて、きれいな目をしていて、勇敢で、素敵だった。

親がいて、働けて、好きなことができる僕ら。
彼らから、言葉にできない想いをもらった。


ありがとう。

本当にありがとう。



僕はやれる。
彼らの分まで、もっと必死に、もっと一生懸命に。


みんな大好き。
ありがとう。



2009.5月27日(水) 22:34

旅日記より。






あれから一年、今僕は
「セピア」
「美しくある為に」
という歌をうたっている。





「美しくある為に」


流れては消えゆく想いをのせて
いつかの景色を思い出してた


“生きる為に、今日を過ごしている”

僕らはどれほど甘えてんだろう

親を亡くし生きる子供は
それでも美しく夢を口ずさむ


ありふれた日常 そこにある幸せ(もの)
あまりに慣れすぎで 気付かぬまま


僕らなんて“不幸せ”とか
口に出せれるだけ“幸せ”だろう


世界の未来を守ることより
今ここにある幸せ(もの)を守るべきだろう


それぞれに生まれた場所は違えど
かけがえのないもの 抱きしめ ゆく

言葉にならない想いを越えて
守り抜くもの 胸に秘めた



2009 5月25日 “カンボジア” 

2010年05月26日(水) 1時51分
去年の今日、国境を越え、カンボジアへ入国した。

前の日記でも書いたけど、この日のことは一生忘れません。

国境という壁を越えただけなのに、なぜここまでも景色が違うんだ。

あの緊張感。
国境という“壁”のもつ力
雄大に広がる大地
そして旅での2ヶ国目


目的地カンボジアの地に足を踏み入れた、記念すべき一日。


カンボジアは、タイへ降り立った時とは、またまったく違う角度から僕のカラダに入ってきた国だった。



何もない、ただ真っ直ぐに伸びる道をひたすら車で走る。
まるで映画のような世界。

お金を求めてくる子供達
物売りの少年少女
タイとは比べ物にならないくらい、食事にはハエが群がる
夜は暗い、街灯なんてない
そして、どこか殺気だったように写る町並み

……

きっとメディアで伝えてるカンボジアのイメージ。

実際はあんなものじゃない。
それ以上に危険だ。
そしてなにより、それ以上にもっと素敵な国だ。


裸足で、元気に駆け回る子供達の笑顔。
一生懸命働く町の住人(もちろんすべての人がそうではないが)
どんな子供にだって、ハローと言えば、満面の笑みでハローとかえしてくれる。
家族の愛。
生きる力。



ショックな現状なんて、そこらじゅうにある。
それでも、
それでもなんだよ。



ここから約2週間ほど。
カンボジアでの旅が始まる。

2009 5月23日 “タイ、バンコク初日” 

2010年05月23日(日) 23時23分

去年の今日、僕は初めて日本以外の国の空気に触れた。

それは感動だった。
異色だった。

困った
悩んだ
騙された

日本という国を、初めて別の角度から感じた。



バンコク空港を出て、いざ目的地カオサンへ。


空港を出るまでの期待感、
そして現実。

初めてという、人生の中で二度とない一日。
海外の地面を歩いた大いなる一日。


初めて見る町並みや、他国の言葉。


騙されたり、歩き回ったり、ご飯を買って食べてみたり。

困ってるとき道端で声をかけてくれた日本人。
彼と出会ってなかったら、きっとまた、まったく別の旅になってたんだろうな。


運命はすごい


旅の日記帳
この日のページには、こんなことを書いていた。


“日本人宿だから、ここでの出会いを大切にしたい。
みんなそれぞれいい人たちだなぁ”


旅の神様に感謝!

5月22日 “旅立ち” 

2010年05月22日(土) 23時35分
一年前のこの日、僕は初の海外旅行、初の一人旅に出た。

大冒険の始まりの日


この季節
風のにおい
気温

すべてが記憶を鮮明に呼び覚ます。



旅の中で毎日書き綴った、旅日記帳を参考に、
リアルタイムで日記を進めていこうと思います。









5月22日

“旅立ち“


PM12:45
関空に向かう電車の中

今の気持ちは、正直ふわふわしている。
あんまり実感も沸いてきてない。

多分空港に着いたら、もっとドキドキするんだろうなぁ


PM13:24
関空にて

人が少ない
インフルエンザの影響だろう

一昨年、兄がタイに旅立つとき、送りに来た関空。
今、兄と一緒に寄った喫茶店であの日と同じコーヒーを飲んでます。

ちょっと興奮してきました。

なんかニヤけます。

どうせ解らんことだらけ。
堂々とわからん顔してやります。



PM13:46

出国手続き終了
これもスムーズにいけた。

1000円だけ、タイバーツに両替した。

何か、一気にテンションが上がった!!
100バーツ札3枚!!ピカピカのやつ!!

宝を手に入れた感じ!
すげぇ冒険気分!!

よし、そろそろ飛行機乗るか!


PM14:03
搭乗。まもなくフライト。
そして雨です。笑


PM14:15
飛んだ!
バイバイ日本!!

みんなありがとう!
バイバイ!!!

兄貴、楽しいよ!


PM14:25
雲突き抜けて、実は空は晴れてます。

頭の中で、ずっと「ジュピター」が流れてる。。


PM18:04
中国、北京に到着


PM20:00
北京より、バンコクに向けてフライト

夜景がどこまでも伸びて、
空の向こうが青、金、オレンジ、赤、黒、地平線が、まるで虹のようだ。


PM21:38
夜、だんだんと一人旅の実感が沸いてきた。
一人の時間が長くなるにつれ、少しずつ感じてくる。

いよいよだ!
ドキドキする!!






初めての海外。
初めての一人旅。

不安だらけで、でも、期待だらけで。

すべてが冒険。
僕にとってはすべてが困難で、すべてが快楽。

そんな大冒険の始まりの一日だった。
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